カトリックにおいては労働は神の懲罰であった。
故に聖職者や王侯貴族は神の救済を受けていた事になる。
ところがカルヴァンは労働こそ神の救いだと説いた。
ここに労働観のコペルニクス的転回がある。
ユダヤ教からカルヴァンまでは労働は神の懲罰でありカルヴァン以降は神の救済なのであるから、これこそ神と労働者との間で「契約の更改」があったと考えられるわけである。
さらに今賃金労働をしているのが神の救済を受けた「善人」であるならば、賃金労働をしていない人は神から呪われた人々ということになる。
さて使徒信条に「生けるものと死せるものをさばき」とあるから、生きている今、賃金労働についていない人たちは、神に呪われていることになるから、死後の自分について不安にかられるのは当然である。
そしてカルヴァン派を信じる人達は、わーっと、仕事に就いたわけである。
自由意志による労働者の出来上がり~。
更に資本家にしてみれば、利潤は隣人愛の実践による報酬だと、カルヴァンの御大にお墨付きを頂いたわけだから、こりゃ諸手を挙げて、カルヴァン様、マンセーとなるわけだ。
そんなわけで資本もできたし、労働者もできたし、資源の産地である赤道地帯も手に入れた。
それで資本主義の出来上がり。
んで世界大戦を起こして、開戦地を消費地とする一大産業が起こったわけであります。
そのときの儲けが原資となって今の高度な文明があるわけです。
この辺については、左右両翼の方も異論はないでしょう?
だって東大受験のバイブル、山川出版社の日本史世界史の教科書を読むと、こんな見解になるわけだからであります。
以上、管内麹町区でικμτ!
たまには青春の地である、芝区にも行ってみようかしら。