なぜ今まで他人に迎合して自分を変えようとしていたのか?
そしてなぜ他人の顔色をうかがっていい顔をしなければならなかったのか?
周りを見回して俺に迎合した人はいただろうか?
周りを見回して俺の顔色をうかがっていい顔をした人はいただろうか?
皆無である。
そもそも自分で対等な人間関係を放棄して、人の顔色をうかがって迎合し、怒りの子になって絶えず不機嫌さを身近な人にまき散らしていたのでは、人生の本末転倒だ。
そんな単純なことがわからなくなるほど、私の他者化は進んでいたのだ。
そんな意味で私の葛藤は、内面化された他者と本来の自己との葛藤の産物だったのかと思う。
本来の自己を圧迫するような内面化された他者が、果たして自分の味方だろうか?
その応えは断じて否である。
そんな人間観があるのであるから、人付き合いが楽しいわけがないし、他人に迎合する私によってくるのは、ずるくて図々しい人々すなわち(ユーザー=利用者)である。
まあ、生き方も人間観も間違っていたのだから、愉快な人生が送れるわけがない。
今日限りこのことを悔い改めて生きることにしよう。