○ ときには母のない子のように・・・・
こういう歌い出しではじまる歌が、昔、昔に、カルメン・マキという歌手の、たぶん唯一のヒットソングとして、街中を流れていた、と記憶する。なぜだか、今日、読書しながらうたた寝をしていて目が覚めたら、この歌のメロディーとうろ覚えの歌詞が、頭の中に渦巻いていた。うろ覚えの歌詞でも、当時流行った雰囲気は、しっかりと覚えている。聴くものをして、それを世の中の既成の価値意識に対する抗いと挫折の歌としてと感得させたのか、はたまた単なるメランコリックな愛を求める歌として感じさせたのかは、どちらとも言い難い不可思議な歌詞とそれを歌うカルメン・マキという哀しげな女性の持った雰囲気に起因していると思う。総じて言えることは、母の愛、それを母性と称してよいかと思うが、母性の欠落感とその欠落感をうめんとする強いメッセージが込められていたことは否定すまい。
母性というには、母性とは対極にあるような女が、僕の母親だったので、自分の裡には、どうしても埋められない深く穿たれた暗い穴がどこまでも続いているような気がする。人生の最終盤においてすら、なお、そういう気分が濃厚に在る。もしも、母親を知らぬままに育ったとしたら、幻像としての母親像を構築することも出来たのかも知れないが、僕にはれっきとした実体をもった母親がおり、またその母親に育てられたのでもある。しかし、断言できるが、子どもの頃から、つらいことがあろうと、母の存在を恋い焦がれたことなど一度もない。無論、そういう錯誤は確かに在ったにせよ、当時を振り返ってみると、それは裡にある人との絆を求める欲求と同質の感情だったと思う。何がそうさせたのか、ということは無論母親の言動が、母性とは裏腹のものであり続けたということだが、誤解を払拭するために書きおくが、それは決して母としての厳しい側面を悪評価しての感情などではない。そういうことなら、まだしも母性に対するイメージを反面教師としての母親の実像から割り出せたのかも知れない。しかし、分かりやすく言うと、僕の母親とは、父性を持った生物学的なメスという存在だったと思う。つまりは、家の中に、異なった個性の父親が二人居たということである。それにもまして、戸籍上の母親は、圧倒的な父性性をもった人間だったと思う。
僕の裡に深く穿たれた暗黒の穴、これがために僕は救いなき人間になってしまったと感じる。長じて、ひとりの男として、異性を見るとき、どこまでも満たされぬ母性への憧れに悩まされた。それはひと言でいうと、絶対的な安心感を与えてくれる存在としての、抽象概念としての母性である。そのような感性を分かち持った人間などは、この世界にどれほどいるのかは分からないし、あるいは遂に巡り合えないのかも知れないが、心の底の暗黒は、自分なりに形成した思想や論考などによっては、絶対に埋められないものであることを今さらながら、思い知る。どこまでも孤独がつきまとう。たぶん、死してこの躯が焼き尽くされた後に残るのは、カルシウムと化した、己れの骨と、誰の目にも映りはしないだろう、暗黒の、深き穴だろうと思う。なぜだか、そういう確信は拭い難く在る。
人はなぜ生きるのか?という自問のために、自分の人生を賭けて生きてきたような気がする。常にその疑問のコア―は空中に拡散する危険性に満ちたものだったから、その度に僕は自ら危険な、自己消滅の可能性ありき、の場へと向かって行ったのだろうと推察する。そうでなければ、何度も生死の境目に立ち至ることなどなかっただろう、と思う。なぜ、この世界に生き、そして、死なねばならないのか、という本質的な問いかけは、僕にとっての生きるための課題でもあるが、しかし、それにしても、常にそういう生き方を投げ出したくなる自分も一方には確実にいる。そういう生のプロセスの中で、母性愛とは、たぶん、自分にとっては闘いの場に出向くための不可欠な要素である。しかし、現実の生の中では決して得られないものでもあるならば、僕はいつも届かぬことが分かっていながら、虚空に手を差し上げて、カルメン・マキの哀しい、切ない歌声を思い起こすことしかできないのかも知れない。
京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム 長野安晃
こういう歌い出しではじまる歌が、昔、昔に、カルメン・マキという歌手の、たぶん唯一のヒットソングとして、街中を流れていた、と記憶する。なぜだか、今日、読書しながらうたた寝をしていて目が覚めたら、この歌のメロディーとうろ覚えの歌詞が、頭の中に渦巻いていた。うろ覚えの歌詞でも、当時流行った雰囲気は、しっかりと覚えている。聴くものをして、それを世の中の既成の価値意識に対する抗いと挫折の歌としてと感得させたのか、はたまた単なるメランコリックな愛を求める歌として感じさせたのかは、どちらとも言い難い不可思議な歌詞とそれを歌うカルメン・マキという哀しげな女性の持った雰囲気に起因していると思う。総じて言えることは、母の愛、それを母性と称してよいかと思うが、母性の欠落感とその欠落感をうめんとする強いメッセージが込められていたことは否定すまい。
母性というには、母性とは対極にあるような女が、僕の母親だったので、自分の裡には、どうしても埋められない深く穿たれた暗い穴がどこまでも続いているような気がする。人生の最終盤においてすら、なお、そういう気分が濃厚に在る。もしも、母親を知らぬままに育ったとしたら、幻像としての母親像を構築することも出来たのかも知れないが、僕にはれっきとした実体をもった母親がおり、またその母親に育てられたのでもある。しかし、断言できるが、子どもの頃から、つらいことがあろうと、母の存在を恋い焦がれたことなど一度もない。無論、そういう錯誤は確かに在ったにせよ、当時を振り返ってみると、それは裡にある人との絆を求める欲求と同質の感情だったと思う。何がそうさせたのか、ということは無論母親の言動が、母性とは裏腹のものであり続けたということだが、誤解を払拭するために書きおくが、それは決して母としての厳しい側面を悪評価しての感情などではない。そういうことなら、まだしも母性に対するイメージを反面教師としての母親の実像から割り出せたのかも知れない。しかし、分かりやすく言うと、僕の母親とは、父性を持った生物学的なメスという存在だったと思う。つまりは、家の中に、異なった個性の父親が二人居たということである。それにもまして、戸籍上の母親は、圧倒的な父性性をもった人間だったと思う。
僕の裡に深く穿たれた暗黒の穴、これがために僕は救いなき人間になってしまったと感じる。長じて、ひとりの男として、異性を見るとき、どこまでも満たされぬ母性への憧れに悩まされた。それはひと言でいうと、絶対的な安心感を与えてくれる存在としての、抽象概念としての母性である。そのような感性を分かち持った人間などは、この世界にどれほどいるのかは分からないし、あるいは遂に巡り合えないのかも知れないが、心の底の暗黒は、自分なりに形成した思想や論考などによっては、絶対に埋められないものであることを今さらながら、思い知る。どこまでも孤独がつきまとう。たぶん、死してこの躯が焼き尽くされた後に残るのは、カルシウムと化した、己れの骨と、誰の目にも映りはしないだろう、暗黒の、深き穴だろうと思う。なぜだか、そういう確信は拭い難く在る。
人はなぜ生きるのか?という自問のために、自分の人生を賭けて生きてきたような気がする。常にその疑問のコア―は空中に拡散する危険性に満ちたものだったから、その度に僕は自ら危険な、自己消滅の可能性ありき、の場へと向かって行ったのだろうと推察する。そうでなければ、何度も生死の境目に立ち至ることなどなかっただろう、と思う。なぜ、この世界に生き、そして、死なねばならないのか、という本質的な問いかけは、僕にとっての生きるための課題でもあるが、しかし、それにしても、常にそういう生き方を投げ出したくなる自分も一方には確実にいる。そういう生のプロセスの中で、母性愛とは、たぶん、自分にとっては闘いの場に出向くための不可欠な要素である。しかし、現実の生の中では決して得られないものでもあるならば、僕はいつも届かぬことが分かっていながら、虚空に手を差し上げて、カルメン・マキの哀しい、切ない歌声を思い起こすことしかできないのかも知れない。
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