数年前まで関内にこんなお爺さんがいた。 壊れかかったビニール傘をツエ替わりにして、Cの字に曲がった足を引きづって歩く、ちょっとホームレスっぽい人だ。 見かけるのは大抵、駅周辺か山下町あたりだった。 ある日、私が石川町商店街にある蕎麦屋「木の芽」で天丼を食べていたら、なんと、そのお爺さんが店に入ってきた。 奥の席につき何やら注文していたが、しばらくして運ばれてきたものは…… ドンブリに盛られた白いご飯だった。 オカズなし。味噌汁なし。ご飯だけ……。 すると爺さんはテーブルに置いてある醤油を取り上げ、ご飯の上にまんべんなくかけまわし、それを少しずつ食べ始めたではないか! 私は彼が食べ終えて店を出ていくところまで観察したくなり、自分もゆっくりと天丼を食べることに。 やがて醤油ライスの最後の一粒を口にした爺さんは、ヨタヨタと立ち上がりレジに向かった。 〈お金あるのかなぁ…〉 なんて心配は無用で、150円だか200円だか分からないが、ちゃんと支払って帰って行った。 究極のシンプルランチだよね。 その時はこういう食べ方もあるんだなぁと思っていたが、後日、『カレーライスの誕生』(小菅桂子著)という本を読んでいたら、似たようなエピソードに出くわした。 1929(昭和4)年に小林一三が開業した阪急百貨店の食堂での出来事だ。そこに、こんなことが書いてある。 西洋好きの小林一三は醤油より西洋の香りのするソースが好きだったのではないだろうか。国産初のソースは大阪発である。 阪急百貨店にはもうひとつ他の食堂には真似のできないサービスメニューがあった。名づけて「ソーライ」。ソーライとは、ご飯にソースをかけて食べるソースライスのこと、そのころ旧制高校生だった面々にとってこのソーライは、忘れることのできないものという。 阪急食道のテーブルには日常的にサービスとしてソースと福神漬けが置いてある。万年金欠病の旧高校生にとっては、これがなによりの御馳走だった。 とにかくライスを注文すれば目の前には使い放題、食べ放題のソースと福神漬けがある。これさえあれば一食十分に賄える。しかし店の方はたまらない。 そこで、あまりの人気に腹を立てた従業員が「ソースと福神漬けをテーブルから引き揚げましょう」と小林一三に提案したところ、一三は「たとえご飯一つでも注文してくださる方はお客様」。これが答えであった。 「おれも阪急食堂でよくソーライを食った」というのが、大阪財界人たちの懐かしい思い出である。 金のない若者たちがご飯にソースをかけて食べていたというのだ。 あの時見た“足Cの字爺さん”も同じような食べ方をしていた。違うのはソースが醤油になっていることと、将来ある旧制高校生がホームレスまがいの爺さんになっていることだ。 「木の芽」の“ショーライ”。来年は、こんな食べ方をしてみるかなぁ……。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
らねぇ。
ご飯に味噌汁ぶっかけて食べるというのは、
ソーライよりも豪華ですね。
ホームレスまがいのお爺さんにも"ショーライ"はあるってことですか。
なんだかいい話ですね♪
そうなんです。
どんな将来だったのでしょうかね。
あの店の前を通るたびに、
ショーライを思い出します。