わたしは副幹事でしたが役立たずでした。宴会の席では、それぞれが「どう生きて来たか」苦労話などを、一人づつスピーチする提案がされました。
一人の級友は、伝統的「飛騨染め・ゆはら染工」会長さんなので、席上スピーチと共に自らデザインし染め上げた馬頭観音・暖簾を全員にお土産にくれました。由緒書きは味のある級友の直筆です。
彼は祭りの鶏闘楽(けいとうがく・鐘打ち)や獅子舞の衣装を伝統的手法で染め上げる、現代の名工です。
地元の幹事さんも骨折ってくださり、地元女性幹事が席上で配ってくれた「北国の春(高山バージョン)」を全員で生オケで、締めは「夜間部の歌」「斐太高校校歌」を合唱しました。
この種の替え歌が作られるのが飛騨高山らしいところです。現在の飛騨高山高校が「夜間部の歌」を今でも歌っています。幹事さんが作った「同窓会しおり」に歌詞が記載されており、3番歌詞の冒頭が斐太高時代の原歌詞、
「抱く巴城(はじょう)の 正義の鐘に
若き血潮をたぎらせつ」・・・が、
「行こう若人 希望を胸に
若き血潮をたぎらせつ」・・・に、改詞されています。巴城ヶ丘とは斐高の裏山のことです。
通信教育課程を卒業した級友が目ざとく見つけ、質問されました。