1973年という年は僕が大学生になって、ようやくしばらくは落ちつけるわなあ、とため息まじりに、とりわけ嬉しさもなく、人生の中で短い執行猶予を下された罪人のような少々後ろめたい気分に浸っていた頃だった。とは言え、こんなことは付け足しだ。どうでもよい。
この73年という年は、韓国でも屈指の政治家として尊敬していたキム・デジュン氏が来日しているホテルから拉致されてその姿を忽然と消した。当時の韓国はパク・チョンヒ大統領が中央情報局(悪名高いKCIA)を使って、実質的な独裁者として韓国に君臨していた時代である。新聞報道を頼るまでもなく、僕は直観的にこの仕業はパク・チョンヒ大統領が、たぶん彼にとって最大の目の上のタンコブであったキム・デジュン氏の殺害を狙ってKCIAに命じてやらせた事件だ、と確信していた。勿論拉致に到る詳細など分かるわけもなかったが、政治的な動向から考えれば、そうとしか解釈出来なかった。しかし、それにしてもこのときの日本政府の対応はまるで国際政治感覚ゼロの状態で、何らの有効な捜索手段も講じることが出来なかった。国家としての体裁がまるでなっていなかった、と何だか妙に僕は恥じるばかりだった。実際にキム・デジュン氏を殺させなかったのはアメリカ政府の強烈な韓国政府に対する圧力があったからである。アメリカにとっても、パク・チョンヒの独裁体制には目に余るものがあったのだ、と思う。それにしてもキム・デジュン氏という政治家は、運の強い人だと思う。勿論自己の強運を引き寄せたのは、彼自身の政治家としての手腕ゆえのことだろうが、世界的に見ても政治的手腕があっても命を落とした政治家は歴史上数え切れないほどいるではないか。
キム・デジュン氏の無事が韓国で確認されてからも、彼はその後大統領になったチョン・ドファンの命令によって、所謂「光州事件」の首謀者として逮捕され死刑判決を受けた。この時ももうダメか、と思って殆ど諦めに近い気分でマスコミ報道を注視していた、と記憶する。この頃はキム・デジュン氏は何て運の悪い人なのだろう? と正直、気の毒に思っていた。
後ろでアメリカ政府のパク・チョンヒ忌避の思惑があったにせよ、当のパク・チョンヒ大統領自身が、部下の軍人にピストルで暗殺された。政治の世界とは条理性とは無縁の世界なのかも知れないなあ、というのが僕の当時の偽らざる観想だった。その後キム・デジュン氏は釈放され、何度かの大統領選で惜敗し、彼の政治家としての命運もここまでか? と思っていたら、何とキム・デジュン氏は大統領に成り上がった。その上ノーベル平和賞まで受賞した。やはりキム・デジュン氏は不屈の精神を持った強運の政治家だ、とつくづく思う。
それに比べ、「僕の友達の友達がアルカイダなんだなあー」と外国人記者クラブで平然と言ってのける鳩山法務大臣は、素人以下だ、と思う。自分の発現が一人歩きする、ということの意味が分かっていない。いやむしろこの人には国際感覚などに興味がないのかも知れない。日本国民に向かって、海外からの入国者を今後さらに厳しく制限したい、ということだけが言いたかったのかも知れない。そうであれば悪質な確信犯だ。政治家のレベルと言うより、人間的なレベルがキム・デジュン氏とは天と地ほど違う。これが日本の政治レベルだ。安倍前首相の不格好な退陣劇が特別なのではない。日本の政治が政治のプロ集団によって営まれていない、ということなのだろう。キム・デジュン元大統領の日本政府に対する「私への人権侵害だ」という批判に応えなくてはならないだろう。福田首相はこの発言に対して何らかのアクションを起こすべきだ。少なくともキム・デジュン氏との対談くらいは企画し、謝罪すべきだろう。ダンマリを決め込むのは日本の政府の悪しき癖なのでこれだけは避けてもらいたいものだ、と心底思う。
それにしても、キム・デジュン氏に名誉博士号を贈った立命館大学は、二つの意味で賢い。一つは、こういう人に対する評価をすべきことを見識として持っていること。もう一つは、これほど有効な大学の宣伝はない、ということである。僕がかつて勤めていた、かの女子学園にこんな発想はどこをどう探しても生まれては来ない。「誰でもいらっしゃい!」と、高い新聞広告費を払ってかえって値打ちを下げている。何の未練もないだけに、かの女子学園の無能さに哀れみさえ感じる。これが今日の観想である。
○推薦図書「危ない現実」 栗本慎一郎著。学研刊。この際だから、日本の戦後思潮から、湾岸戦争まで総まくりの栗本節の辛口政治評論をお勧めします。特にキム・デジュン事件には触れていませんが、世界政治の潮流がよく視えてきます。
この73年という年は、韓国でも屈指の政治家として尊敬していたキム・デジュン氏が来日しているホテルから拉致されてその姿を忽然と消した。当時の韓国はパク・チョンヒ大統領が中央情報局(悪名高いKCIA)を使って、実質的な独裁者として韓国に君臨していた時代である。新聞報道を頼るまでもなく、僕は直観的にこの仕業はパク・チョンヒ大統領が、たぶん彼にとって最大の目の上のタンコブであったキム・デジュン氏の殺害を狙ってKCIAに命じてやらせた事件だ、と確信していた。勿論拉致に到る詳細など分かるわけもなかったが、政治的な動向から考えれば、そうとしか解釈出来なかった。しかし、それにしてもこのときの日本政府の対応はまるで国際政治感覚ゼロの状態で、何らの有効な捜索手段も講じることが出来なかった。国家としての体裁がまるでなっていなかった、と何だか妙に僕は恥じるばかりだった。実際にキム・デジュン氏を殺させなかったのはアメリカ政府の強烈な韓国政府に対する圧力があったからである。アメリカにとっても、パク・チョンヒの独裁体制には目に余るものがあったのだ、と思う。それにしてもキム・デジュン氏という政治家は、運の強い人だと思う。勿論自己の強運を引き寄せたのは、彼自身の政治家としての手腕ゆえのことだろうが、世界的に見ても政治的手腕があっても命を落とした政治家は歴史上数え切れないほどいるではないか。
キム・デジュン氏の無事が韓国で確認されてからも、彼はその後大統領になったチョン・ドファンの命令によって、所謂「光州事件」の首謀者として逮捕され死刑判決を受けた。この時ももうダメか、と思って殆ど諦めに近い気分でマスコミ報道を注視していた、と記憶する。この頃はキム・デジュン氏は何て運の悪い人なのだろう? と正直、気の毒に思っていた。
後ろでアメリカ政府のパク・チョンヒ忌避の思惑があったにせよ、当のパク・チョンヒ大統領自身が、部下の軍人にピストルで暗殺された。政治の世界とは条理性とは無縁の世界なのかも知れないなあ、というのが僕の当時の偽らざる観想だった。その後キム・デジュン氏は釈放され、何度かの大統領選で惜敗し、彼の政治家としての命運もここまでか? と思っていたら、何とキム・デジュン氏は大統領に成り上がった。その上ノーベル平和賞まで受賞した。やはりキム・デジュン氏は不屈の精神を持った強運の政治家だ、とつくづく思う。
それに比べ、「僕の友達の友達がアルカイダなんだなあー」と外国人記者クラブで平然と言ってのける鳩山法務大臣は、素人以下だ、と思う。自分の発現が一人歩きする、ということの意味が分かっていない。いやむしろこの人には国際感覚などに興味がないのかも知れない。日本国民に向かって、海外からの入国者を今後さらに厳しく制限したい、ということだけが言いたかったのかも知れない。そうであれば悪質な確信犯だ。政治家のレベルと言うより、人間的なレベルがキム・デジュン氏とは天と地ほど違う。これが日本の政治レベルだ。安倍前首相の不格好な退陣劇が特別なのではない。日本の政治が政治のプロ集団によって営まれていない、ということなのだろう。キム・デジュン元大統領の日本政府に対する「私への人権侵害だ」という批判に応えなくてはならないだろう。福田首相はこの発言に対して何らかのアクションを起こすべきだ。少なくともキム・デジュン氏との対談くらいは企画し、謝罪すべきだろう。ダンマリを決め込むのは日本の政府の悪しき癖なのでこれだけは避けてもらいたいものだ、と心底思う。
それにしても、キム・デジュン氏に名誉博士号を贈った立命館大学は、二つの意味で賢い。一つは、こういう人に対する評価をすべきことを見識として持っていること。もう一つは、これほど有効な大学の宣伝はない、ということである。僕がかつて勤めていた、かの女子学園にこんな発想はどこをどう探しても生まれては来ない。「誰でもいらっしゃい!」と、高い新聞広告費を払ってかえって値打ちを下げている。何の未練もないだけに、かの女子学園の無能さに哀れみさえ感じる。これが今日の観想である。
○推薦図書「危ない現実」 栗本慎一郎著。学研刊。この際だから、日本の戦後思潮から、湾岸戦争まで総まくりの栗本節の辛口政治評論をお勧めします。特にキム・デジュン事件には触れていませんが、世界政治の潮流がよく視えてきます。