日本初の王「卑弥呼」の“やばい”正体とは?12/17(月) 6:00配信 ・ダイヤモンド・オンライン
日本史の偉人たちを「すごい」と「やばい」の2つの視点から紹介する書籍、『東大教授がおしえる やばい日本史』が話題になっている。
当初は児童書として発刊された本書だが、なんと読者の半数は大人。意外と知らない日本史の真実がウケて、18万部突破のヒットとなった。
● 「卑弥呼」のここが“すごい”! 日本ではじめて王になった
1800年ほど前、日本は30ほどの小さな国にわかれていました。そのなかのひとつが、邪馬台国です。もともと日本には男性の王がいましたが、王座をめぐる戦争が70年以上も続いていました。
その戦争をピタリと終わらせたのが、邪馬台国の卑弥呼です。はじめての女性の王として卑弥呼が即位したところ、みんなが納得して平和な国になったといいます。
一説によれば、卑弥呼は占いの力を使って人々を従わせていたそうですが、案外シンプルにケンカが強かっただけかもしれません。卑弥呼が何らかのすごい力をもっていたことは確かです。
でも、卑弥呼の本当のすごさは、外国の力を利用したこと。
239年、当時日本とは比べものにならないくらい発展していた大国・魏(いまの中国)に使者とみつぎ物を送り、魏の王様に「卑弥呼こそが日本の王だ」と認めさせたのです。このお墨付きによって、卑弥呼は邪馬台国だけでなく、ほかの国々もまとめあげることに成功! はじめての「日本の女王」として君臨します。
これを学校にたとえると、クラスのみんなが学級委員の座をねらってケンカをしているなか、ぬけがけして教育委員会にワイロを送り、一気に校長先生になったようなもの。どうやら卑弥呼は、なかなか頭脳派だったようですね。
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● 「卑弥呼」のここが“やばい”! じつは引きこもりのおばあちゃんだった
王様の仕事というと、たくさんの部下を従えて、指示をしたりするようすを思いうかべるかもしれません。
でも、卑弥呼は引きこもりでした。宮殿の奥でひたすら「鬼道」という占いに明け暮れる日々。占いの結果を伝えるのは弟の役目で、人々は卑弥呼の姿を見ることすらできません。さらに、食事の世話などもすべて弟がこなし、お世話係の女性たちも近づけませんでした。
いくらなんでも弟に頼りすぎですし、これではただのあやしいスピリチュアル好きです。
ところが、当時の人々は悪天候や病気など、自分の手に負えないことを恐れていました。だから、占いで未来を教えてくれる卑弥呼のふしぎな力に頼っていたのです。むしろ、姿を見せないミステリアスさが、占いの神秘性を高めていた可能性すらあります。
そんなイメージから、学習漫画などではあやしい美女として描かれることが多い卑弥呼。でも、魏の書物「魏志倭人伝」によると「かなりのおばあちゃんで、夫はいなかった」そうです。もしかしたら、外に出ない理由はおばあちゃんだから外出がめんどうくさかっただけかもしれません。
卑弥呼の死後は、台与という13才の少女が王になったそうですが、その後の記録はとだえていて、邪馬台国がどうなったかはなぞに包まれています。
日本史の偉人たちを「すごい」と「やばい」の2つの視点から紹介する書籍、『東大教授がおしえる やばい日本史』が話題になっている。
当初は児童書として発刊された本書だが、なんと読者の半数は大人。意外と知らない日本史の真実がウケて、18万部突破のヒットとなった。
● 「卑弥呼」のここが“すごい”! 日本ではじめて王になった
1800年ほど前、日本は30ほどの小さな国にわかれていました。そのなかのひとつが、邪馬台国です。もともと日本には男性の王がいましたが、王座をめぐる戦争が70年以上も続いていました。
その戦争をピタリと終わらせたのが、邪馬台国の卑弥呼です。はじめての女性の王として卑弥呼が即位したところ、みんなが納得して平和な国になったといいます。
一説によれば、卑弥呼は占いの力を使って人々を従わせていたそうですが、案外シンプルにケンカが強かっただけかもしれません。卑弥呼が何らかのすごい力をもっていたことは確かです。
でも、卑弥呼の本当のすごさは、外国の力を利用したこと。
239年、当時日本とは比べものにならないくらい発展していた大国・魏(いまの中国)に使者とみつぎ物を送り、魏の王様に「卑弥呼こそが日本の王だ」と認めさせたのです。このお墨付きによって、卑弥呼は邪馬台国だけでなく、ほかの国々もまとめあげることに成功! はじめての「日本の女王」として君臨します。
これを学校にたとえると、クラスのみんなが学級委員の座をねらってケンカをしているなか、ぬけがけして教育委員会にワイロを送り、一気に校長先生になったようなもの。どうやら卑弥呼は、なかなか頭脳派だったようですね。
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● 「卑弥呼」のここが“やばい”! じつは引きこもりのおばあちゃんだった
王様の仕事というと、たくさんの部下を従えて、指示をしたりするようすを思いうかべるかもしれません。
でも、卑弥呼は引きこもりでした。宮殿の奥でひたすら「鬼道」という占いに明け暮れる日々。占いの結果を伝えるのは弟の役目で、人々は卑弥呼の姿を見ることすらできません。さらに、食事の世話などもすべて弟がこなし、お世話係の女性たちも近づけませんでした。
いくらなんでも弟に頼りすぎですし、これではただのあやしいスピリチュアル好きです。
ところが、当時の人々は悪天候や病気など、自分の手に負えないことを恐れていました。だから、占いで未来を教えてくれる卑弥呼のふしぎな力に頼っていたのです。むしろ、姿を見せないミステリアスさが、占いの神秘性を高めていた可能性すらあります。
そんなイメージから、学習漫画などではあやしい美女として描かれることが多い卑弥呼。でも、魏の書物「魏志倭人伝」によると「かなりのおばあちゃんで、夫はいなかった」そうです。もしかしたら、外に出ない理由はおばあちゃんだから外出がめんどうくさかっただけかもしれません。
卑弥呼の死後は、台与という13才の少女が王になったそうですが、その後の記録はとだえていて、邪馬台国がどうなったかはなぞに包まれています。