ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

棄てる(4)                       小田 晃

2021-09-09 12:31:22 | 文学
(11)
 上司の中山は抜け目のない男だったと思うが、唯一の計算違いは理恵という女を甘く見たことだろう。男と遊びまくっている女だ、オレもこの女を味わい尽くしてやろう、と欲を出したのがそもそもの間違いのもとだった。理恵という女は単なる全方位型の男狂いではなかった。彼女のゆるい股は、最もうまそうな餌を探すための有効な道具だったと断定してもよいのではなかろうか。妻子ある中山は、求めればすぐに応じてくる理恵を理想的に便利なセックス処理の対象だと錯誤したのだ。中山にしてみれば、オレのようなバカで世間知らずの部下に結婚相手として押し付けることで、危機を乗り切ったつもりでいたに違いない。しかし、理恵の食指にひっかかった最高の獲物は実は中山の方だった。
 理恵がオレとの結婚を承諾したのは中山を油断させる手段だったのである。まあ、それほどにオレは間抜けて見える存在だったというわけだけれど。会社が倒産することを見抜いていた中山は、倒産の数年前から、極秘に織物と小物とのコラボ商品の開発に乗り出していたらしい。理恵がそんな中山をオレとの結婚で手放すはずがない。オレと結婚する条件として、彼女は中山の秘書として働くことを、中山との関係を続ける条件として義務づけたに違いない。オレみたいなバカに中山と自分の関係性を見破られるはずがないと彼女は見切ったのだろう。
 オレは理恵が仕事と称して遅く帰宅することに文句は殆ど言わなかった。一方で、中山の正妻は彼の浮気に気づく。理恵はさりげなく中山の自宅にも秘書として出入りしている。この女が夫の相手だと中山の妻に知らせるために、だ。理恵の大股びらきは、小賢しい悪知恵で磨きがかかっていたのだろう。ジャン・コクトーの「大股びらき」という小説は、バレリーナが股を床に全開する姿態からとった題名だったと記憶しているが、そういうこととは無関係に、理恵は中山を略奪するために中山の子どもをつくり、(オレとのセックスは絶対安全な不妊時期以外は避妊具をつけることを強要したのは、そのためだ。オレはそれでも計算通りにいかずに理恵がオレの子どもを身ごもったのだと、すっかり信じ込んでいたのである)、理恵は、中山の妻が去る時を待ち、オレを棄てるときをしたたかに待っていたのだろう。
(12)
 女に繰られていた、という意味ではオレも中山も同じだったが、いくら差っ引いても一方的に騙されていたのはオレの方に違いない。その頃のオレの怒りは、理恵というより中山に向けられた。煎じ詰めると中山という男は、オレを見下し、オレなら理恵を押し付けても自分の存在を疑わないと踏んだわけだから。理恵に対しては、その卑しさや計算づくの生き方に、自分とは全く違う種類の人間だという想いの方が強かった。オレはそもそも人間社会に対して、人と人との繋がりという概念に深い疑問を抱いていた人間だったから、息子として育てたはずの和樹に対する想い入れがまるでないことに、自分でも不可思議な感じがしてならなかった。嫌な言葉を使えば、息子は別にどうでもいい存在だった。
 会社が倒産し、職もなくし、妻の理恵と和樹から見棄てられ、彷徨っていた。中山の方は自分の目論見通り決して大きくはないが、和装小物の業界に入り込み、いっぱしの社長気どり、理恵は社長夫人ということになっていた。時間が有り余っていたので、彼らがつくったいくつかの店舗や、市内左京区の岡崎近辺の高級マンションの最上階フロアーすべてが住まいになっているペントハウスふうの三人が住むマンションを見つけた。オレの裡に在ったのは小さな復讐心だった。中山にオレ自身の痛みの幾分かを共有させること、この想いだけしかなかったのである。中山を生かして辱めを与えるとしたらどうすればいいのかを考えた。当然オレは警察にしょっ引かれるが、そんなことはどうでもよかった。自分がかつて育てた息子の前で中山を痛い目に遭わせるわけだから心が痛むか?と自問してみたが、それがまるでないことで、改めて自分が社会不適合者でしかないことを思い知った。
 中山は夜の10時には帰宅する。何日も張り込んで確かめた。今日それが外れても、明日またここにやってくればいいだけのことだ。何せオレは暇なのだ。時間だけはたっぷりある。適度な重みのある出刃包丁を買った。和食の職人が使うものだ。オレは中山の左手の小指を切り落としてやる算段だった。たいした理由はない。痛い想いをさせるなら、その後の商売がやりづらいだろうと踏んだからだ。オレの浅知恵だ。仕事の際に中山は常に自分はかたぎなのだという装いをしなければならないのがオレには痛快だったからに過ぎない。また、その度にオレのことを思い出すことだろう。この復讐はなかなかいいと自分で悦に入った。買った出刃包丁の刃先は何度か道に叩きつけて、刃こぼれさせた。切れすぎると痛みが少ない。切れない包丁でぎりぎりと中山の左小指を切って落とす。いまのオレの生きる目的である。
(13)
 ある日の夜、ほろ酔い気分の中山がマンションの玄関を開けるのにそっと付き従った。包丁を彼の背中に突き立て、部屋までいくように指示したら、エレベーターの中の鏡に映った中山の顔は恐怖でひきつっていた。多分皆殺しにされるとでも思っていたのだろう。
 エレベーターが開くとすぐに玄関口だ。二人でマンションの中に入った。理恵の顔も恐怖で打ち震えているように見えたが、何の感慨も浮かばなかった。和樹はすでに寝ているか自分の部屋の中にいるのだろう。むしろ顔は合わせたくないので好都合だった。
 オレは理恵を買ってきたナイロンの細いロープで両手を縛り、口には粘着テープを貼った。中山には痛みのために大声で叫ばれるのを避けるために理恵と同じように口に粘着テープを念入りに貼った。オレは意識的に敢えてゆっくりと行動した。この日が来たことを実感したかったし、目的を果たせば警察に通報されようと一向に構わなかったからである。
 中山の左手を、金をかけ過ぎた台所に置かれたまな板の上に置いた。オレは時間を出来るだけかけて、刃こぼれさせた包丁で中山の左手小指をギリギリと切り刻んだ。粘着テープを通して中山の動物的なうめき声が聞こえた。理恵は叫び声を上げていたように思うが、腰を抜かしてその場にへたり込み、足許には理恵が漏らした尿が流れ出ていた。数分間かけて切り落とした小指は包丁の柄の先でグチャグチャに砕いた。後で再生手術などされないためだ。さぞかし中山は自分の切り落とされた小指がカタチを失くしていくのが辛かったと見え、激痛に顔を歪めながら気を失った。そのまま警察に捕まるのもよいと思ったが、理恵の口の粘着テープを剥がし、縛ったロープを外した。ポカンとオレを見上げる理恵の表情は自分が殺されるのではないかという恐怖感でいっぱいだった。オレにはそう見えた。しかし、オレはそのままマンションからゆっくりと出て行ったのである。
ところがすぐに捕まるどころか、中山のマンションで起こしたことは事件にもならなかった。世間体を気にしたのだろう、と思う。オレが忌み嫌ってきた世間様からオレは罪を拭われたのだ。皮肉な結末だと思った。
 数か月後に中山が働く姿を遠めに見たが、彼は闇の社会から足を洗うために多くの人がつけている人形のような指サックをつけていた。一見誤魔化しはつくだろうが、取引先の客には何らかの不信感を抱かせるだけのにせもの感は拭えなかっただろう。

○読書に関する雑感

2013-02-17 00:35:37 | 文学
○読書に関する雑感

ずっと昔から本は惜しみなく買う。お金がなくてもあっても。僕の本の読み方は、10冊くらいを同時に読みすすめていく。考えてみれば、こういう読み方は、しばしばそれぞれのストーリーのプロットが時として入り乱れ、頭の中が混乱する。混乱そのものが自分の脳髄の中で常態化するような感覚なのである。カオス(chaos)というほどのものではない。それは文字通り混乱(confusion)であり、錯綜(complication)なのである。たぶん、僕にとってのこれら、逸脱(departure)に属する感覚そのものが楽しいのだろう。これまでも、いまも、そして、たぶん本というものに興味を失わない限り、僕の読書法は変わらない、と思う。ずいぶんと前のことになるから、僕の記憶違いかも知れないが、評論家の小林秀雄の本の読み方も僕と同じようなものだと知って、少しうれしくなったことがある。天才の小林秀雄と比べるところが、怖れを知らぬアホウということの証左ではないか、と自嘲しながら嘆息したのだけれど。

何度かの引越しの度に本を捨ててしまうので、蔵書家の趣味はないらしい。だから、いま僕の手元にある書籍の量も大したものでもなく、自分の生活空間の割には、本が大手を振って威嚇的に存在している、というくらいのものだ。

読み損なう本も数多い。大抵は海外の作家の翻訳本をすっ飛ばす。たぶん、翻訳家の文体が気に入らないからだ。彼らは総じて文体を軽視するから。大抵はペーパーバックになっているくらいの作品ばかりなんだから、原文で読めばいいのに、英語を読むことのしんどさもさることながら、視線を横に動かすことに疲れを感じるのである。結果、翻訳書は日本の作家に比べて、ずっと後回しにされる宿命を背負わせられる。オリジナルと比べて違和感を最も感じるのが小説というジャンルだから、海外の小説家の作品は、本棚の二重に置かれた奥の側に鎮座ましますということになるのが必定だ。

数日前に何となく目にとまった新潮文庫の一冊が、ポール・オースターの「スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス」という二つの戯曲をひとつにまとめた作品だ。戯曲は僕には読みづらい。もともと映画少年だった僕には、文字で書かれた戯曲の存在理由がそもそも分からない。なので、たぶん、この書は間違って買ってしまったものだ。二作品ともに映画になっているので、この度DVDを買って観てみたら、実によかった。それにしても、ポール・オースターという作家の作品世界は変わっている。どこにでも転がっていそうな日常生活。どこにでもいそうな登場人物たち。でも、それらは、どこにもないどこかで起こる出来事の集積なのである。創作なんだからそれが当然ではないか、と思う以上に彼の作品世界は日常的であり、なおかつ、同時に非日常的なのである。だから、彼の作品世界から受ける印象は、「どこでもないどこかで起こる出来事」ということになる。少なくとも僕にはそのように感得させてくれる作家。それがポール・オースターだ。登場人物の誰もが、その存在の全体像が明らかにされないままに物語が進行していって、登場人物の誰一人嫌な人間がいないんだから、この作家はかなり特異な存在である。そして、何となく不燃焼ぎみに、それでいて、人は信じるに足る存在なのかも知れないという期待を持たせてくれる作家だ。決して、明確な確信を抱かせてはくれない。スモークという作品の、ブルックリンの片隅の、うらびれたタバコ屋を中心に、妙にあったかな気分を抱かせてくれる物語であるにせよ、すべての出来事が煙(ケム)に巻かれたようにはじまり、終わる。役者もいいから、ぜひ、原作よりは、スモークもブルー・イン・ザ・フェイスも映画でどうぞ。映画の途中で、たぶん、いま、僕たちが息をして、生きているこの世界がリアルなのか、はたまた、ニューヨークのブルックリンのタバコ屋の店主と、そこに集まって来る客たちが織り成す物語がリアルなのかが、分からなくなるはずだ。そもそもリアリティとはなんなのか?軽く観はじめた映画のプロットを追いながら、そんな深遠な感覚に襲われる。日常生活にちょっと倦んだら、こういう映画がいいと思います。煙(ケム)に巻かれた映画を観たら、僕の観想もそういう類のものになってしまった。まさにスモークの只中から、申し訳ないことで、と平身低頭です。

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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○あの頃のこと(5)

2012-07-09 12:56:35 | 文学
○あの頃のこと(5)

英語の教師として学校教育現場に逃げ込み、まずまずの収入の道を切り開いて、安穏としていられたのは、精一杯長めに見て、せいぜい10年内外である。もっと厳しく言うと、5.6年か。市井の人間として、生き、死ぬということは別に構いはしなかったけれど、それにしても、ものを考え、考え抜いたことを、表現手段の如何に関わらず、書き連ねていくという、僕なりの最低限の覚悟のようなものが、教師になってからの数年のうちに見事なまでに摩耗していった。これは自分でも驚愕に値することだった。そうであれば、出来ることは何か?知識のすそ野を自己満足的に、可能な限り広げていくことである。あらゆるジャンルの本を読みあさった。はたと気がついてみると、こういうタイプの人間って、本当は学校社会には必要な人材だとは思うが、現実の場においては、口うるささが加速されただけの、無用の長物だということが心底腑に落ちた。学校現場における矛盾や不合理な諸点は、当然のことながら、日本社会、とりわけ経済や政治と密接に関わっている。無論僕の大嫌いな日本共産党(共産党員の皆さん全てを忌み嫌っていたのではなくて、こんな時代にいまだに民主集中制の看板を降ろせない、石のような頑迷さが嫌いだっただけである)に所属する教員もおられたが、彼らの主張は、赤旗の論説文そのままで、僕に言わせるとまったく説得力がなかったのである。特によろしくない政党だとは思わないが、ともかく政策綱領が古すぎる。なのに選挙となれば、世の中の風潮に簡単に妥協するから、やはり政党なんかの下っ端で活動などしたくもないな、と思うばかりだった。それに僕の政治思想は、かつては、日本共産党とは真逆の立場にある反代々木系(若い人はまったく知らないね。でも、こんなことは知る必要もないことだから)の左派でもあったことだし、共感する土壌がないからね。

どうでもよいことが、長くなり過ぎた。僕が教師という存在理由を見失いはじめたのは、そもそも教師という存在は、取り残されていくものに過ぎないという深い気づきだった、と思う。こういうことに居直って、目先の賃金で妥協出来る人はそれでもよい。が、僕の場合はだんだんと生きる気力をなくしていったと言っても過言ではない。かつての同僚には申し訳ないことだが、彼らがどうひかえめに見てもアホウに見えた。日本共産党員の教職員のみなさんが、仕事以外にいろいろと活動されていたのも認識している。ところが、彼らも僕の目から見ると、反権力を装った党権力に従順なだけの人々のように思える。一緒に行動することもなくはなかったが、大いなる違和感を感じてもいたのを否定することが出来ない。世襲制の寺社の次男、三男たちが力もないのに宗教法人が噛んでいる学校へやって来る。僕の就職時期だけが一般公募だったから(僕の採用を後悔したからだろうね、当然)、その後は、一般公募が打ち切られ、理事長面接(当然のことだが、僕のときはなかったね)時に、親鸞精神に忠実になるかどうかの踏み絵を踏まされる。この段階で、優秀な採用者が何人も辞退した。中にはまともな人もいたが、総じて、たぶん一般社会では通用しないだろう、という人々ばかりが、採用された。その中でも、これは教師になってはいけない素材だろう、と思っていた人が、風の噂では、教頭さんになったのだそうな。まあ、あんなところに、定年までいようとしたら、僕はガンかなにかの難治の病気で、定年のずっと前にこの世にはいなかっただろうな。体内にガン細胞を発症させられる実験中のねずみみたいなものだっただろう。

教師をやっていて、嫌だなと思ったことはしばしばだったが、その決定打となったのは、既述したが、取り残された感の最たるもの。それは、何年も前の、ある日の、卒業生の訪問だった。卒業生というには、時折懐かしがって、僕みたいなひねくれ者にも会いに来てくれるのである。英語に限らずよく出来る、賢い個性だった。当然、やりがいある仕事についているだろうと思い、質問したら、彼女は、日本で出版されている英文紙(JAPAN TIMES)の編集委員なんだと。僕は当時、いきがって、英語科の同僚たちに英字新聞か英文雑誌くらいは読まないとダメだ、と吹聴していたのである。ところが、である。卒業生が、そのひとつの記事媒体に、記事を書き、編集委員まで登りつめていたのである。誤解なきように言っておくが、僻みや嫉妬の念は皆無。賞賛と驚嘆あるのみ。そして、自分の力量のなさをしみじみと味わった次第。教師という仕事の内実に嫌気が決定的にさしたと同時に、自分自身の力量に見切りをつけなければならない切なさにはかなり厳しいものがあった。

教師を辞めてから今年で12年目だ。ドタバタ劇の果だが、辞めてよかったといまは思う。辞めていなければ、いま、まだ、あの場に定年まぎわの人間として居座っていることになる。そんな自分の姿を想像だに出来ないし、敢えてイメージ化してみたら、身の毛がよだった。辞めるべくして辞めた。それが僕の教師人生のありようだ。定年まぎわの自分が教師でないことを幸いと思う。

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長野安晃

○物事の理解を曖昧にすることなかれ。その2

2011-10-12 16:20:29 | 文学
○物事の理解を曖昧にすることなかれ。その2

いつぞやは、同じお題で、ある知人のご夫婦の話を書きました。簡略なる続きです。

現象的な問題に関しては、上記の原稿を読んでいただければよろしいのですが、ここから抽象化できることは、やはり何と言っても、物事の理解を曖昧にすることの意味、あるいは、物事を曖昧なかたちのままに放置しておく心境についてでしょうか。さらに付け加えれば、曖昧な了解とは何ものをも生み出せない代物であるということでしょう。

もう少し敷衍して書きましょうか。ある現象が曖昧になるというのは、自然発生的にそのようになるのではない、ということです。特に、人間の関係性に関わる事象に関しては、そう言えます。結果的に事の理解が曖昧になるのは、当事者が意識的・無意識的を問わず、理解することを拒否しているということです。理解するとは、事の本質に目を向けようとする意思そのものですし、当然、本質がその人の理解度の深度に従って、視えてきます。逆に、ある事象から目を背け続けている心境とは、当人は、真実をぼかしている方が現状を維持し得るのだ、と思い違いしているということです。しかし、現状がある程度耐え得るものであれ、崩壊しつつある関係性に目を背けていれば、気づいたときには、すでに足場もない状況で、保守していたはずの環境から投げ出されます。そうなれば、もはや守るべきもの、そのものがないのです。これほど悲劇的なことはないのではありませんか?

人はともすると、暗黙の了解などと言いますが、それは僕の考え方では、大ウソです。人が何かを了解し得るのに、暗黙のそれはあり得ません。了解し合うのであれば、常に言葉で、了解すべき内実を確認し合うことが前提です。日本語表現のツーカーの仲というのも、暗黙の了解と同次元の、曖昧な関係性です。この種の了解?事項の殆どは、とりまく状況の少しの変化で、脆くも瓦解してしまうような危ういものです。英語のコミュニケーション技量の中に、アイ・コンタクト(eye-contact)というものがありますね。これは文字通り視線による了解事項の確認です。しかし、アイ・コンタクトが成り立つのは、言葉を尽くして後の、あるいはその過程における、さらなる意思確認の場合です。言葉なき、アイ・コンタクトなどは、コミュニケーションの領域においてはあり得ません。ここが、日本人に特有の暗黙の了解とか、ツーカーの仲とは大いに異なる点です。この両者にはそもそも、了解し合うための言葉が介在しませんから、底にあるのは単なる恣意性でしかありません。そうであれば、暗黙の了解もツーカーの仲も、ご都合主義的に直結していて、関係性のホツレなどには非常に鈍感になってしまいます。ホツレというほどのものならそれでよいと思うのかも知れませんが、ホツレは、早晩、壊れとなり、壊滅という状況に繋がるものです。

だからこそ、日本語を表現手段にしている人間にとっての、言わずもがなの類の表現は、人間相互間における理解という概念とはまったく相容れない概念を生み出す危険に満ちたものです。特に近現代における日本社会の進捗の遅れは、理念的な拡がりを欠いた、言葉による思想的な激突とその止揚なき連続体ですから、世界の論理的外交姿勢からは、はじかれる命運にあります。国内の政治・経済・教育などの分野においても、とりわけ、教育の分野における学校社会などは、年度当初の教育方針すら明文化されない、単なる経験則、経験知だけに頼ったものですから、前進するどころか、退歩すらしているのではないでしょうか。教育に自覚的な人たちは、たぶん、日本の学校教育に対する信頼感などはすでに消失しているのだろう、と思います。

物事の理解を曖昧にすることなかれ!とは、あらゆる経験則・経験知が、常に言葉によって、その是非を検証していく努力がなければ、すぐに古びた使い物にならないものになり下がるということの別の表現です。暗黙の了解も、ツーカーの仲もすべてが、古びて使用不可になり下がる経験則・経験知に含まれるものです。人は誰しも、前向きに生きなければならないと考えています。しかし、そうならないのは、方法論が間違っているからです。方法論を転換させましょう!あらゆる事象は言葉によって、理解し、胸に落とさねばなりません。曖昧な理解は、人を幸福に導いてはくれません。と、舌足らずの今日の観想として、書き遺しておきます。

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長野安晃

○やる気がなくなった人にお薦めする書を2冊。

2011-10-11 00:03:10 | 文学
○やる気がなくなった人にお薦めする書を2冊。

現代という時代は、個人の尊厳がなかなか認められず、他者からの正当な評価も受け難い時代だろうと思う。とりわけ、ご自身の才能や能力に多少の自信(たとえ、それが盲目的な錯誤であったにせよ)がある人ほど、出る杭は打たれる式の、結果として不遇な環境の下で、世界を呪詛しつつ生きている場合が多々あるのではなかろうか。このような境遇に置かれれば、当然前向きな生き方をしなくなる。やる気も失せる。己れにやはり能力というものがないのか、はたまた生まれた時代が悪かったのか、と根拠のない苦悩の中に身を沈めることになる。そんなお父さんたちが一体どれくらい腐心のままに、この社会の中から引退していったことだろう。

いまどきは、少々退潮ぎみだが、少し時代を遡ると、時代小説がサラリーマン諸氏に好んで読まれた時期がある。それも殆どが戦国武将の立身出世ものか、あるいは、立身出世の後の栄華と権力の座からすべり落ちて行くさま等々の物語。中国王朝に関わる権力抗争とその挫折なども多かったように思う。ともあれ、そこには、人間が生きるには、諸行無常という概念がつきまとうものだという、かなりありふれたプロットの時代物語に自身を投影していた感が強い。このような自己と物語との重ね方でもしなければ、あまりに卑近な出来事の連続に耐えきれなかったからではないだろうか。

人の感情なんて、その本質的な領域においては、時代が変われども激変するはずもないものだから、いまのこの時代に生きるサラリーマン諸氏も、昭和の時代とは幾分違うストレスを抱えながら不遇な毎日を生き抜こうとしている人々が多かろう。特段、将来のビジョンも持てず、日々のルーティーンワークの渦の中に身を潜めていたとしても、リストラに遭うよりはマシか、という腐心を抱えつつ生きているだろう人々がどれほどいるのだろうか。

想えば、歴史上の逸材と云えども、投げ込まれた環境によって、歴史に刻まれる働きが出来るのだろうけれど、同じような才覚を持ちあわせている人間は、現代にも山ほどいる、と僕は思う。しかし、哀しいことに、スポットライトが当たらぬままに、この世界から去っていく人の方が圧倒的に多いのである。運の問題もある。ラッキーとアンラッキーを決定づける法則などはないし、人間の努力だって、実を結ぶときもあれば、そうでないときもある。まあ、それでよいではないか。

さて、今日はお薦めの書を二冊。宮本武蔵って、たいへんな精神力と天才的な文武の才を持っていたらしいけれど、僕たちの宮本武蔵像って、あまりにも偶像視し過ぎのきらいあり。映画とかテレビドラマの影響か?特に東映時代劇真っ盛りの時代を生きた人たちの宮本武蔵像ほど、実像と虚像の落差が激しいものはないだろう。まあ、こんな世の中でも腐らずに実像に近い、ドロドロした、計算高い宮本武蔵を楽しんでみるのも一興か、と思う。司馬遼太郎の「宮本武蔵」(朝日文庫)・「真説宮本武蔵」(講談社文庫)など、いかがでしょうか?宮本武蔵にして、これなんだ!オレ・アタシだって!という気分に浸れます。どうぞ。

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長野安晃

○文芸評論の読み方、活用の仕方。

2011-10-01 14:57:33 | 文学
○文芸評論の読み方、活用の仕方。

最近は、読むに値するような文芸評論がなかなか書かれません。僕の乱読期には、たとえば、古いところで小林秀雄の印象批評がありました。後年は、どうしたんだ?と思えるくらいに右傾化してしまい、奥さんが亡くなったら自死してしまった江藤淳がいました。佐々木基一は硬質な文芸評論を書きました。他にも好きな文芸評論家はたくさんいます。ところで、今日のテーマで何がしかのことを書こうと思いたったのは、先日テレビで偶然にも、開高健の最晩年の釣りの番組を観て(最晩年と言っても、開高は58歳でガンで亡くなってしまうのですから、若すぎる死ですね)、ああ、この大阪弁丸出しのおっさんの小説はよく読んだということと、この人の喋りが諧謔、自虐とりまぜて、ウィットでいっぱいの、というより、ウィットそのもののような下賤な教養主義が大好きだったことを思い出したことがきっかけです。開高とよく似た喋りをやるのは、この人も亡くなってしまいましたが、小田実ですね、市民運動家にして、小説家、文学評論から文化・文明評論までモノにしてしまうオッサンですね。この手のオッサンの書くものは実におもしろい。ウソでも誇張でもないですよ、ほんとにおもしろいわけです。

本棚から小林秀雄や江藤淳の全集を引きずり出して読むのもちょっと大そうな気がしましたので、「開高健の文学論」という、厚手の文庫本を読むことにしました。ついでに、開高のエッセイを三冊。その中でも「ピカソはほんまに天才か」は実にいい。深い洞察で、芸術論・文化・文明論という領域に踏み込んでいます。

さて、本題にもどります。文芸評論を読むときの「作法」(こんな無粋な言葉が流行っていましたから、それにのっかりますよ)についての随想です。みなさんは、特に読書体験があまり豊富でない人は特にそうだと思いますが、文芸評論というのは、さまざまな文学作品を読破している人でないと読めない代物だ、と思い込んでいるように感じますが、どうでしょうか?こういう人たちはすべからく誠実で正直者です。文学に対して、誠実でも、正直でもない僕の意見はこうです。そもそも、文芸評論とは、ある作品を批評するのですが、読み手の側からすると、批評対象になっている作品など読んでいなくていいわけです。そういう必要はまったくない。ある文芸評論家が、ある小説作品を批評した文章を書き綴るとします。僕たち読者は、批評家が書き綴った内実は勿論ですが、批評家自身の文体を楽しむのです。これが文芸批評を読むときの最も大きな醍醐味です。批評文ですから、当然に論理的です。読み手を説得しようとする意思に溢れています。批評対象である作品に対して好意的であれ、批判的であれ、論理的な突きつめ方を素直に楽しめばよいわけです。とり上げた作品に対する評価が良くても悪くても、評論するに値する作品だからこそ、批評家はそれらの作品を批評対象にするわけです。そこでとり上げられている作品が、読書作品のリストそのものです。国内物、海外物、すべからく批評対象になった作品は、読むに値します。ここから読書の幅を広げていくと、まず殆ど外れがありません。人間、生きている時間はそれほど長くはない。世に氾濫している書籍を片っ端から読んだとしても、外れが多ければ無意味な時間を浪費してしまうことになります。

付加的に書いておきます。読書のジャンルはなにも文芸評論や小説作品に限ったものではないでしょう。哲学も社会学も経済学も芸術論も、ジャンルを問わず読みたいわけですから、出来るだけ広い視野で書き続けている評論家を数人目星をつけておくことです。いまの僕の一押しは、佐々木 中(あたる)と竹田清嗣(せいじ)です。考える素材を探す裾野が限りなく広がります。世界規模で広がること、請け合いです。みなさん、どうぞ、読書を楽しんでください。人の思考は言葉でなされます。その言葉自体が磨かれず、洗練されずにいることが、どれほどの生の損失を招くかを真剣に考えてください。書きながらちょっと気分が高揚しましたね。でも、言うべきことは、言えた気がします。今日の観想として、書き遺しておきます。

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長野安晃

○書き手にとって、一人称とは何か?

2011-09-30 10:52:56 | 文学
○書き手にとって、一人称とは何か?

書くもののジャンルは問わない。が、それがフィクションという領域に属するものであれ、ノン・フィクションという真逆のそれに属するものであれ、書き手にとっての、僕/私/自分/等々の一人称が語る内実は、事実であって、同時に虚構でもある。

逆説的に語ろう。虚構の代表格とされている小説世界における物語性は、すべてが、作者のまったき想像の産物であり得るか?答えはノンである。小説世界の主人公とは、多くの場合、僕/私/自分等々という表現で書き現される。語り手としての主人公は、100パーセントの虚構を語り得るか?直截的に語ったとしても、たとえば、ノン・フィクションの語り手の主人公が、100パーセントの真実を語り得るか?どちらの疑問符に関しても、当然のことだが、答えはノンだ。

何故か?それは、人間の知性の限界性でもあり、また、人間の知性の特質が、人をして、完全無比な虚構も、また同質の現実も描くことが出来ないからだ。このような心的傾向を、人間の知性の型と称してよい、と思う。

たとえば、ストリー・テラーと称される書き手、それが上質のストーリーであれ、下劣なそれであれ、現実の日常性とまったくかけ離れた世界の描写で埋め尽くすことは可能だろう。時代的背景も思いのまま。性別、生まれ、育ちにしろ、それらを創造することを邪魔する介在物は皆無と言っても過言ではない。もし、そこに何らかの他者評価を気にかける要素が紛れ込むならば、それなりに素材の選択に手心を加えればすむことだ。

このような障壁なき、自由闊達な精神が根底にありながらも、やはり人は、自らに規制をかけてしまう。それは何故か?僕は、書き手にとっての一人称の言動の中に、どのように抗ってみても、genuine(真性の)な、隠蔽し難い自己の、あられもない姿が垣間見えてしまう、という本質に気がついている。そして、それは、言葉にすれば、いかなるものであるか、ということを語ってみたいと思ったのである。あるいはまた、なぜ人はそのようなかたちで、自らの正体を明らかにせざるを得ないのか、という主因についても、書きおきたかったわけである。

書き手が書くべき内実とは、書き手自身の知性や品性やその他諸々の諸要因に関わりなく、程度の差こそあれ、フィクションであれば、フィクションという物語の中に、人間にまつわるさまざまな角度からの普遍性を忍ばせている。逆に、ノン・フィクションというジャンルにおいては、事実そのままを素材にしているかのように見えて、実は事実の裏に秘められた、多くは現れとしての事実とは異なる真実の普遍化を晒そうとする意図がある。このような書き手の揺るぎない意思は、登場人物たちの誰それの言動に、書き手自身の意図を忍ばせるというよりは、大抵は、一人称の、それも主人公あるいは、主人公格の言動の中に、書き手の思想、観想を込める。換言すれば、書き手が最も普遍化したいテーゼとは、自己の思念そのものであるからだ。これを表現者の醍醐味と云わずして、なんと表現することが出来るだろうか?

物事をもっとリアルに見れば、そもそも書き手の側の意図-自己の思念を普遍化させるための表現、描写-も、願望という次元においては、思念の普遍化を目指すとしても、実のところは、大抵はそうはなり得ない。表現者の理性とは、このような自己の意図と意図実現の挫折の可能性を常に見据えているようなアンビバレンスに晒されているものではなかろうか?たわいもない表現者ほど、神のごとくに登場人物を繰り、世界を手中におさめてしまえるのではないか、という誇大妄想を抱く。読み手の側の見極め方は、読み終わった作品のプロットさえ記憶に残らないとか、観終わったドキュメンタリ―番組や、ノン・フィクション作品が、自分の世界観とあまりにかけ離れたものでしかないと思えるとき、それらの作品は、鑑賞に値しない、ということになるのだろう。鑑賞に値しないいかなる作品の中の一人称の語りに、ホンモノなどない。当然の結末だろう、と思う。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○人生には切ないこともある。いや、切ないことだらけなのかもね。

2011-08-26 18:18:18 | 文学
○人生には切ないこともある。いや、切ないことだらけなのかもね。

シャイロックと云えば、シェイクスピアが好きな人なら、「ベニスの商人」に登場する強欲な金貸しのことだと誰もが気づく。池井戸潤が連作短編集として、シャイロックという人物を想起して、銀行ものを書きあげた気分はよく分かる。池井戸自身が銀行マンだった経験が、作品の中の登場人物たちに強固なリアリティを与えている。その意味でも「シャイロックの子どもたち」という連作集は、よく書けた作品だと思う。

バブル景気とその崩壊過程、そして今日の銀行のありようを観ていると、銀行に対して好意的な印象を持っている人は、相当な金持ちか、事業の成功者だけなのではなかろうか?中小企業の経営者たちにとっては、業績のよきときは恥も外聞もなく融資したがり、業績の変遷によっては、手のひらを反したように切り捨てる存在。一般庶民にとっては、昔ながらの担保主義が邪魔をして、資本・資金なき有能な企業家を潰しても何ら存在理由を問われない能天気な、それでいて、悪意さえ感じる存在。それでも国に手厚く保護されているから余計に傲慢になる存在。それが銀行というイメージだろう。一人一人の銀行マンの人柄などを考えても意味がない。銀行と云う組織で生き抜いていくために、銀行マン自身が、抗えない、重い荷物を背負っている名状し難き状況の中に投げ込まれている、厚顔なる組織が銀行だ。時代が変わり、いくら組織的洗練がなされても、金貸しという仕事には、返済のための裏付けなくば、人を信用してはならないという鉄則がある。信用貸しと架空融資との境目は微妙なものがあるからだろう。行内における業績至上主義と、その中で繰り広げられる人事抗争がらみの出世争い。このような状況下で、個としての銀行マンが、自身の人間性を哀しいまでに圧し殺して生きるさまが、この連作集の主題である。生きる歓びというよりも、生きることに関わる哀しみを池井戸潤はこの作品でよく書き現している、と僕は思う。「鉄の骨」も「空飛ぶタイヤ」も直木賞受賞作品の「下町ロケット」もすばらしいが、池井戸の人間観は、この銀行ものの連作集にこそ濃密に描かれていると言っても過言ではない。

連作集の最終章あたり。ある不正融資事件の調査に乗り出した西木という中間管理職者。日頃はチァラケてはいてもそれなりに部下思いの、明るいが、目立たない存在。事件の調査段階で、西木は姿を消す。殺害されたのか、あるいは失踪したのか、という可能性だけが暗示的に描かれるだけだ。しかし、西木の私生活が明るみになるにつれ、この男の生にまつわる哀しみが切々と伝わってくるという顛末だ。社宅での独り暮らし。妻子は離婚の瀬戸際にて実家にいる。銀行のデスクマットの下には楽しげな家族写真がある。しかし職場の人間には決して知られることのなかった西木の日常が、西木の私物を妻に届けに行った派遣社員の春子の訪問によって白日のもとに晒される。無論妻は社宅にはいない。実兄の会社の連帯保証人になり、会社は倒産寸前の状態である。別居の理由はそのあたりであることが、同じ社宅の人間の噂から分かる。明るい個性を装っていた男の内面が明かされていく。崩壊しつつある人生と対峙しながらもがき苦しむ悲劇的な生を生きていた西木。盗難の加害者だと断定されかけた部下に対して、「おまえを信じる!」と言い切って守った西木の真実とは、信じたものにことごとく裏切られた私生活の中で、人を信じることに飢え、その価値をがむしゃらに追いかけていた末の言葉ではなかったか、と春子は思う。信じるものを失い、幸せを失い、ついに夢も将来も失った西木にとって、いったい人生とはなんだったのか?西木に残っていたのは、酷薄な現実と空漠感だけだったのではなかったのか?このように想像している春子自身も数年前に銀行合併の繁忙さゆえなのか、夫を自殺で亡くしている。シャイロックの末裔たちが奏でる変奏曲のような人生に光があるのかどうか?いや、シャイロックの末裔でなくとも、人という存在についてまわるこの哀しみとはいったいいかなるものなのだろうか?

哀しみがあるにしても、生きていることに価値があるなどとウソブクつもりは毛頭ない。これを書いている僕自身もギリギリのところで生きていることに変わりはないし、自分の生のありようを偽善的に肯定する気もない。人は哀しみを抱えながら生きている。あるいは、死を選びとる。ただひとつ確信を持って言えることは、僕は、このようなリアリティを隠蔽せずに生きているだけである。今日の観想である。

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長野安晃

○「箱崎ジャンクション」考―藤沢周著

2011-07-20 14:43:05 | 文学
○「箱崎ジャンクション」考―藤沢周著

東京には何度も行くが、箱崎ジャンクションが地理的にどこにあるのかすら僕は知らない。藤沢周が小説の題材と題名に選んだ<箱崎ジャンクション>に果たしてどのような必然性があるのか、よく分からない。敢えて想像を逞しくしてこじつければ、藤沢の描写による箱崎ジャンクションは、車が常に停滞し、そういうことが分かり切っていながらも、敢えてここを通ることを仕事のルーティーンにしているタクシードライバーの精神の停滞感、あるいはもっと突っ込んで、精神が汚泥の中でジュクジュクとクタリ果てていく内実の背景として、素材にすべきものと考えたからなのか?いずれにしても、読みながら、何度も舌打ちしてしまうような、歯切れの悪い、いや、悪すぎる小説だった。読後感もよろしくない。それでも好きな作家なんだから、これを書いている僕の精神の方がどうかしているのかも知れないとも思う。

読者にとって重要な登場人物は、極端に少ない。主人公の室田。小説の中の室田はいかにも疲れたリストラ組の40代後半か、50代前半の心の荒みを抱えた人物として読めてしまうのだが、藤沢の設定では、30代そこそこ。タクシードライバーになる前の職業は、建設会社の広報部で宣伝誌を創っていた責任者という男。それなりにバリバリ仕事をこなし、典型的な仕事人間。派手な世界にありがちな酒と女と接待に明けくれる日々。女房の由布子との間に超え難い溝が出来て、由布子とは別居中。正確に云うと、由布子の勤める設計事務所の経営者との不倫関係から結婚生活への破綻の過程を突き進んでいる。室田は、由布子にも、相手の男にも離婚届を出すように迫られている。が、離婚届の紙の色が変質するくらい長く、自分が署名捺印した離婚届をかつての仕事に使っていただろう、ゼロハリバートンのブリーフケースに入れて、タクシーの助手席に投げ出している。室田が箱崎ジャンクションという、水揚げに多大な支障をきたす渋滞の中に敢えて営業車を乗り入れるのは、頻繁に襲ってくるパニック発作の症状との折り合いをつけるためだ。医者から処方された精神安定剤をミネラルウォーターで飲み下す。ふっとした瞬間に眠りこんでは、後方の車のクラクションで覚醒する。短い眠りに落ちたとき、室田は、過去の夢想の中にいる。この、ある種の儀式的な箱崎ジャンクションでのルーティーンが室田にとっては、地を這うように生きていくために、どうしても必要不可欠なこととして描かれている。

もうひとり、室田と濃密に絡んでくる登場人物は、川上という別会社のタクシー運転手だし、室田の会社の同僚たちの存在も書き綴ることが無意味だとは思わないが、不可欠なファクターでもない。だから、川上の絶望的なことば。すなわち「だけど、人間、結局、死んじまうんだからな。」「おう、室田さん、それでもいい。そのかわり死に場所に一気に突っ込む。」という室田のタクシーに乗り合わせ、投げかけたそれらの言葉と、その後の二人の、高速の壁にぶち当たる瀬戸際で、二人ともに衝突を回避しようとし、二人は死に場所に一気に突っ込むことなど出来ないのである。

独り身を強いられたタクシー運転手の、生の底の底にまで降りたって、黒々とした生と死の境目が、現実の生活の実質として描かれているのは、出来の悪い観念的な小説と比較にならないくらいに、よく書けた秀作だとは思う。けれど、藤沢の人間観には、優しさも、醜悪さも、希望も、人間の感情のすべてに不全感が漂うような、僕にとっては決定的な不満の種を残すような後味の悪さが残る。「箱崎ジャンクション」の文庫の帯には、<壊れていく男ーもはや死に場所すらない、タクシードライバーの彷徨・・・・・。>とあるが、この作品における室田も川上も、死に場所を求めているわけではない。むしろ、彼らは、日常性の破綻によって、手痛い後遺症を引きずってはいるが、死を希求しているわけではない。死に場所がないから、死を諦めたのでもない。もともと、藤沢の描く<壊れ>とは、あくまで日常性の<壊れ>なのであって、登場人物たちの思念の次元が高まる瞬間すらない。まさに、日常性から弾き飛ばされた人間たちが、日常性の中でうごめいている姿を書き切ろうとしているのが、藤沢作品の特徴ではないだろうか。

僕にとっては、藤沢作品群は、大して好きでもないが、読まずにはおれないもの。そういう位置づけをしながら、楽しむことにしている。みなさんは、どのように読まれるのだろうか?

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長野安晃  

○愛を社会化するとはどういうことか?

2010-09-18 01:18:17 | 文学
○愛を社会化するとはどういうことか?

「ボヴァバリー夫人」はフロベールの名作である。田舎医者ボヴァバリーの美しい妻エマが生きた、社会の取り決めの根底を揺さぶる生き方を、愛の追及を通して彼女は成し遂げ、その結末は破滅という悲惨さを迎えたにしても、エマは、愛という行為によって、自己の世界観を自分の力で押し広げたのである。

誤解されがちであるが、愛とは、当事者どうしの間に収束していく力学であると根拠なく想い込んでいることが多いのではなかろうか。僕の規定で云えば、それは愛という言葉を被せるとしても、性愛の世界という、昔ながらの男女の性を媒介にした親密さ、たぶんそれは、脳髄の中の旧皮質の中のドラマに過ぎない。しかし、それにしても性愛の存在は避けては通れないものでもある。僕の視点からすると、この種の脳髄の旧皮質の中のドラマも、性愛の、またその昇華された姿としての愛の、避けがたい姿なのである。言葉の規定としては、性愛の世界像とは、愛の内面化ということだろう。愛の深化と云ってもよい。多くの人々は、この次元のことを成し遂げるのに汲々としているのではなかろうか。無論、これを書いている僕も例外だとは決して思わないが、その一方で、愛という力学が世界観そのものを変容させ得る存在、すなわち愛の周縁化あるいは、社会化という概念として拡大、飛散していく可能性に満ちたものとして捉える必要もあるのではなかろうか。

ボヴァリ―という凡庸な夫は、医師という恵まれた仕事につきながらも、妻のエマにとってみれば、毎日の生活そのものが、夫の凡庸さによって、自己の生まで退屈極まりない日常性と同義語と化し、それは、生活の安寧など打ち捨てても、求めるべき別の生き方、別の価値観を追い求める欲動となるのは必然であったと思う。当時の価値観からすれば、妻はどのような個性の人間であれ、結婚という制度に乗っかってしまえば、終生変わらぬ生活を続けなければならないというのが、制度の社会化という現象だったと思う。時代という枠に閉じ込められた社会制度、日常生活のルーティーンを、エマは夫以外の男性と愛を紡ぐことによって、日常生活のルーティーンそのものを粉々に打ち砕く。さらに彼女の行為は、当時の社会制度そのものを震撼させるに十分な影響力を持ち得ていたと思われる。これを愛の革命的な変容の力学といい、また、別の表現をかりれば、愛の社会化―時代の社会通念を変革するという意味でーとも規定出来る欲動であり、概念性である。

「ボヴァリ―夫人」が風俗壊乱の嫌疑で起訴され、法廷に立った作者のフロベールは、「ボヴァリ―夫人は私だ」と言い放ったのはあまりも有名だが、しかし、その意味を理解している人は少ないのではなかろうか。エマという主人公の愛の欲動に根ざした言動が、この作品に、社会通念としての結婚制度、あるいは、社会制度そのものに対する疑義の申し立ての象徴的な意義を与えている。フロベールはエマの愛の行為によって、社会制度の根底を揺るがし得るエネルギーを持ち得た作品として「ボヴァリ―夫人」という物語を書いたのではないだろうか。換言すれば、「ボヴァリ―夫人」はフロベールによる社会通念を瓦解させるだけの力学に満ち溢れた作品だったのであり、その表現者としてのフロベールは、「ボヴァリ―夫人」という作品そのものであり、そして、それは愛の社会に与える力であり、言葉の定義として、愛の社会化とも言えるものである。フロベールが「ボヴァリ―夫人は私だ」と言い放ったのは、まさに、愛の社会化という意味合いにおいて、意味ある行為だったと思う。

推薦図書:「ボヴァリ―夫人」フロベール著。新潮文庫。内容は上記のごとしです。名作です。ぜひどうぞ。


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長野安晃

○ポール・ヴァレリー回帰

2010-04-04 18:21:35 | 文学
○ポール・ヴァレリー回帰

10代の終わり頃、僕はいっぱしの学生運動家気どりだったわけで、当然激烈な理論闘争の中に身を置いていたので、受験勉強みたいな国家がスクリーニングしている内容なき教科書ごとき(こんな感情しか持ち合わせていなかったのですから、相当に偏屈・偏狭な精神性であったことは否定のしようもありません)は、陳腐そのもので、その頃の僕にとっての学習とは、マルクス・エンゲルス・レーニン・トロッツキー、日本の新左翼系の何人かの作家、遡っては、ヘーゲル哲学とギリシャ哲学諸々。ああ、それから毛沢東もか。まあ、僕の社会科学的理論武装はこれらの書物の表現の継ぎはぎで成り立っていたようなもので、しかし、それでも大学生と云えども学習量はタカが知れていたので、僕のエセものの知識を土台にしたアジテーションと理論武装は高校生でありながら、自分のセクトの部下は大学生ばかりだったわけで、‘70年の疾風怒濤のごとき時代性が、本物の知性とエセものとの相違を覆い隠すには十分過ぎる環境だったと思う。

しかし、その実、僕の関心は上記のようなところにはなく、表向きは社会科学の理論武装、しかし、その陰で僕の殆どのエネルギーはフランス文学への傾注、ランボーの詩作の天才性に傾斜していたのである。マルクスの分厚い資本論の間には、ブルジョアとして、批判の対象だったはずのフランソワーズ・サガンの「悲しみよ、こんにちは」とか「ブラームスはお好き」みたいな文庫本が常にはさまっていたのは、当時の僕がいかに自分の本質とは無縁のことに多大なエネルギーを費やしていたかが分かる。サガンは僕にとっては、気楽で鋭敏な感性を享受する対象だったし、ランボーに至っては、こんな知性ってあり得るのかいな?という純朴な驚愕の対象だった。かなり背伸びをして、何となく理解可能かと思われた、マラルメからはじまるフランスの知性主義の代表格たるボール・ヴァレリーに対しては、相当にイカれていたような気がする。当時から手に入るフランス文学と哲学の系列に入る安価な文庫本はかなりの数を読んでいたが(勿論理解していたとは到底思えない)、度重なる引っ越しで、殆どが消失してしまっていた。あれから40年くらい経過して、僕の現在の関心は、またぞろフランス文学回帰である。英語なんてチョロイと思っていたので、事のはじまりからフランスネィティブにフランス語を学生運動の合間に教わって、フランス語の会話にも不自由しなかったし、上記のような作品はフランス語で読めたのは、たぶん何かの偶然の産物だったのだろう。いまもあるのかどうかは知らないが、当時のガリマール社から輸入された書籍を、神戸の丸善が洋書輸入を独占していたせいで、バカ高い値段で手に入れていた覚えがある。しかし、いまは、フランス語などは、僕の脳髄の底の底に埋もれてしまっているし、コミュニケーションツールとしての外国語としては英語が関の山なのである。フランスものは、翻訳本に頼るしかないが、それでも何ほどかの知的な空気くらいは伝わっては来る。

いま、最も僕の関心をかきたてているのは、やはりポール・ヴァレリーなのである。知性を明晰性で洗練させた意匠には、日本語で読んでも心を揺り動かされる。みなさんが読むなら、岩波文庫から出ている「ムッシュー・テスト」がよいのではないでしょうか。いや、どこからでもどうぞ。岩波からは詩集も出ているし、随想の断片的小品も一冊出てはいます。僕のお薦めは、筑摩文庫から出ている2巻本のまとまった作品群です。

ヴァレリーは、貴族の婦人たちの開くサロンに出入りしては、類まれな知性的で諧謔の効いた会話で、30歳くらいは下の貴婦人と浮名を流す。いまの日本人が真似てもいいような熱情を込めた手紙を愛した女性に1000通は出す。そういう産物が全て彼の作品世界と繋がっている。それではヴァレリーの恋愛沙汰は計算づくかと云えば決してそうではない。いまどきの言葉で云うと、イケメンではなかった彼が、知性という意匠で、女性の心の中に食い込んでいく。凄まじいとしか言いようがない。彼は常に真剣である。彼の芸術に対しても、恋愛に対しても。知性の極みにあるようなラブレターを想いの相手に1000通以上も出しても軽くいなされることもある。そんなとき、ヴァレリーはええ歳なのに、真面目に?絶望する。そして、その絶望の果ての心境から新たな明晰なる作品が生み出されてくるという繰り返しだ。彼が浮名を流した具体的な事件は、岩波新書の「ヴァレリー」に詳しいので、興味のある方はどうぞ。

ええ歳になると、だんだんと、ヴァレリーのごとき恋愛に対する情熱は衰えてくるのが分かるこの頃だし、たぶん諦めも、とてもよいとも感じるが、これではイカン、とも同時に思う。恋愛に対して達観したようなことを言うようになったら、もう自分の中から一切の創造的な意欲も同時に失われていると思った方がよい。その意味で、いま、どこに自分の足場を置くのかという難題が僕の眼前に広がっているような気がするのである。


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文学と政治再考

2009-12-04 22:55:40 | 文学
○文学と政治再考

日本の戦後の民主主義をずっと貫いて文壇の中で飽きることなく論じられてきたのは、「文学と政治」という関わりについてであった。どのようなコンテキストで語られたかと言うと、主に、文学は、政治にとって有効か?という疑問詞がついてまわるような論理がまかり通ったのである。戦後民主主義とは、戦後から今日に至るまでずっと通用する概念か?と言えばそうではない。それを大雑把にまとめれば、軍国主義時代の思想的弾圧下をくぐりぬけて、アメリカ軍を中心とする極東軍事裁判という日本の軍部に対する報復劇の後の、誰が何を言おうと、もはや特高警察に引っ張られる心配もなくなって、焼け野原から日本の高度経済成長期に突入する前後までのごく限られた期間の、政治的には左右の綱引きが世界政治の底の方でしきりに行われている頃の、牧歌的な政治空間に咲いたあだ花のごとき対立概念だったと規定しておく。

1960年安保改定闘争から1970年のそれへの時代的推移の過程で、日本における政治革命があたかも現実的可能性に満ち溢れた課題として論じられていた頃、マルクスやエンゲルスに象徴されるプロレタリアート独裁政権への理論的構築は、日本の左翼的な青年たちには抗えない効力を持ち得た時代である。このような政治的空気が日本に蔓延するずっと以前に、現実にレーニンの指導によって蜂起したプロレタリアートは、ソビエト連邦という巨大な共産主義国家を確立したし、ソビエトを中心にして、中国共産党による共産主義政権の発足、東ヨーロッパ諸国の共産化、北朝鮮という身近な共産主義国家の樹立等々が世界を席巻した時代、そして、共産化をまぬがれた西側諸国との、東西両陣営が対立関係にある狭間で、日本という、アメリカの実質的な属国でありながらも、社会主義的な政治制度がまだらに生きている不思議な空間の中で、日本のインテリたちは、果たして文学とは政治革命にとって有効なのか?というある意味浮世離れした議論の渦中にいたのである。その頃の情勢は、プロレタリア独裁政治革命における文学の役割など、ほぼ無効であるという烙印を押された感があった、と記憶する。

しかし、文学と政治という概念を対立的に論じるならば、本来ならば、文学は、当時のような劣勢に立つようなものではそもそもないのである。たとえそれが革命的な政治的戦略という実践論であれ、革命を指導し、そして革命を成し遂げる実践論の中に、人間の荒々しい気慨と目標に立ち向かう勇気、折れそうになる気弱さ、敵をなぎ倒す瞬時の躊躇いと怖れ、といった人間的気質を抜きにした政治戦略などあり得るはずがないのである。ここに文学という人間を映す鏡のごとき、あるいは泉のごとき存在がなければ、人は革命的な政治の闘いの場になどに意味を見出し得ないのである。無論、ここで言う文学とは、政治的スローガンとしての扇情的なそれではない。人間存在の根源に関わる生と死と愛と憎悪とがない交ぜになった真正の文学である。優れた政治的指導者はすべからく、優れた文学の享受者でもある。たぶん、政治的指導者たちの方が、文学の本質をよく捉えていたのではないか。ごちゃごちゃとした両者の優劣を論じていたのは、他ならぬ文学者たちであり、学者連中であり、エセものの政治屋たちだけであったことだろう。

そもそも文学と政治論争などは、成立し得なかった、と僕は言いたい。文学を享受し得ない人間には政治はわからない。そういう政治家がいたとしたら、それは、政治屋に過ぎないのだろう、と思うこの頃である。


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小説を書くなら、まずはこんな小説が書きたかったのに・・・

2009-11-25 23:19:04 | 文学
○小説を書くなら、まずはこんな小説が書きたかったのに・・・

自分が小説を書くなら、こういう小説を書きたかったという作品と遂にエンカウンターしてしまった。そう、それはまさに「してしまった」と書くしかない。作者の大崎善生にとっては力作という名の作品なのだが、たぶん、この「タペストリーホワイト」(文春文庫)という文庫本の中に、僕の青年時代の総括がまるごと書き込まれていたのである。勿論物語の中の人物設定も生活空間の設定も創造的であるがゆえに、普遍性を持ち得ているわけで、誰が読んでもおもしろい作品に仕上がっているだろう。つまりはその時代にシンパサイズするか、アパシーを決め込むかは別にして、プロフェッショナルこそはこの本を手にとった読者を否応なくあの頃の時代へと引きずり込む力業を持っていると言っても差し支えないだろう。大崎善生はもともと僕の好きな作家だし、彼の作品はほぼ読んではいるが、まさか大崎によって僕自身の過去が総括されてしまうとは考えが及ばなかったのである。ありがたい、と感じると同時に、やられた、という敗北感とが同時に襲ってくる。
 とは言え、70年代といういまだに一つの概念性で包括し切れないと思われる時代性と、その時代性の中で翻弄される3人の若者の生き死にのプロットの進行だけで、僕にはぼんやりとした過去の痛みの感覚でしかなかったわけのわからなさを、具象化し、抽象化し、普遍化する筆致は見事という他はない。

極左暴力主義の衰退化とともに訪れた、その頃にはもう誰にもはっきりとはしなくなった、意味不明のセクトどうしの潰し合いと、「革命」という残り滓のように漂っていた頃の学生たちの行動とのむすびつきそのものが、まさに対立セクトの誰それの寝込みを襲う襲撃とその成果を、誰も聞いてはいない大学のキャンパスの中でアジることで、ますます時代から取り残されていく。襲撃され、鉄パイプで頭をかち割られ、飛び散った血と脳漿の中であえない最期を遂げた学生たちにとっての悲劇として、また鉄パイプを対立セクトの狭苦しいアパートで、ターゲットの学生の頭に振りおろすことで革命家気どりを装っている学生たちにとっては、罪悪と云うよりは、その行動と思考のありようが喜劇的であるという意味で、あの時代は説明がつかない。小説空間における人間の根源的な哀しみという概念に昇華させたことで、ごたごたとした事実を書きなぐらずとも、時代の全体像を描き切ったという意味において、この小説は名作である。

青年の頃、対立セクトに攻撃命令を出してはみたが、その後の殺戮の連続を予期して中止命令を出したセクトの長だった僕は、仲間だった連中から手ひどいリンチに遭ったが、幸い頭をかち割られることはなく、骨を何本か折られたくらいで済んだのは、単なる偶然性に過ぎない。僕が予期したように、僕がセクトそのものから抜けた後で、何年もの間、セクト間の殺し合いが続いたのは、当時の若者の情熱のいきどころがなかったからだろう。もうすでに革命のドンチャン騒ぎは過ぎ去っていたのである。確かに僕は政治的転向組だったが、どこか中途半端で、極左時代の思想に翻弄されて、教師という仕事を失くした。その一方で、見事に世の中の経済機構の中で、社会的成功者に成り上がった人間も多数いる。僕に何を批判する権利もないが、変わり身があまりに見事だと、そのことでいつか足をすくわれるだろうという予測は立つ。世の中そうでなければ、頭蓋骨を粉々にされて死んでいった人間は浮かばれないだろう。ともあれ、今日は、あの時代に共鳴し、反発しつつ、この作品を書き上げた大崎善生を褒めたたえることにする。

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長野安晃

懈怠(けたい)こそ、人生におけるスパイスのようなものである

2009-11-23 21:36:54 | 文学
○懈怠(けたい)こそ、人生におけるスパイスのようなものである

いまだにイタリアのアルベルト・モラビエの「無関心な人々」(岩波文庫:上・下)という作品の斬新さと、21世紀という現代にも通じる人間の存在理由として消し難く在る<倦怠>というテーマを、みなさんはどのように感じるかは分からないが、人生の最終盤にいる僕には、人間にとって倦怠とは、希望や熱情を光とするなら、その後ろにひたひたとつきまとってくる影のような存在であることに間違いはないだろう、と思う。僕たちは、たとえば光ある世界の中だけを生きたいと願っても、光そのものが影を創るというリアルな感覚を見失わずにいさえすれば、人は光の中だけを生きているがごとくに見えても、影の存在たる懈怠の存在を意識化することなしには、生そのものが無価値になり下がってしまうのかもしれない、という危険性からはたぶん自由であろう。 だからこそ、懈怠という深淵の中から這いあがり、そして、生という存在を生成し続けることのない人生などに、いかほどの意味もないのではないかと、僕は思う。

生とは懈怠の中を生きるに等しい、という深き認識を投げ捨てた瞬間から、大仰な言い方をすれば、人は、<思想を生成し得る存在>としての位置から滑り落ちたも同然なのではないかとも思うがいかがなものだろうか? とは言え、僕などが他者に向かって、いかに生きるべきか?などというボールを投げたところで、そのボールを受け止めてくれる他者などたぶんいるわけもないし、おそらくは、ボールはそれほど大きな円弧を描くことも出来ずに、管理の悪い川辺にでも落ち転がり、川面をすいすいと流れることもなく、管理の悪さゆえに出来あがった川の流れを蛇行させる中州の草もの中で、行きどころなく同じ動きを繰り返すばかりであろう。 いまは、これがオレの人生か、と受け入れることも出来る。が、僕はこんな不条理を諒解するのに、結構長い時間を要したのも事実である。凡庸の極みかも知れぬ。そのように総括せざるを得ません。

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浮遊する生

2009-05-12 00:01:44 | 文学
○浮遊する生

無神論者である。元来自己の裡に超越的な存在を信じる要素などカケラもない。神も仏も人間の創り出した、心の拠り所としての存在に過ぎないと思うことに慣れ過ぎた。そのことに確信を持つために、敢えて、裡なる無神論を懐疑して、超越者を信じるところに身を置いたことがかつてあった。ごく短い期間だ。自分で言うのもどうかと思うが、探究心旺盛な個性なので、超越者を信じるならば、渦中に飛び込んだ宗教的世界観を理解するために、読めるだけの教書は全て読み抜いた。しかし、宗教的教えの本質は理解可能であっても、その実践としての信仰という行為とは、宗教的真理と、信仰のあり方との間に大いなる乖離があり、僕の場合は信仰するための宗教的真理と、信仰のための力と確信とがむすびつくことはついに起こり得なかった。それよりはむしろ信仰とその中核となるべき教理との矛盾が大きくなるばかりであった。僕の密やかな試みは失敗に終わることになった。ある意味で、そのような結末は初めから視えていたことなのだが、宗教的要素、絶対者を信じ得ない根拠がいよいよ明確になったわけである。僕の無神論は、文字どおり筋金が入ることになった。やがて死の扉を開けるのである。もはや迷いはなく、無神論者としての、政治的スタンスとしてはアナーキストとしての死を死することが確かに胸に落ちた。これでよい、と心底思う。

矛盾するかに聞こえるかも知れないが、無神論は確信を持てば持つほどに、精神はこの世界の中を浮遊しつつ生きることになる。それは必然の姿として、どのような死を迎えるかは分からぬが、その終末の日まで、浮遊する世界の中で、不安定だが、不安定がもたらしてくれる自由な思想が構築されていくことになる。無論、思想の構築と言っても決して頑迷という概念はない。そもそも精神そのものの実体が世界を浮遊しているのである。心は全方向に開いている。またそうでなければ、無神論者などが、アナーキストという如何なる権威も否定するような思想性を抱きつつ生き続けることなど不可能であろう。

無神論者にとっては、浮遊する生の中で獲得する価値観とは、生が特別なものでないのと同様に、死も特別なものではない。つまりは生と死とは同じ次元の存在のあり方に過ぎす、生を怖れる要素がないのと同じ質量で死を怖れる要素もないのである。生が浮遊するとは、不安定なのかも知れないが、同時にさまざまな価値意識に対して如何なる偏見も持たないということでもある。

もし、現代という不条理な世界で、生の、あるいは死の可能性、換言すれば価値の広がりを受容し得る可能性とは、思想的権威や宗教的なそれのごとき、一見して堅牢に見える精神のありようの中には存立不能である。逆に、浮遊する精神、自由闊達な精神こそが価値のデコンストラクションの確かな実現可能性の思想の基盤ではなかろうか。無神論は現代にこそ有効なる思想である。アナーキズムこそは、現代にこそ有意味な政治的姿勢の現実的なありようである。様式化された生を生きていれば、当然に死するときには様式化された死、つまりは葬儀・葬式による死を隠蔽されたままこの世界から去ることになる。ありふれた生も、ありふれた死も我々には避け難い現象ではあるが、そうであるならば、少なくとも様式化された生も死も無意味ではないのか。もし我々の生死がありふれたままに終焉するとしても、そのプロセスが問題なのであって、生きるプロセスの中で、どれほど自由に生き切れるか、そしてその結果としての死を死に切れるか、という課題は、個としての人間の最も基礎的で、不可欠なものではなかろうか。

さて、僕はまるで見当違いの生の終焉に向かってひた走っているのだろうか。もしも、僕自身の存在そのもののあり方が無意味なものであれ、ちっぽけな実験として、この場に書き遺すことで帳尻が合いはしまいかと、僕自身は秘かに思っているのである。

○推薦図書「憂鬱なる党派」高橋和巳著。河出文庫。高橋和巳コレクション。高橋の思想は、彼の生きた時代の左翼的空気の、特に極左主義が横行する思想的土壌の中で、恐らくは高橋自身はその核心の部分においては、多分に無神論的・アナーキズム的思想の持ち主でありながらも、当時の思想的な背景の中で、いかに極左をも含む込んだ思想と共闘しようか、という実に真摯な思想に裏打ちされています。この長編小説は、英語教師としての主人公の、思想的苦悩を物語の中に散りばめた傑作であると思います。高橋和巳という思想家・作家がいまこそ忘却されてはならないと感じます。ぜひ、どうぞ。

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