
仏教講座 第95回生きるってどういうこと
議題「人間として生きるには」 講師は遠く横浜からお出でになった坊守さん、お寺の奥様である。この方はご主人が寺の中に幼稚園を一つと別のところにも一つ、二つの幼稚園を経営しておられ、それぞれの副園長さんでもあると紹介された。
壇上に立たれ老眼鏡をかけられたので初老には早いが、上品なおきれいな方であった。
特に田舎者には女性の東京弁はすこぶる上品で優しく響く。
テーマはお釈迦さんのこと,親鸞聖人のこと、生きるということはどういうことか。という自分自身への問いかけ、いわゆる「仏教をどういただくか」という、体験的なお話しだった。
お釈迦様の話は、誕生、成長、四門出遊、人生への懐疑、出家、覚りと手順を踏まれ、花祭りの意義、最近のヤンママは花祭りを、花見の花祭りと理解しているそうだ。
人間としてどう生きるか、皆生きている、それをどうとらえるか・・。
珍しかったのは、先祖の理解・幼児の絵本「いのちのまつり」、ボクの父母にはさらにそれぞれ父母がいて・・と先祖を考えると大変たくさんの数になる、ご先祖さま誰ひとり欠けてもボクは生まれなかった。*
童謡「春の小川」を皆で合唱し、いのちはピカピカと体感した。ついで絵本「いきているってなぁに」を・・、「生きているってなぁに~動くこと、息をすること、お話すること・・」など、など、作者はお坊さんだと言われた。
最後は「かぐや姫」で、かぐや姫が迎えに来た天女に人間世界の十二単衣を脱がされ、天の羽衣に着替え天へ帰る。そのとき「もうこの世のことは忘れました」とさようならを言う。すなわち死ぬことも、こういうことだろうと・・ファンタジックなお話しだった。
たまにはこういう講座も悪くない。
*歎異抄では「父母の孝養のために念仏は申さないと親鸞は言う、理由は「一切の有情はみなもて世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」という。「人はみな肉親である」と宗教は常識を超越する。すなわち1代を35年とし10代、350年前にさかのぼると、計算上1,024人の直系父母がいることになる。 (私の歎異抄 紀野一義 ちくま文庫 1998.3刊) から
*累乗(べき乗)計算210 =1,024ということかな?孫に聞かないと分らなくなってきた。
紀野先生の本 | べき乗をネットで計算してみた | 先生の本、時代 | |
10代前 | 1,024人 | 1,024人 | 350年前徳川秀忠の時代 |
20代前 | 10万5千3百76人 | 1,048,576人 | 700年前蒙古軍襲来 |
30代前 | 1億7百77万7千24人 | 1,073,741,824人 | 1050年前後醍醐天皇の時代 |
40代前 | 2兆2千4百63億2千34万5千百52人 | 1,099,511,627,776 人 | 1400年前聖徳太子の生年 |
単にネットの遊びです。悪しからず。
最近の花シリお内容ーズとっても素敵です。記事の内容に色もマッチしていてい~いです。
テーマの私物化、いずれ菖蒲か杜若、coronaさんのお蔭で少しはお利口になれるかも・・・?
楽しみに待ってます。
コメントが変です。
(お内容)を削除してください。
何度も書き直してるうちに変になってます。
これに飽きられないで、今後とも宜しく御教授下さい。
いつもあたたかいコメントありがとうございます。励みになります。
コメントや記事の誤記入は私も毎度のことで、少しも気にしません。
意味は十分通じていますし、好意的コメントなので残させて下さい。
3日ほど在所の法事に行っていて留守していました。