ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

生きるということ、死するということ

2009-11-30 03:57:14 | 哲学
生きるということ、死するということ

もし、いまこの瞬間にも死にたいという人がいるとしたら、しっかりと認識してほしいのは、生と死という真逆の人間存在のありように、はっきりとした境目があるのかどうか、という見極めです。

死を選びとろうとする人は、生に対する幻滅や、生きていることに対する価値の喪失、生きているから襲って来る苦悩等々が、生の断絶によって、一切が消失する、つまりは生活用語でいうと楽になれる、と感じるからですが、もう少し突っ込んで考えてみると、楽になりたい、という感覚も生の側のそれなのです。つまりは、死は苦からの解放を意味しません。また死後の世界としての来世なども存在しません。魂や霊魂の存在もあり得ません。死は、死という状態ー生の反意語としての意味しかありません。だから死にたければ死ねばよいのです。

ただし、私には概念的にしか分かりませんが、死とは何もないということです。それを無と称します。生とは喜びも勿論ありますが、喜びの反対の苦悩に満ち溢れてもいます。この状況こそが、人間の能力の限界なのです。こんな世の中しか創れないからです、みんなが自分の生を全うしたいと思えないのは。ただそれだけなのです。

人間そのものの能力の欠如ゆえに存在するのが苦であるとすれば、その苦を我が手の中で握りつぶしてやりたいという欲求があってもよいのではないか、と思います。私は生が必ずしも価値に満ち溢れたものだとは決して思いません。だから考え抜いて、生き抜いて、それでも死という無を希求する気持ちが大きくなるならば、死を選べばよろしいのです。安手のヒューマニズムは、生きていること自体に意味があるといいます。私はそうは思わない。ただ生きているだけではダメです。生を謳歌するのです。苦悩も生の一変種ですから、それすらも生の謳歌の中に組み込んでしまうのです。それが生きるということです。生が謳歌出来ないという確信に至ったら、自己の生を生き抜いたということなのですから、そのときは、死という無を選びとればよいのです。肝心なことは、衝動的に死んではならない、ということです。生と死が同価値だということに思い至れば、衝動的に生きることも出来ないし、同様に衝動的に死ぬことも出来ないはずです。考えることです。自分がこの世界に、いま生きているということを、です。考え抜いて、この世界が、それでも生きるに値しないという結論に達した人しか、自死する資格はありません。私はこのような死生観を持ちつつ生きている人間です。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

現代醜女(しこめ)考

2009-11-29 20:52:33 | 観想
○現代醜女(しこめ)考

シャルル・プリ二エの「醜女の日記」という名作がある。姿かたちは、フランスのある時代のいわゆる美しくはない女性の日記体の小説なのだが、主人公は自分のことを醜女(しこめ)という認識を持ちつつ生きているわけである。しかし、彼女が書き記していく日記には、人間の切ないほどに美しい心のありようが描かれていて、読むものは自分が失いつつある人間としてのあるべき姿としての本質を突きつけられる想いで読了するのである。

さて、今日の話は、現代の醜女(しこめ)とはどのような女性を指して言えばよいのか、ということである。世の中が戦乱の只中でもないかぎり、好景気であればなおのこと、昨今のような不況の嵐が吹き荒れても、女性は美しくなるためには、惜しみない投資をして憚らない。無論一般論だから、例外は必ずあるだろう。女性の美しさ、男性の美しさも含めて、かなり短いスパンで、その規定概念は変わっていくのが普通である。男性においても現在の<イケメン>という美形は、たとえば、昭和初期の美男子とは似ても似つかないだろう。これが女性の美となると、さらに美しさの規定のスパンは短くなる。化粧の仕方一つとっても流行の激変とも言うべき現象が起こってあたりまえのことでもある。外見としての美などに、普遍性という概念を当てはめる方が困難だろう。芸術作品においてすら、個々の作品における芸術性の価値について、普遍性を語ることは無効なことでは勿論ないが、美というものを抽象化して、時代の流れを超越した美のかたちを創り出すのはそもそも不可能なことなのではないだろうか。この意味において、シェイクスピアのマクベスに登場する3人の魔女の言葉は、普遍的に有効なのである。つまりは、<きれいはきたない。きたないはきれい。>という言葉は美の変遷の過程における規定的表現として正しい。もっと具体的に言えば、普遍的な美というものは存在しない。しかし、時代的背景の変化という状況の中で生み出された芸術作品―造形的な作品においても、文学的・哲学的な非造形的な作品においてもーには、普遍的とは言えないが、特定の時代的背景下における代表的な美の規定はあり得るとは思う。

美しさの定義に関しては、時代を超えるがごとき絶対的なそれは存在しないが、逆に美に対する醜に関する定義は、限界は感じつつもある程度は普遍化出来るような気がするのである。冒頭でシャルル・プリニエの「醜女の日記」をとり上げたが、無論醜の概念性は、当然に男にも当てはまらねばならないはずのものだ。昨今は男と言えども、己の美に対する執着が増大しているので、女性だけの問題を論じるのは些か憚られるが、それでも女性の美に対する執念は、遥かに男性のそれを上回るので、女性の美醜について述べる方が分かりやすいだろう。生物学的な観点で言えば、時代の影響は免れないが、外面的な美が女性の価値判断にとって如何に大きい要素であるかは明らかである。しかし、美に関わる考察の殆どを遺伝子の領域に閉じ込めてしまうのは、大いなる誤謬である。美とは美しくあろうとする意思である、という規定が私にとっては最も胸に落ちる考え方である。ここに経済の論理が入り込むと美醜の問題が複雑化する。つまりは金持ちは、整形という手段でどのようにもエセものの美をかたち創ることができる。あるいは金のかかる美の維持にも事欠かないであろう。世の中、そもそも不公平なのだから、金持ちは金持ちに生まれついた幸運を楽しめばよいと思う。いくら金をかけても、美の意味が理解できていないと、それは美的外形を得たゆえにこそ、逆に醜に最も近づくことになる。私がかねてより持論にしている<からだ>という概念性とは、精神と肉体との合一そのものである。したがって、たとえ、創りものであれ、よりよい美を得たとするならば、その美に相当する精神の美的価値意識を磨かなければ、心の貧しさゆえに、外面的なる美は醜を超えた醜さとなり果てる。シャルル・プリニエの「醜女の日記」とは真逆の意味で、言葉通りの醜女になり下がるというわけである。昨今、この種の醜女が増えているような気がしてならないのは、果たして私だけの観想なのであろうか?

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

非合理ゆえに我信ず、と言ってのけたのは埴谷雄高だったけれど。

2009-11-28 00:34:27 | 文学・哲学
○非合理ゆえに我信ず、と言ってのけたのは埴谷雄高だったけれど。

埴谷がこの世を去ってから、もうかなり時間が経つが、埴谷の代表的な作品は、「悪霊」という殆ど埴谷自身の存在論的に重過ぎる内的な感情の揺れ、思想の構築と崩壊、さらなる再構築という難解な思想の書とも言うべき文学的哲学的創作だが、埴谷の文学的・哲学的・政治的思想を極端なほどに収斂された表現で言い表わせば、やはり、間違いなく、<非合理ゆえに我信ず>という概念性に集約されてしまうように思う。

現代という時代とは、まさに合理的思考原理が、あらゆる価値に勝る。つまりは合理性とは突き詰めて言えば、人間の言動は、理性的で、理屈の通った思念によって決定されるという科学的合理主義の別称とも言える。しかし、現代の最も有効な思考のありようが、ほんとうに科学的合理主義であるとするならば、現代社会における人間関係の感情のもつれ、他者との関係性において生じた憤り、条理性に合わない数々の人間の言動は、いったい、どうすれば説明がつくというのだろうか?

科学的合理主義という幻想的な理念で人間存在が規定出来るものであれば、この世界とはおしなべて平坦な、凸凹のない、平穏なものかもしれないし、あるいは、間違いの少ないものかも知れないが、一方で、至極退屈な世界だとも言えるのではなかろうか。私に言わせれば、科学的合理主義とは、もともと猥雑な存在としての人間が、眼前の不合理性に対して立ち向かうための単なる道具的手段としか思えない。科学的合理主義に立脚するならば、絶対に人間というものの全体像などを捉えようとする野心などが裡に湧いてくるはずがないではないか。合理主義によって、割り切れるものだけを抽出すると、確かに複雑な社会現象の一端が捉え切れるような錯誤に陥る可能性はあるのだろう。政治的施策を具体的に実現するための道程としての科学的合理主義、あるいは、ある種の経済理論の確立のための手段としての価値はあるだろう。しかし、この種の普遍的に見える論理構造は、そもそも人間の存在の不条理性を無視している点において、事のはじまりから破綻しているわけである。換言すれば、それは、その時々の権勢が、政治や経済を牛耳ろうとするためのいっときの夢の産物と言い換えてもよい。

そもそも、人間の意識とはいったいどのようなものであるか?科学的合理主義を考えつくかと思えば、その一方で、己が創った合理的な論理を簡単に覆す。人間の存在とは、不条理といってもよいし、不合理と称してもよいが、最後に人間の言動の指標になるのは、勿論合理主義などとは程遠い。ねばねばとした、捉え切れない猥雑さそのもの、それが人間というものではないか?だからこそ、私たちは、いまこそ、<埴谷の不条理ゆえに我信ず>という人間存在の本質に立ち返らねばならないのではなかろうか。埴谷の政治評論集の表題だが、まことに意義ある箴言とも受け取れるではないか。


文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

生のとりかえしのつかなさについての観想

2009-11-27 03:27:51 | 観想
○生のとりかえしのつかなさについての観想

奥田英朗という作家の作品を僕は好んで読むが、いろいろな色彩の作品がある中で、読まずにはいられない作品群がある。特に一人の主人公という存在にこだわらず、登場人物の5-6人の物語が並列的に描かれていくのだが、作品の最終部に全ての人物が、いっときにギュッと凝縮されたように一つの塊りになって、奥田の生に対するメッセージとして終焉するスタイルをとる。この作品群に属するのは、「邪魔」「最悪」そして「無理」という長編作品である。それぞれの作品に登場する人物たちは、例外なく人生に倦み疲れた人々である。金持ちもいれば、貧乏人もいるが、生活の次元を異にしながら、己の人生というものに納得がいかず、どうにかして、これまでの人生を変えようともがいている。

人生にもがき苦しみながら、彼らは自分の人生の取り返しのつかなさから何とか脱出しようと、各々の環境の中で哀しいほどのドタバタ劇を演じ、それぞれのドタバタ劇の過程で事態をますます悪化させてゆく。彼らを悲喜劇入り混じりのドタバタ劇に駆り立てるのは、自分たちの人生のどうしようもない取り返しのつかなさに対する、個としての人間の抵抗のなせる業である。取り返しようのない人生を奪還しようとしながら、それらの試みは見事なまでに裏切られ、永遠に救いのない人生行路の末路へと、坂道を転がるかのごとくに、加速度を増しながら向かっていくのである。

読後感はある意味最悪である。たぶん読者の人生における取り返しのつかなさの別の表現を、奥田の巧みな筆致によって、鋭角的に突きつけられる。しばらくの放心状態の後に襲ってくる感情は、無論生に対する前向きな人生観などではなく、かと言って、虚無感に打ちひしがれるのでもない。さらに言うと、人生に対する諦念の想念などでは全くないのである。読後の最悪の気分をもう少し僕なりの感覚で書き足しておくならば、それは、たぶん人生に対する負の感情には違いないが、敢えて言うなら、自分の人生も同じように確実に取り返しのつかない行路を歩んで来た結果の、勝ち負けで言うなら、完璧な負け試合の結末ではある。けれども、それにしても、まだまだ自分なりのドタバタ劇は続けられるだろうエネルギーは少しは残っていそうな気分になり得ることくらいであろうか。いずれにせよ、すでに青年の頃に勝手気儘に夢見た甘ったるい未来像など完全に閉ざされた、まさにとりかえしようのない、この時点から、どこへ転がり落ちようともジタバタしてやろうじゃあないか、という開き直りに近いモチベーションが湧いてくるのはどうしたことだろうか?生き抜くならば、このモチベーションに賭けるしかないではないか?

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長野安晃

小説を書くなら、まずはこんな小説が書きたかったのに・・・

2009-11-25 23:19:04 | 文学
○小説を書くなら、まずはこんな小説が書きたかったのに・・・

自分が小説を書くなら、こういう小説を書きたかったという作品と遂にエンカウンターしてしまった。そう、それはまさに「してしまった」と書くしかない。作者の大崎善生にとっては力作という名の作品なのだが、たぶん、この「タペストリーホワイト」(文春文庫)という文庫本の中に、僕の青年時代の総括がまるごと書き込まれていたのである。勿論物語の中の人物設定も生活空間の設定も創造的であるがゆえに、普遍性を持ち得ているわけで、誰が読んでもおもしろい作品に仕上がっているだろう。つまりはその時代にシンパサイズするか、アパシーを決め込むかは別にして、プロフェッショナルこそはこの本を手にとった読者を否応なくあの頃の時代へと引きずり込む力業を持っていると言っても差し支えないだろう。大崎善生はもともと僕の好きな作家だし、彼の作品はほぼ読んではいるが、まさか大崎によって僕自身の過去が総括されてしまうとは考えが及ばなかったのである。ありがたい、と感じると同時に、やられた、という敗北感とが同時に襲ってくる。
 とは言え、70年代といういまだに一つの概念性で包括し切れないと思われる時代性と、その時代性の中で翻弄される3人の若者の生き死にのプロットの進行だけで、僕にはぼんやりとした過去の痛みの感覚でしかなかったわけのわからなさを、具象化し、抽象化し、普遍化する筆致は見事という他はない。

極左暴力主義の衰退化とともに訪れた、その頃にはもう誰にもはっきりとはしなくなった、意味不明のセクトどうしの潰し合いと、「革命」という残り滓のように漂っていた頃の学生たちの行動とのむすびつきそのものが、まさに対立セクトの誰それの寝込みを襲う襲撃とその成果を、誰も聞いてはいない大学のキャンパスの中でアジることで、ますます時代から取り残されていく。襲撃され、鉄パイプで頭をかち割られ、飛び散った血と脳漿の中であえない最期を遂げた学生たちにとっての悲劇として、また鉄パイプを対立セクトの狭苦しいアパートで、ターゲットの学生の頭に振りおろすことで革命家気どりを装っている学生たちにとっては、罪悪と云うよりは、その行動と思考のありようが喜劇的であるという意味で、あの時代は説明がつかない。小説空間における人間の根源的な哀しみという概念に昇華させたことで、ごたごたとした事実を書きなぐらずとも、時代の全体像を描き切ったという意味において、この小説は名作である。

青年の頃、対立セクトに攻撃命令を出してはみたが、その後の殺戮の連続を予期して中止命令を出したセクトの長だった僕は、仲間だった連中から手ひどいリンチに遭ったが、幸い頭をかち割られることはなく、骨を何本か折られたくらいで済んだのは、単なる偶然性に過ぎない。僕が予期したように、僕がセクトそのものから抜けた後で、何年もの間、セクト間の殺し合いが続いたのは、当時の若者の情熱のいきどころがなかったからだろう。もうすでに革命のドンチャン騒ぎは過ぎ去っていたのである。確かに僕は政治的転向組だったが、どこか中途半端で、極左時代の思想に翻弄されて、教師という仕事を失くした。その一方で、見事に世の中の経済機構の中で、社会的成功者に成り上がった人間も多数いる。僕に何を批判する権利もないが、変わり身があまりに見事だと、そのことでいつか足をすくわれるだろうという予測は立つ。世の中そうでなければ、頭蓋骨を粉々にされて死んでいった人間は浮かばれないだろう。ともあれ、今日は、あの時代に共鳴し、反発しつつ、この作品を書き上げた大崎善生を褒めたたえることにする。

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長野安晃

天皇制は、アメリカの第二次大戦の敗戦処理の過ちによって生きながらえさせたものだ、とやはり思う

2009-11-24 20:13:30 | 社会・社会通念
○天皇制は、アメリカの第二次大戦の敗戦処理の過ちによって生きながらえさせたものだ、とやはり思う

 21世紀のいま、もはや、日本においては、少なくとも表面上は天皇制について、真っ向から反意を表明する個人も、政治組織も、ましてや経済組織においても、皆無の状況なのである。日本のマスコミ全般を通じて、政治的思想が右であれ、左であれ、すべてが天皇制ありき、という報道姿勢は、僕には何としても認めがたい現実なのである。もはや現代の日本には左翼政党などといっても、それらは共産党から社民党まで含めても、天皇制についての批判の声はかき消された感がある。政党というものの信用のおけないところは、こういうところにあるのであって、世の中の情勢から判断して、天皇制廃止論などを政策に盛り込むと、まともな選挙戦を闘えないという計算が透けて見える。新聞やテレビという巨大なマスコミの報道の内実も、まるで日本という国が天皇制なしには成り立たないかのような取り扱いではないか。

 そもそも日本の歴史上、天皇が日本を実質的に支配していたのは、広い視野で見れば、ごく短い期間である。天皇や天皇家と近しい貴族が実質的に没落して、後の武家政治の支配する日本において、天皇家とは、武家政治にとっての大義名分の必要性のもと、天皇という象徴的な権威性を利用され続けただけの歴史ではなかったか。それは日本の近代から現代にかけても同じ理屈で、時の権勢に利用される存在として、天皇家は存立し続けたものに他ならない。旧憲法下における天皇制は、日本の近代化を馬車馬のごとくにひた走る薩長連合によって、これまた大義名分のために利用されたわけだが、近代における天皇家が政治のまさに表舞台に踊り出てきたのは、明治天皇だけであろう。日清・日露の二大大戦を勝ち抜いたのは、やはり旧憲法下における天皇支配が、西欧列国に対抗するためには不可欠な要素だったと思われる。第二次大戦における裕仁においては、明治天皇とはかなり趣が異なる。裕仁は、台頭する軍部のなすがままに利用された、ある意味において政治的無能力者であったと僕は思う。軍部は、明治以来の、天皇制を護持する、という建前のもとに、裕仁を頂点にした皇軍という名の軍隊でアジア諸国を植民地化し、アジアの盟主とならんことを無謀にも考え、思想的には軍事化政権の恐怖政治で国民を洗脳し、日本の国土を焦土と化し、そして敗北した。

 日本の敗戦処理は連合国軍による報復的な支配のもとに、特にアメリカの肝入りで創られた日本国憲法に、天皇家を象徴的存在として生き残らせたのは、アメリカの大誤算であったと僕は思う。アメリカは皇国日本というイメージを大きく見過ぎたものと推察する。日本国憲法には世界に冠たる第9条・第25条・第26条という誇るべき条項がある。これはまさに当時の日本を骨抜きにする為の施策でもあったが、同時に、アメリカの夢の産物でもあったと理解する。しかし、当時の戦後処理に当たったマッカーサ―の唯一の誤謬は、たとえそれを象徴としてであれ、天皇制を憲法上に残したことである。マッカーサ―は天皇という象徴を利用したつもりだったろうが、それが現代においても、右翼的政治家や彼らが裏で金をばら撒いているタチの悪い右翼団体の温床ともなり、天皇を中心にした憲法改正への動きの元凶になっているのである。天皇批判が自由な言論の場であるマスコミにおいても、もはやタブ-になってしまっていることから言えることは、きな臭いものが台頭してきたときの、戦争協力に邁進した戦前のマスコミに逆戻りする可能性を否定できないということであろう。

 第二次大戦の敗戦時にこそ、マッカーサ―指導のもとにアメリカは、当時のソビエトの日本の共産化とは異なる視点を持って、日本国憲法をまったく共和制の国として機能させるための指標として創るべきだったと、つくづく思う。共和制日本の誕生で、日本人の思想は、もっと議論を好む枠組みを持った、未来に対して可能性の大きな国として自立し得たものと思われる。

 民主党が主導していた事業仕分け人たちによって、天皇家に纏わる税金が取りざたされてもよさそうなものだったが、誰もそのことには触れる人間はいなかった。これがほんものの民主主義と果たして言えるのかどうか、である。何に対しもタブーを持たないのが民主主義の基本ではなかろうか。もし、日本が世界平和を実現することと真逆のことに手を染めることがあるとすれば、天皇制に対してタブー視される思想そのものである、と僕は思う。敢えて断言するが、日本に象徴的であれ、天皇制は必要ない。天皇制などなくても日本は世界平和に貢献し、日本自体が発展し得る国である。天皇制存続のための国費をマスコミは明らかにしなければならないし、その是非についても自由に語れる国でなければ、何が民主主義国家か!どのようなことにもタブーを持たぬ国、これこそが真正の民主主義国家ではないのだろうか?

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長野安晃

懈怠(けたい)こそ、人生におけるスパイスのようなものである

2009-11-23 21:36:54 | 文学
○懈怠(けたい)こそ、人生におけるスパイスのようなものである

いまだにイタリアのアルベルト・モラビエの「無関心な人々」(岩波文庫:上・下)という作品の斬新さと、21世紀という現代にも通じる人間の存在理由として消し難く在る<倦怠>というテーマを、みなさんはどのように感じるかは分からないが、人生の最終盤にいる僕には、人間にとって倦怠とは、希望や熱情を光とするなら、その後ろにひたひたとつきまとってくる影のような存在であることに間違いはないだろう、と思う。僕たちは、たとえば光ある世界の中だけを生きたいと願っても、光そのものが影を創るというリアルな感覚を見失わずにいさえすれば、人は光の中だけを生きているがごとくに見えても、影の存在たる懈怠の存在を意識化することなしには、生そのものが無価値になり下がってしまうのかもしれない、という危険性からはたぶん自由であろう。 だからこそ、懈怠という深淵の中から這いあがり、そして、生という存在を生成し続けることのない人生などに、いかほどの意味もないのではないかと、僕は思う。

生とは懈怠の中を生きるに等しい、という深き認識を投げ捨てた瞬間から、大仰な言い方をすれば、人は、<思想を生成し得る存在>としての位置から滑り落ちたも同然なのではないかとも思うがいかがなものだろうか? とは言え、僕などが他者に向かって、いかに生きるべきか?などというボールを投げたところで、そのボールを受け止めてくれる他者などたぶんいるわけもないし、おそらくは、ボールはそれほど大きな円弧を描くことも出来ずに、管理の悪い川辺にでも落ち転がり、川面をすいすいと流れることもなく、管理の悪さゆえに出来あがった川の流れを蛇行させる中州の草もの中で、行きどころなく同じ動きを繰り返すばかりであろう。 いまは、これがオレの人生か、と受け入れることも出来る。が、僕はこんな不条理を諒解するのに、結構長い時間を要したのも事実である。凡庸の極みかも知れぬ。そのように総括せざるを得ません。

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長野安晃

大阪府の教育費無償化の試みはすばらしい、と思う。そうであるべきだったのだ!

2009-11-22 21:25:51 | Weblog

 高等学校の公立・私学を問わず、学費の無償化を打ち出した橋下知事の決断に拍手を送りたい。無茶もやるが、基本的に、政治というものが、一般庶民が今世紀においてはじめて有効な存在であると認識する歴史的な出来事だったのではなかろうか。僕が学生の頃、記憶にあるのは、大学の学費が私学と国公立の比率は、おおむね20:1くらいではなかっただろうか。私学の高校と公立高校との比率は、それに比べるとまだましだったと記憶する。とは言え、公立学校と私学では、授業料に大幅な差があったことは否定できない事実だったと思う。当然国公立学校は税金で運営されているわけだから、私学に敢えて通わせる経済的余裕のある家庭は別にして、私学に子どもを通わせざるを得ない家庭は税金の二重払いを強いられていたわけである。私学助成金なるものがありはしたが、これこそがクセもので、自民党政権下における文教族をつくったし、そこには一般市民には見えない金が政治家にバラまかれていた可能性は否定できないだろう。甘い汁に群がるのが、金に弱い政治家連中の習性とも言えるからである。

 日本はなんでもアメリカがお手本だから、当時の中曽根首相の時代に国公立学校と私学の授業料の差があり過ぎるというので、あろうことか、国公立学校の授業料を、高い私学の授業料に近づける馬鹿げたことをやってしまったのである。みなさんはあまりご存じないかも知れないが、アメリカという国の授業料はバカ高いのである。国公立学校にあたる州立大学の授業料は当時の日本の私学並みだった。全寮制の金持ちしか行けない有名私大の授業料などは到底一般庶民には払えない。ここで教育における格差社会が出来あがっていたのである。いまの民主党の鳩山首相は、有り余る財力で、有名私立大学のスタンフォード大に留学しているのである。既に鬼籍に入ったレーガン大統領と中曽根首相時代は、アメリカのまねごとばかりをやっていた気がする。当然アメリカの利権が最優先されるのは言うまでもない。同じ時期のイギリスでは、サッチャー女史が首相になり、教育的には恵まれていた学生や保護者たちの既得件を大幅に切り捨てたのである。イギリスこそ、公私の区別なく学べる教育環境だったのに、鉄の宰相たるサッチャー首相は、小さな政府と称して、国庫から出費される財源を、大幅に民間に委譲したのである。ワリを食らうのはいつも納税者なのである。

考え違いしているよ!

2009-11-22 00:07:33 | Weblog

 イギリス人女性の死体遺棄容疑で逮捕された30歳の青年は、たぶん、取り調べの過程で、この女性を殺害したことを自白することになるのだろう。殺人、死体遺棄の容疑で裁判にかけられるものと思われる。この青年の家庭は、母親は代々の歯科医師の開業医であり、父親はどこかの総合病院の何科かの部長さんだったと聞く。(たぶんいまは辞職しているだろう)2年半にも及ぶ逃亡の間に整形手術をし、顔を変え、やはりさらに逃げのびるつもりで沖縄に行くためにフェリーボートに乗る途中で逮捕されたのは、誰もが知るところである。もうひとつ日本のマスコミが取り上げない事実としては、医者である加害者の両親から、被害者の家族に対して、1億円がすでに支払われているという事実である。

 めずらしいことだが、この青年の父親はテレビの取材に顔を出してインタビューに答えている。母親はどういうわけか、顔を隠して同じようにインタビューに答えている。二人ともに、言っている内実は同じで、息子に罪を償ってほしいとのたまわり、問題はその後の発言だが、両者ともに、私たちには優しい、すばらしい息子であると堂々と言ってのける。無論、親が子どものことを憎いはずがない。僕が大きな違和感を覚えたのは、なぜこの逮捕されたこの時期に、敢えて息子を擁護する発言をする必要があったのか、ということである。ただただ、申し訳ない、でよかったのではなかろうか。何かしら、この青年の両親の謝罪には、挑戦的な空気さえ漂っていたと感じたのは果たして僕だけだっただろうか?そもそも、この青年が志望学部の医学部に入れず、千葉大の園芸学科に入ったのはともかく、卒業後に息子の言うがままに、無目的に東京の高級マンションに住まわせ、月々数10万円も仕送りをしていた事実を知るにつけ、もともと真面目な青年だったことは伺えるが、このような事件を起こすきっかけをつくったのは、両親の甘やかし以外に考えられないではないか、とつくづく思う。被害者の家族に対するコメントも極力少なかったのも、すでに1億円という賠償金を支払っているという奢りが加害者の両親の心の奥底に潜んではいまいか。

 対照的な例を僕は思い出さずにはいられない。タケシがまだお笑い芸人というジャンルで括られる仕事をしていたころ、ロケ現場から、スタッフの原付バイクをすっ飛ばして、当時噂のあった女優のマンションに向かう途中で、事故を起こし再起不能かと報じられたとき、タケシの母親は、報道陣のインタビューで、同じ事故を起こすなら原付バイクみたいな情けないのに乗らずにポルシェにでも乗って起したらいいと、大切な息子が世の中を騒がしたことに対して豪胆な謝罪の言葉を残している。もうひとつ。タケシが素人さんの女性と付き合っていることをすっぱ抜いたフライデーという写真週刊誌を発行している講談社に、弟子たちを連れて殴り込みをかけた事件があった。タケシにしてみれば、なぜ素人を巻き込むのかという憤りだったのだろうが、違法な殴り込みを許す世の中ではない。タケシはすべての仕事を干され、失意のどん底のままに沖縄に身を寄せるのだが、ここでも、タケシの母親はマスコミのインタビューに対して、あいつを死刑にしてください、と言い切った。僕は、こういう発言にこそ、母と息子の間の深い、本物の愛を感じずにはいられない。それに比べて、今回の加害者の父親の一見物知り顔の裏には、醜悪なしたたかさが見え隠れしていはしまいか?たぶん、この両親には、自分たちの息子が何を悩み、このような事件を起こすことになってしまったのかという真実は永遠に理解不能だろう。

 整形手術までして、逃げ切れると思った青年の心の浅薄さ。それを創りだしたのは、僕には、自分がテレビに顔を晒すのを誠実だと錯誤している父親、この父親と同じことを主張する母親の、他者に対する傲岸さと思いやりのなさではないかと思えてならない。こういう連中が医者であり、金の力で世の中、何とでもなし得ると心の黒い流域で合理化している心情が透けて見えたようで、なんだかとても嫌な気分であった。イギリス女性のご冥福を祈る。

呆れたね

2009-11-20 21:30:34 | Weblog

また書きはじめます。休筆宣言しましたが、とりわけて理由があったわけではないのです。単なる私というか弱き脳髄を持った人間に特有の、脳味噌の蓄積疲労というところが、最も妥当な理由だろうと思います。かと言って、いつまでも考えることを放棄していては、思考すること自体が面倒になってもきます。そのことをはっきりと自覚したいま、私はまた某かのことを書き始めようと思います。しかし、これまでのように肩肘張ったものは書きません。もっとリラックスして書くことにします。推薦図書などという、押しつけがましいこともやめようと思います。書くべきことも自ずとこれまでとは微妙に変化していくものとご理解ください。どうぞよろしくお願いします。さて、復活の第一回目のブログは次のようなことから書き始めます。


 昨夜(11/13)のテレビ報道で、大阪府立高校生二人が学校のトイレでマリファナを吸っていて、警察沙汰になったことがわかった。違法ドラックがどれほど日本人に広まっているか、このような事実から捉え返すと、あまり明るい現実は見えてはこない。とはいえ、高校生が何も敢えて学校のトイレでマリファナを吸うことはなかろうに、とも思う。昔の高校生のいたずらなら、トイレでタバコを吹かすくらいのものだろう。それと同じような感覚で、マリファナやその他の薬物をわざわざ学校のトイレで吸うということは、タバコ程度の認識で違法麻薬を吸っているということだろう。若者たちに危険な薬物が浸透している現実は遺憾なことと認めた上で、僕がここで問題にしたいのは、二人が通う府立高校の校長のテレビインタビューの内容である。

 その学校長が、インタビューで語ったことは、二人の生徒はワルではなかったことと、授業妨害することがなかったということの二つであった。それを聞いてとても奇異な感じを受けた。理由は、まず学校長ともあろうものが、まず心配すべきは、当該生徒の健康と今後のこと、また学校内に同じように薬物に手を染めている生徒がいるかどうかなのではないか。同じような状況に陥っている生徒がいるなら、全教職員で、それらの生徒を救うという表明なのではなかったか。こんな学校長がいる学校が、生徒を生き生きと教育している環境であるはずがない、と僕は思う。心貧しい指導者を持たざるを得なかった集団が、その根底から腐るのはどのような組織においても同じことなのである。

 学校は生徒を管理し、閉じ込め、進学率、就職率を競うだけの場ではない。むしろ、学校空間こそ、生徒がこれからの長い生涯を生き抜くための土台となる広い意味における学習の場でなければ、その存在理由などない。現代の学校事情が悪過ぎるのである。今回話題にしたアホウな学校長は、珍しい存在では決してない。誠実に教育に取り組んでいる教師よりは、ヒラメのように上司の顔色ばかりを見るために、管理職の方にしか関心がない人間たちが、教務主任になり、教頭になり、校長になり、教育委員会の偉いさんに成り上がっていくのである。自民党の政治家連中の多くが利権ばかりを追うように、出世したがる教師たちは、まさにヒラメのように目は上ばかりを見ているというわけである。逆に、同僚とはっきりとした教育目標を持って、さらに愛を持って下を見る目を持ってこそ、生徒の持てる力を引き出すという教育の本質に触れ得るのである。このようなまともな教育活動を疎外しているのが、現代の学校における管理職者たち、またその上にいる教育委員会の指導者?たちである。かつて教育立国日本とのたもうた政治家は誰だったか?そんな人物はそもそも存在していなかったのか?よく思い出せないのが、現代の教育を取り巻く環境をよく説明している証左ではなかろうか。