たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

病み足に腫れ足

2012年07月21日 | 日記

昨晩は仏教講座に行ってきました。右大腿部神経痛を発症し治療も受けずに、貰い残りの薬でごまかしていて朝から痛みが消えていたので、何とか参加できました。
今回の講師は原発銀座の福井県・小浜市からお出でになったお寺の住職さんでした。この方は学生時代、日本宗教者平和協議会に関わった体験から生涯を、反原発運動に捧げてこられた方です。
テーマは「原発問題と私たちの生き方」でした。

講演のレジュメの代わりに4日前の16日に、東京代々木公園で行われた「さようなら原発10万人全国集会」に参加され、「若狭からの訴え」という、アピールを壇上から10分間訴えたと、その原稿を2ページ配布されました。その他に1枚の反原発資料と市民運動グループのパンフもありました。
講師は70歳、半生を大飯原発3,4号機の建設反対から取り組んできたと、僧侶というよりは社会運動家の面持ちです。

とにかく原発は悪であること。一刻も早く全部の原発を廃炉にすべき、大飯3・4号機の再稼動の阻止が叶わなかったことを痛切に訴えられました。今回は宗教の話は一切なく反原発一色という講話でした。
時間も主催者の都合で、いつもより30分早く終えると宣告され8時には終わりました。

自宅近くの終夜営業のイオン系スーパーで夜食を含め食料品を求め帰宅する頃から神経痛が痛み出し、家へ入るときは足をひきずる有様で、痛くて食欲もなくようやく入浴だけして、床についても寝付かれず、痛み止めや睡眠導入剤の助けを借りて、夜半過ぎに何とかうとうとしました。

今朝はどこかの医者へと思い、どこがいいか迷い、神経痛の付近に同じ頃湿疹が出ていて痛痒いので、ひょとすると一ヶ月前から服用してきた前立腺肥大症の排尿障害の薬 ハルナール の薬疹かもと疑い、かかりつけの皮膚科へ行きました。
診断の結果は薬疹は大腿部などには発疹せず上体に出ること、いつものアレルギー反応による湿疹と診断され、抗アレルギー剤 アレグラ錠 を処方されました。塗り薬 フルメタクリーム は貰い残りがあり、持っていってDrに見せ不要となりました。

神経痛は整形外科へ行くよう指示されましたが、今日は土曜日で午後は休診、明日は休みでもっと早く医者へ行くべくでした。痛いのは辛いです。


大津市・中2いじめ自殺2

2012年07月20日 | 日記

大津市・中2いじめ自殺事件は、昨日の新聞では遺族がいじめたとされる3人を告訴し、後手を引いていた大津署は18日にようやく受理したと報道、今日の新聞は大津署は担任教師を事情聴取したと、事件は本格的になってきた。

2006年には私の住む県、岐阜県瑞浪市でも女子中学生のいじめ自殺が大きな社会問題になり心を痛めた。
瑞浪市は姪が住んでいて年齢も同じころの中学生の娘がいたので、特に心配した。
今日ネットで検索したら1番目にヒットしたのが、大阪幼児置き去り餓死事件の幼児をしのぶブログだった。この管理人が瑞浪事件のその後、民事賠償請求の判決について意見を述べている。私はこのブログの管理人の意見に全面賛成だ。

当時、この瑞浪事件の「2ちゃんねる」の投稿を見ていたが、いじめたとされる4人の子達が弔意に訪問し、自殺した子の遺体に向かって「誕生日おめでとう」と、声をかけたと憤慨する投稿が何通もあって目を覆ったことがある。誕生日を前に自殺したようだ。

当時、瑞浪の事件はネットの投稿も実名投稿はされず、地元の人が読めばどこの子か分る程度の書き込みだった。
さて、大津の事件は実名・写真・その親など私刑・リンチに等しく、事件がもう炎上して収まる気配がない。
いじめ問題にくわしいある参議院議員の話を読んだが、ここまで個人名が拡散すると加害者とされる子は外国留学するか、移住しないと日本には住めないといっておられた。

それをブログで紹介するのはさらに良くないことですが、ネット社会はその動機は善意であっても、何かの意図をもって中傷したり賞賛したりすると、拡散目的でコピーされ取り消すことができない。その実例として大津の事件を見て感じた。
拡散目的の画像の先例は尖閣諸島中国漁船衝突事件があった。失職覚悟でビデオを流出させた海上保安官に、石原都知事は「英雄的行為に敬意を表する」と言っておられたが・・。

大津市・中2いじめ自殺裁判支援サイト
参議院議員 片山さつきさんのブログ 7月16日 7月13日 7月11日

拡散希望とあるのはYouTubeの作者のタイトルです。念のため。

【大津市】中2いじめ男子死亡事件 加害者まとめ【拡散希望】


交通事故現場に遭遇

2012年07月19日 | 日記

昨晩、日中はそれほどの痛みは無かったのに、夕方から寝る頃に右足ふくらはぎが痛くなって、12時過ぎまで寝付かれなかった。起き出してまたも痛み止めロキソニンを半切にして、睡眠導入剤マイスリーを半切にして飲んでようやく眠ることができた。

ひょっとして通風かもしれないが、昨年の特定健康診断では血液検査は血中脂質検査値のLDL(悪玉コレステロール)が125で、要治療が139以上、基準値119なので経過観察とすると、あまり問題なかったが・・。

昨日も暑く熱砂地獄の老人部屋に一日過ごすと疲れて、お勝手もどうでもよく夕食は車で外食した。いつも行く大衆中華料理「王将」で、一人客はカウンターと決まっている。
注文取りに来てくれる若い男性に「いつもの中華飯。たまには別のものがいいが、やはり同じになる」というと、相手は笑っていた。

それより、行く途中で5台の車が絡む衝突事故に出会った。いつも通る交差点で夕方6時過ぎ、通勤で通常より渋滞していた列に、どこを見て運転していたか、漫然運転の車が突っ込み5台が玉突き衝突で、相当激しい事故だった。
ようやく通り過ぎることができて、近くの飲食店街の駐車場に車を入れ野次馬で見に行った。警察は未だ来ていなくほんの少しの差で自分も巻き添えに会うところだった。
だから、高齢運転者講習もあまりけなしてはいけないという教訓でしょう。
帰り道は暗くなったがパトが3台も来て実地検証していた。鞭打ちの怪我も負ったと、行く時の現場で当事者が嘆いていた。


大津市・中2学いじめ自殺

2012年07月19日 | 日記

昨日は大津市の中学生いじめ自殺事件をネットで追った。良くない事件で、いつの時代にもある。いじめは陰湿で遊び半分にエスカレートしていく。中学生とは限らず大人も老人社会にもいじめはある。
中学生のいじめ自殺が一番困る。前の週末は海の日をいれ3連休だったが、県庁教育事務所に勤める甥っ子は、関連対策に振り回され家内が単身先を訪ねたのに、休みどころではなかったらしい。次に転勤したらひょっとして学校長だぜ、モンスターペアレントもいて責任が重いし大変だぜ。
私が家にも1人が似たような仕事環境にあり、余計な事は一切言わないようにしているが、中学生を教育するのは難しいし大変らしい。
ネット探索で「大津中学校」とキーワードを入れると、自動的に関連語句を予測して表示する「サジェスト機能」によって「いじめ」や「加害者」と表示され、「加害者」を開くとサイトの一覧が出る。サイトを二つ三つ読むと如何に今回の事件が陰湿でむごたらしい、いじめ事件たったか分る。
2ちゃんねるは全部実名で3人のほか共犯11人くらいが、こらしめのための拡散目的で投稿されていた。加害者とされる主犯の子の母親がまた、“この親にしてこの子あり“と評される親のようだ。しかもPTA会長であって、人権団体の役員でもあるというから驚く。
学校も教育委員会も事件後の対応がお粗末で、若い女性市長が文部科学省に助けを求め、今頃中央から応援に入ったとはお粗末過ぎる。

静岡県浜松の中学校長だったか、「私たちは教育者なので調査には限界があります。はじめから第三者委員会にお願いしまいした」とテレビで見た。この賢明さの違いを思った。

我が岐阜県は数年前、裏金疑惑が表沙汰になり第三者委員会の弁護士3人が選任され、調査・解決に当った。自殺者数人・逮捕者数人と大きな犠牲を出し、ネットで厄介知事などと批判されながら、筋を曲げなかった古田現知事の見識・決断を評価したい。

事件のあった大津市の皇子山中学は、近くに「大友皇子」(弘文天皇)が葬られていて「弘文天皇稜」がある。
数年前、亡妻の遺骨を京都・東本願寺須弥壇収骨(しゅみだんしゅうこつ)・いわゆるお骨納めに次男と行き、翌日比叡山延暦寺にお参りしドライブウエーを下って大津市へ降りた。
琵琶湖畔に近く皇子山公園の案内標識が目に入った。ここが私の住む岐阜県各務原市にも縁の深い、大友皇子(おおとものすめらみこと)の最期の地かと、チラッと思いながら通ったことを思いした。
672年に起こった「壬申の乱」(じんしんのらん)は皇位継承の争いで、当地の有力者、村国男依(むらくにのおより)など、美濃・尾張の群雄達が大活躍し、大海人皇子(おおあまのみこ)、すなわち後の天武天皇(てんむてんのう)の側につき、大友軍をここで滅ぼした。

大津は美濃在の住人には由緒が深い地で、そこで起きたのが今回のいじめ自殺事件なのです。
見ていた「2ちゃんねる」の投稿には、大友皇子のたたりだと投稿している歴史マニアもいた。


梅雨が明けました

2012年07月18日 | 日記

東海地方は昨日17日に梅雨明けが宣言されました。猛烈な暑さです。

今朝は近くのスーパーへ買い物に行ったとき、岐阜市の防災無線が食中毒警報が発令されたと、スピーカーで流していた。48時間継続で後は自動解消されると親切な広報だった。

我輩はここ数日右足膝頭の上、ふくらはぎの神経が痛む。何故か原因不明、昨晩は痛みでなかなか寝付かれなかった。
ここ数日、整形外科から処方され使い残していた、シップ薬(経皮鎮痛消炎剤)を貼って、痛み止めの軟膏、ロキソニンゲル1%を塗りこんでいたが、一向に痛みはなくならず、起き出て痛み止め、これも肺がんで肺を切除された時の残り薬、錠剤ロキソニン60mgと胃の保護薬ムコスタ100mgを半分にして飲んだ。
睡眠導入剤、これも大腸手術の際の残り薬マイスリー5mgを半切にして服用しようやく寝付くことができた。
ようやく寝付いたら、夜間頻尿が襲ってきて目が覚め、2~3度はトイレに行く。すぐ床に入らずキッチンでうとうとしていると、首が折れるほどガクンと睡魔が来る。

今朝も目を覚ますと痛くて床におれない。起き出て冷凍庫の保冷剤をタオルに巻いて消炎し、またロキソニン+ムコスタ 各1錠ずつを飲んでようやく二度寝することができた。
ロキソニンは即効性があっていい薬だが、肝臓を傷める副作用があるので多用するな、と前に精神病院長からと、投薬される薬剤師から言われている。

どうしてこんな神経痛が起こるのか。食生活が貧弱なのでビタミン不足か?がんの転移ではあるまい。大腸手術の初診で外科部長に両足の付け根(そけい部)のリンパ節が時々痛いが転移かと聞いたら、「そんなところへ転移したらもう末期だ」と、この旧国立医専出の部長ドンは身も蓋も無くのたもうた。

がんは術後1年、2年で転移すると、泌尿器医も外科医も言っておられたので、ふくらはぎの神経痛など問題外だろう。

十時頃起き出てようやく痛みは治まって、喫茶店へ車で行くことができた。昨夕方お寺の奥様から電話があって「仏教講座のチケットを、新年度分を差し上げるので取りにいらっしゃい」とご親切をいただいていたので、スーパーで少しの雑菓子を手土産に貰いに行ってきた。
応対してくれた人は若住職だった。この後継ご住職も大奥様も、昨年関東の遠くから嫁にきてくれた若坊守さんも優しく親切で「幸せ」そうです。


運転免許を取った頃

2012年07月17日 | 日記

昨日ゎ交通政策で大層なことを失礼しました。半分はパロディです、悪しからず!

普段の私は車の運転は結構慎重派なのです。職場が公共事業体で毎朝朝礼をやり、その後一斉に車の安全点検を二人一組でやって「ウインカーよし」、「ブレーキランプよし」などと指差呼称し「では今日も一日がんばりましょう」と、仕事の効率より安全を優先した職場だったせいもあります。安全教育は受けた機会も与えた機会も相当量になります。
だから防衛運転に徹しています。無理な追い越しとか、後ろから競ってきている場合は道を譲ってやるとか、今日はここでまた1人助けてあげた、と自問自答しながら運転してるわけです。

雪国生まれ育ちで中学を卒業し就職しました。日給160円の臨時作業員という身分で、親戚が勤めていた当時はまだ、国の省庁の一つだった電話事業の線路部門へご厄介になりました。汽車の線路ではありません、電線を線路と今でもいうのです。
そこでは車は進駐軍の払い下げのシボレーのトラックと、トヨタの戦時型トラック、三輪自動車ジャイアントがあって、電柱や電線を運びました。
朝はガソリンスタンドから購入したドラム缶のガソリンからホースを口にくわえて、一気に吸い上げ、飲み込む寸前、車の給油口にホースをあてがって給油する担当でした。
年輩の先輩はこともなげにやるのに15歳の洟垂れに上手にやれるわけがありません。思い切りガソリンを飲んでしまったこともあります。この気持ち悪いことったら話しになりません。
昔はこんな危険なことや、随分無茶やったのですね。当時の先輩はほとんど亡くなりました。昭和27年3月1日に未だ卒業式も終えず働きに出たのですから。親戚の家に居候させてもらってね。

そこで臨時を2年、そういう人が多くいて正社員に採用か、くびか整理されることになり筆記試験がありました。
高校を出た人も、私のような中学を出ただけの者も一緒の問題でした。うまくこの試験に通り正社員にして頂きました。10年この地に働き、折から朝鮮戦争が始まり、そのお陰で高度成長の兆しが見え、昭和37年10月31日岐阜へ転勤しました。管理部門で現業部門ではありません。目をかけてくれた方がいて転勤をどうかと誘ってくれた方がいたからです。
そこで車の運転が必要とされ、仕事が終わってから夜、街の教習場へ、狭い練習コースで座学は全く無く、いきなり運転実習しました。それを1回1時間くらい5~6回受けたでしょうか。

そこでもう自発的に県の運転免許試験場へ行き実地試験を受けました。車は昔のクラウンだったと思います。勿論手動変速機の車です。
1回目は落ちましたが同乗した試験官は「1回で受かった人がいたが、君はその人よりうまかったが、坂道発進でチョットミスったな」と落ちました。
試験コースにゆるい坂道が作ってあって、そこの坂道で一旦停止し、そこから車を下がらせずに再発進するテストです。クラッチ操作とアクセル操作、ブレーキ操作を同時に見る検査でした。
2回目はうまくいき実技は合格です。交通法規の筆記試験は既にバイクの免許を取っていたので無かったのではなかったかな。

驚いたのは職場の上司・先輩達です。皆5~6回は普通で、苦労して運転免許を取った人が多かったので。
当時職場ではこの教習場費用を後から補填・補助してくれる制度があって、上司がもうその事業所では予算を使い切っていたのを、交渉してくれて特別に交付していただきました。今思と本当に頭が下がります。
このテストコースは岐阜市岩戸というところにあって、その後廃止され今は交通公園となっています。テストコースのコンクリート舗装はそのまま残してあり、懐かしいので時々のぞいています。

免許を取ったのは、普通車は昭和37年暮頃と記憶しています。免許証にはバイク免許を郷里で先に取り昭和34年9月となっています。大型自動二輪の免許です。中型普通車を37年頃取ったわけです。
二輪車の免許からもう54年経ちます。横着な運転や言動をせず、この便利な乗り物を感謝して乗らなければと、高齢運転者講習を機会に素直に思っています。 


高齢運転者講習3

2012年07月16日 | 日記

高齢者講習が終わると「終了証明書」というのが交付され、これを運転者講習センターへ持って行って運転免許更新手続きをしなければなりません。
「終了」は単に何かが終わったという意味、「修了」は一定の学業・課程をおさめおえること、と辞書にあります。
わが国のこの制度は高齢者に何かを学んでもらおうとか、習得してもらおうとは端から思ってもいない、期待もしていないのではないかと、この文言で感じたところです。

高齢者の身体機能が低下して事故を起こすことが多くなってきたので、高齢運転者対策として制度化された交通政策なのでしょう。
本当にそれでだけでしょうか。目的は理解しますが、もう一つの実態は関連団体の飯の種だとの批判があります。
6,000円もの高額講習を3年毎に、半日もの暇在をかけて年寄りいじめの制度との批判が多く見られます。例えば「高齢者運転講習」のキーワードで検索するとこのサイトは、トップにヒットしました。

医師は一度免許を取ったら更新など生涯ありません。運転免許更新というのは、わが国の厳格すぎる制度で、上のサイトの管理者は自らの外国での体験を紹介しています。フランスは一度免許を取ったら死ぬまで免許は有効で更新は無いそうです。

国の許認可事業を簡略化・廃止して大きな政府から、小さい政府へと、どの内閣もお題目を並べます。免許取得の自動車学校の教程を思い切って簡略化する、運転免許の更新も簡略化・長期化する、高齢者講習など真っ先に廃止しても、それほど実害は無いと思いますがね。私など50数年前たいした教程も経ず免許をもらったのですから。

70歳以上は有無を言わさず講習を強制し、免許は3年しか有効期限がない。75歳以上は予備検査という認知機能検査を受けさせる。一律的、単細胞的な交通政策ではありませんかね。
ボケ老人検査は制度化されてもう5年も経つのに、その結果はどの程度の実態なのか、数値的検証は全く行われていないか、公表されていないのですから。
業界団体と自動車学校は警察官OBの飯の種と揶揄される所以です。やるなら税金でやるべきでしょう。

講習会が終わると運転免許証更新手続きについて、案内のチラシをくれました。更新手数料2,500円に、交通安全協会費1,000円と案内されています。運転センターへ行くと協会費は義務ではないと、口頭で周知されます。
前の高齢者講習でこの協会費が話題になりました。ある品のいい老人は「私は出したことがありません。そんな年金はもらっていませんので・・」と毅然といわれました。
安全運動の費用にされると説明されますが、これもあやしいものです。この金がどの程度の金額が集まり、どう使われたのか全く公表されませんので。
あほらしいので協会費は今回は出さないことにしようかなと思っています。ケチで馬鹿な老人でしょうか。


高齢運転者講習2

2012年07月15日 | 日記

講習が終わって通路と教習コースを間違えるため見送りです

高齢者運転講習の受講者9人、教官は3人です。自動車校に行った時、他のお客はは2人、12時を過ぎたら1人もいなくなりました。
とにかく認知機能検査は隣人との間に紙の衝立で目隠しされ、30分くらいで終わり、問題集は回収されました。採点まで20分ほど休憩です。

再開後は1人ずつ個室に呼び込まれ、検査結果が印刷されて概要はほとんど説明されず、問題ありませんと封筒に入れて各自に渡されました。個人情報に配慮されているのです。
3人ずつに3組に分けられ、練習場での運転実習と、室内の運転台とモニターを組み合わせた適正検査の組に分けられました。

私は男性2人、女性1人の組に仕分けられ運転実習の組になりました。先ず女性が、残り二人は後部座席に乗り込み見学です。教師は助手席で車はオートマチック車しか与えられませんでした。70才のときは別の学校でマニュアル車をわざわざ選んで、ギアをカリカリ鳴らして何十年ぶりに楽しみました。
女性は坐って位置を確かめながら、「普通車は3年ほど乗っていません。通常は軽ばかりなので・・」と申されました。
今回は前2回と異なり教師が練習コースを先ず見本に一回りはしませんでした。
女性はその割にはスムーズに、指示されるままに、立て看板の番号を右折左折と回して、バック車庫などを無難にこなしていきました。
コンビニで突っ込む練習かと思われる、輪留めブロックを半分くらいの高さにした段差を、エンジンをブワーと吹かして乗り越え、一旦止まり後輪をまた吹かして乗り越える、初めての実習はスリリングでした。

知恵の輪のようにくるくる回る実習の最初の女性は終わって、次の男性に代わりました。
女性に「おばちゃんは私なんかより結構お上手ですね」と、ほめてやりました。「普通車は普段乗っていないので・・」と謙遜しながらホッとしていました。

私は前二人の実習にベラベラ喋って楽しんでいましたが、教師は見るところは見ていて、随時適切な注意が飛びます。ウンやはりプロです。
私に代わりました。キレのいい運転をしてやったら、バック車庫でもっと前まで行きその上バックに入ること、バックの際後ろを確認すること(ミラーでバックの癖)、講習が終わって初めてのチェックシートをもらい、そこには
・進路変更 安全確認 しっかりできていました
・カーブ走行 曲がりに応じた速度 早すぎの時あり とコメントがあり、
講評は
カーブ手前での減速を確実に行ってください と注意がありました。
他にチェックマークは・信号の確認・信号に従った運転・一時停止標識の確認・交差道路の安全確認・合図の有無・にコメントなしでチェックが入っていました。

つぎは運転模擬台に坐って、モニターを見ながら運転適正検査でした。盛り場や銭湯でのあのゲーム機のような按配です。前2回は検査項目が4項目でしたが、今回の結果は
・状況の変化に対する反応の速さと正確さ 反応の速さ4(3)、反応の正確さ3(2)、反応のむら5(5):()平均 操作は平均的とシートに打ち出されました。
・複数の作業を同時に行う能力 反応の正確さ4(4)、反応の速さ4(1)、反応のむら5(3)、ハンドル操作4(2)と出て 比較的確実な判断・操作ができる方です。と打ち出されました。適性検査は以上の2項目です。

その後 計測器を使って視野角の検査 次いで部屋を移動し 夜間視力計と動体視力計で視力検査です。結果は
通常視力 0.8(75歳以上の中で3:ふつう)
・視力回復時間61秒(75歳以上の中で3:ふつう)
・眩光下視力(まぶしい)0.2(75歳以上の中で2:やや劣っている)

最近3年おきに眼科医へ行き眼底検査と、視力検査を受け、めがねの処方箋を書いてもらいます。
レンズのみ取替え2万円余の高い特注遠近両用眼鏡で、昨年2月に調整済みなのに、ブログと、老化で視力が落ちてきています。
目にゴロゴロ感・ドライアイがあってしょっちゅう目薬をさしています。白内障は始まっているが手術には及ばないとの診断でした。

やれやれ半日かかりの長い高齢者運転講習は終わりました。この学校の講師は生意気で横着でない、親切で優しいとアンケートに答えておきました。


高齢者運転講習

2012年07月14日 | 日記

岐阜県 関自動車学校

昨日の一日は車の運転免許の更新のため法で定める高齢者講習および講習予備検査(ぼけの検査)を受けてきました。誕生日の5ヶ月前から誕生日の1ヶ月後までの間に受けることになっていて4月にはもうハガキがきていました。

受講する場所は希望する県内の自動車学校です。もう3回目なので2回目に行った少し遠いですが、15kmくらいある関市の自動車学校へ予約電話してみました。

どこへかけてもお客様の囲い込みで、すぐには予約できなく後から電話するとか、窓口受付が不親切、指導者が横柄な態度を取るところは敬遠しなければなりません。
ゴルフコンペの同年齢の女性は白内障で視力が落ちていたのを、暴言を浴びせられたと、怒っていました。
この学校は親切で、その日の午後予定者が揃っているので来られますかと、即日予約でした。

余裕の1時間前に到着し、ゆっくり受付を待ち6000円を出して、開始10分前に手続きしました。
受講室はもう振り込め詐欺のビデオが写してあって、そのうち出席確認があり、今日は男6人、女3人のすべて75歳以上の9人だった。

その後、ビデオで高齢者運転者の犯しやすい危ない運転をドラマ化し、最後に免許証を自主返納する制度を勉強した。
その後、ボケテストです。この制度は新聞の切り抜きによれば2007年から制度化された模様です。高速道路を逆走する、コンビニに突っ込む、信号を無視するなど高齢ドライバーの増加で、認知機能の低下に伴う事故が増えているからということです。

<認知機能の検査質問例>
1、今は何年ですか? 今日は何月ですか? 今日は何日ですか? 今日は何曜日ですか?
今は何時何分ですか? (これは指導員がまず説明で、質問項目全部を前もって口頭で伝えられます)ボケてなければ簡単です。私はよく調べて行きました。

2、紙芝居の大きさの画用紙に果物や動物、乗り物などのイラストを、1枚4種類4枚=16種類を記憶させられます。(絵は小さく下手な絵で色がついていません、指導員が絵を説明しながら全員声に出して記憶します。この絵のパターンは4種類ある由で、全国共通試験です。時間に制約があります。)

注意をそらすためここでひらがなの「か行」と「さ行」を逆からマス目に書かせた後にテストです。
記憶をそらすためとは指導員は説明しません。2006・12・1の新聞切抜きを持って行ったのです。
さてテストです。16種類を全部書けますか?私は頭も悪く記憶力も弱く10種類しか書けなかった。
今度はヒントを与えその横に16種類を思い出して書きます。これは全部書けました。
体験自体を忘れる(認知症)体験の一部を忘れる(年令による物忘れ)
ヒントがあっても思い出せない(認知症) ヒントがあれば思い出せる(年令による物忘れ)

3、 白紙に丸を大きく書く。時計の全部の数字を入れる。その後、時間を指示されるので、長針、短針を書き入れ時間を示す。
という認知機能検査です。

その他の感想
高齢者講習の案内ハガキの文言についてですが、案内状には3年前も、今回も
 道交法101条-4に基づく講習とあります。
 終了証明証には108条-2-1-12の講習を終了した証明した文言となっています。
本来案内状も108条-2に基づくとすべきではないかね、また「終了⇒修了」じゃなかろうか?
いづれにしても岐阜県の役人は大丈夫なのかね。(つづく)


足長蜂の退治

2012年07月13日 | 日記

今年冬のある日の練習場

“手加減を知らぬ自然の恐ろしさ” 東日本大震災の後、朝日新聞に投稿された川柳です。
九州地方に豪雨被害が発生しました。ここ東海地方も昨日は朝からよく降りました。
雨でくすんでいても仕方ないので、ゴルフの打ちっぱなし練習場へ行ってきました。こんな日なのに先客が2~3人、そのうち何人かのお客さんが来てうち二人は若い女性でした。
2時間没頭すると何となくスッキリします。

この2週間ほどの前のこと、爺の洗濯用の吊るしハンガーを入れた、農家の野菜収穫駕籠の中に足長蜂が巣をかけていました。なぜかいつもブンブン飛んでるなと思っていましたが、まさか巣をかけたとは思わないので刺されるところだった。
結構大きく5センチくらいになっていて、5~6匹が頭を上げて威嚇します。さて、どうして退治するか。

もう要領は分っていて、棒で遠巻きにつつくと舞い上がります。そこをハエ取りハタキで叩き落とす格闘で何匹かをやっつけます。そしてその辺に止まったのを叩いてやっつけるのです。
叩き落しても地面や芝の上で足で踏みつけたくらいでは仮死状態なので、つまんでコンクリートの上でしっかり踏み潰します。

刺しに襲ってこないかって・・・?、当然、中にはそういうのもいますが、ハタキを振り回して体に止まらせない真剣勝負です。
撃退した巣は手でつまんで足で踏み潰すという残酷な刑です。少し離れたところへそのまま捨てておく場合は、いつのまにか鳥が持っていくのか巣が無くなります。

そうやって退治したらまた、サツキの株の中へ足長が出入りしています。またこんなところにと退治することにしました。毎年のことで昨年やその前の年はそのままにしておき、秋になって飛び立っていくのを待ちましたが、だんだん大きくなるし草引きに危険で今年は早めに退治したのです。

2~3日かけて、残っていて巣を探しに戻ってくる蜂を見つけては、ハエ取りハタキで一匹残らずやっつけるのです。