スポーツ大会のトーナメント戦で、“準々決勝”って呼称に違和感を感じるようになったのだ。ま、今までは特に気にならずに聞き流していたんだけど、なんだか急にそう感じるようになった。
で、その違和感とは、「おこがましくね?」って感じる点だ。“準決勝”はまだ分かる。あと一歩で決勝戦だもの。でも準々決勝戦はまだまだじゃん。勝負だから、勝ちを目指すのは当然だけど、決勝と冠をつけるには、本物の決勝戦と格が重みが違いすぎる。例え、参加者が100人以上のトーナメントでも、そのスポーツ最高峰の世界大会であっても、“決勝”を冠するのは早すぎると思えてしまったのだ。
で、そんな事考えていたら、同様に“BEST16”って呼称も違和感を感じるようになってしまったのだ。参加者が200人以上いるなり、参加者が50人でも総当たりした結果ならまだしも、参加者64人のトーナメントで、2回勝っただけでBEST16と言われても、過大評価としか思えない。ってか、BEST16を誇る人なんている?「BEST16おめでとう」って言われて喜べる?どんな規模の大会であれ、二回勝つ事は嬉しいし、誇れると思うけど、組み合わせの妙じゃない。ってか、BEST16まで進んだ人が、一回戦で負けた誰かと改めて試合したとて、必ず勝てるとは限らない。大体、前回大会優勝者と準優勝者が一回戦で当たったら(そんな組み合わせになる大規模トーナメントは主催者側に問題があるけど)、「二回戦に進んだ他の戦いの人達は、その二人の負けた方より力がある!」なんて言う人はいないだろう。
では、“準々決勝”はこれからどう呼称するか?というと、「第○回戦」と、下から数えた呼称にする。上から数えてもらおうなんて、図々し過ぎるのだ。そして、“BEST16”は、そもそも使わないか、「組み合わせの妙上のBEST16」と、大した価値がない事をちゃんと知らしめる呼称にする。
現状でこの考え方に同意してくれる人は、どれだけいるかさっぱり分からない。でも、“決勝”とか“BEST”という物の価値を下げないために、これから世の中には是非とも倣っていただきたい!と思ったので、世の中にこれを周知するべく活動するにはどうしたら効率が良いか?そして、反発を招かないか?とちゃんと考えてから行動しようと思うので、早いとこ考えをまとめるために、今日は寝てなんていられないのだ。
で、その違和感とは、「おこがましくね?」って感じる点だ。“準決勝”はまだ分かる。あと一歩で決勝戦だもの。でも準々決勝戦はまだまだじゃん。勝負だから、勝ちを目指すのは当然だけど、決勝と冠をつけるには、本物の決勝戦と格が重みが違いすぎる。例え、参加者が100人以上のトーナメントでも、そのスポーツ最高峰の世界大会であっても、“決勝”を冠するのは早すぎると思えてしまったのだ。
で、そんな事考えていたら、同様に“BEST16”って呼称も違和感を感じるようになってしまったのだ。参加者が200人以上いるなり、参加者が50人でも総当たりした結果ならまだしも、参加者64人のトーナメントで、2回勝っただけでBEST16と言われても、過大評価としか思えない。ってか、BEST16を誇る人なんている?「BEST16おめでとう」って言われて喜べる?どんな規模の大会であれ、二回勝つ事は嬉しいし、誇れると思うけど、組み合わせの妙じゃない。ってか、BEST16まで進んだ人が、一回戦で負けた誰かと改めて試合したとて、必ず勝てるとは限らない。大体、前回大会優勝者と準優勝者が一回戦で当たったら(そんな組み合わせになる大規模トーナメントは主催者側に問題があるけど)、「二回戦に進んだ他の戦いの人達は、その二人の負けた方より力がある!」なんて言う人はいないだろう。
では、“準々決勝”はこれからどう呼称するか?というと、「第○回戦」と、下から数えた呼称にする。上から数えてもらおうなんて、図々し過ぎるのだ。そして、“BEST16”は、そもそも使わないか、「組み合わせの妙上のBEST16」と、大した価値がない事をちゃんと知らしめる呼称にする。
現状でこの考え方に同意してくれる人は、どれだけいるかさっぱり分からない。でも、“決勝”とか“BEST”という物の価値を下げないために、これから世の中には是非とも倣っていただきたい!と思ったので、世の中にこれを周知するべく活動するにはどうしたら効率が良いか?そして、反発を招かないか?とちゃんと考えてから行動しようと思うので、早いとこ考えをまとめるために、今日は寝てなんていられないのだ。