ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○ ときには母のない子のように・・・・

2010-12-29 20:48:20 | Weblog
○ ときには母のない子のように・・・・
 こういう歌い出しではじまる歌が、昔、昔に、カルメン・マキという歌手の、たぶん唯一のヒットソングとして、街中を流れていた、と記憶する。なぜだか、今日、読書しながらうたた寝をしていて目が覚めたら、この歌のメロディーとうろ覚えの歌詞が、頭の中に渦巻いていた。うろ覚えの歌詞でも、当時流行った雰囲気は、しっかりと覚えている。聴くものをして、それを世の中の既成の価値意識に対する抗いと挫折の歌としてと感得させたのか、はたまた単なるメランコリックな愛を求める歌として感じさせたのかは、どちらとも言い難い不可思議な歌詞とそれを歌うカルメン・マキという哀しげな女性の持った雰囲気に起因していると思う。総じて言えることは、母の愛、それを母性と称してよいかと思うが、母性の欠落感とその欠落感をうめんとする強いメッセージが込められていたことは否定すまい。
 母性というには、母性とは対極にあるような女が、僕の母親だったので、自分の裡には、どうしても埋められない深く穿たれた暗い穴がどこまでも続いているような気がする。人生の最終盤においてすら、なお、そういう気分が濃厚に在る。もしも、母親を知らぬままに育ったとしたら、幻像としての母親像を構築することも出来たのかも知れないが、僕にはれっきとした実体をもった母親がおり、またその母親に育てられたのでもある。しかし、断言できるが、子どもの頃から、つらいことがあろうと、母の存在を恋い焦がれたことなど一度もない。無論、そういう錯誤は確かに在ったにせよ、当時を振り返ってみると、それは裡にある人との絆を求める欲求と同質の感情だったと思う。何がそうさせたのか、ということは無論母親の言動が、母性とは裏腹のものであり続けたということだが、誤解を払拭するために書きおくが、それは決して母としての厳しい側面を悪評価しての感情などではない。そういうことなら、まだしも母性に対するイメージを反面教師としての母親の実像から割り出せたのかも知れない。しかし、分かりやすく言うと、僕の母親とは、父性を持った生物学的なメスという存在だったと思う。つまりは、家の中に、異なった個性の父親が二人居たということである。それにもまして、戸籍上の母親は、圧倒的な父性性をもった人間だったと思う。
 僕の裡に深く穿たれた暗黒の穴、これがために僕は救いなき人間になってしまったと感じる。長じて、ひとりの男として、異性を見るとき、どこまでも満たされぬ母性への憧れに悩まされた。それはひと言でいうと、絶対的な安心感を与えてくれる存在としての、抽象概念としての母性である。そのような感性を分かち持った人間などは、この世界にどれほどいるのかは分からないし、あるいは遂に巡り合えないのかも知れないが、心の底の暗黒は、自分なりに形成した思想や論考などによっては、絶対に埋められないものであることを今さらながら、思い知る。どこまでも孤独がつきまとう。たぶん、死してこの躯が焼き尽くされた後に残るのは、カルシウムと化した、己れの骨と、誰の目にも映りはしないだろう、暗黒の、深き穴だろうと思う。なぜだか、そういう確信は拭い難く在る。
 人はなぜ生きるのか?という自問のために、自分の人生を賭けて生きてきたような気がする。常にその疑問のコア―は空中に拡散する危険性に満ちたものだったから、その度に僕は自ら危険な、自己消滅の可能性ありき、の場へと向かって行ったのだろうと推察する。そうでなければ、何度も生死の境目に立ち至ることなどなかっただろう、と思う。なぜ、この世界に生き、そして、死なねばならないのか、という本質的な問いかけは、僕にとっての生きるための課題でもあるが、しかし、それにしても、常にそういう生き方を投げ出したくなる自分も一方には確実にいる。そういう生のプロセスの中で、母性愛とは、たぶん、自分にとっては闘いの場に出向くための不可欠な要素である。しかし、現実の生の中では決して得られないものでもあるならば、僕はいつも届かぬことが分かっていながら、虚空に手を差し上げて、カルメン・マキの哀しい、切ない歌声を思い起こすことしかできないのかも知れない。

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○雑感その10

2010-12-28 12:03:06 | Weblog
○雑感その10
 不況や、それにともなう失職や、生活苦、孤独死などの問題は、とりわけ年の瀬ともなると、新聞紙上ではわざとらしく喧しい記事となって、年末を終わる。年明けには、また新たな年度の、あまり根拠のない希望的観測を含む記事が目立つようになる。不況も失職も生活苦も孤独死も、この時代、年がら年中、日本社会を覆い尽くしている現実なのに。新聞という報道媒体が、この種のルーティーンワークに甘んじていると、新聞報道から、物事の本質や、その本質をもとにして、未来を見通すなどということは出来なくなる。出来ごとの後追い記事ばかりが横行していて、これを報道などと言われてはたまったものではない。高い購読料を支払っているのだから、少なくとも日本は、日本独特の記者クラブ制度などは取っ払って、一日も早く記者の足を使って日本の現実、そこから世界の現実を報道しなければ、存在理由がなくなってしまうと思うのだが、どうだろうか?いま、出版されているかどうかは、定かでないが、立花隆氏の「アメリカジャーナリズム報告」(文庫)を読める機会があれば、ぜひとも目を通してご覧になるとよい。そもそもアメリカには、日本のように、警察署に各新聞社が控えている場などはいない。記者クラブというような制度自体の概念がそもそもないのである。だからこそ、かつてのアメリカ大統領のニクソンのウォーターゲート事件をたった二人の記者がスッパ抜けわけだ。それに比して、日本の大新聞は、制度上、政治家たち、経済界の大物、その他、社会に対して影響力を持ち得る人々に自ら利用されてしまう構造上の欠点がある。
 その意味では、日本における報道の自由という観点で云えば、比較論の範疇に過ぎないが、週刊誌の方がずっと大きな事件のスッパ抜きはお得意である。無論、売れてナンボの商売だから、書きなぐりのカスのような事件報道の方が圧倒的に多いにしても、読者にしてみれば、そこには何らかの発見の楽しさがある。そういえば、立花隆氏だって、元週刊文春の記者だったのである。いまや日本の知性の代表格のようになり上がってしまったが、立花が堕落しないのは、常に権力に擦り寄ることを自ら律してきたことが、立花をして、あらゆるジャンルに対する造詣を深め、それぞれの専門家たちとも対等に渡り合えるような個性になれたのだ、と思う。田中角栄のロッキード事件の真実を論証したのも立花だったし、執拗な赤旗の攻撃と党の嫌がらせに遭いながらも、非公然化時代、日本共産党の宮本顕治とソ連との繋がりや、スパイのリンチ殺害事件の真相に迫る著作はみごとなものだったと思う。
 さて、日本の4大紙も、地方紙も購読料は殆ど横並びなのだが、これはおかしいと思うのである。昨今の若者たちの中は、こういう報道に対して懐疑的で、むしろウェブ上から発信される報道を頼りにしている人が多いと思う。パソコンは無理をしても買うが、生活費を切り詰めようとすると、新聞購読料などは真っ先に削除される対象となるのは当然の結果なのかも知れない。昔のお父さんたちが、出勤前に、朝食をとりながら新聞を広げていた時代とは、生活感覚も違えば、労働の質も異なり、そもそもこの世界に生きるという定義そのものが、異なってきているように思う。新聞購読者が減ったというよりは、新聞を創る側の報道姿勢に問題があるからだし、もっと安く読めるようにしないと、賃金が低く抑えられている中で、現在の購読料は敢えて支払ってまでも、新聞を読むという気にならないのは必然である。NHKの受信料もしかり。高すぎる。NHKの記者、職員がどれだけの高給をもらっているかを知ったら、それこそアホらしくなるに決まっている。朝日新聞社の関連企業だと思うが、朝日文庫から、元朝日新聞記者の本多勝一氏が「NHK受信料拒否の論理」という本を出しているから、日本の放送法の問題とも絡めて、一度読んでご覧になるとよい。給与の低い若者も、何となく当然のように、NHK受信料を給与からの引き落としにされてしまっているようなので、まずは給与からの引き落としを止めてから、この書と向き合ってほしいものである。NHKこそは、企業努力をなすべき最も大きな組織だと僕は思うから。受信料を支払わなかった市井の人をNHK側が裁判にかけたのは、記憶に新しい。訴えられた5人のみなさんは、受信料を支払うことで折り合いをつけたようだが、まずは、NHK側は、本多氏が、受信料を支払った証明書を見せてもらいたいものである。サイレントマジョリティだけを受信料取り立てのターゲットにすることなかれ!そういう姿勢を卑劣というのである。
 受信料を支払わない理由として、NHKは観ないから、とか、テレビがないから、という理屈に対する屁理屈は、この人たちも被害者だと僕は思うが、受信料を取り立てる集金係には、マニュアル化して教え込まれている。だから、前記のようなことを言っても、集金人の人々は引き下がらない、いや、引き下がれないように教育されている。何ともつまらない現実だと思う。まとまりのない話になったが、年末ということで、こちらも思考が分散してしまうようである。当面は雑感ということで、書き散らしますが、悪しからず。

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○雑感その9

2010-12-27 11:12:28 | Weblog
○雑感その9
 教師を辞めた大きな理由は、すでに何度か書いたので、もう書きとめる必要もないのだが、これから書くことは、あくまで離職の主因ではないにしろ、教師という存在にどうしても甘んじることが出来なかった観念的、あるいは同時にリアルな問題について、少々。
 自分がアクティブに活動出来る殆どの時間を、同じ年齢の子どもたちに対して、同じ教科(同じ教科しか教えられないのは当然なのだが)を、それがカリキュラムの変更があっても、自分の教育理論をいかに変質させ、磨こうとも、基本的に同じことを、繰り返し、繰り返し教え続けることのつらさ、切なさったらないね。結局、自分をゴマカシ、ゴマカシしながら、23年も同じ教科をそれこそ、シジフォスのごとくに、山の頂上まで巨大な石を運び上げたら、その瞬間に石は無残にも山上から山の裾野へと転がり落とされる、そういう繰り返し。このような観想が、僕の生徒と向き合うことの出来る3年間という基本的な時間的制約。使い切ったネジを再び巻きもどすために必要な精神的エネルギー。この果てしない繰り返しを、喜びと感じることができるのか、あるいは、限りない徒労としか感得する感性しか持てないのかが、たぶん、人生の大半を、教育という仕事に自己を投入出来るかどうかの境目なのではないか、と思う。正直、僕はつらかった。いくら自分も変わり得るのだ、と言い聞かせても、あるいは、どんなに努力したところで、心の深いところでは、まさに自分は同じ次元を這いずりまわっている感、拭えず。世間さまは、安定した仕事だの、賃金がよろしいだのと言ってはくれるけれど、そう言われると、自分の中にとんでもない羞恥心が湧き起るから、こういう仕事についたのは、やはり根本的な間違いだったと認識せざるを得ない苦渋の日々だった。だからこそ、より新しい挑戦を!という気分にもなる。英語教育理論の洗練に関心を向けたこともあり、生徒指導の方法論に新たな観点を注ぎこもうとしたこともあり、あるいは、教育現場における労働組合という組織として、より意義ある教育づくり、教育環境の整備という課題に取り組んだこともあり。その集約が、学校法人に害毒を垂れ流す宗教法人を追放する、という運動論の組み立てだった。その結末は、最大の敗北だったのだけれど。
自己の能力の限界性を知り、既存権力の大きさ、ふてぶてしさ、不埒さ、いや、そんなことよりも、こういう敗北によって、教育現場を去った後の、元同僚たちの冷たい態度に絶望させられもした。さらに言うと、他の仕事は知らないので、何とも言いようもないが、少なくとも、教師どうしの関係性のあり方の、何とも表層的なものだったこと。どうして、あんな人間関係の中で、仲間とも思い、同僚とも思いしながら、一緒に仕事が出来たのか、不思議でならんな。みんなが割り切りの関係の中で、己れの生活を保守することばかりを考えている。それが教師たちの生態だと僕は思う。オモシロいことがあった。当時、比較的仲良くしている国語の教師がいて、そいつが、高齢の理科のクセのある女のセンセのことをいつもボロカスにけなしていたから、きっとその人のわら人形でもつくって、釘でも打ち付けているのではないか、などとあらぬ想像をしていた。そいつは、僕の最も嫌いな家族写真を年賀状にして送りつけてくる輩の一人で(なんで自分の家族の写真を同僚に見せる必要などあろうや?家族どうしの交流でもあるならまだしも、会うこともない家族の写真を見せられても、なんともはや、どうにもならんのに)、ある年初めに届いたやつからの年賀状に、どうしたわけか、もう一枚同じのがくっ付いてきたのである。何とも皮肉なことに、そのくっ付いてきた年賀状が、やつが日頃からくさしまくっていた例の理科の女教師への賀状だった。文言も僕へのそれとまったく同じ。お笑いである。やつに電話して、知らせてやろうか、と思ったが、そこまで僕は底意地悪くはないので、黙ってくっついた年賀状を上手に剥がして、そのままポストに入れておいた。数日遅れで、そのオバハンに(これはやつの言葉です!)届くだろうと思って。
 無駄話が長すぎたので、最も伝えたきことを最後に。教師に甘んじ切れなかった最大の理由は、教師存在というのは、本質的に常に取り残される存在に過ぎんということに心底気づいたからである。さらに言うと、常に、生徒たちに先を越されてしまう存在だと言うことである。それを生徒の成長だとお気軽に、また厚顔に言う輩は、たっぷりと退職金をもらうまで、教育現場に居続けるのだろうが、僕には、こういう気づきが最もきつかったのである。置いてきぼりを食らうのって、嫌じゃあないですか?自分は同じところに常に留まっていなければならないのに。まじめな先生稼業に満足しておられる方々にはまことに申し訳ないのだが、僕には到底耐えられない、仕事。家庭を持ち、子どもをこの世に送り出したので、たぶん、経済的な要素が、長く同じ職場に居続けさせたのだろうと思う。子どもたちにとっては、つまらん父親だったとは思うが、僕の個性としては、よく耐えた方か、と総括せざるを得ないな。今日は、まあ、こんなところでしょうか。

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○雑感その8

2010-12-26 11:28:49 | Weblog
○雑感その8
 年末を迎えようとする頃に、「孤独死」というテーマで新聞記事の特集が組まれることが多くなった。都会の独り暮らしの老人が、誰にみとられるでもなく、日常生活の延長線上で、古びたアパートや公団住宅で、そのまま息をひきとり、死後長い間誰にも発見されないまま朽ち果てていく躯そのものを、「孤独」の象徴であるかのような報道の仕方をするのである。報道の姿勢としては、独りぼっちで逝った老人の躯が何を物語るのかを、死から遡って、死者の孤独な生きざまを追跡するというスタイルである。生きている人間からすると、この種の死の様相は確かに何ほどかの悲惨なイメージを想起させはする。しかし、人間の、幸不幸という観点をさしはさむと、どうも僕には、こういう死に方が必ずしも孤独で悲惨なそれとは思えないのである。
 この種の「孤独死」のイメージと対極にあるのは、たぶん大勢の家族にみとられて死を迎えるような人々の生き方なのだろうと思う。かつては、僕も確実にこちら側にいて、家族にみとられながらの死を迎えるはずの人間だったと思う。無論、いまの生き方の延長線上には、前記した「孤独死」の側にいる自分の、現在よりもさらに年老いた自分の姿がある。ならば、僕は果たしていま、孤独でわびしい暮らしをしているのだろうか?と自問してみるが、どうもそうは思えない。先行き不安でないか、と問われれば、客観的には、とても不安な短い未来が待ち受けているとは思う。しかし、このようなファクターを組み入れてみても、やはりいまの生き方はどう考えても必然であったとしか思えないし、いまの生き方、近い将来に訪れる孤独死とやらも含めて引き受けることにやぶさかではない自分がいるのである。
 典型的な核家族。女房がいて、息子が二人に、土地付き一戸建て住宅。仕事は地味だが、おとなしくしてさえいれば、リストラに遭う不遇もないし、収入も現在殆どの労働者の賃下げがまかり通っている中でも、そういうことにはならず、かなりの蓄財と退職するときに受け取る大枚の退職金と、年金で楽しい?老後?が待ち受けていたはずだったのである。そういう環境を棄てることになった経緯は何度も書いたので、略するが、果たして僕には生活の心配のなかった23年間は、どうにもこうにも辛抱し切れない退屈感と常に向き合っていなければ、退屈という毒牙で、とっくの昔にガンか何かでこの世の人間ではなかった気がしないでもない。四季折々の集まりに女房の実家に車で家族ともども伺うしきたりであった。これがまた、僕には耐えられる限界値を超えていたのである。そらぞらしい家族交流、目の前には食べ切れぬほどの料理。酒をがぶ飲みするようにあおる義父は、とりわけ僕の嫌悪の対象だった。酒飲みで、自慢話ばかりするような輩は、他人ならば、ぶちのめしているはずだ。公立の教師なのに、教頭、校長に一刻も早くなりたいがために、偉いさんの家に義母と盆暮れの届け物を持っては、彼らの自宅に行く。日曜日ともなれば、その手の輩たちとのゴルフ。まるで中小企業の経営者だ。中小企業の経営者ならば、銭儲けという割り切りもあるが、このおっさんは教師だ。校長になり上がってからも、自分は大阪市で一番年若き校長になったことを自慢げに語る。酒がすすむと、地区の、あるいは在日の子どもたちを蔑んで憚らない。何より嫌だったのは、そんなアホウな害虫みたいなおっさんの話を聞きながら、ヘラヘラと笑っている自分だった。帰りの車の中では、当然のことだが、ひどく機嫌が悪かった。女房との精神的な距離感は、年を経るごとに遠ざかっていった。今日は紙面の関係で書かないが、自分の縁戚もひどいものだったと思う。
 あたりまえのことだが、23年にして教師をやめたら、自分の評価はガタ落ちだった。離婚はあたりまえの前提事項だった。家族解体。呆気なかったね。その後、心理カウンセラーという仕事に行き着いて、2冊本を出した時点で、別れた女房はどうでもよかったが、二人の息子に本を送ろうとしても、住所すら知らせずに離別したので、致し方なく丁寧な手紙を添えて、女房の実家に送った。息子二人分だから、たった4冊の本だったが、かつての義父から電話があり、偉そうな声で、こんなものを送られても困る。第一、置いておく場所もないとくる。かつての義母の死別した夫の死亡保険金で買ったご大層に大きな家だ。そこに入り込んだに過ぎないおっさんに言われる筋合いのない言葉だと思ったが、邪魔ならば、棄ててくださって結構だ、と言うしかなかった。孤独というならば、家族ごっこ、親戚ごっこを無理矢理やっているときの心境こそが、その名にふさわしい、といまだに思う。
 さて、いまは、賑やかしくはない生活である。しかし、そういう生活を決して孤独とは思ってはいない。ささやかな蓄えで、異国を彷徨い、どこかの地の果てで客死しても構いはしない。人はそれを孤独死と呼ぶのかも知れないが、僕にとっては、それは孤独死でもなんでもなく、自然な死でしかない。死した後の躯のあと始末をしていただく人には申し訳ないことだ。しかし、たぶん、僕をも含めて、冒頭の孤独死を遂げた人々が、生きている人間からすると、誰にみとられることもなく逝った躯から想起するような孤独感の只中で、自己の死を迎えたのかどうか?たぶん、そうではなかろうと思うのである。

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○雑感その7

2010-12-24 16:06:40 | Weblog
○雑感その7
 殆どの政治家というのは、やっぱり国民ひとりひとりの幸福なんて考えていないな。国内の問題で云えば、過去にメルマガに書いたことがあるが、大阪府知事の橋下さんは、絶対的なカジノ推進派。日本はもはや十分なギャンブル王国であるにもかかわらず。日本に公営カジノをつくろうとすれば、かなりな法的整備も必要だというのに、橋下さんは、つもかく突っ走る。平松大阪市長さんとは、もはやまったくソリが合わない。京都府知事は、日本へのカジノ誘致には賛成の御様子。京都はもっと文化を守る義務というものがあるだろうに。京の町屋保護も満足に出来ない。町屋の跡地には、マンションばかりが建つ。京都は、いまや、観光名所となっている寺でもっているようなものだろう。関西広域連合長で、兵庫県知事すら、公営カジノの弊害を述べ、誘致に関しては反対の意向のようだ。「平成維新の会」とやらをつくった橋下さん、あまり調子に乗らない方がよろしいと思うけれど。大阪府民もええ加減に目を醒ますべきときではないだろうか?橋下さんは、今度の選挙では、大阪を棄てて国政に行くよ。
 今日はもっと大きな問題についての観想。イラク戦争の検証ということで、新聞報道されていたが、やはり、この記事を読む限りにおいて、前ブッシュ米大統領の政治は、国内・国際政治の諸問題から自国民の目を逸らすために、イラクへ侵攻したとしか思えない。当時のパウエル米国務長官が、イラクが大量破壊兵器を開発しており、また国際テロ組織のアルカイダとの関係性の深さに関して国連で公表してから、イラク派兵に至るまでの何と素早かったこと。英首相のブレアだって、それなりの手続きを踏んでいたにせよ、イギリス国民を間違った情報のもとに戦争に駆り立てた愚昧な政治指導者だった。さて、当時の日本の首相は小泉純一郎だが、この人は閣僚懇談会ですらイラク参戦の是非について議論することもなく、官房長官ですら、知らなかったのに、記者団に対して、「米国が武力行使に踏み切った場合は、支持するのが妥当ではないかと思っている」と公然と言い放った。まるで独裁者である。フセインのことなど批判できるのだろうか?現在、参戦した、オランダもイギリスも、独立調査委員会で、調査中だという。日本は、やらない。どうしてだ?国民だって、小泉純一郎を支持する人もいまだにいる。息子の進一郎などは、自民党をしょってたつ人間だとさえ言われている。ともかく日本は、おかしな人物が政治家として人気をはくす。国民の一人として、猛省するべきことだろうと思っている。
 オバマ大統領は、イラク戦争に対する調査委員会などは立ちあげない。ブッシュを追い詰めると、自分の政治的・財政的な組織的支持基盤の猛反発に遭うからだろう。これはアメリカの国民というレベルの問題ではない。オバマを支える政・財界の指示基盤はブッシュ大統領から単純に乗り換えただけのことだからである。オバマのchange とは、単なる頭のすげ替えでしかなかったと思わざるを得ない。その意味でアメリカ国民も騙されているのだろう。アメリカ大統領の暗殺及び暗殺未遂事件を含めると、まさにそれは血ぬられた歴史である。しかし、オバマは絶対に暗殺とは無縁の人間だろうと思う。それだけ、土台のところで、アメリカ政治・経済を牛耳っている人間たちに従順であるからである。つまらないミステイクが発端になって、戦争に駆り立てられたアメリカ兵の戦死者は、4400人だというが、それにもまして、イラク市民の犠牲者は、10万人以上と言われている。この責任を誰が、どうやってとるのか?
 独裁政治は確かにイカン。それにしても、フセインは、アメリカの肝いりの裁判で絞首刑にされることもなかったとは思う。当時のブッシュ大統領はイラクに、民主主義を確立するという言い訳をしていたが、まさにそれは言い訳なのであって、石油の一人占めのためには、フセインはまさに目の上のタンコブだったからだろう。それが、イラク戦争の目的である。そこに、いかなる意味においても、正義のための戦争の意味などあり得ない。イラクはいまだに、政情不安で、市民が困っている。
 日本人こそ、やはり、人類史上初めてアメリカに原爆を2発も落とされた国として、また、沖縄を長きに渡って占領され、沖縄返還についても、密約で法外な金を支払い、アメリカの言いなりになったがゆえに、ノーベル平和賞をもらった、当時の佐藤栄作のごとの政治を許さないという姿勢を持つべき国ではないか?いろいろもめても沖縄の基地問題にしても、辺野古に落ち着く。少なくとも、政治家たちのきたならしい駆け引きの道具にはなりたくはないね。そのためには、しっかりとした政治家を選ぶところからはじめなければ。感情論に流されないようにして。そうではありませんか?

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○雑感その6

2010-12-23 17:38:14 | Weblog
○雑感その6
 日米で交わされた機密文書が続々と日の目をみるにつけ、保守政権であろうが、かつての革新政党としての社会党であろうが、いまは、無残に孤立している感ありの、共産党などの国会におけるやりとりのインチキさには、僕たち庶民はもっと怒ってもいいのではなかろうか?沖縄返還に際して、日本政府がアメリカ政府に支払う莫大な金を指して、沖縄返還は金で買ったのだという批判的な報道が当時はもっぱらだったが、正式発表されている額の数倍の金が秘密裏にアメリカ政府に渡っていたという事実が、今回の日米の機密文書の公開とともにあからさまになった。しかし、おかしなことに、当時の国会討論の様子をテレビで再現していたが、自民党政府の当時の大平外相に対して、社会党の議員が、多額の裏金が流れているのではないか、という質問に、大平は、平然と、そういう事実はありません、と答えている。こういうのはウソも方便などという範疇のものではない。さらに驚くべきことは、機密文書どおりの裏金の金額が流れているのでないか、と質問している社会党議員もその事実を本当のところは、よく知っていたということである。要するに政治家たちの間では、保守も革新もなく、国民には明らかにはしないが、互いの諒解事項であったことが伺われる。もうこうなると茶番などというものですらない。国会そのものの必要性の有無が問われる問題だ。
 日本人の誰もがおかしいと思ったであろう、佐藤栄作のノーベル平和賞受賞だったが、まさに、佐藤が鬼籍に入ってしまった、いま、家族がノーベル賞の自主的返還をするべきだろう、と思う。佐藤がノーベル平和賞を受賞したのは、沖縄返還に寄与したという理由だけである。しかし、沖縄返還のために膨大な裏金を拠出したのも佐藤だったし、返還前に、沖縄の基地からベトナム戦争の最中にベトナムへ爆撃機を飛ばしてもよいと、内密にアメリカ政府に許可したのも佐藤だ。日本への核兵器持ちこみを確約していたのも佐藤だろう。なんでそんな人間が、日本でただ一人のノーベル平和賞受賞者なのだろうか?その他諸々、佐藤はあまりにも暗々裏に(と言ってもアメリカ政府が機密文書を公開しているのだから、まさにアホウは日本政府の方だけれど)アメリカ政府の言いなりになるものだから、佐藤のノーベル平和賞は、アメリカがノーベル賞授与委員会に働きかけた結果の、お駄賃の様相が強い。これだけの事実が明らかにされたのである。返還するべきだろうに。マスコミもこれはさすがに言わないね。なぜって、マスコミだって、そういう事実は嗅ぎつけていたくせに、問題にすることを避けてきたからだろう。日本のマスコミの報道のあり方は、結局自らの取材力に輪っかをかけているようなものだろうからだ。
 いま、沖縄基地問題が話題になってはいるが、鳩山首相時には、たくさんの沖縄県民が抗議に駆けつけた。「怒」のハタは印象的だった。しかし、なんにもしない菅首相が沖縄県知事のもとに話合いに行った折には、抗議する民衆の数は激減していた。それは、かつて、当時の日本の駐米大使だったライシャワーの作為によって、佐世保に入港する原子力潜水艦の停泊期間を徐々に延ばし、さらに寄航回数を増やし、民衆に抗議する意味を見失わせた結末とよく似ている。無論、管首相にそのような自覚的な認識があるとは到底思えないが、辺野古への基地移転は、沖縄県民の疲れを見計らって、現在の知事は認可することになるだろう。もともとこの知事こそが、辺野古への基地移転の賛成論者だったのだから、いま基地移転を県内で済ますことの落とし所を探っているとしか思えない。菅だって、市民運動家上がりだろう。市民運動の限界性だけはうまく利用することが出来るのだろう。特にアイロニカルな見かたをしなくても、どのような決着が落ちつくのかは、大体は分かる。なんでやろうか?人間って、ほんとにすばらしい側面を持っているかと思えば、反吐が出そうなことを政治や政策という名のものに、平然とやってのける。これが人間というものか?はたまた人間の限界性なのだろうか?僕は、いつまでも人間とはなんぞや?と問いかけ続けねばならないではないか。

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○雑感その5

2010-12-21 21:52:04 | 観想
○雑感その5

人間がこの世界に生み落とされ、長い自立までの時間の後に、己れの生き方を想い定め、困難に抗って、そこを乗り越えるのか、挫折するのかは別として、個々の人間に許された命を生き切ったとしても、せいぜい100年以内のことに過ぎないのだろう。世界に対してポジティブに立ち向かえるのは、さらに短い時間のことでしかないだろうから、人の生涯なんてどこまでいってもチャチなものである。それなのに、いや、それだからこそか、人は自分の生きた証を残したがる。

歴史に名を連ねることの出来る人間なんて、砂漠の中の砂粒ほどの確率くらいのものだし、歴史と云っても、それはあくまで後年の人間の編纂によるものなのだから、人の存在の歴史的意義などと云ったところで、その根拠はかなりあやしい代物ではなかろうか?とは言え、自分の心の中には、こんな凡庸な人生のまま死してなるものか、という想いも強く在る。しかし、日本で云えば、江戸・幕末期ですら、僕のいまの年齢まで生き抜く人は殆どいなかったはずだし、当時の日本人の感覚からすれば、僕の年齢は、まさに老人中の老人である。身分の上下を抜きにしても、たかだか隠居の身でしかない。

人間、生きてナンボの代物だろう。死者の魂の存在を信じる人たちもいるようだが、そんなものはそもそもありはしない。生まれ変わりの思想などというのは、テイのいい、死の恐怖を隠蔽するためのエセら事に過ぎないだろう。確かに生きているうちに、何ほどかの生きた証を残したいとしても、そうそう何度も姿かたちを変えて、この世界に舞い戻ってくるなど、まっぴらだ、という気分も強くある。だから、もう取り返しようもないこの時期に、凡俗な命を閉じる無念さを感じつつも、生の本質とはあくまで、一回性でよろしいのである。輪廻転生などという言葉、その思想には、金を見たら目の色が変わる守銭奴よりも欲が深いという意味で、僕には醜悪に感じる代物だ。

この長きに渡る歴史の流れの中にいっとき生きた人間として、某かの足跡を残すなどということは、たぶん、虚妄に過ぎないだろう。人はこの世界に、いっとき現れ、切ない営みをし、そしてそれぞれの死を迎える。それでよいのである。同じような気質や能力を持った人間であっても、その時代性の違いによって、英雄にもなれるが、凡庸な生活人ともなる。個人の能力だけの問題ではなかろう。しかし、これだけは言える。現代という時代は、秀逸した人間を凡庸な生活人にしてしまう哀しき時代である。こういう認識を持っていれば、少しは諦めもつくか。ともあれ、僕自身は、どのような時代に生まれ育っても、やはり、凡人だったとは思う。書きながら、そういう想いを新たにした。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○雑感その4

2010-12-20 14:43:06 | 観想
○雑感その4

人の心が変容するというのは、いったいどのような経緯をさして言うのだろう?何が決定的な心がわりの原因になるのだろう?勿論、全ての現象に通底している要因を敢えて探るわけだから、この拙い雑感からはみ出ることは多々あることを認めた上で、勇気を出して書き綴ろうと思う。

思えば、ずっと僕は愛情とは何ぞやと、自問してきたような気がしてならない。文学や哲学や社会科学に興味を抱いたのは、全てこの種の自己への問いかけがきっかけだと思う。どこから入ってもいいのであって、それが文学であれ、哲学であれ、、社会科学であれ、あるいは、現実の人間どうしの繋がりの中であれ、僕の希求してやまないのは、本質論的な愛情のあり方とはいかなるものか?ということであった。

恋人ができ、家庭を築き、子どもを生み育て、というプロセスの中に、幸福な人たちは、愛のありようを体現している。しかし、僕をも含めて、愛が形式論的な範疇の中に投げ込まれてしまい、人間の深き絆という概念をつかみ損なった人々も数多くいるはずである。たぶん、何気ない日常生活において、どこからやって来るのかもわからない、不可避な退屈感の底に落ち込むことを如何ともし難い、という観想の虜になって苦悩するのは、確かに不幸な人たちだが、しかし、その一方で、彼らは、訪れる不幸を代償にしながらも、人間の絆とは何ぞや?という自問によって、精神的に高次元の領域に踏み入る可能性に満ちた人たちでもある。

社会的制度的拘束力の中に僕たちは身を浸しているわけだから、制度的な決まりごとの土壌に身を浸していれば、近親者としてとくに齟齬を来たすようなことがなければ、日常は淡々と過ぎ去るのだろう。しかし、たとえ淡々と過ぎ去るとしても、その過程で絆を深めるべき対象者との濃密な精神の相互交流と、相互理解を生じさせ得るには、当事者どうし、互いに大きなエネルギーを必要とするのである。だからこそ、立場はあくまで対等平等でなければならないだろう。

このようなプロセスを踏まずして、対話を通した理解を深め合うことのない夫婦関係とか、縁戚関係など、実はひどく脆いものなのである。とくに、形式主義者としての夫、及び妻という関係性ほど、生活の基盤のひとつでも壊れる兆しがあれば、家庭という、彼らにとっての形式などは、一夜のうちに灰燼に帰するだろう。無論、崩壊過程は、徐々に進行するのではあるが。つまりは、形式主義者における心などは、極論すれば、一夜にして、瓦解し得るということだ。それが人の心のありようの本質的な姿と言っても過言ではない。

この世界に生きている限りは、自分が属する制度的な制約を受けざるを得ない。誤解なきように言っておくが、僕は制度的なるもの全てが、愛の本質論と相矛盾するなどという暴論を述べているのではない。そうではなくて、社会制度的な枠組みの中に、ただただ安住することなかれ、と言いたいだけなのである。それは、精神の自殺行為に等しいからである。制度という自分の精神を縛る存在の中で人間の絆を深めるには、それなりの覚悟が要る。全く折り合えない人間どうしであれば、あらゆる可能性は閉ざされているが、少々の精神的齟齬があるくらいならば、むしろそこから目を逸らすことなく、互いに受容し得るまで、妥協なき次元にまで人間どうしの絆の次元を高める努力をしなければならない、と僕は思う。ときには踏み込まれたくない精神の領域へ敢えて、立ち入る必要さえあるだろう。こういう努力をなさない理由を、互いのやさしさなどという耳触りのよい言葉でごまかさないことだ。人の価値観などさまざまだろうが、やさしい?表層的な関係性などは、僕の望むところではない。いかなる意味でもご免こうむる。それならば、孤独の中で、何かひとつ、老年にしか掴み得ない生の真実なりとも掴んで、己れの死と直面したきものである。深き、心の底の底までの濃密な心の相互交流なき関係性から生じた心変わりなど、どうってことはないのである。僕にとっての心の変容とは、互いに、深き心の暗部にまで立ち至って、その後に訪れる豊饒な心の混じり合いのことであるからである。つまらない関係性に関わっている時間はないね。とくに表層的なそれなどには。心からそう思う。

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長野安晃

○雑感その3

2010-12-18 00:53:29 | Weblog
○雑感その3
 民主党政府もますますアカン。新聞報道を読む限りにおいては、今後10年間の「防衛大綱」は自民党政府時代よりもさらに危険な様相を帯びてきた感あり。なんのための市民運動家上がりの首相なのだろうか。菅は、もはや一国の首相などではない。民主党は官僚主体の政治からの脱却を目指したはずなのに、そういう面は、事業仕分けのパフォーマンスに一部残っているに過ぎない。それすらも、いまとなってはこれまでの自民党保守政権が、長年かかって日本をダメにしてきた告発の側面の値打ちしかない。現実に、税金の無駄がはぶけるものでもない。民主党政府は、国民に、官僚支配がもはや力を消失するかに思わせてしまったという意味で、かえって罪深いと僕は思う。
 今回の新「防衛大綱」の内実は、中国政府や、北朝鮮の脅威を謳い文句にしながら、この調子でいけば、自民党政府よりもさらなる解釈的憲法違反を深めてしまいかねない。いや、もはや、民主党政府はその方向へまっしぐらに走り始めた。新聞には、旧防衛大綱と新らしいそれとの比較が図示されている。見てくれだけの変化を敢えて探すならば、陸上自衛隊員と常備自衛官が1万人ずつ減っていることと、戦車と火砲が200ほど減ったくらいだ。それ以外は、海上自衛隊と航空自衛隊の作戦用航空機と戦闘機が現状のままで、あとは、すべての兵器に関わるものは増えている。自衛隊員の減少も、退職官のための自然減だろう。あるいは、それに対する積極的な自衛官募集をさし控えた結果に過ぎないもので、全般的には、その考え方において、軍備増強の方針であることは間違いない。
 「防衛大綱」とは、まさに国の防衛に対する思想であるから、ある意味、細かな軍備・兵器の増減よりは、その考え方に注目する必要がある。いくつかの新防衛大綱の骨子のポイントが新聞掲載されているが、特にアブナイ項目を列挙しておくことにする。一つは、「従来の<基礎的防衛力構想>によらず、<動的防衛力>を構築する」という下りである。ここで言う動的防衛力とは、いったい何を意味するのか?これは仮想敵の動きによっては、日本の方から攻撃をしかけることもある、というふうに解釈し得るものだ。さらに気にかかる下り。「在日米軍の駐留を円滑・効果的にする取り組みを推進」だと言う。これは、日本はこれまで以上に、アメリカの言いなりになります、という宣言のようなものだ。沖縄の基地問題は、間違いなくアメリカ政府の要求を丸のみするだけだろうし、全般的に見ると、この表現は、日米軍事同盟の強化でしかない。さらに驚くべきことは、「武器の国際共同開発・生産など大きな変化に対応するための方策についての検討」という発想。敢えて、武器輸出三原則理念堅持などと言わねばならないゴマカシは、詐欺的行為と言われても致し方なかろう。これまで日本は軍需産業を国家産業から外してきた世界で唯一の先進国だったはずだ。民主党政権下においては、近い将来必ず日本国憲法の改悪をしなければならないジレンマに陥る。僕たちは、そういうことをここでしっかりと見抜いておかねばならないと思う。
 市民運動家の堕落し切ったなれの果て、それが管直人だろう。日本がよくなるはずがないではないか。かと言って調子づいている自民党、他の野党なども同じ穴のムジナだ。どう考えても日本の未来はかなり暗いね。日本国憲法改正運動などというゴマカシに騙されると、取り返しのつかないことになるから、まあ、ここだけは真剣に、慎重に、行動しなければならないのだろう。そういう想いを新たにした。

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○雑感その2

2010-12-17 00:29:23 | Weblog
○雑感その2
 かつて僕が関わった学校法人としての学園を、寺の坊主たちが実質的に支配してきた、浄土真宗本願寺派が、教団の「憲法」としての宗法を抜本的に見直すのだという。そういう記事が新聞に掲載されていた。
この宗教教団が学校を支配してきたという意味は、少なくとも僕が関わった総合学園としての学校が、能力ある人材を広く門戸を開いて募集したのは、実質的に数年間に過ぎなかったということである。さらに言うなら、教職員採用に際して、浄土真宗本願寺派に忠誠を尽くすべく、踏み絵を踏ませるごとき面接をしなかったのは、正確にはたった一年だけのことだったと記憶している。それ以降は、徐々に締め付けが厳しくなり、まさに踏み絵を踏まなければ、採用に至ることはなかった。なんの因果か、僕がこの学園に就職したのは、宗教的強要を排除した、そのたった一年の隙間に採用されたのだから、彼らの大好きな「ご縁」があったのか、悪縁だったのかは、よく分からない。さらに言えば、僕が能力ある人材だったなどとは到底思っていない。簡単な言葉で云えば、まぐれで入ったのだろうと思う。この学園を去ることになったのは、長きに渡る宗教教団に対する抗いが高じてのことだった。その抗いの理由とは、坊主でなければ、管理職になれないというアホウな規定があり、逆に言えば、どんなアホウでも坊主であれば、管理職になり得るということでもあったからだ。こんな規定のもとで、まともな教育など行えるはずがない。
 この学園にいると、寺に生まれたという輩たちの特権意識が鼻について仕方がなかった。坊主で教師、坊主で事務員という輩は、総じて世襲制という制度の中で生きてきた連中ゆえに、自分たちの立場が坊主であることによって、たとえいかに無能であっても職にありつけたのだから、この学園と関わったお陰で、僕はとりわけ浄土真宗本願寺派という大宗教教団が大嫌いになった。そもそも宗教が世襲制度によって守られているということが、宗教的堕落を生じしめる、というリアルな視点などは、絶対に認められることがなかったのである。ありていに言えば、寺に生まれた人間たちのよき就職先が、学校法人としての学園だったというわけである。優れた人材が集まる素地がそもそもないのである。
 さて、最初の新聞記事の内容に話をもどそう。宗法を抜本的に見直す理由は、門徒(信者)が激減しているからである。僕から言わせれば、宗教の世襲制度の限界がやっと明らかになってきたに過ぎないということになるが、坊主たちは焦っている。権限の集中化を目指し、特に都市部の信者を増やすのがその目的なのだそうな。その理由は、少子高齢化に伴って、特に地方における信徒の激減が加速しているので、せめて都市部で、歯止めをかけるのだという。しかし、それは無理というものだ。信徒が激減しているのは、自分たちが世襲制に胡坐をかき、葬式仏教で銭を儲け、税金の減免を当然のことのように考え、宗教的意義を訴えるでもなく、本山はただただ、末寺からの、ヤクザまがいの上納金にしか関心がなかったからだ。信徒が減っては、末寺からの上納金も当てにならなくなり、銭集めのために中央集権化するのだという。まるで、悪名高き高級官僚の思考回路そのものだ。宗教的な救いを求める民衆から遊離してしまった宗教教団などに、存在理由はないのである。教団が全国の末寺1万280カ所に実施したアンケートだって、回収率は60%を切っている。坊主たち自身に関心がないのがモロに出ているではないか。政治にしろ、宗教にしろ、世襲制度などをとったら、必ず堕落する。そういう自堕落さが、信徒を減らしているのに気づきもしない。まさにアホウの集まりだ。僕にはそうとしか思えないね。

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○雑感その1

2010-12-15 23:31:37 | Weblog
○雑感その1
 僕とは違う意味で変わりものだった、かつての学校時代の同僚の男が、自分が死したら、いまのような腐った坊主たちの読経があって、葬儀屋が切り盛りするような典型的に様式化された葬式なんてごめんやな、と昼飯を食っているときに、ぼやいたことがあった。彼は同時に、ぼやいた。そういうことを女房に言ったら、死にゆく人がごちゃごちゃ言わないものだし、後のことは、生きている人間に任せるものよ、という返答だったことに対して。しかし、これはもうだいぶ前の話だということが、今日のある昼のテレビ番組を観ていて、世の中の常識がかなり変化してきているのに気づいた次第。たとえば、死者の遺骨を粉上に砕いて、まるいガラスの容器に入れて、家に保存しておくとか、遺骨を加工して、ペンダントにするのだとかというのは、結構普通にあることらしい。海や山に散骨することは、かなり浸透しているし、そもそも新聞の死亡欄には、家族葬で済ますという記述がよく目に入る。世の中、変わってきたものだと思う。かつてのように、銭金の多さで、戒名の格が決まるなどというアホウなことが、なくなりつつあることは、とてもまともだろうと思う。
 ところで、話を最初にもどすが、かつての友人に対して、常識的なことを言った女房の方が、先に逝ってしまった。40代なのに不幸なことだった。大腸がんで、何度も転移を繰り返し、その度に手術を繰り返すものだから、葬式に行ったら、これがあの人か、と慨嘆させられた。医学も酷なことをやる。綺麗なまま、死なせてやればいいのに。医者には分かっていたはずなのに。驚きは、坊主に読経などされたくもない、と言っていた同僚が行った葬儀は、何ともあまりにもありふれたそれだったので、一体どうなっているのか?と感じ入った。参列者への挨拶も絵に描いたような、葬儀屋のプログラム通りのものだった。偏屈な男だったし、誰ともうまくいかなかった奴だったのに、世話女房が亡くなってからも、いまだに、僕が追放された学校にいる。4つ下だから、あと7年も教師を続けるつもりなのだろう。彼の発想はよかったが、思想に広がりがなくて、それが偏狭を招くので、誰にも受け入れられず、小さな世界の中で、自己満足的なことをやりつつ、損ねた機嫌がおさまるまで、自分をなだめているような人間だった。たぶん、いまも、そんな感じで、食うためにやっているのだろう。そいつが選んだ生き方なのだから、別にとやかく言うつもりはないが、おもしろくもない人生を送っているのだろう、とは思う。
 人間の生き方なんて、どう生きてもいいわけだけれど、限られた一回性の生なんだから、思い切りはじけたらいいんだと思うな。時代背景が違うにしても、黒沢明の「生きる」という映画の主人公の、ガンに侵されて残り少ない自己の生を、生まれて初めて自分の意思を貫いてつくった公園のブランコに揺られながら、切ない歌を歌っているようなエンディングは、映画の出来そのものもいただけないが、とりわけウンザリとさせられる。たぶん、黒沢映画が嫌いな主な原因は、この映画だろうと思う。生を忍従の中に押し込めるような思想は、どう考えても、人間の本性に反すると僕は思うからだ。今日の観想とする。
●しばらくは、雑感を書き綴りますので、その間は、推薦図書はありません。

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○人の心が変容するとき。

2010-12-11 11:05:02 | 観想
○人の心が変容するとき。

ここで問題にするのは、職場のお付き合いや、ちょっとしたご近所のお付き合いに関わる人間との関係性についてではない。あくまで自分にとって、大仰に言うと、生き死にの問題に関わるような他者の心と共鳴し、自己変容を加え得るのかどうか、という問題についての論考である。

人間の思想とは、脳髄の中で言葉によって構築されたものであるかぎり、やはり他者への働きかけにおける言葉の意義を軽視するわけにはいかない。結論から言って、人の心のありようの変化は言葉によってなし得るものなのであって、その他の人間の感性に訴えかけ得るジャンルは、たとえば音楽であれ、歌であれ、絵画であれ、言葉と比べればあくまで間接的なそれである。よく、ある音楽が、歌手の存在が、あるいは、すばらしい芸術作品としての絵画が自分を変えたというようなことを耳にするが、ほんとうはそうではない。そこにはあるカラクリがある。それは、人間には、さまざまな経緯はあるだろうが、自分が置かれた育ちや環境や、刷り込みの入りやすかった年齢での言葉の影響などがその人の個性のコア-であるのだが、このような要素が絶対的な存在なのかというと、そうではない。無論、一旦個性化された自我を変容させるには、それなりの理由が必要である。

人は必ず、自己の、これまでに形成されてきた原型としての個性に納まりきれないときが訪れる。無論、ここにも大きな問題があって、過去の小さき自我を壊し、新たな自己を構築することに怖れを抱くという負の力学が働くのも事実であり、だからこそ、人は、自己の変容の必要性を感じても、その人の個性によって、いつまでも尻込みしてしまい、身動きならない状況に追い込まれもする。こういう状況を、一般的には、不幸、と呼びならわしているのである。

人が幸福になるための必要な条件とは、とりわけ悪しき過去に呪縛されている自己からの解放を成し遂げる意思を固めることにはじまる。いつまでも不幸を背負っているかのように見える人は、自分の前に立ちはだかる壁そのものの存在に対して無自覚であるか、あるいは、その存在に気づいてはいても、高い壁の前で逡巡し、立ち往生しているような人のことである。別にそのような人生を生きて満足であるなら、いっこうに構いはしないのだが、僕から言わせると、人間の人生は一回性であるゆえに、過去の固き殻の中に閉じこもっている必然性などどこにもなかろうに、とは思う。そういう過去の桎梏をぶち壊し、慎重な人は新たなより大きな殻の中に棲み家を見つければよいし、より勇気のある人は、殻を破ったら、敢えて精神的に素っ裸のままに、この世界と対峙していけば、より大きな世界との遭遇を果たせるかも知れない。少なくともその可能性は大である。人の生涯などは、見てくれは皆同じようなものなのだ。平均寿命まで生きてもこの世界に留まれる時間は、大した長さではない。ならば、自己の精神のありようを変革すべく、よりアドベンチャラスに生き抜けばよいのではなかろうか。それこそが、生きる醍醐味というものではなかろうか。

そのために、自己の言葉を磨くこと。自己の言葉を増やすこと。他者の言葉を受容するだけの柔軟性が構築されるのは、この種の自己鍛練のための覚悟と、その上での実行。これこそが、生きるという意味なのではなかろうか。誰がどのような生き方をしようと構いはしないが、僕は、あくまで、このような生き方にこだわり続けて自己の生を生き抜きたいと心底思っている。

推薦図書:「夏の吐息」小池真理子著。講談社文庫。勇ましいことを書きましたが、人間の情緒の深みに入り込むような繊細な物語も大好きなので、ここに紹介しておきます。小池は言葉の達人の一人ではないでしょうか。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○右に傾くことについての観想

2010-12-10 16:23:51 | Weblog
○右に傾くことについての観想
 日本における右翼的思想と左翼的思想のありようの両面の断面を語りつつ、現代を席巻している右翼的思想、思想が右に傾斜するとは、どのような状況をさすのかということについて、少し語ってみようと思う。
 まず明確にしておかねばならないことは、この日本において、中庸という思想はない。言葉の概念は存在し得ても、現実の生の思想的状況の中には、どこをどう探してみても西欧的な思想の土壌で醸成した、中庸という概念など見つかりはしない。僕なりの定義でいえば、日本の思想的状況下で存立し得るのは、次のようなことである。それは、かつて戦後民主主義思想という左翼思想が旺盛であった頃、あるいは、戦後民主主義という名のもとに、政治や世界観を論じても気恥ずかしさを感じることのなかった時代、これが、左翼思想が存在した最後の時代的背景ではなかろうか。思想家としての丸山真男と小説家としての大江健三郎という存在は、もはや時の彼方に消え去った遺物になり果てた。戦後民主主義思想を標榜したその他の思想家、小説家、哲学者などは、この二者の存在を語れば存在の全てが包括されてしまう。忘れられた小説家としての大江健三郎がノーベル文学賞で世界の脚光を浴びたのは、皮肉な事実というしかない。日本において、もはや大江の存在意義はまったく失われて久しいときの唐突な受賞だったから。彼のノーベル文学賞受賞は、むしろ、戦後民主主義思想のことすら忘れ果てていた、かつての左翼思想の空気に触れた経験あるフツウの日本人の方が驚いた。
 そういう意味合いにおいては、日本は、とっくの昔から思想的には右に傾いている国なのである。ただし、右に傾いたということで、単純に右翼思想が蔓延っているというような単純なことを言うつもりはない。そうではなくて、日本のかつての戦後民主主義思想を信じていた人々の殆どは、知識人も、平凡な日常生活者も、総じて経済的論理を最優先させることに己れの価値観を丸投げすることになっている状況である、と言いたいだけなのである。これを右に傾いた日本の状況と称してもよいと思う。無論、ここで云う経済的論理とは、金融資本主義に経済の第一義的な価値を置く思想ということである。
 もっともおぞましい存在とは、金融資本主義という経済の論理を最優先させながら生きているのに、自らを、左翼的な思想の持ち主だと称している確信犯的な人間たちである。換言すれば、銭金に対する嗅覚と欲動は深いのに、たぶんその種のファクターを粉飾するために良心的?革新派を気どるような左翼気どりの連中である。エセ左翼を気どる日本の弱体孤立的、自称革新政党を支持するような人々は、そろそろ自らのエセもの性に気づいた方がよい。日本の自称革新政党などの支持者の殆どは、かつての左翼主義者たちの軽蔑の対象であった、プチ・ブル(小市民)だろう。こういう人々ほど、自らを良心派などと錯誤しているから始末に悪いのである。しかし、彼らこそ、権力に最も弱い層の人々である。もしも、政治的弾圧などに遭ったら、真っ先に言ってはならないことをゲロするのが、こういうエセ左翼である。彼らこそ、社会的階層の中では、富んだ層にすでに入っている。それを守るための方便として、あるいは、自己のおぞましさを粉飾するために、表層的な左翼的言動に賛同しているだけである。彼らの言動はあくまで偽装に過ぎない。
 現代の日本は、政治的・経済的・社会学的に右に傾いた社会である。アメリカが推し進めてきた金融資本主義の指導下で、自らは何も出来ない大国の言いなりの国、それが日本の現況だ。屋台骨は、右に大きくかしいでいる。日本の未来を語るならば、まず、あらゆるエセものの左翼良心派を気どることを止めることからはじめなければならない。そうでなければ、日本の現実がかすんでしまい、真実が見えて来ないのである。さて、我々は、右に傾いたこの国の将来をどうするべきなのかを、そろそろまじめに考えはじめる時期にさしかかっているのではないだろうか。

推薦図書:「自由の新たな空間」-闘争機械 フェリックス・ガタリ、トニ・ネグリ著。朝日出版社刊。

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○生き急ぎの思想

2010-12-07 14:00:01 | 観想
○生き急ぎの思想

いくら人の寿命が延びたと言っても、その限界点はせいぜい100歳というところだろう。詳細については失念したが、平均寿命が80歳前後とするならば、それ以上生きる人もいれば、そのずっと前に息絶える人もいるわけで、また、別の角度に視点をずらしてみれば、この日本には自殺者が常時3万人程度はいる。あれこれと考えてみると、自分の死に関わることが襲いかかってくる可能性を含めると、生きて活動し得る時間などは、たかだか知れているのに、こと、日々の生活という視点でみると、人間の生活たるや、その殆どが無駄な時間の集積ではなかろうか。

人間にとって、どうしても避けられない生活時間とやらを差っ引いて、その残りの時間は、いったい、自分がこの世界に生きた、という痕跡が刻印出来るような日々なのだろうか。中にはそういう人々もいるに違いなかろうが、たぶん、多くの人々の生きざまなどは、敢えて言葉を選ばずに辛辣に言わせてもらうならば、それは、文化や文明というファクターで粉飾はされているにしても、つまらない日々のルーティーンの繰り返しではないのだろうか。職場に出て、たまたまやりがいがあると感じ得る活動をやれればそれに越したことはないが、生きるための銭金のためにたいしてやりたくもない仕事を強いられて、そこからの解放後に飲むビールの味わいなど、どう控えめにみても、喉の渇きをうるおすために草原の中の水飲み場で水を飲む動物たちと、いったい生の次元で云えば、何が変わるところありや?

事ほど左様に、人間の生の大半は生物学的な生のありようそのものなのであって、生きて、その人なりに意味あると思い、それをなし得たとしても、殆どが歴史という悠久な流れの中で消失して影も形もなくなってしまうものでしかない。歴史上権勢を誇った人間たちの残した文物に関わるものでさえ、後世の時代の評価によって、たとえ、それらが客観的に意義があるにせよ、歴史の闇の中に葬られてしまうこともしばしばだろう。さらに言うなら、歴史の闇に葬った側の権力も、また、同じ運命を辿らないとも限らないのである。しかし、人の営みとはかくも虚しいものなのか、と落胆することなかれ。歴史上、馬鹿げた権力者たちの中には、己れが手にした権力や莫大な資産を永遠に手中にしたいがために、本気で永遠の生命のあり方を模索させたと聞く。あるいは、肉体の死とは別次元に永遠の生命のかたちを求めて、エジプトのミイラ信仰もあるにはあるが、それにしても、名もなき人々の極楽浄土などに対する信仰心も含めて、人間の死が存在の終焉を意味することに対して、いかに人は抗ってきたのかがよく分かる。無論、その本質は、死という無に対する畏れである。人間にとって、無とは、どうしても認めがたい概念性であるらしい。

人間が死すれば無に帰する。無とは、その人間の生きた証を全てゼロにもどし、事のはじまりから、その人間を抹消する思想だ。無論、人間は歴史という幻想なしには生きていけぬから、当然、数少ない人々の、限られた言動は残ることにはなる。しかし、このことと、人の死の本質論とはまったく別次元のことである。死の本質が無そのものであるとするなら、死なば、人間の営みの結果残ったかに見えたことのほぼすべては、死と同様に無に帰すると考える方が無理のない考え方である。そうであれば、いや、そうであるからこそ、人は、病的に自己の死を意識する必要もなかろうが、死が己れの存在の全ての終焉を意味するものであるという認識くらいは、常に頭のどこそこには、置いておく必要はないのだろうか。このような意識化をすれば、凡俗な他者から見れば、死に対する意味と抗うようにして、生の只中で自己のなすべきことを急ぎ足で成し遂げようとせずにはいられないのではなかろうか。それを生き急ぎの生きざまと称してもよいと思う。むしろ、日頃己れの死を忘却して、己れの才能を発揮する努力を怠っているのは、怠慢の極みである。才ある人こそ、生き急ぐ必要はないのだろうか。才能に恵まれぬ人間として、無責任な観想として書き遺す。


推薦図書:「錨を上げよ」(上)(下)百田尚樹著。講談社刊。凡俗な小説です。単に昭和をなぞったに過ぎない物語ですが、庶民風俗の短い歴史の書としての価値はあるかと思います。どうぞ。

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○歴史が証明する?ウソっぱちだった、と思う。

2010-12-04 00:59:35 | 歴史
○歴史が証明する?ウソっぱちだった、と思う。

唯物史観の悪しき側面は、自分のなした言動に対する合理化に、ほんとうのところはなんの根拠もないのに、<歴史の必然>とやらの理屈を持ち出してくることである。無神論のくせに、唯物史観は、まるで神のごとき存在になる矛盾が潜んでいることを分かっているのやら、分かっていて、確信犯的に使っているのやら。僕もかつては、こちらの側の人間だったので、自分について言うと、確実に確信犯だったと断言できる。そもそも、歴史の変遷が、定まっているという発想そのものが、マルクスの受け売りに過ぎず、ブルジョアといい、プチブルといい、労働者階級といい、誰もが人間なのであり、多くの人々から搾取して豊かな生活や揺るがぬ地位を獲得している層の人々だって、搾取されている側の労働者階級に属する人々だって、人間の心の根っ子にある欲動とは、同じ種のものである。だからこそ、エセものであれ、現代の共産主義国と名乗っているいくつかの国々の高級官僚や、世襲制度にまで堕落した人間たちが、己れの権力、銭金を保守しようと必死なのである。当然の成り行きだろう。それが人間の悪しき、抜き難きファクターだからである。

こんな野暮な時代に、自己の存在意義など歴史が証明してくれるはずもないだろう。また、そのような居直りがいかに滑稽であるのかも、もはや誰にでも分かる。もしも、このような理屈が理解出来ず、世界的な不況だの、ワーキングプアの増大だなどと言って悲観的になっているなら、広く世界に目を向けるだけの覚悟、世界の中における自己の存在理由を考えるための、自分なりの哲学を構築する勇気を持つべきだろう。そうでなければ、馬鹿な政治家たちの無策ゆえの日本の政治的・経済的・社会的地盤沈下の意味が理解出来ないし、マスコミが垂れ流す悲観主義的な現象のあれこれで、打ちひしがれ、閉塞していくしか道がない。こういう現況からは、いかなる意味においても、アグレッシブに日本が、世界における役割を果たすことなど出来はしないし、なによりこの世界の成り立ちがいかなるものなのか、理解出来ないのである。

世界の中における自己の存在理由は、世界を自分の思想の力によって、捉え返すことにおいてしかなし得ないことではなかろうか。歴史と云う名の客観的主体がまずあって、その歴史が、現代を後の世に証明し得るなどということなどあり得ないことなのである。あらためて云う。<歴史が証明する>?あり得ないのです。

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