独裁者は側近に裏切られて死ぬ。
独裁国の内情を一番よく知っているのは、国民を抑圧する機関である秘密警察だ。
独裁者の奢侈な生活を維持するための苛斂誅求がある程度の段階を過ぎると、今度は秘密警察が独裁者を暗殺する。
最近の独裁者はそれがわかっているから、徳川秀忠あたりが言い出した、民は生かさず殺さずの呼吸で、自分の命脈を保っている。
さて、そののりもいつまで続くことか。
後継者が自分と同等かそれ以上の統率力を持っていれば、独裁政権の維持は可能だが、乳母日傘で育てられた世代が危ない。
彼らは独裁者あっての側近は知っているが、側近あっての独裁者ということがわからない。
わかっていても、先代の苛斂誅求で民の民力は疲弊し、ちょっとした飢饉で革命の火種やクーデターの火種がくすぶる。
秘密警察の抑圧も限界がある。
だって革命やクーデターが成功すれば、一番憎まれるのは独裁者であり、その次は彼や彼女の抑圧装置として跋扈した、秘密警察員だからだ。
だからある程度、民の怒りがたまってくると、どこかの国の秘密警察長官が、大統領を射殺したように、独裁者を暗殺する。
独裁が歓迎されるのは、国家が国難にあり、合議制では間に合わない即決即断を要求される時期だけだ。
平和な時代の独裁は、独裁官やその一味が奢侈になり、民が苛斂誅求に苦しむのだ。
だから民の怒りをそらすために、芸能人や受救貧民が生け贄になる。
そのいい例が、芸能界につきものの性上納システム乱用者叩きや、掟破りの民のネットリンチなどである。
が、その策がいつまで通じるか?
まあ、通じずに乱が起きても、駐留軍が鎮圧に出て、この国を第五十一番目の州に変えるだけ。
そのとき、進歩的人民の代表が、なんとかの偉大な事業の後継者の国に救いを求めるのであろうが。
そうなったら日本はおしまいだ。
と、そんなことを考えたικμτであった。