若者を洗脳せよ。
ホッブズ流の、万人の万人による闘争的な思考を植え込む。
例えば日常における偏差値至上主義やいじめなどの、学園バトルロワイヤルの導入。
こんな弱肉強食を若者に強いておきながら、やれボランティアだの、やれ社会貢献だのと言うきれい事を若者に吹き込み、真面目な若者の心を分裂させる。
いたなあ、いけもとが中学三年生の時の担任。
競争と協力なんていう、それこそ自由と平等にも似たジレンマを受験生に吹き込むあほ教師。
こいつは数学の教師だったから、いけもとは、「あ、これは公理系だな。互いに矛盾する原理を根底において、任意の系を演繹させるんだな。」と、思いましたとさ。マル。
もっとも、こいつの口車に乗って公理系を作ったところで、それこそ社会が求めるサラリーマンになるだけなのですがね。
そんでいじめによる感情劣化問題も、競争至上主義の洗礼を受けた若者は、仲間同士の連帯をせずに、いじめによるスクールカースト作りに狂奔する。
そんなヘンタイ教育を子供の頃から受けていた子供たちが、社会に出てまともな生産活動に従事できるわけ、ないじゃないですか。
まあ、よっぽど恵まれたお子様は別ですがね。
本来社会的弱者なんてものは、誰が作るんでしょうねえ?
そう、社会ダーウィニズムをうそぶく経団連と「ニセ労組『連合』」が作るのであります。
本来社会で機能すべき人たちを、安い賃金でこき使いたい経団連の横車によって、一番金がかかる子供たちを持った中年労働者の首を切って、やすい未熟練労働者を雇うことによって、安い商品を作り上げるのであります。
このあたり、バブルちょっと手前の労働者。
つまりいけもとの父親あたりがいっていたように、「なあ、てつこう。俺らが世界一高い食いもんを食っているからこそ、日本の農家の人たちもそれなりの暮らしができるんだ。」なんて考えは出てこない。
安かろう悪かろうじゃだめなんだ。
そんな生産政策をとっているからこそ、やっつけ仕事で仕事をする労働者が増えるんだ。
死んだ親父の我が子を導く話が聞こえてきます。
さて、社会で痛い目に遭うと、マジで企業、いや、上級国民たちのマキャベリズムが見えてきます。
見えてくるからこそ、我々良民もマキャベリズムの目で、社会を眺めるようになるのです。
だめですよ。
民草に社会ダーウィニズムの視点でものを見るように誘導しちゃ。
まして大学を出ても働き口のない、失われた何十年の世代。
革命の先兵たる、インテリゲンチャをつくるだけですよ。
そんなわけで、新自由主義者は悪意による支配の構図を民に見せ、自殺や無差別通り魔、そしてキーサンの生産に狂奔するのでした。
そんなわけです。
これが、趣味てつ主張です。
てつはてつこうのてつよ。
以上、いけもと。