爆笑問題太田光が、アイスコーヒーについてのこだわりを熱く語っていた。「今日こそ夏だ!」という日に、カフェのオープンテラスとかで波の音だセミの鳴き声だ夕日だといった夏を感じながら、普段はホットコーヒーのブラックしか飲まないけど、その時だけはアイスコーヒーにガムシロップとミルクを入れて、それが液体に混ざる様を見ながら、夏を味わうのだ!・・・そうな。で、それは自らカフェに行くのはNGで、外でたまたまそれを感じた時に実行するのが絶対だそうな。そして、それは別に一年に一日だけとは限定しないけど、でもここ数年はタイミングに恵まれず一日も味わえていない・・・とか。
これを聞いたくりぃむしちゅー上田晋也は「くだらない」と吐き捨てていた。ま、こだわりなんて、他人からしたら「くだらない」と感じる傾向が強い印象だ。筆者もその熱意は大して理解できなかったけど、本人が本人の時間の中で「良い!」と思う事をやっているのだから、別に悪いとは一切思わなかった。
ただこだわりに関して、こだわりってのが仕事に絡むと、とてつもなく面倒になると思っている。「これは、こっちが良いか?あっちが良いか?」「これはこっちの方が良いから直してくれ」と、他人からは理解できない部分に何かやたら注心して、一緒に仕事する他人の時間を浪費し精神を削るのだ。で、その気持ちにちょっとでも水を差されると「これは仕事の質を高めている行為で、仕事にとって必要で重要な事なのに、なんでお前らはそんな意識が低いんだ」と、自分に心酔して他人を仕事ができないかのように怒る。マジ、勘弁だよ。黒澤明だか小津安二郎だか忘れたけど、映画撮影時、こだわりが強いものだから、セットの開けもしない引き出しに手紙が入っていないと怒ったとか。うろ覚えエピソードだけど、引くね。あってもなくても変わんねっての。ってか、じゃあ、そもそもセットがNGだろっての。
こだわりって、結局は自己満足でしかないから、自分の中だけで完結しているなら他人は全然構わないのだけど、巻き込まれたら、他人からしたら“どうせほぼ同じ形”を得られる所に無駄な時間を割いているようにしか見えないし、それを強要されるなんてまっぴらごめんなワケで、それを理解しない大人が実に多い事よ。こだわりが、仕事の質を上げる事はあるかもしれないけど、お前のこだわりは大抵殆ど九割九分九厘逆の効果を生んでるから。お前のこだわりが生み出した結果を、周囲のどんよりとした状況や気持ちを、ちゃんと理解しろっての。
太田は、上記の発言をした番組で「ドライブに出て夏を感じるアイスコーヒーを飲みたいから、そういう回をやって欲しい」と懇願していたけど、実は本人的には“違う”と分かっているに違いない。それをやったとこで、多くの他人を巻き込んで状況を作り上げただけの張りぼてでしかない、と。真の感動は、そこでは得られない、と。驚き、喜び、感動とかは、偶発でしか得られないのだろう。
太田と上田のやり取りでそんな事を思って、さらに筆者の人生は偶発が少ないので、もっと偶発が多くなるにはどうしたら良いのか、人生のQOLを早いとこ高めたいと思ったので、今日は寝ないでそれについて考えようと思うのだ。
これを聞いたくりぃむしちゅー上田晋也は「くだらない」と吐き捨てていた。ま、こだわりなんて、他人からしたら「くだらない」と感じる傾向が強い印象だ。筆者もその熱意は大して理解できなかったけど、本人が本人の時間の中で「良い!」と思う事をやっているのだから、別に悪いとは一切思わなかった。
ただこだわりに関して、こだわりってのが仕事に絡むと、とてつもなく面倒になると思っている。「これは、こっちが良いか?あっちが良いか?」「これはこっちの方が良いから直してくれ」と、他人からは理解できない部分に何かやたら注心して、一緒に仕事する他人の時間を浪費し精神を削るのだ。で、その気持ちにちょっとでも水を差されると「これは仕事の質を高めている行為で、仕事にとって必要で重要な事なのに、なんでお前らはそんな意識が低いんだ」と、自分に心酔して他人を仕事ができないかのように怒る。マジ、勘弁だよ。黒澤明だか小津安二郎だか忘れたけど、映画撮影時、こだわりが強いものだから、セットの開けもしない引き出しに手紙が入っていないと怒ったとか。うろ覚えエピソードだけど、引くね。あってもなくても変わんねっての。ってか、じゃあ、そもそもセットがNGだろっての。
こだわりって、結局は自己満足でしかないから、自分の中だけで完結しているなら他人は全然構わないのだけど、巻き込まれたら、他人からしたら“どうせほぼ同じ形”を得られる所に無駄な時間を割いているようにしか見えないし、それを強要されるなんてまっぴらごめんなワケで、それを理解しない大人が実に多い事よ。こだわりが、仕事の質を上げる事はあるかもしれないけど、お前のこだわりは大抵殆ど九割九分九厘逆の効果を生んでるから。お前のこだわりが生み出した結果を、周囲のどんよりとした状況や気持ちを、ちゃんと理解しろっての。
太田は、上記の発言をした番組で「ドライブに出て夏を感じるアイスコーヒーを飲みたいから、そういう回をやって欲しい」と懇願していたけど、実は本人的には“違う”と分かっているに違いない。それをやったとこで、多くの他人を巻き込んで状況を作り上げただけの張りぼてでしかない、と。真の感動は、そこでは得られない、と。驚き、喜び、感動とかは、偶発でしか得られないのだろう。
太田と上田のやり取りでそんな事を思って、さらに筆者の人生は偶発が少ないので、もっと偶発が多くなるにはどうしたら良いのか、人生のQOLを早いとこ高めたいと思ったので、今日は寝ないでそれについて考えようと思うのだ。