たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

木曽川扶桑緑地公園 その3

2019年12月24日 | その他

愛知県扶桑町の緑地公園のある山那地区には風流な人が多いようだ。地元に短歌会があり入会案内チラシや、謳われた短歌の標識が立ててある。花や木の種類の標識も多く案内されている。

雪嶺を神の姿と見て老ひぬ 大藪美貴江 (扶桑俳句会員の人でしよう・扶桑町斉藤)

行きすぎてなほ連翹(れんぎょう)の花明かり 中村汀女

 


木曽川扶桑緑地公園 その2

2019年12月24日 | その他

いちばん大きな駐車場のそばに幼児の遊び場があり、可愛い王子さまや王女さまの親子連れが微笑ましい。
その下流側にテニスコートが3面ほど、その近くに可愛いノラ達がいる。上流側に少年野球場が2つあり、その横を通って上流側へ、約2キロほど散歩道が続く。平日なのに老人のウオーキングが多数で驚く。最上流の犬山緑地公園近くまで歩いた。

セグロセキレイはどこにでもいる鳥です。

”オアギリの漢名は梧桐:ゴトウ又は梧樹と言い、中国では古来より鳳凰(ほうおう)が宿る木とされ、韓詩外伝は「伝説の黄帝が即位の際、梧桐の上に鳳(おおとり)が棲んだ」との、記述があります。雄が鳳、雌を凰と言い分け、一生仲よく連れ添う想像上の瑞鳥です。皆さんの家にも鳳凰がいます。卒業証書や賞状を縁どる二羽の鳥。また、いまの一万円札の裏側を飾っています。”

アオギリ・梧桐の木

左、各務原市のシンボル・伊木山、正面に国宝犬山城

おや!君も散歩かい。人と一緒に歩く。左耳どうした。無いよ。

犬山側終点

元位置へ戻ると定位置にトラがいた。白黒ブチも定位置にいた。


木曽川扶桑緑地公園 その1

2019年12月23日 | その他

今朝はモーニング喫茶の足で、近くのスーパーで買い物。緑地公園のノラ達にお土産をと、キャットフード98円を2袋を買った。やはりベンチ近くの定位置に白黒ブチはいた。

近くには、さらに新入りの三毛が加わり、キジトラ太っちょと、子どものキジトラの4匹が集まって遊んでいた。

近づくと藪へ逃げるが、おみやげのフードを石の上に置き、少し離れて見ていたらすぐ食べに来た。

貫禄のトラさんも加わった。

ベンチの上にもフードを置いた。カラスが取りにくるので近くで見張った。


失せ物ひんぴん

2019年12月21日 | 日記

数日前から歩数計が見当たらない。先週水曜日にあったコンペには持っていかなかった。その時あったか確認してない。1,300円ほどだったので金額はさておき、どうしたのだろう!
それともう一つ、宅配便を受け取るシャチハタ印鑑がない。いつもキッチンの引き出し・一番上の箸入れに入れていた。どこを探しても出てこない。

出掛ける時忘れ物をするし、最近ボケて来たのかと心配。
歩数計もノルディック型ポール(ステッキ)も、要らないといえば要らなかったが・・。
日曜日は雨の予報なので土曜の今日、ウォーキングに木曽川扶桑緑地公園へ。野良達の恋人に会いに行って来た。

まだ子猫だが白黒ブチは目立つなあ!そばのベンチに腰を落とし、デジカメを望遠で撮った。人馴れしてないので近づくと藪へ逃げ込む。

往路にはいなかったのに、太っちょのキジトラは帰路には出ていた。子供のキジトラも出ていた。太っちょには何方か、木のベンチ下に缶詰めとアラレを給餌されていた。

そう後ろを向かないでこっち見て!

そうそう

いい顔だよ

小さいキジトラは丸いな

先週のコンペで相棒が15年飼ったポメラニアンが死に、ちょっとしたペットロスだと話した。もう一人も10年飼った愛犬を亡くしたといった。「もう飼わない方が良くないか、ペットの方が長生きするから」と余計な事を言った。

帰りに管理事務所の職員・清掃係のおじさん二人に聞くと「ここは野良が多いので困る」と言われた。無責任な飼い主がいて困る。幼児遊具の辺りは親子連れが多かった。

歩き足らなかったので、家近くの工業団地遊歩道を一周した。清掃車が入り落葉を集めていて、作業員は仮眠して休憩中だった。


各務原パークウェイ その2

2019年12月21日 | その他

各務原パークウェイの峠頂上は関市との境界です。真っ直ぐ行けば東口に至るが、頂上を左折して関市・追間(はざま)地区へ降りました。途中の追観音までは曲がりくねった峠道の2車線で、随所に段差舗装があり速度制限している。
観音様から~関市の田舎、追間地区までは1車線で危険な道路です。降り切ると追間工業団地と正面する。

そこを右折して坂祝町・勝山に出て国道21号線に入り、木曽川沿いを鵜沼へ。そこからまた各務原パークウェイの東入口へ入りました。

入って間もなく岐阜県営公園があります。

駐車場にわずか3台ほど駐車していました。公園内にはウオーキングのご婦人が1人と幼児連れ親子1組が遊具で遊んでいた。

入口に管理事務所がある。ここは子供向け交通教室と、模擬道路が作ってある。

岐阜県関市から発生した豚コレラが全国へ広がる気配で、注意看板もあった。

パークウェイの途中に山歩きの入口が各所にあるが、出入り口には白い消毒剤が必ず撒かれていました。

日曜日でも人が集まるのか?、淋しい公園でした。

ここを出てすぐに日乃出乃不動尊があります。山の上には大岩が鎮座していたが、登らなかった。

本堂へお参りし、写真の老夫婦が柏手を打ち、熱心に感謝と祈り事を口ずさみ長いお参りをされていた。
終るのを待ち、50円硬貨の賽銭を投げお参りしました。その賽銭が箱から飛んで畳に落ちた。

境内の落ち葉を清掃し、知人らしい人と話し込んでおられた坊守さんに「ここはお不動さんで、仏さまですね。柏手(かしわで:木偏でなく拍手が正しいらしい)のお参りは必要ですか?」と聞くと「仏さんです。鳥居がありますが拍手は必要ありません」と。「賽銭を箱に納めておいて・・」とお願いした。追間観音にも鳥居がある。
お寺と神社① 不動明王は仏さま!? お寺と神社② 深川不動堂の参拝の仕方 ~お賽銭の作法~

すぐ正月を迎えるのに温暖化で季節感が崩れてしまって、パークウェイへまた反対側から入り一周して帰宅しました。


各務原パークウェイ その1

2019年12月20日 | その他

先日各務原パークウェイの西側にある「各務野自然遺産の森/くつろぎの森」まで行ったので、今日は天気もいいのでそこから奥へドライブした。この公園道路沿いはお寺とお不動さんがやたら多い。
「くつろぎの森」の途中に先ず、山中不動明王があり、特養施設/カーサ・レスぺート、山の中の淋しいところです。

Casa Respeto 一人ひとりを尊敬する家(スペイン語) 

昔、会社の上司が、妻が入所していると話された。


その隣が法福寺

ギャラリーと軽食喫茶を併設、庫裏を兼ねている。3台の車が駐車場に、来店している靴が見えた。


風の塚がある

この二つを過ぎて、しばらく晩秋の紅葉を愛でながら登ると「やすらぎの森」へ入るが、通過して前記事の清龍寺へも行け、関市迫間(はざま)へも行ける分岐点へ(下り側からの写真)。ここが峠の頂上、青龍寺へは更に脇道に入るので歩行者のみ許可の看板。

 多賀坂林道改修記念碑 ここから左折して関市迫間へ降りることができる。降りてみた。

関市迫間(はざま)の工業団地を見下ろす。ブリヂストンの工場がある。ゴルフボールも作り、ここで先般のタイガーウッズの優勝ボールが作られた。

曲がりくねった林道を降りると、迫間観音がある。関市側から登って何度もお参りしたので、今日は割愛。本堂へは右側の山道を車で登れるが危ない。

ドライブ前の朝喫茶で日経新聞を読んだ。

文科省と国の迷走で受験生が可哀想だ。東大の合格者の実家所在地の35%が東京都内、都を除く関東圏が35%、父親の年収平均1070万円以上。ここでも貧富と地域差の二極分化。アメリカは大統領が下院で罷免が可決され二極化がひどい。

「急ぐあなたの心が一番危険」ゆっくりドライブしよう。


各務野自然遺産の森

2019年12月18日 | その他

この公園は各務原市東部・鵜沼地区にあります。苧ヶ瀬(おがせ)の池から入り、各務原パークウェイを紅葉を愛でながら10キロくらいで駐車場に着きます。
いろんな森があるようですが、健脚でないのでメインの「くつろぎの森」しか行けません。

 二度クリックしてください。

芝生広場の奥に昔の民家があります。

(民家裏玄関の案内版)” この建物は江戸時代末期、美濃国 各務郡 前野村 庄屋 北川億右衛門 によって普請されたものである。
 年貢である米俵を検査した玄関脇板の間、門構えや建物の広い間取りなど当時の豪農の堂々たるままずまいが分る。
 平成15年子孫である北川準子氏から寄贈を受け、各務野自然遺産の森に移築したものである。
平成15年11月15日 各務原市長 ”

 
 
玄関口を入って奥右側に煮炊きした「土かまど」があります。左が年貢の米俵を検査した板の間。
 
 
客間や奥の院。
 
かまどの向かいの囲炉裏。
 
炊事道具。
 
裏口。
 
この裏口から各務原アルプスなどへ登山できます。
 
 
 
 
 
 
 
駐車場どん詰まりの奥にコンクリート造りの白い建物がありました。こんな辺鄙な地に珍しいと行ってみたら、プロパンガスボンベが数本あり、無人ではないようでした。帰りに公園管理の職員に聞くと「お寺で青龍寺です」(地図では「白竜山寺」)ここが本堂入口と庫裏入口です。
 
 
入口のお堂。
 
 
 
このお寺は公園駐車場からは入れなく、谷向かいのパークウエイ沿いの脇道から車で行けます。

野良達に会いに

2019年12月17日 | 日記

今日は寒い雨、昨日は暖かい曇り日、野良達に会いに木曽川扶桑緑地公園へウオーキングに。
よく目立つ白黒ぶちが「あまりみつめないで・・」と。

少し歩くといつものキジトラが眠そう

もう少し歩くと子供のキジトラが

帰り路、君はよく太ってるね。何食べてるの?野ネズミか。

ワンコはいいな、飼い主にリードで

ラジコンクラブ専用飛行場・江南市から借地

扶桑・江南市側遊水地は広い、各務原市側には川しかない

落ち葉を踏む音が心地よい

河口から53キロ地点

ママと幼子はひとしきり遊んで、おやつタイム

もう少し歩きたくて、上流の犬山のライン大橋を越え各務原市へ。苧ヶ瀬(おがせ)池から、各務原パークウエイへ入り紅葉を愛で、「各務野自然遺産の森」へ足を伸ばした。


一日の終わりに

2019年12月16日 | 読書

一日の終わりに「50の名作一編」清水義範 編著 成美文庫 2008年10月刊

表紙扉から
” ● ベッド・サイド・ストーリーとは眠れぬ夜に心の栄養にするために、読む名作短編のこと。心のナイト・キャップとなるような、選りすぐりの名作たちのことだ。
 そういう意味の、名作短編(もしくは名作長編の一部分)を日本文学の歴史の中から選び出して、お休みの前のひとときのためにまとめたのがこの本である。
日本文学から50の、名作の断片を集めてみた。(「はじめに」より)”

この文庫本は名作の特徴的な文面を3ページほど紹介し、その後1ぺージほど作品の特徴を編者が解説している。

 第13夜 島崎藤村 「若菜集」「落梅集」
 初恋
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひきり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
ひとこひ初めしはじめなり
(以下略)
解説は”「若菜集は藤村25歳頃の、落梅集は30歳頃の作品である。五七調を基調として・・・”
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最近とんと本を読まなくなったし、読みたいような本が図書館へ行っても新刊にない。先週ゴルフコンペの合間に、頭がよく現職時代も出世頭で、人柄も良い同僚が「久しぶりに本屋で伊集院静の本を買って読んだが良かった」と言った。本の名は忘れた。随筆のようだった。
馬籠の藤村記念館は二度ほど行ったことがある。花巻市の宮澤賢治記念館にも行った。「雨にもマケズ」はザラ紙に鉛筆の原稿だった。五所川原の太宰治記念館・斜陽館へも行った。先祖が個人銀行のようなことを家業とされた2階建て、客溜り窓口があった。
今日は在所の姉の息子(甥っ子)が寄ってくれ、リンゴやら鏑菜の新漬、兄からの新米など届けてくれた。姉の孫が最近結婚し、兄の孫に子が生まれる、ひ孫ができるとのこと、少しづつお祝いを預けた。              


老化現象顕著

2019年12月14日 | ゴルフ

法仙坊GC NO,1 HOLE PAR 5 ・ セカンドショットの左下がりを#3FWで右谷へOB、打ち直しで左谷へOB ここで11打も打った。 写真は知らない人・前の組

昨日は地域のコンペで、ご近所の親切な人に同乗で、初めてのコース美濃加茂市・法仙坊GCへ。お天気もよく暖かい日で楽しんだが何かと老化を感じる日だった。

このコースは景観が素晴しい。距離は普通ながら、池やクリークが隠れていて、大きなグリーンの起伏が複雑で極めて難しい。3パットを6回以上やった。クラブハウスも豪華でキレイ。バイキングの朝食、昼食付7,160円だった。

4人同組で後1ヵ月でゴルフ税が無料になる70歳を迎えるという、実力者が目の覚めるようなプレーを見せてくれた。
当方は相変わらず大叩きして110に届く惨敗だったが、随所に老化を感じる日だった。

・朝、受付を済ませ更衣室へ。半分ほど残っていたタバコの箱を確認。パット練習の前に一服をと、ポケットを探すが無い。戻って更衣室やバッグを探しても出てこなかった。持って行った新品を手提げ袋に入れいてよかったが。

・2打、3打と同じクラブを振るホールでは、何打振ったか忘れる。パットも同じだ。
・ここはまだJPSナビ付き、自動運転カートではない。時々ハンドルを握ると、同僚が「大丈夫ですか」と心配し代わってくれた。
・入浴してポロシャツを着ず、下着2枚(1枚は保温下着)の上に直接セーターを着ているのに気づいた。
・無事終わって帰宅して一休み、5時半から集会場で懇親会だったが、エアコンが故障していて寒いのと、ノンアルコール缶を1本無理して飲んだら、2時間の予定の30分を残し、術後後遺症の便意がきて中座帰宅する有様だった。
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今朝は新聞の「おくやみ」で故郷の母親の実家になる本家のお婆ちゃんが93歳で亡くなっていた。遠いのでお参りはできないので、香典の立替えを頼んだ。7年余を施設で過ごされ、費用が月23万円近いと、長男が言っていたのでご苦労だった。ご冥福を祈る。