ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○コミュニケーション能力あれこれ。

2012-01-06 15:20:46 | Weblog
○コミュニケーション能力あれこれ。

昨今、他者とのコミュニケーションがうまくいくとか、いかないとか、何かと喧しいわけで、僕はこのような現象に対して、なにほどかの違和感を抱いているのである。

そもそもコミュニケーション能力などということが話題になりはじめたのは、英語をペラ、ペーラと喋れるのが英語の実力であるという、かなり偏狭した思想、あるいは表層的なものの考え方が、本質に在ると思うのである。英語のコミュニケーション能力云々という風潮が当然のように、ある種の常識のごとくに流布する以前に、果たして、日本語を介した会話、そこから紡ぎ出される人間関係に対して、それがうまくいかない場合の原因を僕たちはコミュニケーション能力の欠如などに見出そうとしていたのだろうか?

コミュニケーションさえうまくこなせればすべてがうまくいく、というのは、アメリカ流の楽天主義的コミュニケーション論そのものだろうに。

人には、自分だけが見ている、あるいは自分にだけ見えている世界像というものがあるのである。個としての人間が、この世界のありとあらゆる情報と真実を、洗いざらい他者に明かすことが出来るという幻想を抱かせるのが、アメリカのコミュニケーション論の根底にある思想である。僕から言わせると、これを幻想と定義することもかなり控えめな表現なのである。もっと突っ込んで言えば、それは共同幻想。いや、さらに正確に言えば、国家規模の組織的虚偽と云う方が妥当かも知れない。だって、アメリカほど世界中の、秘匿に値する情報を極秘裏に拾い集めている国はないだろうからである。広大な敷地の中に、広大な建物と、ありとあらゆる情報を盗み取るデバイスを設置し、数万人がそこで24時間体制で働き、集めた情報を独り占めにするために、職員同士の恋愛、結婚を奨励するなんて、尋常な精神では考えられない。でも、実際にそういう組織がアメリカにはある。たとえば、日本のアメリカ駐留軍がいる軍事基地内には、高精度の盗聴設備があり、日本の機密などはダダ漏れだと聞く。世界中で、アメリカは同じことをやっている。

アメリカ式のコミュニケーション能力の実体とは、あらゆる意味で、人の、尊厳に関わることだって平気で暴露しようとする意図に満ち溢れているものである。こんなものに大きな価値を感じる必要性など、いったいどこにあるというのだろうか?情報が世界を制するなんていうスローガンも、政治・経済・そしてそれらが行き着く最低のどん詰まりとしての戦争には欠かせないものだろうけれど、人間の存在理由という観点から見れば、こういうものほど無駄な能力を人間に割かせるものはない。そもそも人の精神が豊かにならないし、精神性としては、下司・下劣になっていくばかりだから。

二つのことを書いて、今日の締め括りにしたいと思う。一つは、人のコミュニケーションとは、他者に語り得ないことを持ちつつ、しかし、それでも、か細い言語回路を開いていこうとする努力の結果の姿であるということ。この努力の過程をコミュニケーション能力と云うのだ、ということ。また、ここで僕たちが認識しておかねばならないことがある。人には、他者に対して秘密にしておきたい、という欲動がある。そして、ときとして、ウソもつく。それでよいのである。さて、もう一つ。他者との付き合い方について。無論、根底には、コミュニケーション能力の裏面に隠された人の本性というものを理解しつつ、さて、他者との関わりを持つとする。僕たちには二つの相反する気分を矛盾するものとは考えず、互いが影響し合って、結果的には、価値意識として、より高みへと止揚していくものである、という認識をもつべきことが肝要だ。相反する二つの傾向性とは、一旦創った他者との関係性は、よほどの不都合が起きない限り、居心地のよいものゆえに、出来あがった関係性を閉じようとする力学が働くのは必然であるということ。が、その一方で、別の他者との関係性を築くのでなければ、おもしろくない、という想いも同時に働く。この二つの逆向きのモーメントが相伴って、僕たちのコミュニケーションを成り立たせている、と考える方がより真実に近いのではなかろうか?ともかくも、誰それにとって都合よきコミュニケーション能力なんて、底が浅い。特にそこに権力なんていう代物が介在する場合、タチが悪い。個性を開くこと。自由闊達であること。これが、僕たちが目指すべきコミュニケーション能力の原型として据わっていなければならないだろう、と思う。今日の観想として、書き遺す。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○書いても書いても尽きることがない!

2011-09-23 22:01:59 | Weblog
○書いても書いても尽きることがない!

カウンセラーとしてのブログという観点でみるならば、僕の書くものは、まったく的外れなものばかりなのかも知れません。しかし、そもそもカウンセラーの定義が、数あるカウンセリングルームに散見できるブログなどを読んでいると、僕のそれとはまったく異なるのかなあ、と思います。違う!という方もいらっしゃるとは思いますが、まず大抵のカウンセラーさんのブログは、癒し系を気どった、あくまで相談を受ける側の立場からの発信ですね。だから、読むことはたまにはありますけれど、どなたのを読んでも本質的にはたいした違いはないわけです。もっと突っ込んで云うと、おもしろくもなんともない。おもしろい、とは、読み通す意欲が湧かないと云う意味です。カウンセリング手法の違いを説明されているのであって、それ以外のネタは、ご自身のカウンセリングがいかにクライアントさんにとって有効かということに特化しています。まあ、プロパとしての役割が彼らの書くブログの意味なんでしょう。

それに比して、僕の書くブログは、自分でも明記していうように、僕自身の人生の総括集です。テメエの勝手な生き方の総括なんて意味がないんだよ、という方もいらっしゃって当然。そういう方はすっ飛ばしてくださって何ら構わないのです。しかし、自己の人生の総括なんだから、具体的な経験をずらずらと書きなぐっているのだろうと思われる方がおられるなら、僕は大いなる反論をしなければなりません。確かに、総括の中で語る話題の多くは、僕自身の人生行路で起こった出来事を素材にしています。が、そこで終わっていたら、単なるグチです。読まされる側はたまったものではないでしょう。書くべき素材は、自分の生きてきた内実を再現しているかにみえますが、実はそうではない。そもそも、素材自体に当然のことながら、書きたき核心にむすびつくような創作が混然一体と溶け込んでいます。その意味においては、日本のかつての文学ジャンルとして一世を風靡した「私小説」の素材よりも創作性の比率は比較にならないほどに高いと思います。口はばったいようですが、敢えて、このように書き置きます。

確かに、実際のカウンセリングの場では、僕もいっぱしのカウンセラーですから、クライアントの苦悩をしっかりと受け止める側の人間です。しかし、ここにおいても、他のカウンセラーさんとの違いは歴然としています。カウンセリングの基調は傾聴にあるといいます。これは否定しません。クライアントさんの訴えに耳を傾けることなくして、問題解決の道はあり得ませんから。ところが、一般的な傾聴とは、何度も重ねるカウンセリングにおいて、クライアントが語る言葉の重要性をクライアント自身に悟らせるまで粘っこく回を重ねるのです。カウンセリングは健康保険適用外ですから、カウンセリング料はずいぶんと高くつきます。そして、何度も何度も通いつめているクライアントさんの心情からすれば、果たして、これですっきりとした解決策が見い出せているのかしらん?という、かなり消化不良の観想しか洩れでて来ないのが実情ではないのでしょうか?このような現状を批判して、具体的助言なきカウンセリングなど無効。無用の産物だと言い切る精神科医もいらっしゃいます。岩波明さんは、売れっ子の精神科医ですが、この人のカウンセリング無効論は痛烈です。ところが、僕はこの人が大好きなのです。なぜなら、僕のカウンセリングにおける主義主張と同じことを精神科医の立場からオ―ケストレイティッド(声高に)に書いているだけなんですから。

僕のカウンセラーとしての基本的姿勢は、クライアントと一回面談して、少なくとも何がしかの具体的助言が出来ないようなカウンセリングは、無効だと考えているものです。その意味で、心理学とは、あくまで僕にとっての人間洞察の入り口論であって、それ以上のものでも、それ以下でもない。僕の裡なる洞察力、想像力、創造力の源泉は、文学を、あるいは哲学を、社会学を、経済・経営学等々を通過して、また、もっと言えば、学校教師の前は、70年安保闘争の運動家として、教師時代も思想的にはまるで相容れない共産党員の組合員の指導者であり、学校を喰い物にする大宗教教団に対する変革の急先鋒でした。勝敗の結末は僕の側の大敗です。けれど、この経験が僕に、自分の力でもないのに、出来あがった地位や権威にふんぞり返っている人間に対する限りなき反措定として生きつづけようと思わせたのです。そもそも精神疾患を併発させる心理的抑圧を加えているのは、他ならぬ権威に胡坐をかいている人間たちですから、クライアントさんに対して、僕が、具体的な立ち直りのための助言、闘い方に関して確信を持って言えないはずがないのです。カウンセリングによって、傷ついた心を癒されたい!分かりますよ。でも、傷ついた心の根本を解決しない限り、いかなる癒しも必ずその場限りのものになり下がってしまうのは目にみえています。僕はそういうカウンセリングはしたくはない。あくまで、問題解決のためのカウンセリングを目指します。だからと云って、コーチングの類の、上から目線の、飼育的な精神の改造など反吐が出るほど嫌いです。

僕のブログは、素材としては僕自身の成育歴の中から拾い出しているものが多いのですが、それはあくまで、読んでいる人たちが、自分のこととしても一般化出来るような読み物に仕上がっているはずなのです。書き始めの当初はご多分に洩れず、宣伝のためのブログを書きました。しかし、書いていて、ちっともおもしろくない。感情移入なんて出来っこない。それなら、特に時間を割いて書く値打ちがないわけで、売れない小説か、エッセイ本でも書いて、出版元に持ち込む方がどれほど意味があるかわかったものではない、と思ったわけです。書くなら、普遍化できるもの、一般化し得るものでなければ、自己満足的な回想の羅列になってしまいます。そうならないように書きつづけようか、と思って、もはや、Gooブログの「ヤスの雑草日記」には、1000作品(敢えて作品といいますよ)をはるかに超える素材がつまっています。時間が許すかぎり、読んでいただけることを願って、これからも、あと少しは書き綴っていきます。まだまだ、書き尽くせていないことが、たくさんあるもので。

京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○文学ノート<かつて僕はここにいた>の全文を読んでいただけるようになりました。

2011-08-07 23:09:37 | Weblog
○文学ノート<かつて僕はここにいた>の全文を読んでいただけるようになりました。

文学ノートと称して、文芸評論集を出して、はや、8年の歳月が経ちました。教師時代の末期のことでした。当時、自費出版がいまよりは流行っていて、いくつかの出版社が、出版の条件をだいたい3段階に分けて、こちらが送った出版原稿の審査を経て、出版のあり方が決まるというものでした。僕にとって、最も都合がよろしいのは、何せこちらは素人で、余分なお金があるわけでもありませんでしたから、狙い目は、企画出版です。これは、すべての出版の経費を出版社が負担するというものです。しかし、無名の書き手にこの企画が適応されることはなく、これはすでに作家として実績ある人に出版社が依頼するためのものでした。その目的は、あたかも素人にも、企画出版の機会があるものと錯誤させる、ある意味餌のようなものでした。無名の筆者が出版する場合、このような企画出版の適応を受けた人は皆無だと思います。素人が力もないのに、本の出版を希望するのですから、出版社はそれを狙っての金儲けですね。当然のことですが、当時はこの種の事情はよく分かりませんでした。さて、あとの二つの可能性は、出版社と出版依頼者とが、折半で出版するというものです。まあ、これでも出版社は儲けます。箸にも棒にもかからないものは、100%出版依頼者の出費というかたちになります。これが当時の自費出版の実情です。現在はどうなっているかよくわかりません。

僕は、いくつかある自費出版社のうちから二社を選び、双方に原稿を出しました。また、その際、企画出版以外では、出版するつもりはないという意思も明らかにしておきました。原稿を送ったのは新風舎と文芸社です。どちらの編集者からも電話があり、出版社と僕との折半で出版しないかという申し出でした。まあ、企画出版などはもともと無名の人間には適応されない餌ですから、当然だったのでしょう。結局決めたのは、新風舎でした。文芸社は、出版数も多かったのですが、その分、こちらの負担額が大きかったので、敬遠したのです。その結果、出版されたのが、文学ノート<かつて僕はここにいた>です。全国の本屋に並びましたが、売れませんでした。とりあげた作家がモーリス・ブランショをはじめとする、僕としても少し背伸びし過ぎた感のあるものでしたし、そもそも文芸評論というジャンルはあまり読まれない時代になっていました。

出版されて3年くらい経った頃、なんと新風舎が倒産してしまいました。当然増版など出来ません。しばらくすると、文芸社から知らせが届き、新風舎の経営地盤を吸収したかたちで、この書を文芸社から出版するのであれば、増版も出来るとのこと。しかし、この文芸社がなかなかあくどい。そのままのかたちで、出版することは出来ないとのこと。つまりは、すべて作り直しが条件でした。そうなると出版費用の二重払いですね。文芸社はふっかけてきましたね。100万以上かかるのだ、と言ってきました。そのときの編集者の感じが悪かったのと、あくどい商法に嫌気がさして、再度の出版は諦めました。文芸社は、現在もブログの出版や、自費出版の世界でネット上でも宣伝していますが、たぶん、経営方針は変わっていないのだろうと推察します。

京都カウンセリングルーム及びアラカルト京都カウンセリングルームのトップページに、この書のアイコンをつくっていました。そこをクリックするとアマゾンへジャンプし、現在は、当然のことですが、古本でしか手に入らなくなっています。理由はよくわかりませんが、かなりの高値がついています。僕には何の関わりもないところでの商取引ですし、また、今回、ブログのかたちでアップするにあたり、たくさんの誤植が散見できました。本としてはかなり不出来なものだったことがわかります。無論、当時、出版に当たって何度かの原稿の見直しをしたつもりでしたが、どうも雑な頭脳しか持ち合わせていないものですから、心地よく読める代物にはなっておりません。

さて、今回は、かなり慎重に修正もしましたし、HP上のアイコンからもジャンプ出来るようにしておきますし、今後のブログアップに際しては、京都カウンセリングルーム、アラカルト京都カウンセリングルームと並列させて、文学ノート<かつて僕はここにいた>と書き記しますので、ここをクリックしていただければ、本文にジャンプできるようにしておきます。お暇な折にどうぞ。今日はお知らせまで。

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文学ノート<かつてぼくはここにいた>
長野安晃

○怒りの発作にときとして襲われもするけれど。

2011-08-02 11:47:29 | Weblog
○怒りの発作にときとして襲われもするけれど。

「しつこい怒りが消えてなくなる本」(スバル舎)という本の宣伝が朝日の朝刊に載っていて、ああ、またインチキな啓発本か、と思いつつ、一応検索してみると、やはり中身の薄そうなハウ・ツウ本の一種なのが分かる。装丁からしてそうだ。別にこの本にいちゃもんをつけるつもりはなく、こんな本の内実はどう云うものかが分かっていながらも、本の内容まで検索してしまう自分のいまの心境があまりよろしくない。

時折、激情の領域に属する怒りの発作に襲われるときがある。こういう瞬時に、他者に因縁でもつけられると、非常にアブナイことになる。相当な実力ある格闘家でもないかぎり、僕には相手を組みふせるだけの体力と腕力と喧嘩の技術と気力が備わっているからである。日常生活の次元における個人に向けてのル・サンチマンがいかに無意味で、自分をダメにするものであるかは、身に沁みて分かっている。だからこそ、裡なる怒りは常により大きな権威や権力に胡坐をかいた人間たちや組織に対して向けられるし、そうであれば、冷静に怒りの情念が鋭角的な批判力ともなって、論述することにはそれなりの説得力があるようにも思えるのである。

しかし、いつも個としての人間の怒りを批判力へと昇華させることが出来るのか、と云えばそうではない。具体的な人間、具体的な出来事に対するえも云えぬ怒りの発作が出て来ることもある。もう、こうなるといけない。僕の人生など、まっとうな生の軌道からは逸れまくりだけれど、それでも、切ったはったの世界に嵌り込んだわけではない。過去のいっときの政治的お祭り騒ぎの折には、どうにもこうにも暴力を抑え込むこと自体が難しく、ぶっ飛ばした人間は多いにせよ、20世紀後半の、あの時代には誰もが幾分は、日常性の軌道から逸れた時代ではあったから、まあ、この時期の暴力的行為は免除してもらうとする。

その後、まともな生き方をしようとして、世の中に出てから、今日に至るまで、いくつかの忘れえぬ怒りがある。正確に云うと、心の状態がよろしくないときに、もっと具体的に云うならば、自分が他者の存在が信じ切れなくなり、そのことで落ち込んでいるときに、あまりにも明晰なかたちで、怒りの対象になった人物や事象が甦ってくるのである。まったく自制心が自己の中から消失し、怒り心頭に達するわけで、自分をとりまくあらゆるものを瓦解するまで、うち砕きたくなる。当然、そんな最悪の事態にも、何らかの自制が働くようで、本など読む気もないし、いっこうに頭に入らないことばかりにて、テレビ番組の中でも最もつまらないバラエティを観ながしていることになる。観ているようで、何も観てはいない。たぶん、こうすることが思考停止の状態をつくるのに都合がよろしいのである。人生の晩年にもなって、こういう心境に陥るのが、情けなくも、悔しい限りである。

たぶん、僕は自分の中の孤独感を持て余しているのであろう。ある出会いがあり、信じるに足る人間だと判断すると、(無論、その判断の根拠は客観性に乏しく、直感的な要素大なのだから、当然、その人間の実像を多いに見誤ることもあるわけだ)必要以上に入れ込んでしまう。世の常として、この種のきっかけで、波長が合う人間なんて、一部の例外を除いて、殆どいないに等しいから、ひどい裏切りに遭うことは必然である。僕は懲りもせずに、こういうことを繰り返してきたのだろうと思う。結果は、怒りの蓄積である。執念深くはないから、その中には手ひどい金銭的損失をもたらされた輩もいるけれど、自分の調子が崩れることがなければ、まずは自己制御の範疇である。とは云え、崩れさるときもある。そうなると自己の存在理由に大きな疑問符がつくことになり、自己消滅の道をひた走る。いくつになっても、自死の可能性を払拭できないのは、こういう理由があるのだろうか、とも思う。現在の生は、云わば死に損ない、たまたまの生き残りの結果である。だから人が死を決意することの意味はよく分かる。また、生き死にの言葉をちらつかせても、生を捨て去る覚悟がない人の真意もよく分かる。

僕は人は何が何でも生きるべきである、などというテーゼを振り回す輩を信じない。こんな世界などまっぴらごめんこうむると時折毒づくような人の言葉の方を信じる。おそらく精神的には不健康ということになるのだろうけれど、それでよいのではないか?いつなんどき生の崩壊状態が到来しようとも、またその度に生きる意欲を喪失したとしても、ぜいぜい息切らしながらも、自死以外の避けがたい死の到来まで生き抜く過程で、少しは歓びも実感できるだろうから。それでよいではないだろうか?生きることなんて、そういうことではないのだろうか?こんなことを書くと、人生に対して、無頓着なほどの前向きな人々には、眉をひそめられるな、確実に。それでもいい。今日の観想として書き遺す。

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長野安晃

○ただ、おまえがいい。

2011-07-28 23:29:04 | Weblog
○ただ、おまえがいい。

いまは、すべてのカドがとれて、ええおとうちゃんみたいになってしまった中村雅俊だけど、デビュー当時、とくにこの歌を歌ってテレビドラマの主人公として活躍していた頃の中村は、先の見えない、心的には無目的に限りなく近い状態のまま閉塞しつつあった時代に、社会という、学生時代とは別次元の世界に飛び出そうとしていた若者たちに、大いなる勇気を与えてくれる、あるいは、そういう幻想を与えてくれる役者だった、と思う。同じ質の、いくつかのシリーズ番組を通して、中村は破天荒(といってもとても限られたものだったけれど)な青年を演じ、それぞれの主題歌を歌ったが、その中で特に深く記憶の底に眠っているのが、主題歌の題名なのか、単なる歌詞の中の言葉なのかは定かではないが、「ただ、おまえがいい」というイントロからはじまるこの歌だったのである。

うろ覚えの歌詞の一部を再現すると、「ただ、おまえがいい、煩わしさに投げた小石の、水平線の軌跡の中に、通り過ぎてきた青春のかけらが飛び跳ねて消えた。その照り返しを、頬笑みを、映しているおまえ~」なんてことだったと思う。勿論、当時の若者受けする恋歌だが、中村雅俊主演ドラマの内実と合わせて聞くと、生きることを考えつめて、生がどうにも煩わしいものだと感じてもいるけれど、それでも、えい!と手につかんだ小石を投げるように、心のあり方を変えようとする。その瞬時に青春という、特別の時間の中を生きてきた自分の生の軌跡も、それが生のかけらに過ぎないにしても、決して無意味でもなく、全否定すべきものでもないことが胸に落ちる。無論、青春のいっときの輝きは砕けて飛び跳ねて消失してしまうものであるにしろ、きっと、自分の青春のかたちは、自分の中なのか、誰かの心の中なのかは定かではないにしても、記憶の底に残り続けるものに違いない。この歌詞は、そんなふうに語りかけているような気がして、僕にとっては、忘れ得ぬものになった。映像と歌の旋律と中村雅俊の歌声は小さな組曲のごときものとして心の底に沈殿してもいる。「ただ、おまえがいい」とは、僕にとって、忘却の彼方へと捨て去るべきではないもの、換言すれば、若き頃に感得したすべてのものたちが、残像としてでも心の片隅に焼き付いているもの、という認識なのである。少なくとも僕にとっては、恋歌に託した大切なメッセージと同時に、幼い恋の行く末の見えなさ、先が見えないことによって惹起される不安感と不全感の、苦く、甘酸っぱい若さの残像そのものとして居座り続けている観想なのである。

「ただ、おまえがいい」という認識のありようは、この世界には、数えきれないほどの価値意識があるけれど、暗中模索しつつ、もがきながらたったひとつでも自分にとって意味あるもの、あるいは意味ある人との遭遇の価値を見据えることのできる能力ではなかろうか?そんなことは誰にでもできる、と豪語する人は幸いである。しかし、僕に言わせると、殆どの人間は、生の猥雑物にまみれながら、生の只中に在って、ひとり孤独に、自分にとっていったい何が大切なのだろうか?という自問をする瞬時が繰り返し現れ出るのではなかろうか、と思われてならないのである。たぶん、こういうことを考えているから僕はいつまでも自己のエイジングの実体と、観念の未成熟さというインバランスの只中に放り込まれているのだろうか、と慨嘆するのだろう。しかし、しかし、である。このインバランスの中にも、生の意味を見いだせる可能性は大いにある、とも思ってもいるのだから、なんとも、自分の存在自体がインバランスそのものなような気がしないでもない。みなさんは、どのような想いを抱いて日々をお過ごしなのだろうか?

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長野安晃

○池井戸潤の「下町ロケット」

2011-07-27 10:00:31 | Weblog
○池井戸潤の「下町ロケット」

池井戸潤の作品の特徴は、昨今めずらしいほどに、読者をすぐに彼の世界の中に誘う才能に溢れているところだ。一般に、こういう作家をストーリー・テラーと呼んでいるが、その意味においても、日本の内外を問わず池井戸の創作のレベルは非常に高いと僕は思う。

池井戸が、「鉄の骨」という作品で直木賞候補になったことを知って、当然その年の直木賞は池井戸のものだろうと信じて疑わなかった。が、結果は白石一文の「ほかならぬ人へ」に直木賞をさらわれた。いったい、直木賞の選定基準はどうなっているのか、信じられぬ思いで事の成り行きを見守った覚えがある。というのも、白石一文も以前から僕の中では、高い評価を下している作家として認識されている。が、初期作品にみられたような、環境に翻弄されながらも、閉塞した自己を解放していくような白石独自のイニシエーションを狙いにした作風が弱くなっていた。とりわけ、「ほかならぬ人へ」は、読了し得なかったくらいに退屈な作品だったので、「鉄の骨」を抑えての直木賞受賞作品などと聞いても、まったく選考委員のバカさ加減を疑うばかりの印象しか残っていない。池井戸の「鉄の骨」は、NHKの5回連続のテレビドラマになったが、あのドラマは出来が悪かった。主人公の青年が、大手ゼネコン相手に、無力感を抱きつつも自社に誇りを持って生き抜いていくプロセスが、まるでドラマの中では単なる添え物のごとき扱いで、「鉄の骨」という作品から骨を抜いたような、作品の支柱を取り違えた作品に仕上がっていた。あれでは、池井戸が気の毒だなあ、と思いつつ、出来の悪いレプリカを目にしているような気分だった。

さて、それでも池井戸は腐らずに「空飛ぶタイヤ」を書き、それも直木賞候補作品となり、たぶん、渾身の力を傾注して、勝負に出たのが第145回直木賞受賞を我がものとした「下町ロケット」だ。作品のベースは、「空飛ぶタイヤ」から「鉄の骨」のテーマに立ちもどったものだ。一流の研究者が、国家プロジェクトとしての宇宙船打ち上げの失敗の責任をかぶって、研究者から稼業の中堅企業の社長に転身してからの、大企業相手のしたたかな闘いの記録。闘いの末に、自社製品が世界ベースで通用することを証明した経緯が、この作品のモチーフである。

池井戸潤の作品の魅力は、権力に守られた、権力に胡坐をかいた人間たちよりも、市井の人間の知恵の集積の力の方が、時として国をも動かすような強靭な知性と実践力を持ち得ることを描き切るところにある。さらに言うなら、池井戸作品の主人公や主人公をとりまく人間たちが、ひとりひとりの思惑を超えて、自信と確信を持ち、団結することで、自分たちの力量をさらに高めていく、という筋立てに徹している。ある意味、すでに失われてしまった感のある、人間の大切な価値観を思い起こさせてくれるファクターを常に作品の中心に据えることで、作風を斬新さとは対極の位置に置く危険性を孕んだチャレンジングな創作姿勢に徹している。「鉄の骨」といい、「下町ロケット」といい、作品の題名すら、この平成の世にかすかに残っているかも知れない上質の価値観を、作品の中で再構築しているかのようなのである。人間が、これまでの価値観をかなぐり捨てて、他者の英知につき動かされる動機を描くことが池井戸の狙い目だ。人の信念の強さや、人情の厚さや、価値観の違う人間どうしが、同じ高き目標に向けて一致団結することの意味と、そこから生み出される爽やかさな人間の生きざまを、屈折することなく実直に描き続けている作家。それが池井戸潤である。池井戸の作品を未読の方は、少なくとも「鉄の骨」と「下町ロケット」を読むことをお勧めします。どうぞ楽しんでください。

京都カウンセリングルーム
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長野安晃

○愚にもつかないことなんだけど。

2011-07-24 01:41:19 | Weblog
○愚にもつかないことなんだけど。

書くほどのこともないか、と思いつつ、案外と、この種の思い込みや間違いで、人間が常識とも、世論とも、価値観とも云っているものの原型をかたちづくってしまうことが多いのかしらん?という感覚を捨て切れず、いま、こうして書いていると云う次第。

午前から午後にかけての、少々くだけた報道番組(と云えるかね、あれが)で、なでしこジャパンの活躍の跡づけをしつつ、無理矢理話を広げてしまったときのぶざまな出来事。話は、なでしこジャパンが、一躍日本中の花形となり、もてはやされていることと、1964年の東京オリンピックとの比較だった。金メダルを日本にもたらした女子バレ―チームの「東洋の魔女」と、なでしこジャパンの命名の一致点をこじつけたわけである。そこまではまあ、つまらない話題で済む。この手の番組にありがちな話の広げ方だし、話題づくりの方法なんだろう。それは構わないと思う。

ところが、なんで、なでしこジャパンなのか、という説明をし始めて、さて、話は当然、「東洋の魔女」の語源に行き着く。司会者とは別の、小太りの報道関係担当者が得意げに喋る。原稿内容は、この番組スタッフ全員で知恵を絞ったのだろうし、いつもの、あまり賢くはない解説者たちも彼の説明に、えらく納得していたふうだった。この小太りの担当者は何と説明したか?「東洋の魔女」という命名をしたのは、日本に中継に来ていたアメリカのテレビ番組のアナウンサーだそうな。それがまたムリムリのこじつけだ。彼曰く、「アメリカのアナウンサーは、日本女子チームの回転レシーブに舌を巻いて、オリエンタル・ビッチ(Oriental Bitches)と叫んだのが、語源なんだと。おもしろきことに、ちゃんと解説らしきことまで言ってのける。ビッチ(女子チーム全員を指しているんだから、当然Bitchesと、複数形で言ったはずだろうね)は、あまりよろしくない表現だが、日本チームの大活躍があまりに凄まじく、アメリカ人としては、悔しい感情が、ビッチと叫ばせたのだろう、と。そう思っても仕方がないほどに彼女たちがすばらしかったという理屈らしい。アホウやな。

いまどきのアメリカのアクション映画では、むしろこの手の卑猥な言葉が普通に飛びかう。しかし、考えてみれば分かることだ。1964年のアメリカは公民権運動の真っ盛り。女性の権利の獲得も、社会的差別構造をぶっ潰す運動の中で、フェミニズム運動として開花している時代だ。公共の電波で、あの時代に、テレビアナウンサーが、悔しまぎれにでも、ビッチ(Bitches)なんて言ったものなら即刻クビだったろう。なんできちんとした取材をしないで、とってつけたような思いつきのこじつけをやらかすのか?こういうことの、危険で、ええ加減さが、大衆の価値観とやらをしばしば歪めてしまうことを報道番組の制作者も、出演者も自覚的でなければならない、と僕は思う。

確かに、大松監督率いる日本女子バレーチームの凄さにアメリカ人アナウンサ―も舌を巻いたことだろう。しかし、彼/彼女(どちらかは知らないが、たぶん、こういう言葉を吐いたと錯誤させるのだから、男なんだろう)の驚きは、間違いなく、事のはじまりから、「東洋の魔女」と叫んでいたのだ。彼は間違いなく、こう叫んだ。オリエンタル・ウィッチ!(Oriental Witches! )と。思い込みとは怖ろしいものだが、それにしてもこのこじつけはいかにもおかしい、と、さすがの番組制作者も思ったのだろうか。「東洋の魔女」という命名は、当時のソ連の誰か(誰か、ですよ!)が言ったことがはじまりなんだと訳の分からぬことを付け足す。逃げの手ですな。

人間はときとして、信じられない思い込みをしてしまう。大抵は根拠なきもの。しかし、こんな陥穽が人を殺人者にもしてしまう。たくさんあるのではないですか、歴史の中では。今日の観想として書き遺しておくことにします。

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長野安晃

○忘れてはならないこと。

2011-07-21 17:12:11 | Weblog
○忘れてはならないこと。

いまや、よほど特別で濃密な関係性がない限り、菅直人という人間を認める人は殆どいない、と云っても過言ではないだろう。また、同時に菅直人を認めないということに加えて、なぜこのような状況のもとで、首相という座に居座り続けられるのだろうか、という慨嘆の声が途絶えることもない。無論、現状の自分自身への信頼喪失、民主党へのそれを政治的に判断して、衆議院解散を断行すれば、まずは自分自身が落選する可能性大だし、民主党そのものの解体にまで行き着かざるを得ないのではないか、というような、政治家としての計算が現在の居座りを自己正当化している、という見方もあるのだろう。けれど、僕は違うと思う。菅直人のスタンドプレーも、政治的サボタージュも政治家としての無能性も、それらすべての負の評価は、菅直人という政治家としての力量の次元では推し量れないものがある。もしも、菅直人個人の人格が破綻しているのだ、という視点を組み入れれば、現在の不可思議極まりない彼の言動の意味が理解出来るような気がするのである。それを認識するには、彼のこれまでの数多くの失策をすべて書き連ねる必要はない。過去の一つか、二つくらいの出来事を思い出せば、すべてが胸に落ちるような気がするのである。さて、忘れてはならぬこととして、ここに書きとめる。

15,6年も前のこと。当時菅直人は厚生大臣だった。世は、O157というウィルスの氾濫で、騒然としていたときのこと。O157の発生源の特定が進まなかった。さまざまな要因の分析が厚生省でも検討されていた最中に、菅直人は聞きかじりのデータ―をもとに官僚の忠告を無視して、唐突にカイワレ大根が、O157の発生源だとマスコミに垂れ流した。市場からカイワレ大根が姿を消した。風評被害というなら、これこそが風評被害だろうに。カイワレ農家の多くが破産、離散し、自殺者が出る。大騒動だ。菅直人は、ここで人を殺しているのである。その後O157の発生源は、カイワレ大根ではなさそうだ、と云うことになり、カイワレ農家をまとめていた当時の組合が、政府ではなく、菅直人個人に対して損害賠償請求を起こすことになった。菅のいじましさが働いてのパフォ-マンスは、テレビの前で、満面の笑みを浮かべて、カイワレ大根を食らって見せることだった。しかし、裏ネタとして知るべきことは、当時関東圏には、菅のパフォ-マンスのためのカイワレ大根ですら手に入らない状態だった。菅はノンキャリアの官僚を密かに使って、関西圏にまで、結構な額の税金を使って買いに走らせたのである。あのときのテレビで、笑顔で食っていたカイワレ大根は、そんなふうにして手に入れたものだ。己れのためのスタンドプレー、己の保身のためのパフォ-マンス、人殺しさえ合理化してしまう犯罪者を、日本は総理大臣にしてしまったのである。東日本大震災と、それによる福島原発の事故、その後の被災地復旧の遅れ、原発再開の指示とストレステスト導入というどんでん返し、等々。これらは、菅直人が首相としては失格者だというような認識では説明がつかない。また、同じ種のスタンドプレーはすでに起こしている。そうであれば、彼に政治家としての才覚のなさを云々する前に、人格の壊れをその主因と考える方ことのほうが、よほど理にかなった解釈ではなかろうか?

菅直人の手がらのように言われることが多いのが、薬害エイズ訴訟に関わって、厚生省に眠っていた、国側にとって不利な資料を公表し、患者側に陳謝したという事件。しかし、これも週刊誌にスッパ抜かれている。この資料はすでに厚生省の官僚が患者側との和解について、内密裡に和解資料として患者側に伝えていたものを、マスコミに公にしたというのが、そもそもの下りだ。すばらしきかな、小賢しきスタンドプレーヤ―、菅直人!非情なるかな、菅直人!薬害エイズ問題は、国の敗訴が決定的であることを内部的に知ったゆえの、ええとこどりだ。それに比して、同時に厚生省が抱えていた、薬害B型肝炎訴訟に対しては、彼はまったく関心すら持たなかった。政治的サボタージュの典型例だ。忘れるべきではないね、僕はそう思う。

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○なでしこJAPANの優勝が、僕に教えてくれたこと。

2011-07-18 11:01:56 | Weblog
○なでしこJAPANの優勝が、僕に教えてくれたこと。

サッカーにはあまり興味はない。これはサッカーがつまらないスポーツだというような理由ではなくて、たぶん少なくとも僕にとっては、世代的な問題なのだろうと思う。僕たちの世代のスポーツとは、どう控えめに思い出しても、草野球が運動、遊びの代表格だったから。サッカーが学校の体育の授業に組み込まれたのは、たしか中学生の頃になってからだった。体育の先生も手探り状態だったと思うし、指導する視点がなかった。いまはテレビで観ていて、サッカーという競技にもきちんとしたポジッションというものがあり、それぞれの役割があることが分かるようになった。しかし、僕たちの世代のサッカ―は、高校にでも進学して、サッカー部でやらない限りは、たぶん、サッカーボールをひたすら追いかけて、味方も敵もみんながひと塊りになって走っていた記憶しかない。だからつまらなかったのだ、と思う。そもそもスポーツ競技において話題にされるのは、運動神経とやらだが、最も重要なのは、ほんとうは考える力だし、そういうものを要求されるのが運動競技だとも思うので、サッカーに対する興味が抱けなかったのは、ひとえに己れのバカさ加減が主な要因だ。今回のなでしこJAPANの活躍の跡をテレビで観て、猛省した。

さて、日本時間の今朝、なでしこJAPANのワールドカップの優勝が決まったが、彼女たちの優勝を願いながら、あのアメリカに敗北しても、十分がんばったのだ、というような論理を心のどこかで用意していた人は意外に多かったのではなかろうか?負けてもすばらしかった、という反応の仕方を空想的にリハーサルしておいて、やっと過剰な緊張感と期待感を和らげることが出来たように思う。

しかし、なでしこJAPANは、あくまで強靭だった。競技のレベルにおいても、精神のレベルにおいても、凡人の無責任な心配など吹っ飛ばすくらいに、彼女たちひとりひとりが強かった。あれだけ実力が拮抗している両者の、どちらかが競り勝つ最も重要な要素とは、やはり精神の強さだろう。競技技術も体力も同じとするなら、(たぶんこちらの要素にしろ、アメリカチームの方が実質有利だったも思う)あとは自分に耐えられるだけの精神力以上にかかってきた負荷を凌駕する力でしかなかろう。誤解されると困るのだが、僕は決して、世に云う精神主義者などではない。僕の規定では、世間並みの精神主義とは、ありもしない実力を、あたかもあるかのように振舞わさせる強制力ということになる。そんなものに価値を置くこと自体が馬鹿げていると思う。

なでしこJAPANに学ぶべきことは、僕にとっては、己れの精神の怠慢さがどこから来たものであるか、ということを認識させてくれたことだ。僕は、あるいは、数多くの人々は、たぶんに自らが、己れのあらゆる生の可能性に対して、安易に限界値を勝手気儘に決めてしまう傾向がある。人間の力量などというものは、無限大の可能性を秘めているなどというのは、裏返った精神主義なのであって、そんなことを言っているのではない。僕が再認識したのは、人間には、可能性を広げたいという希求がある一方で、自ら己れの可能性の限界を何の根拠もなく見定めたいという欲動があるということだ。たぶん、こういうことが内面で起こるのは、生きることにまつわる怖れが原因なのだろう。挫折の怖さを緩和しようとする萎えた精神性だ。意識的なのかどうかは無論分かりはしないが、なでしこJAPANのメンバーの誰もが、結果的に自分を甘えさせる萎えた精神性を、どこかの時点で確実に超越してしまったのだと僕は思う。それこそが、今回の大躍進をもたらした主因だろう。彼女たちから学ぶべきことは多い。この歳になっても。みなさんはどうなのだろう?

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○追記:草間彌生

2011-07-17 22:57:41 | Weblog
○追記:草間彌生

草間は、80歳を超えてなおかつ創作意欲旺盛な抽象画家だし、自分の作品が日本は云うに及ばず世界中で高い評価を受け続けていることを素直に歓ぶおばあちゃんに見える。しかし、彼女の心は10歳のときに発病した統合失調症との闘いの連続であった感がある。彼女自身が後年語っているように、常に自殺と向き合わねばならなかった芸術活動の結果としての作品群が、草間の存在そのものと言って過言ではないだろう。

草間彌生が単身渡米したのは、アメリカが最も富んだ、そして、その繁栄の裏面に抱えていた差別の問題、政治的矛盾の渦中で、公民権運動という大きなうねりの只中でもがき苦しんでもいる社会背景を抱えていた時代である。25歳という若き、野心多き草間の初期の作品群は、遠目に観ると、展示されている壁と同化しているかのように見えて、しかし、近づけば、一つの繊細な図柄が無限に広がっていくかのような、それはまさに草間の裡なる宇宙が、胎動気にあり、いまにも爆発しそうな無限の可能性を感じさせるものである。同時に、草間の自死への希求という、危うい爆弾を抱えた創作意欲がもたらした繊細過ぎる精神の躍動そのものでもある。アメリカ社会が自由の破綻に直面する頃、草間はボディ・ペインティングというジャンルで脚光を浴びる。しかし、当時の彼女の創作の方法論は、時代の趨勢には合っていたが、時代に認められたわけではない。

帰国して、草間はマスコミに叩かれた。性の放縦さという話題性は、大衆受けする下賤なタイトルにスリかわって報道された。草間はまさに干されたのである。彼女は自らの精神の凹凸に苦しめられる。創作意欲の減退と長年の入院生活。彼女は芸術の表舞台からほぼ完璧なかたちで締め出される。細々とした創作活動の果ての20年後に、草間の作風は大胆な抽象化が前面に押し出されるような変化の兆しを見せていた。彼女の脳髄の中の宇宙を想起させる水玉模様の横溢と、晩年のピカソの色使いと、縄文文化を想わせる図柄のモザイク的作品群が、草間彌生の辿りついた世界である。自死との対峙と宇宙への回帰は、彼女の裡では、矛盾なく同居している。草間の作品は今後も増え続けることだろうが、作品の傾向は、閉塞していくベクトルとしての死と対極にあるような、無限の広がりをもった宇宙的視野を具象化する過程そのものであろう。かつて自死への怖れを抱いた若き才能は、無限の生成を生みだす宇宙への憧憬へと拡大し続けることだろう。草間彌生の健康を祈りつつ、今日の観想として書き遺す。

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○よろしくないこと。すばらしかったこと。

2011-07-17 01:24:47 | Weblog
○よろしくないこと。すばらしかったこと。

京都はもう今日は山鉾巡行の日。暑苦しい。息がつまりそうだ。よろしくないことが二つ。一つは、京都の街中は、至るところ歩行者天国。どこをどう勘違いしているのかは知らないが、歩行者天国でもない普通の路を誰憚ることなく横に広がって歩く輩が多い。自転車に乗っている者としては、当然、危険だから呼び鈴を鳴らす。するとどうだ!アホウなおっさんが、下品な声でオラ―と怒鳴る。自転車で通り過ぎたからいいようなものの、理性で抑えるのが困難なくらいに、腹が立った。もう一つ。アマゾンのページにJavariという靴のネットショップがあるのをご存じだろう。そこでは過去に何足も靴を買っているが、一足だけ足に合わないものがあり、諦めかけていて、とりあえず問い合わせてみたら、一年以内なら、全額返品に応じるというから、一度しか履いていないので送ったら、8400円の代金の10%しか返金しないというメールが来た。返品に関する注意書きを読んでみたら、使用済みのものは、返金額が10%なのだと書いてある。が、たとえ何度も使用したものであっても、たった10%程度の金ほしさに誰が返品するのだろうか、ね?実際には一度しか足を通していないのに、使用済み扱い。まるで詐欺商法ではなかろうか。文書にしていれば、何でも法的に有利だと言わんばかりだ。こういうことならば、友人にでも差し上げる。バカにしている。みなさんもネットショップで靴を購入される方が多いとは思うが、
Javariだけは、お薦めできない。殆ど詐欺商法に近いと思うからである。

すばらしかったこと。これを先に書くべきだった。草間彌生の特集をテレビで観た。天才画家だが、彼女は10歳のときに統合失調症を患って、現在84歳で、ずっとその病を引きずったまま、絵を書き続けている。40歳半ば以来、20年くらい殆ど忘れ去られた画家だったが、現在は、草間の作品は世界中に展示され、高値で売れ、世界の抽象画家の代表的な一人として認知されている。青森県は、草間の作品を街中に散りばめて、街おこしの目玉にしているくらい有名な画家だ。盆踊りは草間の水玉模様のオブジェのまわりで、草間お気に入りの真っ赤なボブのカツラを被っておばさんたちが踊る。ともあれ、彼女は、世界の草間として評価されている日本の数少ない抽象画家だ。病と歳のせいだろうか、歩くのも不自由で車椅子。ともかくしんどそうなのだが、いざ作品に集中するや、手許が狂うなどということは一切ない。次々に珠玉のごとき作品が生み出される。なによりすばらしいのは、これだけ世界に認められていれば、少しは傲慢なところが出てくるものなのだろうが、彼女は、自分の作品が評価されると、素直な少女のように喜んでその評価を受けるのである。そして、作品は一旦描き終えたら、当然のように草間の手から離れて、輝くような芸術作品になる。そういう目で自分の作品をいとおしそうに眺める草間の表情は歳老いて、なおさら美しい。無論作品はさらに美しい。素直で欲得などさらさらないように見えて、創作意欲に関してはあくまでどん欲そのものである。何のためらいもなく、彼女は抽象画家として世界一になるのだ、とぼそっと口にする。それがとても自然で、そこに彼女の天才性を見る想いがする。草間の名言は数多いが、「わたしは、ここにいるけど、いない」という言葉は、草間の創作と病に関わる深い絶望でもあり、かつ、希望でもある。つまりは、彼女の作品の中に草間その人の芸術性は確かに在るが、しかし同時に、その芸術性は、完成すれば草間の個性が普遍化され、彼女の水玉模様の画風は、宇宙の彼方へと凄いスピードで飛び立っていくような存在であることの証左。宇宙の彼方への飛翔の言葉として、僕の裡に入ってきた。少なくとも僕は、草間の上記の言葉をそのように解釈したい、と思う。病との闘いそのものが、草間の芸術作品を生みだす原動力でもあるように見える。ずっと生きて、沸き立つような水玉模様を僕たちに投げかけ続けてほしいものである。今日の観想とする。

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○自分が生きて、こうして書いていることが信じられないね。

2011-07-12 16:32:53 | Weblog
○自分が生きて、こうして書いていることが信じられないね。

ただやみくもにブログを書き綴ってきて、結構粘着質に書いたことの結果がすでに1000を超えるとなると、書くこと自体を単にやけっぱちなんていうような言葉では済ませられないものを感じる。このように書くのは、確かに書きはじめの頃は気分的にはやけっぱちという感情が最も妥当な言葉だったからである。自分の気持ちの持っていきどころなく、ただただもがいていたからである。しかし、そのうちに、書き綴ることが、自分の生の総括という、まことに勝手な位置づけをしてしまって、殆ど執念のごときものに変わっていったように思う。無論、書き始めの当初から、心理カウンセラーが書くべき内実とは無縁のものであったことは、ことわるまでもない。


少なくともブログとして書いたものは、カウンセラーとしては、マイナス評価がつくものが多いとも感じる。さらに言うならば、カウンセラーとして必要な心理学の知識や経験などというものは、あくまで表層的なものであって、困りごとを抱いて僕のところに来られる方々に対しては、これらは大して役には立たない代物であるということも機会ある度に書いた。だから、僕がクライアントさんたちと対峙するとき、何が勝負どころかと云えば、文学的・哲学的考察を通した洞察力。これひとつだけが自分の拠りどころと云って過言ではない。想い返してみれば、精神分析学の大家たるフロイトも、精神分析の実証的な報告をたくさん残してはいるが、それらは殆ど失敗例だ。厳しめに見ると、成功例はたぶん、一例だけなのではなかろうか。そもそもフロイトにいまだにその存在価値があるのは、彼の文学的・哲学的論考があってのことだろう。それが現代文学に多分に持ち込まれていることを否定する人はいない、と思う。こじつけかもしれないが、その意味において、僕自身のカウンセリングの武器が、文学的・哲学的考察を通した洞察力(無論心理学はひとつのツールとして認識しながら)が根幹に在るのは、当然の帰結だと言えなくもない。

さて、ここまでが前置きである。今日書きたきことはもっと卑近なことだ。僕は、もうすぐまた一つ歳をとる。58歳にもなる。数日前に年金に関する説明書が送付されてきた。23年間私学の教師を勤めて、それ以降は国民年金。また国民年金の払い忘れかしらんと思いつつ、封を切ったら、なんと教師時代の共済年金が僕の場合は61歳から支給されるのだと。22年の共済年金の掛け金期間が一区切りなのだと書いてあった。ぎりぎりだ。大した金額ではないが、それにしても僕らの世代は支給年齢が65歳からだ、と聞いていたので、不思議な気分だ。まあ、支給されるならば、自分が掛けたものだ。無論頂く。が、同時にまじか?という想い。おれって、そんな歳になったんだっていうような。歳だ、歳だと言ってきたが、実際年金支給年齢なんて聞かされるとかなり情けない気分になるのは、具体的な加齢の証拠を突きつけられたようなものだからだろう。メメント・モリ(死を想え!)なんて何度か書いてきたけれど、同様に具体的な己れの死の時期を告知されたら、やはり人並みに落ち込んだりもするんだろうなあ、とも思うわけである。結局おれも人並みかいな、と感じつつ、その瞬時に、それでよいではないか、と思い至った次第。それこそ、自分は何さまよ!人と同じように歓び、哀しみ、苦悩し、挫折し、また這い上がりの連続だったではないか。少々の特異な生き方をした時期があったことが、自分が人並みではない、という長い間の錯誤の迷宮へと誘い込んだ要因なんだろうな。つまりは、僕はこれまでずっと、人並みか、あるいはそれ以下なのに、どこかで、自分が特別な存在だ、などという傲慢な気持ちを抱き続けてきて、だからこそ、絶望感も大きく、幸福な気分から見放されてきたのだろう、ということだ。アカンね。人生の総括が、その名にまるで値しない。58歳にしてこの気づき。凡庸だね。いかにもアホウだ。今日は、そういう報告です。こんなものしか書けず、ごめんね、読んでくださっている方々!

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○さて、もうすぐ誕生日。人生、仕切り直しだ!

2011-07-08 15:45:31 | Weblog
○さて、もうすぐ誕生日。人生、仕切り直しだ!

などと言いつつも、自分の年齢は出来ることなら、明記したくはないという想いが強くなってから何年生き続けているのだろう。自分のことを普遍化するだけの値打のない生き方をしてきたが、敢えて自分の中の加齢について少しグチる。

何をもって、人生の成功者といい、何をもって、人生の敗残者というのかよく分からないが、あまり深く考えなくてもイメージできる成功者とは、他者に対する影響を与え得る仕事及び活動をしていること。また、与え得る影響力が他者の進歩に繋がること。その意味では、悪しき権力者は成功者という定義から最も遠いところにいる。具象的には、社会的・経済的基盤をつくり、今後の自分の生活に何らの経済的不安定要素がないこと。仕事上創り上げた人脈が、その仕事を離れても立ち消えることなく生きていること。私生活上は、いくつかの過ちがあっても、家族の中の自己の存在価値が確実に在ること。これを人生の成功者と一応定義する。逆に人生の敗残者とは、こういう定義と真逆かあるいは、かけ離れた生の延長線上にいる者のことと定義してみる。簡単に云ってしまえば、僕の中では社会的成功者と敗残者の区別のつけ方とは、このようなものである。特に目新しいものでもなく、ありふれた考え方に過ぎないと自覚している。


さて、そうであるならば、自分が年齢を積極的に口にしたくなくなっている生の晩秋の時期に立ち至って、自己の生の総括を前記した二つの乱雑な定義のどちらに入るのか、と深く自問するまでもなく、僕は明瞭な人生の敗残者である。敗残者であるからこそ、視えるものがある、などとは、口が裂けても言わない。反対に視えないことだらけの、いまが在る。

語り口調を変えます。ならば、黙して語らぬ潔さを今後は生の指標にして、生を閉じるか?アカンのです。これが出来ないのです。負け犬の遠吠えでも、より遠くまで届くような遠吠えが出来るように訓練したい、とむしろ思うわけで、その意味においても人生の敗残者中の敗残者と言えるのではないか、とグチりたくもなるわけです。さて、この手の人間は何度も絶望の淵に立ちますが、アブないこともありながら、這い上がって来てもいますから、加齢するごとに少々のことでは折れないようになってはいます。無論、敗残者ゆえの弱きの虫に悩まされない日はないくらいで、一日のうちでも何度となく気分の浮き沈むがあるものですから、自分を平静に保つことがひとつの仕事でもあります。僕が現在行き着いた仕事には、敢えて欠かせない要素ですから、ある意味、本来の仕事の前に、自己の内面における仕事を片付けねばならないというわけです。なんとも手間暇がかかります。

人生の仕切り直しだ!と書きましたので、このあたりを少々。僕の私生活は、数カ月後には激変します。瓦解と再構築という課題に立ち向かわねばなりません。はっきりとしていることは、まだまだ、このような人生の変化に立ち向かえるエネルギーは確かに僕の裡にあって、敗残者なりの生をまっとうしてやろうという意気込みは強くなるばかりなのです。失敗だらけで、人に迷惑ばかりかけている人生であることには変わりはありませんけれど、失敗から学んだ果実を少しばかり他者に分け与えることは出来そうですから、何とか生きてはいけます。アラカン(還暦前の人間をこう呼ぶのだそうです)なりの前の向き方で、人生に再挑戦です。がんばります。報告まで。

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○国会議員の収入の一覧が新聞に公開されていたけれど・・・

2011-07-05 16:08:31 | Weblog
○国会議員の収入の一覧が新聞に公開されていたけれど・・・

こういうことになった経緯の詳細は失念したが、自民党時代に国会議員が選挙費用と称して、その実大枚の資産を築いていたことの誤魔化しが効かなくなって、野党の追及もあり、資産公開というかたちに踏み切ったというのが、ことの推移ではなかっただろうか。あまりにおおざっぱな解釈なので、政治に詳しい方からの叱責を買うやもしれないが、どうも、僕の中ではこのような理解になっていて、それで、その結果を見るとウソだらけの、内実の伴わない報告書を天下の大新聞の大部の紙面を割いて公開しているのだから、個人的な観想を言わせてもらうと、なんでこの種の低次元の茶番のために、もっと知りたきことおおきこの時代に、なんてアホウなことをやっているのか、という慨嘆になる。

この種の報告書とは素人の誰の目にも明らかで、何故明らかなのかと云えば、国会議員の給与所得及び不動産関係の公開をしても、たとえば不動産などは、庶民の家よりも資産価値のないものばかりと相場が決まっている。しかし、実際に彼らが住んでいる館のごとき家は、いったい資産公開されないようにどうやって操作しているのかと考えさせられるし、また彼らの報告どおりの給与で、なんで赤坂の高級料亭に月に何度となく出入りできるのだろうか?と素朴な疑問が湧いてくるし、ああ、それは、議員のナントカ対策費とやらから捻出してくるしかないわなあ、とまたまた深き慨嘆をしてしまう。身銭を切って飲み食いしているとは到底思えない、というのがまともな感覚ではないだろうか。政治的な機密主義を大事にするなら、各々の議員宿舎か、会議室で弁当でも食いつつ話合いをすればいいだけのことだろうに。盗聴などが気になるなら、専門家に調べてもらえばよろしいし、高級料亭が、高級たるゆえんはどの議員がどんな話をしたのかを決して外に漏らさないという建前だと聞くが、それが主目的ならば、金がかかり過ぎるし、庶民にしてみれば、生涯縁なき美食などする必要などないではないか、ということになる。どのようなかたちであれ、そういうところでぶちまけられているのが、我々の血税だ。無駄に使ってもらっては困る。後援団体あり、実質的なトンネル会社ありで、資産の実質はまったく見えては来ないが、それにしても、国会議員の議員報酬が、公表されたものだけを考えても、あれだけ高いわけで、さらに云うと、国会議員たちが、現実に働いているのかまるでわからないし、有象無象の多くの議員たちが、有望議員の野心を通すだけの、数の論理のための存在に甘んじているとしたら、あの議員報酬はやはりいかにも高すぎる。それになによりも、国会議員の数が多いから、税金は湯水のようにこぼれ落ちる。菅直人のアホウが実りなき70日間の国会延長を自身の延命のためにやっているから、課題は復興支援だのという緊急課題のように見えるにしても、まとまる法案は殆どないだろう。この間、街のインタビューで、今回の国会延長をどう思うか?とアナウンサーが問うたら、大阪の二人のおばちゃんが、お互いの顔をみながら、なあ、あんた、国会を一日やったら、1億円かかるんやで~!無駄なお金は使ってほしくないわ~!と言っていた。1億円の根拠は知らないが、たぶんそれくらいの金が浪費されているのは想像に難くない。

今日、松本龍復興担当相が辞任した。それにしても、被災地の知事たちと会っていた模様がテレビ報道されていたが、ひどいものだった。まるでタチの悪いヤクザ同然。恫喝としか受け取れないもの言い。傲慢を通り過ぎて、この人はほんとにバカなんだな、と思わざるを得なかった。こういう人は国会議員になどなってはいけない。そもそも閣僚として、入閣させた菅直人の人を見る目のなさは、度し難いものがある。野党は、菅降ろしにあまり躍起になると、復興支援よりも自分たちの都合ばかりを優先させていると国民に見られかねない、という怖れを抱いているようだが、こんな首相を頂点に置いている日本が、まっとうな復興支援など出来るはずがないし、放射能汚染における世界の目が光っている。また、いまはそれなりに海外の支援もなんとか取り付けられても、バカが首相だと、長期に渡る復興支援の協力など到底引き出せはしない。官僚の言いなりにならない、というのが、菅の口癖だったけれど、官僚にとっていま最も都合よき首相は菅直人その人だ。大切なことが国民に知らされない。当然、経済復興には最も悪しき指導者だ。野党は菅降ろしをもっと真剣にやるべきではないのか?そうでないと、自己保身という誹りを受けることになる。

頓挫したとはいえ、菅が苦し紛れに大連立構想なるものを主張したが、いまのこの時期に、一国の首相たるもの、口にするべきことではない。こういうことを、<なしくずし>というのである。国として、<なしくずしの死>を死ぬべきではないのである。なしくずしという言葉は、かの天才作家のセリーヌだけが使ってよい言葉ではないか、と思う。菅直人は、どうせ仕事などしていないのだから、セリーヌの「なしくずしの死」でも読めばいい。セリーヌのように誤読されて反ユダヤ主義者などと言われることもない。菅さん、あなたには、何の才能もないからね。

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○血縁という鎖について想うこと。

2011-07-02 14:04:51 | Weblog
○血縁という鎖について想うこと。

いかに多くの人々が、血縁という人間の関係性に支配されているのか、昨今まことによくわかるのである。自分のこれまでの人生を振り返ってみると、それなりに恵まれた血縁の中で育ってきたようにも思うが、また、それと同じ質量で血縁というものの裏切りに遭った絶望感の深みを見てきてもいる。結論的に言えば、僕の場合は、もはや血縁というものに対するいかなる思い入れもない、と断言できるのである。

自分が男ゆえに、とりわけ醜悪に思えることは、次のようなことである。いくつになっても、自分の母親の支配下に置かれて、それでよしとしているような、所謂マザコン男になり下がるよりは、むしろ孤高に生きる方がどれほどマシかしれたものではないということなのである。母親と娘の関係性が、支配ー被支配という共依存として語られることが多いのに、マザコン男に関しては、意外に深き精神の病であることが、母子ともに認識がない。これはいかにもおかしなことだ。マザコン男を自称する人間で、唯一あっぱれだと思うのは、才人のたけしくらいのものである。正確に言うと、たけしの場合は、マザコンなのではない。彼の母が、出来すぎた女性だっただけだ。厳しいが、優しみに溢れたまなざしで、子どもを育てた豪胆な女性のようだから、時代と環境に恵まれていたら、日本を動かし得たかも知れないほどの人格だろう、と思う。だから、たけしが、自分をマザコンだと言って憚らないのは、ひとえに、実母に対する比類なき尊敬の念があるからだろう。

血縁とは、確かに一人の人間の成育歴の中から取り除くことの出来ない要素ではある。だからこそ、その内実が問題なのである。父、母から自立するというのは、両親の影響を受けながらも、自分が関わった人間関係の中から、父、母の価値意識とは異なるなにものかの要素を獲得するプロセスそのものではなかろうか。したがって、多くの人々は、自立とは、思春期を通り抜ける際の、ある種劇的な内面の変質をともなった価値観の編み換えが起こることだと思っている。それもごく短期的な出来事のあれこれだと錯誤している可能性がある。しかし、実際はそうではなくて、自立とは、思春期が、スタートラインであり、その時点から死するまで永続する精神的成長の別称である。したがって、自立という概念は、人間にとって、生きている限り、より高みを目指して乗り越えるべき絶壁のごときものでもある。

言葉どおりのマザコンは、見ていていまいましいほどの情けなさ、自己主張のなさ、母の庇護なくば、大切なことは何一つ決定できないか、あるいは、夫婦や恋人との約束事でも、母が介入してくれば、真逆のことだって素直に?それを受け入れる。傍にいるものはたまったものではないだろう。「人間は鎖に繋がれた存在である」というのは、ジャン・ジャック・ルソーが「社会契約論」で、当時の世界の仕組みを見事なまでに解き明かした有名な言葉だが、マザコン男とその母の支配の関係性とは、鎖と云えども、腐れ果てたそれである。錆切った、時には、ところどころでぶち切れた鎖である。足蹴りにしようと思えば、いつだって出来るのである。が、支配する者、支配される者たちは、切れた鎖を拾い集める。悪しき絆、憂うべき血縁の関係性。ここに自立という概念が入り込む隙間はない。

血縁なき人間もさびしい。しかし、そのさびしさには、孤高を誇ろうとする心性も確かに在る。しかし、腐れた血縁に救いをたらたらといつまでも求める人間には、互いに甘えた心性だけが在る。これを一般に依存といい、支配ー被支配の依存関係を共依存とも云うのである。哀しいかな、人間の依存的絆?の行く末は。そこに光はないのだから。今日の観想として書き遺す。

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