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かなり難しい課題ですが……~教員の働き方改革~

2018-12-19 21:39:05 | 教育
現役教師の裁判が投げかける、教師の残業の特殊な事情
12/19(水) 18:37・妹尾昌俊 | 教育研究家、学校業務改善アドバイザー、中教審委員

現役教師が裁判で訴えている

時間外労働に残業代が支払われないのは違法だとして、埼玉県の市立小学校に勤務する男性教諭(59)が9月25日、県を提訴した。先日、12月14日には第1回口頭弁論がさいたま地裁で開かれた。

来年3月に定年退職となる教諭は「全国の先生が無賃労働を強いられている。次の世代に引き継いではいけない」と話している。

本人の言葉から引用する。

私は、この裁判で、公立学校の教員の無賃残業を無くしたいです。

今、全国で過労死が問題になっています。教員の中にも苦しんでいる方がたくさんいます。なぜ解決しないのでしょうか。民間企業では、社長が責任を持って問題解決に向けた取り組みを始めています。しかし、教員の世界は今も残業代が出ません。無賃労働状態です。社長が問題を解決しようとする覚悟がないのかもしれません。

出典:男性教員の意見陳述文より(弁護士ドットコム2018年12月14日)

この動きについては、全国各地の公立学校教師等から「よくやってくれた」、「定額働かせ放題は許せない」という共感、応援する声も(少なくとも、わたしのもとにも)多く聞こえてくる。

争点のひとつは、すべての残業について残業代は一切付かないという法律なのか、どうか

この裁判で問題となっているのは、給特法という公立学校教師に適用されている特別法とそれに関連する法制度である。

※わたしは法解釈の専門家ではないので、厳密なところはできないが、国の審議会(中教審)でも関連する議論はしており、分かる範囲で解説する。

訴状をもとに原告の主張のポイントを整理しよう。次の5点に注目したい。

a)給特法では、校長が教師に時間外労働を命じることができるのは、「超勤4項目」に該当し、かつ「臨時又は緊急にやむを得ない必要」 があるときに限定される。

例えば、修学旅行の引率でやむを得ず時間外勤務しないといけないとき。

b)給特法では、公立学校教師について、労基法第37条(時間外手当の支給)の適用を除外することを規定している。だが、「超勤4項目」(かつ臨時又は緊急時)ではない業務で、時間外労働が命じられた場合についてまで、同37条を除外することを給特法が予定しているとはいえない。

言い換えれば、このような時間外労働については、給特法は何も規定していない。

c) しかし、現実には、原告は超勤4項目以外の業務を多数行わざるを得ず、恒常的な時間外労働を余儀なくされている。登校・下校指導、あいさつ運動、各種行事の準備、備品の購入、出席簿の記入、テストの採点、児童の評価などでの残業である。

d)上記c)の時間外労働は、教師が自主的・自発的に行っているものとは言えず、校長の命令、指導のもとである。

e)「超勤4項目」以外で強いられた時間外勤務については、「教職調整額」とは別に、適正な時間外労働手当が支払われるべきである。

まず、a)は事実である。c)もおそらく事実である。正規の勤務時間のなかでも様々な業務を行っているが、それだけでは終わり切らない業務も多いということは、現場の教師ならよく知っているし、国の実態調査からも明らかになっている。なお、今回は小学校の先生が訴えているので焦点にはなっていないが、部活動指導は、超勤4項目以外での残業の典型例でもある。

となると、おそらく争点となるのは、b)とd)であろう。e)が認められるためには、b)とd)をクリアーしないといけない。

b)については、給特法の趣旨や前提に関わるが、制定当時(昭和46年)という50年近く前と、現状の実態は大きくかけ離れているのは事実だ。だが、だからと言ってb)の主張が通るかどうかは分からない。

過去の裁判(※)では、残業等が「命ぜられるに至った経緯, 従事した職務の内容, 勤務の実状等に照らして, それが当該教職員の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされ, しかも……常態化しているなど」放置することが残業等を限定列挙する給特法等の「趣旨にもとるような事情が認められる場合」に限り, 手当請求権は排除されない, と判示したものが多い。

(※)将棋大会への生徒引率に関わる愛知県松蔭高校事件など。

引用、参考:萬井隆令(2009)「なぜ公立学校教員に残業手当がつかないのか」、日本労働研究雑誌No. 585

当然、原告とその弁護士は、こうした裁判例はよく勉強されているので、今回の弁論でも、教師の自由意思によらない残業が多いということを強調している。裁判でどう判断されるかに注目したい。

残業は教師の自発的なものなのか?

先ほどのb)とも関連するが、d)の主張は、これまでの裁判例の多くが、超勤4項目以外の残業は教師の自発性や創造性に基づいて、いわば“勝手にやってきたんでしょう”という論を展開していることへの批判、反論である。

最高裁の判例を紹介しておこう。

京都市立の小学校または中学校の教諭が訴えた事案(京都市事件)では、研究発表校になったことなどから発生した授業準備や新規採用者への支援・指導、テストの採点、部活動指導等が問題視された。これについて最高裁は次のように述べている(平成23年7月12日、判例タイムズ 1357号)。

校長は「個別の事柄について具体的な指示をしたこともなかった」のであり、「明示的に時間外勤務を命じてはいないことは明らかで」、「また、黙示的に時間外勤務を命じたと認めることはでき」ない。「強制によらずに各自が職務の性質や状況に応じて自主的に上記事務等に従事していたもの」と考えられる。

現場の感覚からすれば、テストの作問・採点や部活動指導などが典型だが、校長の細かな命令のもととは言い難いかもしれないが、学校の業務として校長も認めたことで残業している。それを勝手にやっていることと言い逃れするのは、非常に実態と合わない。なお、この問題については、わたしも中教審で何度も指摘している。

そもそも、校長は管理職、マネージャーとしているのである。自宅残業のことまでは難しい面はあるが、学校内でテストの採点や行事の準備、部活動指導などをしている部下(教職員)がいたとき、「わたしは知りませんよ、命じていませんし。あれは先生方が自発的にやっているんです!」なんて言えるだろうか?

企業はもちろん、一般の行政組織などでも考えられない理屈、ロジックだ。しかし、これが給特法の規定と運用の大きな問題点なり欠陥でもある、と思う。

文科省は残業時間の上限目安を定めるガイドラインで対応するつもりだが

今回の裁判と密接に関連してくるのは、文科省が近々定める予定のガイドライン(指針)である。

公立学校の教師にも時間外勤務(残業)に上限の目安(原則「月45時間、年360時間」)を設けていくガイドライン案を先日、国は示した。


このガイドラインでは、上記のこれまで自発的業務とされていた、超勤4項目以外の業務についても、勤務時間にカウントしていこうとしている。

これは大きな前進である。勤務時間をしっかり把握、見える化していくことは、働き方改革の初歩中の初歩だが、第一歩だ。

だが、これはあくまでもガイドライン。わたしは中教審でこう発言した。

判例とガイドラインとどっちが強いのかと言われると、判例だろうなと普通の感覚的には思うので、当座としてはガイドラインでいいと思ってるんですけれども、一方で、給特法をやはり改正していただいて、超勤4項目以外についても、しっかり校務の一部として超勤命令は出せなくてもしっかり認めていきましょう、というような位置付けをやっていただきたい。

出典:中教審・働き方改革部会での妹尾の発言要旨(2018年12月6日)

今回の勇気ある裁判をもとにして、教師の残業とはどういうものなのか、よくよく考えていかなければならないと思う。また、その判決を待たずしても、政策論として、進められることを国は本腰を入れて、前進させるべきである。