幸せな人は、そんなに神仏を信心しない。
せいぜい正月三が日に近くの神社仏閣にお参りするぐらいで、年がら年中、神様仏様と言っているわけではない。
苦しいときの神頼みという言葉がある。
さらには、神かまうな、仏ほっとけ。
こんな言葉もあるぐらいで、年がら年中神様仏様と言っている人は、年がら年中苦しんでいる人か、さもなければ、いかがわしい宗教に引っかかって、教団幹部に、この宗教から離れたら絶対に不幸になると脅かされた人ぐらいなものだ。
去年一年無事に暮らせました、神様仏様。ありがとうございますとか、今日は私をかわいがってくれたご先祖様の命日だ。ちょっと奮発して、ご先祖様の好きだった、おいしいお茶と和菓子を仏前に供えましょう。
だいたいがそんなものである。
天気に気持ちのいい秋晴れの日もあれば、とんでもない土砂降りの日もあるように、人生にも調子のいいときと、どん底の時がある。
そんなときに人の心の弱みにつけ込み、やってくるのが、SYUUKYOU(=宗教)。
信者連中は蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)で、人の噂話を聞き込んで、「やれ、あそこの家は不幸だ!」なんて話を聞きつけては、信者二人がかりで押しかけて、迷惑千万きわまりない商品(宗教)の押し売りをおっはじめて、こっちが帰ってくれと言うまで帰らない。
幸せをもたらすはずの商品が、信仰の押し付け合いや、多額の献金問題で、家庭不和の原因になるのだから、これはたちの悪いブラックジョークだ。
もっとも、宗教自体が「幸せ」を商品にしたマルチ商法みたいなものなんだから、けんかの種にならないはずはないのだが。
これは政治も全く同じ。
左右どこの党でもいいのだが、ユートピアを作るんだとうそぶいて、ディストピアを作り上げ、自分たちだけうまい飯を食っているのだから、まあ、おおよそイデオロギーなんてものは、こんなものだ。
そんなわけである。
それじゃあ、じゃあバイ元。