症状。
患者を苦しめる反患者的存在は、実は患者の超自我なのだ。
この超自我が患者の欲求をすべて否定しにかかる。
まさに患者に背くものなのだ。
さて、昨今の精神分析学の知見では、超自我はエスに含まれているという。
つまり、欲求機関と欲求否定機関が同じところにあり、患者の欲求すべてを否定しにかかるのであるからたまらない。
生きたいと思えば死ねと生存欲求を否定しにかかり、友達と仲良くしたいと思えば孤立に導く言動をやらせるという、まさに恐るべきあまのじゃくぶりを発揮するのが、この否定的超自我なのだ。
しかしなぜ、患者の超自我は、反患者的に働くのであろう?
実は超自我自体、エスに属するものであるから、超自我を徹底操作するしかない。
ゆえにユング派の分析では、この超自我を徹底操作し、その時代の宗教。すなわちその時代の行動規範へと書き換えるのである。
その境地が、己の欲するところのしたがって、則を超えずの境地なのかなあと私は思う。