ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

棄てる(9)                          小田 晃

2021-09-14 20:41:23 | 文学・哲学
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 まず必要なものは、エアコンだ。家電量販店で一番安いのを買おう。それからペットボトルの水を箱買いしておこう。最小限の食べ物として、ノンカロリーのコンニャクゼリーをかなりな量確保しておく必要がある。味つけの人工甘味料が心を少しは宥めてくれる。身体を出来るだけ永くかけて徐々に弱らせながら死に至らしめることで明晰な思考力を保ち、書き続けることを目指す。これがオレなりの餓死のあり方を考えた結果である。また、死後の状態の醜悪さを少しでも回避するために、エアコンを最低温度に設定してかけ続ける。電気代はオレの残りの預金通帳に残った金で支払えるだろう。さて、後は強烈な下剤で腸内の消化物を排泄し尽くし、体力があるうちは自分でトイレで用を足すが、いよいよ足も萎えてしまったら、後は介護用のおむつに頼ることにする。これも自分で取り換える気力があるうちは役には立つだろう。自分が考えていることを生きた証として書き遺し、身体のどこかの動脈を切ったり、飛び降りたりして、一瞬にしてこの世界から去るのも死に方としてはいいのだが、それでは肝心の死の淵にいる自分の思考がどうなるのか、そのことを気力を振り絞って書いたとき、どのような風景を見ることになるのか、というオレの最も大事な目的は達せられないのだ。オレの死に方はやはりこれしかない!
 地中に埋められて即身仏になろうとする僧侶は、何も食さず水も飲まず、意識が薄れる直前まで念仏をとなえるだけだから、たいした計画も要らないだろう。しかし、オレは時間をかけて餓死する必要がある。出来る限り最小限度に少なく食べること、給水を抑えながら、死の淵を彷徨いつつ、オレの自死の証としての思索を永く書き続けることが必須事項だ。いま強く想うことは、所詮才能などとは無縁の最期の抗いとしてのオレの思索にも、何ほどかの清廉さが加わることを期待したい、と心からそう願うばかりである。
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 死への旅路に向かう準備をすべて整わせるまでにいくつか計算違いの出来事があった。下剤を大量に呑んで全てを出し切ろうとするが、どこまでが全てなのかが分からないのである。いくら排便しても便の色はあくまで便の色をしていて、オレが漠然と考えていた透明に近い色にはならないのだ。それに加えて、予期せぬ腹痛が何度も襲ってきた。耐えがたいほどの痛みだが、これを耐えずして死には向かえないと覚悟して何とか耐えている。いまだに腹痛は残ったままだ。苦しい!服装は一つしかない上下のスエット。こたつ机に原稿用紙を数百枚用意した。部屋の温度は18度に設定したので、インクが固まってボールペンが書けなくなることもないだろうが、念のためにボールペンを10本ほどと、両側を削った鉛筆を1ダース、シャープペンシルも何本かは用意しておいた。オレはエアコンの真正面に陣取った。座椅子と体重が削げ落ちて座ることが苦痛になると、そのことに気をとられかねないので、分厚い座布団の上に座った。さて、これで準備万端である。死に至るまで何日もつか、ということと、限られた時間内にどれだけのことが書けるのか、ということがともすると矛盾点として頭の中を飛び交ったので、死の淵を彷徨しながら絞り出すオレの最期の思考を書き留めるのだ、というテーゼを何度も再認識しなければならなかった。オレにとって、最も情けなかったのは、いま、ここに至っても自分に課した本来の目的を何度となく言い聞かせなければならなかったことである。
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 どれほどの時間が経過したのか、もはやわからない。書くペースが徐々に鈍り始めてきてから、数日間はまったりとしたペースで書き綴ってきたのだろう。時折頭の中が空白になり、自分がいったいいま何をしているのか?ということを思い起こすのに時間がかかるようになってきた。こんな状態でも息絶えるまであと1週間はもつだろうと予測してみるが、そのことに何の根拠もない。漠然とそう思うだけだ。
 想い起せば、幼い頃の自分のことは、両親の言うことを事実と認識するしか自分を知る方法がない。自意識が芽生えるのは幼児期を過ぎたずっと後のことだからだ。両親が語るオレの幼児期像によれば、オレは疳の虫が強く、何かと手がかかったらしい。夜も寝つきが悪く、夜泣きの日々だったそうだ。オレは幼児の頃からずいぶんと神経過敏で扱いにくい子どもだったらしい。自意識が芽生えた4,5歳くらいの頃から、オレは人が嫌いだとはっきりと認識していた、と想う。両親は人見知りがきつかったと言うだけだが、それはオレが他者を受け入れがたいほど人間嫌いだったからに他ならない。同時にオレは、オレ自身のことが最も嫌いだった、とも思うのである。両親が交通事故で亡くなって、自分の中の父親像や母親像が明確にならないのは、たぶん、オレは両親のことさえ嫌いだった、と断ぜざるを得ない。オレはそもそも最も原初的な人間関係である家族をすら嫌悪していたわけである。いまこうしてオレなりの「死者の書」を書いている自分が誰からも認められず、誰をも認めようとせず、これ以上の自分の生の存続そのものに意味を見出せず、命を中断させようと試みているのは当然の帰結なのだろうと認める。両親が生きていたところで、つまらない大学に進学し、ありふれた職業について全く違う家族をもうけたにしても、やはり家族は崩壊し、同じような今日を迎えていることと推察出来る。その意味で、いま死の淵に立ってこれを書いていることにどのような意味においても何の後悔もないのは当然のことかも知れない。
 両親のことについても幼い記憶を辿りながら思い起こせることがある。オレには父と母が和やかな家庭という空気の中で生きていたとは思えない。子どもながらに、二人はあまり仲がよくないに違いない、と密かに怖れていたことが記憶の断片として残っている。特に父親には子どもとして可愛がってもらった記憶がまるでないのが不思議なくらいである。オレたちの時代にはよくあった光景だが、父子がキャッチボールをするという経験も一切ない。あるいは家族旅行にも行った記憶がない。両親の交通事故死は、父の運転する車が真夜中のだだっ広い堀川通りの電柱に激突し、車は大破して、二人は即死状態で搬送先の病院で息をひきとった、と近所の人から聞いた。
 父は平凡なサラリーマンだったが、上司との折り合いが常に悪く、家では常にむっつりと押し黙っている存在だった。彼の気持ちは容易に想像出来る。自分が職場の無能な上司たちの言動や命令に耐えているのは、ひとえに家庭があるために耐えざるを得ないという、強い怒りの中に身を置いていたのだと思う。不機嫌な空気が支配する空気の中で、両親の関係性も劣悪だった。そんな環境下で育つ子どもが頼るべきところは家庭の中にないのは当然だが、大げさに云えば、世界の中のどこにも存在しないのも同然だった、と想う。母親も母性の薄い女だった。愛せない夫の子どもは、たとえ自分が産んだにせよ、彼女の場合は愛せなかったのではなかろうか。少なくとも彼女はそういうタイプの女だったと皮膚感覚で覚えている。
 離婚する、しない、という喧嘩腰の言葉が飛び交うことはしばしばあった。その時のオレの偽らざる気持ちは、離婚しないでくれ、という想いなどすでになく、二人が離婚したらオレはどちらの側にひきとられるのだろうか?という憂鬱な疑問の只中にいたのである。正直に告白すれば、オレはどちら側であれ、片方とだけで暮らすのは御免だという気持ちでいっぱいだった。父、母に別れてほしくなかったのは、二人の冷たい気持ちが夫婦のままで分散されている方がまだましだ、という意味合いだけだった。
 両親の交通事故死は、明らかな証拠はないが、オレには漠然とはしているが何ほどかの確信があった。両親の死を聞かされた瞬時に感じたことは、二人の死は無理心中ではないかということだった。いまの状況に立ち至るまでは言葉にさえしたこともなかったが、ここに確たる証拠はないにしても、オレの洞察として書き遺しておくことにする。
 死の直前、父は自暴自棄だった。自分の将来に一条の光さえ見えない状態だったと、父の言動からオレは中学生ながらも心の深いところで諒解していたのである。両親が何故真夜中に車で出かけたのか、その理由はまったく分からない。が、真夜中に車で出かけると言い張る父が何をしでかすか?何となく母には分かっていたのだろうか、愛の消え失せた夫婦の間にも、二人にしか分かり得ない心的領域があったものと思われる。母は愛や心配のためというよりも、父が他人を巻き込むようなことをしないかと心配していたのかも知れない。二人の車の中の会話を想像しようとしても、短すぎる対話しか思い浮かばない。それはオレの想像の中では多分こうだ。
―オレが独りでドライブに行くと言っているのに、何でお前が助手席に乗り込んでくる?
―理由なんてない。でもあなた一人で行かせる気にならなかっただけよ。あなたを押しとどめようなんて思ってもいないわ。
―・・・・・・・・・・(父に言葉はない)
―私、つくづく思ったの。もうあなたとやっていくのは限界だって。だから、思い切り二人で話し合うには車の中がいい。それに真夜中でもあるし、ドライブしているなら大声を出しても誰にも聞かれないから。
―オレは独りきりで逝くつもりだった。しかし、おまえの言葉を聞いて心が定まった。残念だよ。死ぬ前にお前からそんな言葉を聞かされるとは思わなかったからな。お前にもオレの死につき合ってもらう。
 その言葉を聞いたときの母の表情は想像に難くない。怖れで顔は痙攣し、硬直さえしていただろう。思い切り踏み込んだアクセルで車の速度は最高速になり、父はそのまま電柱の方目掛けて急ハンドルを切った。大破し、ガソリンが燃料タンクから漏れて車は炎につつまれた。
警察から事故(オレには無理心中だ、と分かっていたが、そのことを示す証拠など何もない。それにこのいきさつもオレの洞察が生み出した物語に過ぎないのかも知れないのだ)の知らせを受け、死体安置書に連れていかれたが、係の警察官はオレが部屋に入るのを止めた。担当警察官のいたわりだったのか?焼け焦げた両親の死骸を中学生のオレが見なくても、オレのDNA採取と家に残っている遺留品の数々から両親の身元は簡単に証明出来たからでもあるだろう。両親ともに親兄弟のいない人間だった。両親の無理心中の日からオレは文字通り天涯孤独の身になった。その後から今日に至るまでの道程はすでに書いたとおりだ。生きてきた足取りだけを追ってみると、いかにも何もない人生だったと心底想う。
(31)
 1週間も経過すると、いよいよ身体に異変が生じてきた。空腹感はとっくに感じなくなっている。ここに来て、驚いたことに目に異変が起こってきたのである。まず、視界がぼやけることからはじまり、焦点が定まらなくなり、視野が極端に狭くなってしまった。まあ、オレにとっては、あともう少し原稿用紙に書き遺すことが出来ればそれでいいので、死を前にすれば身体の状態はこんなものか、とすぐに現状を受け入れた。さて、これからだ。すでにこんな歳になってしまった自分が、自らの個人的体験と意識の中から一般化出来ることを拾い出し、書き遺そうと想う。かなり急ぎ足で書かなければ、自分に残された時間が尽きると実感出来るだけの崖淵まで来てしまった感があるからである。まだ、自分でトイレまで這って用はたせる。四つん這いで動くだけで頭がボーとなるが、トイレからもどると、コンニャクゼリーを一つとペットボトルの水を口に入れる。まだ、くたばれない!
(32)
 オレのテーマは、「人間が認識する世界とはなんぞや?」ということをオレの主観を通して一般化してやろうという試みだ。一般化という概念が客観性を持たねばならないものなのに、オレの目論見はむしろ真逆の側―主観―から世界を一般化してやるのだ。普遍化とはさすがに言いづらいが、ボキャブラリー上は同じカテゴリーに属するものだろう。取りあえずは、オレが考えやすい方が「一般化」だったというだけのことだ。
 改めて「人は世界に投げ出された存在である」と定義づけたい、と想う。その意味で人はこの世界に生まれ出た瞬間から孤独であり、孤立無援である。祖父母がいて、父、母がおり、兄、弟、姉、妹、それにかなりな数にのぼる親族がいる中に、現象的には守られて生まれて来ると思い込まされている。が、それはたいしたまやかしである。そういう幻想に包まれることで、この世界に孤独に投げ出された自分の存在そのものに耐えられない。耐えられないから人は幻想の中で生きようとする。大抵人は、自=他という他者との信頼関係や絆を拠り所として世界に立ち向かう。いや立ち向かえると信じたい、と云う方が正確だろう。お前の家族が特殊だったからだろう、とすぐに反論しようとする人々はいるだろうが、オレの家族の特殊性こそが、オレと世界の関わりのあり方の全容を考えるきっかけを与えてくれたのだ。
自分は家族や親戚や子どもや友人、知人、仕事仲間などによって、自分の立ち位置がきちんと定められているのだ、と素朴に信じているのなら、それでもよい。いずれ自分が如何に一個の人間として、世界に投げ出されているかが分かる時が来るだけのことなのだ。それは個人の時間差だけの問題である。何故ならオレがいま書いていることには敢えて云うが一般性・普遍性があるとオレは自分の生から学んだからである。そして、学びの中から気づいたのだ。人生の深遠さは、必ず孤独を伴ってやって来るものだということを。それに気づける時期が人によってさまざまだ、ということも。
 人間とはこの世に生を受けた瞬間から世界に投げ出された存在であるとオレは言った。しかし、たとえ投げ出されて生まれて来ても、自分を取り巻く世界には必ず自分を受け入れてくれる「場」がある、と信じ込める人々は幸いでもあり、同時に物事の真相に気づこうとしない、という点で不幸である。
なぜわざわざこんなことを言うかと云えば、人間は例外なく自分が安全なところにいるという幻想は、必ず剥がされるときが来るからである。この種の幻想に気づくこともなく、生涯を閉じる人はオレの感性からすると不幸な人々である。理由は簡単である。真実に生涯一度として向き合うことなく、人間社会という虚偽的共同体に騙されて生きて、死んで行った人々だからだ。それでいいじゃないか、と居直る人々は多いが、こういう人々は生の一断面からしか自己の人生を見なかった人だと思う。そうであれば、オレから言わせれば、この人々は幸福も不幸も本当のところは知らずにこの世界から去っていくことになる。こんな残念なことはないのではないか?いま、死を前にして、こうしてお節介過ぎることを呟き、書き記している自分がそれほど嫌ではない。自己のことをこれほど肯定的に感じたことは殆どない。
 自分のことをある意味肯定的に捉えるときが、餓死という自殺の過程で訪れるとは人生はなんと皮肉なものか、と思わざるを得ない。
特に思春期を迎えた頃から、オレは年齢に見合わぬ本の世界に埋没するようになった。日本の作家で云えば、白樺派の作家たちの優雅な人生観や恋愛観の虜になった。それ例外には太宰治の一連の作品から、生まれの良さを無理に退廃させようとするデカダンスの魔力が醸し出す魅力に夢中になった。想えば、オレに内包されたかのような日常への退屈感は、太宰治の作品から受けたデカダンスの影響が強いのではないか、と今更ながら想う。実際のところ、オレはデカダンスに目覚めてから、毎日が退屈で仕方がない、と感じるようになった。この頃、すでに平凡な毎日をいかにすればメランコリックなものになるのか、ということばかりを考えていた。おかしな少年だったと想うし、これを書き終わろうとしているいまもそうなのだから、オレの頽落への憧れは並みではなかった、と言えるのではなかろうか。
フランス語なんて出来なかったから、フランスものは翻訳に頼らざるを得なかったが、堀口大学訳のボードレールの詩集はすばらしかった。「パリの憂愁」は、まさにオレ自身の心象風景にすり替わったと言っても過言ではない。とはいえ、ボードレールに惹かれる度合いが深くなればなるほど、オレ自身の頽落への憧憬や日常生活の退屈さは、深まるばかりだったのである。
 高校生になると同時に、アルベール・カミュを発見した。カミュの諸作品から、「反抗の論理」の本質を垣間見る想いがしたのである。まるで低次元の抗いだったにせよ、オレは世の中の不条理やオレ自身の日常との折り合いのつかなさに対する対抗措置として、カミュに頼った記憶が強く残っている。神に反抗しながら、終わりなき苦役を強いられるシジフォスの強靭な精神性を自分の中に取り込もうとしたが、その副作用のようにオレはますます気難しい人間になってしまったように想う。だいたいは、自分の能力に見合わないものを模倣しても必ず失敗するし、その反動は予測し難い状態で自分を苦しめる結果になるということだけはここに書きおきたい。
(リアルにオレ自身の最期を迎えるにあたって)
 そろそろ2週間が過ぎようとしている。死期が近づくにつれ、水分だけは補ってきたが、買い置いた水はまだずいぶんと残っている。空腹をごまかすためのコンニャクゼリーはすでに尽きたが、幸いと云うか、空腹はまったく感じない。体内の細胞という細胞から、生命を維持するための栄養素が染み出していくようだ。そのためか、身体は痩せ細っている。体内の力は殆ど残ってはいないが、不思議なことにトイレには何とか行ける。四つん這いになってではあるけれども、下の世話は出来ているのはオレにとっては幸いである。死後の身体の腐敗を抑えるためにエアコンを18度に設定しているために身体は急速に冷えて来ている。しかし、寒さを感じることはない。もはや生命を維持するための身体の機能そのものが消失しているに違いない。死後の自分の始末や部屋の整理については出来る限りやり尽くしたつもりであるが、そもそもオレの人生のすべての出来事が中途半端であったから、綺麗な終り方にはならないに違いないが、それは許していただこう、と想う。
 
 意識が朦朧としてきたようだ。ペンを持つ力ももはや殆ど残っていない。最後に書いておく。重複することかも知れないが、それでも書いておきたいことだと感じるからである。
 オレがすでに書いたこととは矛盾しているように見えるかも知れないが、人間は生まれた瞬間から世界に投げ出された存在でありながらも、同時にオレの裡なる人間存在における本質的な在り方と相矛盾するように、人は他者との絆を求め、現実に人間の絆はあると錯誤するのだが、そのことがそもそも人間の不幸の根源だ、というオレなりの生の解釈に誤りはない、と確信する。
もっと書きたいことがあるとオレは想っていた。が、こうして、死の準備をしながら、自分の脳髄を絞り出すように書いてみると、オレの考えていることなど本当にタカがしれていると思い知った。たぶん、これが、オレが書き遺す最後の記述になるのだろう。

 目は開けているが、目の前は真っ暗だ。電気はついているのに何も見えない。寒さは感じないが、自分の手足に血が通っているとは思えないほど身体は冷たい。意識が薄れてきたのが分かる。人は死に際にしばしば過去の出来事の断片が走馬灯のように駆け巡ると言う。たぶん、オレも例外ではないと思っていたが、どうやらオレはやはり例外だと感じざるを得ないのである。オレに見えるのは、見えるというのは矛盾かも知れないが、「闇」そのものだ。真っ暗闇という甘い概念ではない漆黒の「闇」である。これがオレに相応しい最期の原風景だろう。オレは漆黒の「闇」から生まれ、漆黒の闇の中に帰る・・・・・       
                                 完


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