超越者の目から見れば、世界一の天才も、その逆も、すべてドングリの背比べ。
そんな中で優劣を競い合い、ーそんな品性の持ち主ばかりではないがー、うぬぼれて人を侮辱したり、ひがみねたんでみたところで、超越者は苦笑いされることだろう。
さて、枕はこのぐらいにしておきますね。
ある教団の諸説だと、起こるべきことは、念の世界ですべて定まっているそうです。
ところが、現実の世界でそれが起こる前に、修正が加えられるそうです。
世界でいろんな悲惨なことが起きていますが、修正が加えられて、軽くすんでいるのが、本当のことなのかもしれません。
倶舎論では、
すべての存在が作り出す念が、宇宙を作ると言います。
いい気になって、万物を損なうようなことをして、相手に恨まれる。
そんなマイナスな念が、不幸を起こし災害を起こす。
が、人にいいことをしている人たちがいて、それでうれしい気持ちになった人が、プラスの念を起こし、平和や恵みを与えてくれる。
これは私の勝手な妄説ですが、そんなことがあるのかもしれません。
あと、シーソー理論というものがあります。
いざなぎ様の働きだけでは、生き物が増えすぎる
いざなみ様の働きだけでは、生き物がいなくなってしまう。
それでいざなぎ様が、一日に1500人分の産屋を作り、
いざなみ様が、一日に1000人を黄泉に下らせると言います。
さっ引き500人分が地上で生きているわけです。
幸や不幸も同じこと、
1000人の悪人が不幸を願っても、1500人の善人が幸せを願えば、さっ引き500人分の幸せが、世界を覆います。
そこに祈りや回向分の功徳があるのです。
さて、人は念の海を漂う浮木のようなもの。
海流や風によって、ふらふらと気持ちが変わります。
ある大谷派の住職さんの法話では、一つのことばかり考えられる人は、心を病んだ人だという話を聞いたことがあります。
今の私だってこんな文を書いていますが、そのあとどんな念を持つかわからない。
そんなものなのであります。
長い文でごめんなさいね。
では、良い一日を!