ある人々は、自分が生きていったり、周りに受け入れられるためには何か欠落があると信じている。
その欠落感覚はその人々の信仰であるといってもいい。
その欠落を補うために、彼らは武器防具を求める。
それが周囲の人物に優越する何かである。
その武器防具が東大合格であったり、司法試験合格であったり、美男美女の獲得であったりする。
が、これは法外な要求でも何でもない。
彼らはこんな武器防具を手にしないと、自分には生きる価値がなく、決して周りには受け入れられないと信じているのだ。
時に彼らは身近な人物を欠落の原因として攻撃する。
それが夫源病の夫や浪費癖のある妻などに代表される、外なるマイナスのアクセサリーである。
ある人々は外なるマイナスのアクセサリーと縁を切れば、その後はバラ色の人生が待っていると信じているのだ!
が、この人々たちも、年老いていくにつれて、周囲の愛を痛感するときが来る。
彼はそのとき、彼らの信じる欠落があろうがなかろうが、マイナスのアクセサリーがついていようがいまいが、自分はこの年まで生き延び、それは周囲の優しさによるものだと痛感するのだ。
このとき彼らは、俗に言うところの心や体の不調から癒やされる。
この、欠落感覚や外なるマイナスのアクセサリーが実在するとかき立てるのが、マスコミである。
あるニューソートの大家は、マスコミは人類暗黒化運動の手先だと書いている。
これは余談であるが、ある宰相を収賄宰相だとたたき、内閣総理大臣や国会議員などの権威や信用を失墜させたのもマスコミである。
欠落感覚そしてマイナスのアクセサリー。
あなたに欠落があろうがなかろうが、マイナスのアクセサリーを強制的に身につけさせられようがさせられまいが、あなたを好きな人はあなた個人が好きなんだ!
文末ながら、それを主張してペンを置く。
以上、管内一方面でいけもと。