中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

「徳記」でラウメン

2005年12月05日 | 中華街(関帝廟通り)
 「徳記」は関帝廟通りから、さらに路地を入ったところにあります。だから場所が、なかなか分からないという人も多いはず。そのような方々は、路地入り口のゲートを目印にするといいでしょう。
 この「徳記」については、さまざまなグルメ雑誌や旅行案内で書かれていますが、食べ物に詳しい小説家の書いた一文がありますので紹介しましょうか。
 池波正太郎が『散歩のとき何か食べたくなって』のなかで、この「徳記」のことを書いています。


 『中華街の大通りから一筋外れた所にある支那飯屋(しなめしや)の〔徳記〕も、その時期の私が見つけた店だ。あえて、むかしふうに支那飯屋とよびたい。
 さびれた裏通りの袋小路の奥にある〔徳記〕のラーメンのうまさは、横浜出身で、明治末期の支那飯屋のラーメンを懐かしがっていた亡師・長谷川伸に、ぜひ、食べさせたかった。亡師は「ラーメン」といわずに「ラウメン」といった。
 手打ちの、腰のつよいそばが、いまでも食べられる。
 店も改築され、料理の数も増えたが、この店の気やすさと安価でうまい料理にはたくさんのファンがついているのだ。
 先日も4,5人で行き、あれもこれもと注文しかけたら、若い女中さんが「まず食べてから、つぎのを注文したらいいヨ。そんなに食べきれないヨ」と、いってくれ、この店の飾り気もない親切さを、われわれは大いにうれしがった。
 これからは暇をこしらえて、度び度び、横浜へ行きたいものだ。そして横浜を舞台にした小説を書きたいものだ』



 池波正太郎はしばしば「徳記」に行っていたようです。私も若い頃はしばしば「徳記」に行きましたが、若い女中さんにこんなことを言われた経験はありません。それどころか逆に、おじさんから「今日、食べるものを最初に全部言ってね」と注文を受けたことを思い出します。
 この「徳記」に関してはあまり良い想い出はないのですが、今日、久々に訪れてみて、以前とは違う雰囲気を感じました。もしかしたら変ってきているのかもしれません。変革の時代ですからねえ…。
 
 さて、ラウメンです。ここのは平打ち麺を使っています。きしめんの細いやつといったら判るでしょうか。なかなか中華街では見かけませんよ。これがドンブリの中で綺麗に並べられていました。箸を入れるのがもったいないくらいです。
 叉焼が1枚、ドーンというわけではありませんが、入っています。味がしっかり付いていました。そのほかのトッピングはメンマ、長谷川伸ならシナチクと言ったかもしれません、これが何本か。それにみじん切りのネギがばら蒔かれていました。
 まあ、懐かしいといえば懐かしいのかも…。でも、いちばんレトロなのは店の造りと雰囲気です。BGMもなく店内はシーンとしています。テーブルもお互いにそんなに近くには置いていないので、ゆったり感があります。こんなところが懐かしさを感じさせるのでしょうか。
 一度は、イヤになってしまった店ですが、また通ってみようかと思い始めています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中山路の喫茶「ホルン」でハ... | トップ | 上海路の「翠鳳本店」でカレ... »

コメントを投稿

中華街(関帝廟通り)」カテゴリの最新記事