写真だけを見るとお店が見当たらないが、ここも中華街の中である。通りの名称は「福建路」。こちら側から見て奥の方に「東北人家本館」、「東林」、「中華飯店」、「福建会館」などが並び、最後は「華都飯店」のある五差路に至る。通りの名称は、おそらくこの「福建会館」に由来するものであろう。 白い車が右から左へ向かって走っている、この通り名は「海河道」。わりと新しくつけられた名称だ。 右側が根岸線方面。鉄道が入ってくるまでは現在の高架下に、廃船があふれる運河があった。 左側へ行くと、洗手亭(公衆トイレ)前を通って「ロイヤルホール」に至る。さらに進むと本町通り、海岸通へとつながり、横浜港にたどり着く。つまり海に出るわけだ。 旧運河と海を結ぶ道路という意味で「海河道」の名付けたのではないかと思う。 冒頭の写真の四つ角には「大栄交通」というタクシー会社がある。そこに、こんな看板が出ている。 敷地内には常時タクシーが停まっているいるので、多分、事務所に声をかければここで車に乗れるのだろう。善隣門あたりでタクシーが並んでいないときは、こちらを利用したらいいのかもね。 さて、今日の「お題」は「福建路」である。横浜スタジアムに近いこの辺りには中華料理店が見当たらないが、街灯は中華風ランタンのついた赤い柱が並んでいるので、ここまでが横浜中華街のエリアと考えていいのだろう。 そのランタンには福建路と書かれている。 ところが最近気がついたのだが、グーグルマップには「九州町通」と表示されているのだ。この町名は居留地時代の名前である。当時は加賀町・薩摩町・前橋町・尾張町などといった日本各地の地名が使われていた。開港資料館所蔵の地図を見ると、まさにこの通りが九州町だったのだ。 現在、加賀町は警察署名として、薩摩町はバス停名として、また尾張町は電話線の名称として残っているが、明治32年にこれらの町名は廃止されて山下町とされた。(日本大通りと海岸通は現在も町名として使われている) グーグルマップを動かしていくと、さらにこんなことになっていた! 九州町通←福建路←九州町通←福建路 なんなんだ、これは!? ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
南門シルクロードが南門通りや前田橋通りと呼ばれる経緯と同様にみられるのにグーグルでは未だはっきりしないとは。
道の名称として新米であることは無関係そうですね。
九州町通りは初めて知りました。
世田谷や横浜にある鎌倉道の歴史は知りませんが残っていることを考えると九州町通りは言いづらさに自然淘汰されたかと思われる名称ですね。
ほんとだ、九州町通!
さすが酔華さんですね。
なりますね。
話は飛びます。鎌倉市に「腰越」
と「津」という地域があるのですが、境界線
が入り組んでいるは、飛び地はあるわで、
市販の地図では境目をはっきりせず、
「腰越・津」と表示されています。
(Googleマップで「鎌倉市腰越」で検索する
と逆にきっちり分かれていて面白いです)
こんなふうに、何らかの理由で、
「きっちり分けるのあきらめた系」表記
なのかなぁ…
というのが自分の勝手な推測です。
市場通りと北京小路のような関係かと思いましたが、
まさかあんな風になっているとは。。。
それにしても誰がやったんでしょうかねぇ。
他の道も昔の町名をつけたらいいのに、と思いました。
それから、現地に「海河道」と大きな標識が出ているのに、
グーグルでは表示されていないのも気になります。
情報をありがとうございます。
グーグルマップで「鎌倉市腰越」を検索してみました。
スゴイですね!
時間があったらグーグルマップで遊んでみたいです。