今日は明智光秀公のお墓・桔梗塚のお祭りの日でした。白山神社のお祭りです。
(詳しくは「その1」をご覧ください)
有縁の人達が集まり火を囲んで立ち飲みで一杯やっておられました。先日訪ねた際一番近いところにお住いのお婆ちゃんが祭りの日を教えてくださった。
そのお婆ちゃんも来ておられ、私がそう言うと近づいてきてハムサンドを一切れ下さった。
男性の一人に「阿弥陀堂はここですか?」と聞くと、焚火の前の白山神社隣の、互いにそれらしくない建物が阿弥陀堂だと教えてくださった。戸が開け放たれていて、位牌の案内をしてくださった。左が阿弥陀堂、右が白山神社(案内マップの絵と随分違う)(普段は閉めてある)
今日のお祭りは地区とか氏子の集まりではなく、荒深姓を名乗る子孫達の集まりだそうです。
昔はこの阿弥陀堂前に13軒、荒深姓の家があったが、皆、下の方へ移住してしまい、現在93歳のお婆ちゃんが来て「昔ここに住んでいた、懐かしい」と言われたと説明された。
(光秀公が本能寺の変後、生誕の地へ帰り、身代わりで死んだ影武者・荒木行信の忠誠に深く感銘し「荒」と「深」を取って自ら荒深小五郎を名乗りここに住んでいた。その後家康の要請で関ヶ原合戦に向かう途中、増水した藪川(根尾川)で馬共に押し流されて亡くなったと伝えられます。
阿弥陀堂の光秀公等の位牌と肖像。
「光秀公の位牌が一番左手前、真ん中が母親、その右が光秀公の母が建てたとされる仏光西洞寺庵の和尚さんの位牌だ」と教えてくださった。母が住んでいた庵の方を差し「山の中で今は石垣しか残っていない」と。(洞戸街道の上の方だった)和尚さんの名を聞き逃した。
新聞のコピーが置いてあった。
白山神社お社へは登っていなかったので、参道を教えていただきお参りした。急斜面があるので阿弥陀堂前にある木の枝の杖をついて登るよう言われた。
白山神社お社。
御神木はお社の左後ろに立つ
享禄3年(1530年)年に建てられた。覆いに囲われ保存状態はいい。
お社から下を見る。
光秀生誕の地は可児市・明智城も生誕の地と案内しています。男性は、可児の明智城へは兵法を学びに行った。生誕の地を名乗る場所は5ヶ所あり、お墓は全国に無数にあると説明してくれた。かって岐阜県知事と山県市長が訪れ、NHKが「麒麟がくる」を放映するので、この地を訪問するお客が増えるだろうから、お墓の参道などを整備してほしいと依頼を受け尽力したと。
坂はかなり急で健脚向きです。下りが危なく杖を支えに蟹歩きで降りてきて「この地は興趣が尽きず4回目の訪問です」と言うと缶ビール1本を頂いた。ありがとう。
光秀公の墓(五輪の墓)いくら直しても傾くと言われる。