eです。
先日、八王子の小学校の4年生~6年生、
計7クラスで授業をさせていただく機会がありました。
事前に校長先生と打合せをさせていただきましたが、
とにかく子どもたちにはいろんなことを経験・体験し、
いろんなことを感じ、考えてほしい、という想いの強い先生でした。
学校の中にはエレベーターはなく、
人海戦術で運ばなければなりませんでしたが、
「子どもたちに運ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
と、校長先生。
一般的に、
「子どもたちに関わらせて何か事故があったらどうするんですか!?」
と警戒する学校が多い中、ある意味先駆的な先生だなぁ!
と好印象を持ちました。
結局、5~6年生が階段を運んでくれることになり、
ちっこい子たち、大丈夫かな?
と思ったら、出てくる出てくる、
ちっこい子たちが大量に!(笑)
1クラス分いるんじゃないかってくらいの人数に取り囲まれ、
「せーの!」
という可愛らしい声と共に、ふわっと浮いて、
階段をゆっくりゆっくり登っていきました☆
その様、あたかもスイミーのよう(笑)
あまりに子ども団子の密集具合がすごいので、
先生もアテンダントも手を出せる余地もなく、
ただ子ども団子に任せるのみ(笑)
子ども団子にまみれた私は、
なんだかくすぐったい気分だったけど(笑)
「ゆっくりだよーゆっくり!」
「ちょっと、そっち傾いてるよぉ!」
「お前の足が邪魔で危ないんだよなー…。」
「次の段から交代して~!」
「おれ、こっち持ちたい!」
「ダメだよ、後ろが大変なんだから、男子は後ろだよ!」
「おーい!止まるなよー!ちゃんと進めよー!!」
などなど、わーわー言いながら、
3階まで上げてくれました。
障害者運動者の中には、
頑として「自分の車いすを人力では運ばせない」人たちもいるそうな。
「自分たちは荷物じゃない」という意識。
「段差解消の選択肢は
いつでも自由に使えるエレベーターかスロープであるべきで、
人力で運ぶという選択肢があってはいけない。
みんなで運べばいいんじゃん、という考えに至らないように、
安易に運ばせてはいけない」という理念らしい。
分かりますよ、その崇高な理想は。
それくらい強硬な態度でいかないと、
世界は変わらないのかもしれない。
でも、私の運動の仕方はちょっと違う。
障害者が感じたり、体感したりするバリアを、
周りの健常者にも、なるべく一緒に体験してもらう。
それで、「あぁ、確かに、こりゃ大変だわ」と思ってもらう。
誰も、車いすをみんなでわっしょいわっしょい運ぶのが
楽しくて仕方ない、なんて人はいないんだから、
何度かやってれば、
「おいおい、いい加減、ここにもエレベーターつけようぜ」
ってことになる。
結局、そっちの方が早いと思うんだけどな、エレベーターつくの。
差別をなくしていくためには、障害者の「困った感」を、
いかに健常者にも共感してもらうかが一番だと、私は思っています。
一緒に困ったり、一緒に差別されりする経験を通して、
一緒に差別のない社会を作っていく。
そういうのが、いいと思うんだけどな。
先日、八王子の小学校の4年生~6年生、
計7クラスで授業をさせていただく機会がありました。
事前に校長先生と打合せをさせていただきましたが、
とにかく子どもたちにはいろんなことを経験・体験し、
いろんなことを感じ、考えてほしい、という想いの強い先生でした。
学校の中にはエレベーターはなく、
人海戦術で運ばなければなりませんでしたが、
「子どもたちに運ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
と、校長先生。
一般的に、
「子どもたちに関わらせて何か事故があったらどうするんですか!?」
と警戒する学校が多い中、ある意味先駆的な先生だなぁ!
と好印象を持ちました。
結局、5~6年生が階段を運んでくれることになり、
ちっこい子たち、大丈夫かな?
と思ったら、出てくる出てくる、
ちっこい子たちが大量に!(笑)
1クラス分いるんじゃないかってくらいの人数に取り囲まれ、
「せーの!」
という可愛らしい声と共に、ふわっと浮いて、
階段をゆっくりゆっくり登っていきました☆
その様、あたかもスイミーのよう(笑)
あまりに子ども団子の密集具合がすごいので、
先生もアテンダントも手を出せる余地もなく、
ただ子ども団子に任せるのみ(笑)
子ども団子にまみれた私は、
なんだかくすぐったい気分だったけど(笑)
「ゆっくりだよーゆっくり!」
「ちょっと、そっち傾いてるよぉ!」
「お前の足が邪魔で危ないんだよなー…。」
「次の段から交代して~!」
「おれ、こっち持ちたい!」
「ダメだよ、後ろが大変なんだから、男子は後ろだよ!」
「おーい!止まるなよー!ちゃんと進めよー!!」
などなど、わーわー言いながら、
3階まで上げてくれました。
障害者運動者の中には、
頑として「自分の車いすを人力では運ばせない」人たちもいるそうな。
「自分たちは荷物じゃない」という意識。
「段差解消の選択肢は
いつでも自由に使えるエレベーターかスロープであるべきで、
人力で運ぶという選択肢があってはいけない。
みんなで運べばいいんじゃん、という考えに至らないように、
安易に運ばせてはいけない」という理念らしい。
分かりますよ、その崇高な理想は。
それくらい強硬な態度でいかないと、
世界は変わらないのかもしれない。
でも、私の運動の仕方はちょっと違う。
障害者が感じたり、体感したりするバリアを、
周りの健常者にも、なるべく一緒に体験してもらう。
それで、「あぁ、確かに、こりゃ大変だわ」と思ってもらう。
誰も、車いすをみんなでわっしょいわっしょい運ぶのが
楽しくて仕方ない、なんて人はいないんだから、
何度かやってれば、
「おいおい、いい加減、ここにもエレベーターつけようぜ」
ってことになる。
結局、そっちの方が早いと思うんだけどな、エレベーターつくの。
差別をなくしていくためには、障害者の「困った感」を、
いかに健常者にも共感してもらうかが一番だと、私は思っています。
一緒に困ったり、一緒に差別されりする経験を通して、
一緒に差別のない社会を作っていく。
そういうのが、いいと思うんだけどな。