落葉の積もる場所

- The way I was -
 

続き・・・・・ (Fin)

2013年04月27日 | WEBLOG


じぇじぇじぇ!
















とりあえず緊急性はなくなったということで、私は私立の病院に移りました。


この時、オムツの使用は既に終わっていましたが、 車椅子は転院後1ヶ月必要でした。













それから5ヶ月・・・。。




長かったです。




それが 率直な感想であり、魂の囁きでもありました。





           お前 どうするんだ?



           もう 社会人ではなくなるかもね。。。

















正直なところ、一時はかなりヤバイ状況でしたので リハビリは苦闘の連続でした。


        (それは今も変わらずですが。。)

















車椅子が不要になり、最後の1ヶ月は入浴もひとりでOKになりました。







退院が近づくにつれ、 ようやく希望も(少しですが)見えてきました。



















最後の2週間はドタバタしましたが、 どうも母の動きが気になります。



何の用もないのに頻繁に病院へ顔を出すのです。









普段なら当然の事も、母の顔を見ただけで不安になるのはなぜなんだろう。。






そして 母のほうもどことなく様子が変でした。




















すべては、先日 Tさんが語ってくれた事で納得できたのです。








































母とは昨年8月に縁を切りました。




お金を盗んだ事以外にもいろんな事が有り過ぎて…。



























それから、 「Tさん」は、私が取締役を務めていた会社の社長です。





今でも面倒を見に立ち寄ってくれます。



心の底から感謝しています。





















元妻にも 入退院時にはいろいろ世話になりました。






































それから、約2年ぶりにようやくログインできた「落葉の積もる場所」。


そこには うれしいプレゼントが待っていました。








それは、ヨッパからだけど 心のこもったコメントでした。


その人のアドレスとともに…。







2年遅れましたが、お返事を出しました。


とりあえず、ありがとうの気持ちだけでも と …。。










また改めて お返事を書くつもりです。


迷惑だったら申し訳ありませんがメールを入れてくださいね。






2年・・・、


長過ぎましたものね。。









































毎日、ぼんやりと(でも真剣に)歩いている私。



その将来は一体どうなるのでしょうか。



















現在の担当医M女史、 理学療法士(リハビリ)のTさん、Uさん、、


在宅介護のHさん、Kさん、  身障者センターのO所長・・・、、






皆さんがいるから私は頑張っています、


















もちろん 親友・悪友の連中、 



  そして最後になりましたが、メル友・ブロ友の皆さんにも深く感謝しています。





















絶対に 生き甲斐を見つけますから、 どうか応援してやってくださいませませ。。。

                                   (古)




























































                           この項 ようやく終わります。




                 



続き・・・・

2013年04月21日 | WEBLOG



1週間 床に伏せたとは言うものの、 流動食を食べ、オムツをしかえてもらうことはやっていました。


ただ、この1週間の記憶が全くないというだけの話で・・。







そして、2週目に入った頃から徐々に意識が目覚めてきたのです。







リハビリも開始しました。


でも、初日はたった5m歩いただけで気力が萎えていました。


           「気持ちが悪いよー」















1ヶ月の公立病院暮らしは、車椅子のまま終わりをむかえ、 5ヶ月間 私立の病院へ転院するのですが、
この頃から ある「疑問」が私の中に芽ばえていました。





この「疑問」に対する「答え」は、完全に退院してから つい最近になってわかりました。





























母は入院中オムツを2、3回ほど換えてくれたそうです。


あとは、お菓子を買ってきてくれたみたいです。

             (ただし私は絶対に食べてはいけない体調でしたけど。)



































その母は 私が倒れた翌々日から私の家に出入りするようになり、 金目の物を物色していたそうです。








そして、私の財布から ・・万円を抜き、 傍にいたTさんにもいくらか渡そうとしました。







        もちろんTさんは受け取りを拒みましたが。































          お金は人を変えるのでしょうか。。

























この話を聞いたのは 本当に最近のことでした。



何となく気になっていた財布の行方をTさんに尋ね、 最後は涙を流してTさんが話してくれました。




























         お金は人を変える・・・、









         そんな言葉が本当になるなんて。。。

































私も泣いてしまいました。




                長い 長い間…。















































またまた続きますが、適当に流してください。


本当は書きたい話がたくさんあるのですけど、身内の恥ですものね。










身内の恥は自分の恥でもあるので、ここらでやめときますね。





残りは5ヶ月間の私立病院生活レポートにあてます。




































            でも、 最後にひとことだけ……

















































       金?   じぇじぇじぇ!!










続き・・・

2013年04月18日 | WEBLOG



朝がきました。


知人・Tさんは「覚悟」を決めて病室に向かいました。







私は起きていました。


そして 「Tさん おはようございまーす」 と微笑み、


B'zの ♪いらない なにも すててしまおう♪ と 繰り返し歌っていたそうです。






        もちろん全て 最近Tさんから聞かされたことです。













その後、1週間は再び臥せたらしいのですが、 (私的に)大ショックな事実があったのです。



それは、 オ・ム・ツ。。。








知らなかった、 まったく。


歩けない私は、看護師や母にオムツを替えてもらっていたそうです。







SHOCKな事実でした。




元気な時には口も利かない関係だった母に・・。















              そして、さらに 「母SHOCK」は続くのです、、、。


























またまた続きます。

他人の病気話ですので、このくだりは読まなくて結構でーす。。




           

     

続き・・

2013年04月10日 | WEBLOG

救急隊員が8階の私の部屋に着いたとき、なんとか返事だけはしていました。


    「さすが速いですね」

    「病院はどちらへ行くんですか」


後から友人に聞くと、全くの誤りでした。

救急隊員の方たちとは一言も話してなかったそうです。

なにせ、意識不明だったのですから。









私と友人を乗せた救急車は、5つの病院に電話を掛けたものの すぐに受け入れてくれるところはありませんでした。

満床だったり 緊急手術が立て込んでいたり…。








30分余りをロスした頃、安佐市民病院から入院可能という返事が来ました。

そして、無意識のまま私は集中治療室へと。。














友人はとにかく大変でした。

医師から現況を聞いたり、
家族(母・弟)の連絡先を調べに私の自宅へ戻ったり、
友人の会社のお金が50万円以上入ったバッグを落としたり。。。
             (結局、このお金は見つかりましたが  )











   医師 「明朝意識を戻すかも知れないし、このまま死亡するかも知れません」







手術を受けたつもりでいた私は、アンタッチャブルなところが出血していたのを知る由もありませんでした。









その晩、友人は3回号泣し、 医師や看護師に促されて深夜2時頃帰宅したそうです。





















              その間 私は すやすやと 眠っているだけでした。











                                  -また続く-

            


2011-3-10

2013年04月08日 | WEBLOG
その日 私の身に起こったこと、

それは人生をリセットする大きな出来事となりました。











2011‐3-11。

東北の方々にとって、途方もない衝撃を与えた大震災。

死者・行方不明者 合わせると 19,000人弱。

悔やんでも悔やみきれない悲しい日になりました。

そして、今もなお続く労苦の毎日。

少しでも前を向いて頑張ってほしいです。



























その大震災が起こる20時間ほど前、 ひとりの中年男が会社から帰宅。

玄関の鍵を閉め、靴を脱ぐやいなや その場にしゃがみ込んでしまいました。




そして、近所に住む友人に電話を掛けて 自宅に来てもらったのです。



ただし、 この辺りからは記憶が途切れ途切れで、 言葉の呂律も回っていなかったそうですが。












以前、病を得てから初めて書いた「ちっぷゲーム」というブログでは、残念ながら勝手な思い込みが相当入っていました。

それに比して、今回は友人から より詳細な経過を聞いたので できるだけ事実にそって
私の予後に関するお話をさせていただこうと思っています。
















まだ(と言うよりも、当分? ずっと?)、
長い間パソコンの前に座っていることが苦痛ですので、続き物になることをご容赦ください。