ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○3月のニューヨークで考えたこと。

2013-03-15 22:40:09 | 旅行記
○3月のニューヨークで考えたこと。

その1:トロツキーの苦悩ー人の本質に気づいたことー堅牢たる保守主義ー体制であれ反体制であれ人はいったん手中にした権力を保守するという心性ーそれを刷新し続けるために彼は世界同時革命と云い、そして世界永久革命と主張し続けた。不可能性への挑戦。トロツキーは思想の、あるいは人間の眼界性に殺されたようなものだ。チェ・ゲバラブームは忘れた頃に繰り返しやって来るが、それは人の心の片隅に眠っているトロツキズムへの夢想ー実現不可能なーが目を醒ますからだ。しかし、それは自らの保守主義によって葬られるというのに。

その2:他の国のことはよく知らないが、アメリカもカナダもオーストラリアもイギリスも(僕が渡航したことのある西欧諸国はこれくらのものなんだけど)、日本の冠たるウォシュレットがないのはどうしたことだろうか?ウォシュレットに慣れすぎた日本人なら、きっとトイレットペイパーを使い過ぎるハメになる。で、案の定、僕はトイレを詰まらせ、ホテルのフロントに電話する。しかしどうだ!棒の先にお椀型のゴム。こいつで詰まりをとるわけだが、こちらの方はどうも万国共通のようだ。ゴボゴボという音とともに詰まりものが流れ去る。やれやれ、である。

その3:外国語なら、こちらの意図が通じないのは、こちらの言語能力がないと諦めもつくが、母語としての日本語での会話がまるでちぐはぐになるような人間の関係性なんて殆ど存在論的に無価値だろうに。そのような場面に遭遇するくらいなら、とるべき選択肢は沈黙だ。心的状況としては、潔く諦めること
か。いずれにせよ、不幸の極み。

その3:旅の効用?ー人は倦み疲れた日常からいっとき身を離して、生きる意欲を取り戻す前向きな行為だと思っている。それがたとえ人生を投げださんとしてはじめた時でさえも。結果オーライというわけだ。「定住革命」という本読んだことがある人なら想像がつくと思うが、そもそも人が過剰な縄張り意識その最大の難物はナショナリズムだが、この種の悪徳(敢えて悪徳と呼ぶが)が
人の、とりわけ近現代の人々の意識の底に在る。旅の効用の再定義ー人はかねてより本能的に移動したのだ。この地から彼の地へと内在する悪徳から自由になるために。

その4:ヨーロッパ、アフリカ、中南米、アジア諸国等の末裔たちの国、現代アメリカ(ご多分に漏れず、Native Americanを排斥するわけだが)が刺激的でないはずがない。この地を大して知りもせずに言うのも気が引けないことはないが、刺激的というジャンルでは、ニューヨークはピカ一ではないだろうか?アメリカ文化・文明のすべてが凝縮された街だろうから。多文化・多民族が創り出した巨大国家だ。一つの価値に収斂しつつ・同時に拡散していくエネルギーを認めないわはいかないだろう。本多勝一がアメリカ合衆国と呼ばず、常にアメリカ合州国と呼び慣わしたのは、前記した民族・文化・文明の多様性よりも、しばしばこの国がナショナリズムという一つの価値意識に収斂し、自国民の幸福追求よりも他国からの略奪そのものに傾斜していく、帝国主義の権化と化し、他国への侵略行為すら正当化してはばからないからだろう。大衆よりもすでに権力を握った人間たちのコミュニティーこれがその国の政府の実体だがーこの種の現実をみきわめないままに、これこそが、人間性の限界などという抽象化をして、物事の本質から逃避してはダメだな。一握りの権力者や富豪をよろこばせるだけなんだから。

その5:古い話を思い出した。こちらのテレビ宣伝の三大巨頭は、食い物、金融、生命保険で、そのことで僕の記憶に眠っていたことがよみがえったというわけ。

人の価値を金銭で測るという思考回路の(人はしばしばこの種の思想に陥る)、僕の記憶の中で最も古く、鮮烈なイメージとして残っているのは、ケネディ大統領時代のマクナマラという超優秀な経済学者のこと。彼はべトコン一人を殺すのにどれだけのコストがかるのかを計算して、議会にベトナム戦争遂行の
ために法案を提出した。計算上はアメリカにとって、安上がりな戦争だったのだ。マクナマラの計算式に合理性があろうとなかろうと、背筋が凍る想いがする。

同様に生命保険会社にお安い商品を開発しました。終身、保険料は変わりませんと云われても、人の生き死にを、冷徹に数値化してこその商品開発なのだ。それが彼らのいう商品開発の実体だ。ガンに特化させたガン保険なんて、さらにシビアな生死の統計化で儲けをはじいているわけで、僕が興味深いのは、人
間の生死を統計化し、それをビジネスにしているその張本人たちが、統計の一基数だということに最も無関心な人々ではないか?ということ。

人は飯を喰うためならなんだって考えるね。戦争を飯の種にして巨額の金儲けに慣れきった人たちは、残念だけどこのアメリカにはあまりに多くいるのではなかろうか?アメリカ人が異常にテロに怯えるのは、何も9・11の悲劇の結果だけのことではないね。儲けるために他国に戦争をしかけるからだ。言わず
もがな、大抵の人々はそのことを認識している。だからこそ、アメリカ国民の素朴な愛国心は、当のアメリカ政府と、それを操る大金持ちたちにしばしば利用されてきたし、これからもそうなんだろうな。哀しく、無慈悲なリアリティだ。それだけに止まらず、みんなが迷惑をこうむる。

その6:人間らしく生きる最小限の権利・義務を、生活権と云うなら、憲法の条文は、生活権を守り、発展させていくものであるべきだろう。それ以外の約束ごとは所属共同体の中での、飽くなき対話と議論によって決めればいいのである。モーリス・ブランショが「明かしえぬ共同体」で語り尽くしているの
は、まさにこういうことだ。

政治を金儲けに利用しようとする輩たちは、自らの小狡さを現実主義と称し、常に戦争と他国への侵略のことを考えているものだ。世に云う大義名分とは、この種の貪欲な人々が欲するものだ。ことわるまでもないこだが、大義名分を欲しがるのは、保守・革新・革命主義者、いずれの陣営にも腐るほどいる。人
間がなかなか幸福になれないわけだ! 

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

○頭をよぎる風景(6)

2012-09-13 01:26:30 | 旅行記
○頭をよぎる風景(6)

ほぼ15年ぶりのニューヨーク探訪。15年前、僕よりもずっと若い英語の教師たちが、大昔の高校生時代に受けた授業と、いったいどこが違うんだ?という授業しかしないので、授業研究の出張旅費も出なかったアホウな学校当局と交渉して、どのような英語研究会にも参加出来る交渉をして成功するも、それを活用するのはまず僕しかいないという皮肉な結果と相成った。高校以下の英語教師が大学の先生のような研究をする必要はない、と思う。けれど、communicative abilityは常に磨いておかねばお話にならないし、その土台の上に英語教授方法論を構築していくのが語学の教師の仕事だ、と僕はいまでも信じて疑わない。間違っていないと思う。校務がいくら忙しいといっても、クラブ指導が大変だとしても、それを言い訳には出来ないのである。

あの頃、少しづつ海外への高校生対象の語学留学制度を創る動きが出てきた。言うまでもなく、僕の勤める学校にそんな風潮などカケラもない。短期の語学留学を無批判に推奨するわけではなかったけれど、時代が流れるにはそれなりの理由があるものだ。知らんぷりを決め込むわけにはいかなかったのである。

短期の語学留学を認めてくれるESL(English as a Second Language)の語学学校なら、どこにでも足を運んだ時期がある。所謂サーベイ(survey)の必要性があったのである。数年間、夏休みになすべき自己研鑽をおろそかにしても、自分の行動に迷いはなかった。ニューヨークは、何カ国目だったのか失念したが、この地で何校も見学し、関係者と受け入れ可能性の交渉をし、その合間に唯一行けたのが、自由の女神とエリス島見学だった。ブロードウェイなんてとんでもない。まともにニューヨークの街並みの中を歩く時間さえなかったのである。

だから、僕にとってのニューヨークの風景とは、構造が悪いのか、やけに揺れる観光船で、一時期アメリカへの移民の受け入れ施設として機能していたエリス島、そして誰もが知っている自由の女神が立っている小さな二つの島だ。ちっとした公園を抜けたところが船着場。そこからたくさんの観光客となだれ込むように観光船に乗り込むというわけだ。

9月の上旬にニューヨークに出向く機会があり、短すぎる旅ではあったけれど、その殆どは自分の時間である。ニューヨークを旅する人たちが足を運ぶところにはほぼ出向いたと思う。エリス島にも自由の女神も再び見たが、あの揺れすぎる観光船に乗るまでに、空港とまるで同じセキュリティ・チェックだ。靴まで脱がされた。そう云えば、空港の入国審査は両手の指紋と顔写真まで撮られる念のイレようだった。アメリカ政府にとっての9・11は、人々の生活を息苦しくさせてしまった。愛国者法という悪法の影響も人々の生活に深い影を落としているようだった。

タイムズ・スクエアの喧騒(あの騒々しさは僕にはむしろ心地よい)、広大なセントラル・パークの芝生に寝そべって見上げた空の、これまた広大無辺の空の青さ。いまや高級住宅地になってしまったハーレム。マルコムXが好んで通ったというジャズ酒場。当時とたぶん殆ど変わっていないゼブラルーム(壁紙がゼブラ模様だからだ)の、マルコムXの特等席から、いまは年老いたジャズメンたちの、微妙に音がずれる生演奏を聴いた。食事は、ハーレムと云えば、ここを抜きにしては語れないという店で、代表的なメニューを食す。前日に調子に乗って、巨大なステーキを平らげたせいで、すでに胃を壊している身としては、この店の代表的な、かなり控えめの料理ですら食べきれなかった。調子がよければ、ここのソウル・フードはうまかったと思うが、なにせ胃が動かない。そのことばかりが気になって、つまらない時間を過ごすハメになった。バカは死ぬまで治らないらしい。

15年前の仕事が終わってから眺めた夜景の中には、9・11で破壊されたツィン・タワーの光り輝く光景があった。いまは、当時のままの夜景を見ることが出来ない。あのテロで何千人も死んだ。いや、殺された。しかし、アメリカ政府は、それまで9・11で亡くなった人々の何十倍、何百倍の無垢の市民を世界中で殺している。つまらない政治や、金の亡者たちの犠牲者は、人類の如何に関わらず、その殆どが市民と相場が決まっている。僕たちは、こういう馬鹿げた世界に生きているにしても、また、武器を持たない市民が殺される世界が今後も続くにしても、人は虚無主義に陥ることなく、生き続ける意思を持ち続けなければ。心底そう思う。

何だか、少々雑多過ぎる風景に酔っ払った感じだ。致し方なし。酔っ払ったまま、今日の観想を閉じる。

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長野安晃