横断歩道を通り庄屋跡に向かいます。
途中チンドン屋の楽しい呼び込みが聞こえます。
常設の高崎家のすぐ横のありますが祭り以外は公開されていません。梅本家は船庄屋になります。
入ってすぐ左横の書は『広瀬旭荘が文化4年~文久3年(1807~1863)・・江戸の後期の儒学者で梅本子の為書きが有る・・・』とあります
外に出てすぐ左の窓越しに漆器の展示もあります。
『この母屋は専門家の調査で天保時代(1840年)の築と言われています』
天井から下がっている絵はここの梅本家のご先祖の作で下書きなく一気に書き上げたもの。
たたみの上に生地を広げ書いたので畳の上だとわかる部分があるそうです。
襖絵の美人画も鮮やかです。