○日本の精神科専門病院の偽物性について思うこと
日本においては、ほぼ例外なく精神病院に入院する際には、入院患者に対して「誓約書」なるものが課せられる。それに署名しないといかに重い心の病を抱えていようと、薬物や酒やギャンブルなどの依存症で苦しんでいようと、絶対に入れてはくれないのが通例である。その「誓約書」に根拠があり、有意味なものであれば、ここに書くことはないだろう。問題があるから、書くのである。
そもそも精神科専門病院に入院しなければならない人々は、社会生活に行き詰ってしまったから、そのおおもとの原因たる心の病を癒すために入院加療するのであろう。これは、特に精神疾患に限らず、他の内臓疾患や怪我や骨折で入院する動機と同じであろう。まあ、違いがあるとすれば、後者の側の理由は特に社会生活に行き詰ってはいないが、家庭では治療できないという物理的な理由がその主な要因であろうが。
結論から言うと、ほとんどすべての日本における精神科専門病院は、入院施設としては失格である。「誓約書」の内容を読むと思わず笑ってしまうのである。たとえば、近頃はさまざまな依存症に苦しんだ末に、入院することによって治癒することを願っている患者さんたちに対して、たとえば、アルコール依存症の患者さんに対しては、もしも、入院中にアルコールをどこかから入手して飲んだ場合は、即刻強制退院の措置をとるというものなどは、特に笑えてしまう。無論患者さんたちに向って言っているのではない。病院の依存症の患者さんたちをあずかる覚悟について、何ともお粗末なものだと感じるからである。最初に入院するときには、患者さんたちも必死な想いで病院にやって来るものだから、当然入所に当たっての規則の意味について詳しく質問などする人は皆無だろう。彼らは何の質問をすることなく、入院に際して、最低でも5万円の金を支払うことになる。
たとえば、うつ病の患者さんたちが、「誓約書」の内容に違反するようなことはないだろう。うつ病で入院してくるような患者さんたちは、「誓約書」に違反するほどの生きる意欲がすでに失せている場合が殆どだからである。しかし、依存症の患者さんたちは、置かれた状況がまるで違う。彼らは、総じて元気だが、そのままにしておくと各々の対象物による依存の度合いが深まって、まともな社会生活がおぼつかないところまで追い詰められて、仕方なしに精神科専門病院にやって来るのである。
お粗末な病院の対応はどうかというと、入院当初はかなり厳しい監視下に置いて、治療にあたるようである。が、普通はあまりも早く一般病棟へ移動させる。それは何も患者のためを思っているのではない。単に人員不足に過ぎないというのが、主な原因である。一般病棟であれば、一人の看護師に対する患者数は格段に増える。要するに経済の論理が優先するのである。その結果はどう出るのか? 一般病棟に移れば、外出許可は簡単に出ることになる。つまりは病院側は、特に精神科医は、依存症の実態を知っているがゆえに、依存症の患者に対してまともな治療もせずに安逸に外出許可を出すことの重大な意味に関する想像力の欠如と無責任な姿勢のゆえに、せっかく入院して完治して社会復帰をしようとする患者の可能性の芽を無残に摘み取ってしまうのである。薬物は簡単に手に入りにくいだろうが、いまどきの世の中、コンビニでも酒は手に入る。コンビニは外出時に立ち寄ってはならない場所にはなっていないし、たとえ、文書でそう書いてあっても、やっと体内からアルコールが抜けてきた依存症の患者にとって、特にアルコールがほしくなるのは理の当然ではないか。そんなことは想像に難くないはずだが、精神科の医師たちはそれを見過ごしているのか、見捨てているのかは定かではないが、患者をいとも簡単に外出させる。
何割かの依存の深みに入っている患者はアルコールを病院にこっそりと持ち帰ることになる。飲酒していることなど、すぐに見抜かれる。見抜かれた瞬間に、患者は強制退院の憂き目に遭う。依存症患者を扱う病院は、患者が何度かの失敗をしながら快復していくことを治療方針には入れていない。入院に要した5万円以上の金と、強制退院までに要した治療費だけはしっかりと請求して、患者を放り出す。依存症の患者はこの繰り返しである。治る病気も、治らなくさせていないのが、他ならぬ精神科専門病院なのである。情けない現実である。日本の医療のあり方が貧しいのは、このような病気に対する認識の甘さが、医師たちに十分に認識されていないことが原因ではなかろうか。優れた医師が育成されているのであれば、将来に光も見出されるが、どうもそういうことになっていないのが、僕のニュースソースからの告白によって聞こえてくるのに、臍を噛むばかりなのである。ただただ、悔しいのである。今日の観想とする。
○推薦図書「癒す力、治す力―自発的治癒とはなにか」アンドルー・ワイル著。角川文庫。これは医学の革命書です。人間にもともと備わった治る力、その治癒力を活性化させることで、絶望的な病から生還させた実績が、現代医学の虚妄性を暴くように明瞭に描かれています。ぜひ、読んでおくべき書ではないか、と思います。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
日本においては、ほぼ例外なく精神病院に入院する際には、入院患者に対して「誓約書」なるものが課せられる。それに署名しないといかに重い心の病を抱えていようと、薬物や酒やギャンブルなどの依存症で苦しんでいようと、絶対に入れてはくれないのが通例である。その「誓約書」に根拠があり、有意味なものであれば、ここに書くことはないだろう。問題があるから、書くのである。
そもそも精神科専門病院に入院しなければならない人々は、社会生活に行き詰ってしまったから、そのおおもとの原因たる心の病を癒すために入院加療するのであろう。これは、特に精神疾患に限らず、他の内臓疾患や怪我や骨折で入院する動機と同じであろう。まあ、違いがあるとすれば、後者の側の理由は特に社会生活に行き詰ってはいないが、家庭では治療できないという物理的な理由がその主な要因であろうが。
結論から言うと、ほとんどすべての日本における精神科専門病院は、入院施設としては失格である。「誓約書」の内容を読むと思わず笑ってしまうのである。たとえば、近頃はさまざまな依存症に苦しんだ末に、入院することによって治癒することを願っている患者さんたちに対して、たとえば、アルコール依存症の患者さんに対しては、もしも、入院中にアルコールをどこかから入手して飲んだ場合は、即刻強制退院の措置をとるというものなどは、特に笑えてしまう。無論患者さんたちに向って言っているのではない。病院の依存症の患者さんたちをあずかる覚悟について、何ともお粗末なものだと感じるからである。最初に入院するときには、患者さんたちも必死な想いで病院にやって来るものだから、当然入所に当たっての規則の意味について詳しく質問などする人は皆無だろう。彼らは何の質問をすることなく、入院に際して、最低でも5万円の金を支払うことになる。
たとえば、うつ病の患者さんたちが、「誓約書」の内容に違反するようなことはないだろう。うつ病で入院してくるような患者さんたちは、「誓約書」に違反するほどの生きる意欲がすでに失せている場合が殆どだからである。しかし、依存症の患者さんたちは、置かれた状況がまるで違う。彼らは、総じて元気だが、そのままにしておくと各々の対象物による依存の度合いが深まって、まともな社会生活がおぼつかないところまで追い詰められて、仕方なしに精神科専門病院にやって来るのである。
お粗末な病院の対応はどうかというと、入院当初はかなり厳しい監視下に置いて、治療にあたるようである。が、普通はあまりも早く一般病棟へ移動させる。それは何も患者のためを思っているのではない。単に人員不足に過ぎないというのが、主な原因である。一般病棟であれば、一人の看護師に対する患者数は格段に増える。要するに経済の論理が優先するのである。その結果はどう出るのか? 一般病棟に移れば、外出許可は簡単に出ることになる。つまりは病院側は、特に精神科医は、依存症の実態を知っているがゆえに、依存症の患者に対してまともな治療もせずに安逸に外出許可を出すことの重大な意味に関する想像力の欠如と無責任な姿勢のゆえに、せっかく入院して完治して社会復帰をしようとする患者の可能性の芽を無残に摘み取ってしまうのである。薬物は簡単に手に入りにくいだろうが、いまどきの世の中、コンビニでも酒は手に入る。コンビニは外出時に立ち寄ってはならない場所にはなっていないし、たとえ、文書でそう書いてあっても、やっと体内からアルコールが抜けてきた依存症の患者にとって、特にアルコールがほしくなるのは理の当然ではないか。そんなことは想像に難くないはずだが、精神科の医師たちはそれを見過ごしているのか、見捨てているのかは定かではないが、患者をいとも簡単に外出させる。
何割かの依存の深みに入っている患者はアルコールを病院にこっそりと持ち帰ることになる。飲酒していることなど、すぐに見抜かれる。見抜かれた瞬間に、患者は強制退院の憂き目に遭う。依存症患者を扱う病院は、患者が何度かの失敗をしながら快復していくことを治療方針には入れていない。入院に要した5万円以上の金と、強制退院までに要した治療費だけはしっかりと請求して、患者を放り出す。依存症の患者はこの繰り返しである。治る病気も、治らなくさせていないのが、他ならぬ精神科専門病院なのである。情けない現実である。日本の医療のあり方が貧しいのは、このような病気に対する認識の甘さが、医師たちに十分に認識されていないことが原因ではなかろうか。優れた医師が育成されているのであれば、将来に光も見出されるが、どうもそういうことになっていないのが、僕のニュースソースからの告白によって聞こえてくるのに、臍を噛むばかりなのである。ただただ、悔しいのである。今日の観想とする。
○推薦図書「癒す力、治す力―自発的治癒とはなにか」アンドルー・ワイル著。角川文庫。これは医学の革命書です。人間にもともと備わった治る力、その治癒力を活性化させることで、絶望的な病から生還させた実績が、現代医学の虚妄性を暴くように明瞭に描かれています。ぜひ、読んでおくべき書ではないか、と思います。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃