ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○こんな時期だからこそ、核開発に関して、ちょっと復習しておこう、自分のために。

2011-04-26 16:27:29 | Weblog
○こんな時期だからこそ、核開発に関して、ちょっと復習しておこう、自分のために。
 日本は、核兵器の最たる負の遺産としての原爆を二発もアメリカ政府に落とされた。戦争終結のためだと素朴に信じているアメリカ国民もいまだに多いと聞く。しかし、だ。それなら何も、広島・長崎に二発も落とすことはなかっただろう、という、これまた素朴な疑問が湧く。だって、東京・大阪へのB29爆撃機による非戦闘員への無差別爆弾投下で、日本の敗戦は決まっていたはずだ。日本が、アメリカの戦後政策のための、原爆の人体実験場にされたことの理由。そんなことは、広島へ投下された原爆がウラン濃縮型原爆。長崎へのそれは、プルトニウムを凝縮させた原爆だったことを想起すれば、誰にでも分かることだろう。日本への原爆投下とは、当時の原子力兵器の威力を人体実験で行うことと、アメリカ以外の国々に対する圧倒的な政治的優位を勝ち取るための試みだったのは、火を見るより明らかではないか。実際、戦後世界におけるアメリカ政府の優位性は、その他の国々が原爆開発をするまでの期間、崩れることがなかったわけだから。
「核拡散防止条約」なんて、子どもにでもアホな条約内容だと云うことが分かるはずだ。戦後のアメリカの一人勝ちなんかに屈している方がどうかしているので、世界各国が核開発と核兵器の開発に躍起になるのは必然だ。そうなると、核を持った国は、これ以上、核保有国を増やさないでおこうなんて勝手なことを言い出す。それが、この不平等条約だ。核保有出来る国を、この条約以前に核開発と核兵器開発をしていた5カ国(アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国)に絞り、その他の国が核開発をするのを禁止したという恥知らずな条約だ。条約に加盟した国は核開発をしてはいけないし、核保有している国は、その技術を他国に教えてはならん、というもの。子ども騙し。いや、子どもだって騙せない。この条約に加盟した核兵器を保有しない国々は、政治的・経済的圧力に屈したのである。原爆投下を受けた日本の平和主義ゆえだと考えられなくもないが、そのことだけを念頭におくだけでは、核保有国の身勝手さの説明がつかない。
まあ、それでも核兵器は開発しないが、原子力発電所はつくりたい、という要請は当然出てきたわけで、いくらIAEAの「査察」を徹底的に行っても、条約自体に問題があるわけだから、当然、イランのように虎視眈々と核兵器開発を狙う国が出てきて当然だろう。アホウなブッシュが起こしたイラク侵攻だったけど、そうなったのは、とりもなおさず、イラクが核兵器を持っていなかったとするのが、イラクの言い分。妥当だろうな。大統領がオバマになったからと云って、戦争で儲けようとする輩がオバマを支えている現状からすると、イラクだって、黙ってはいないよ。原子力発電所というのは、そういう意味でもアブナイ存在。核兵器を所持しない国でも、原子力発電所は持ちたい。IAEAの「査察」が条件でも、広島型原爆のためのウラン濃縮も出来れば、原子力発電所からは使用済み核燃料も出るわけで、このプルトニウムを使えば、長崎型原発も出来るわけだ。当然日本も核兵器をつくれるにしろ、やはり、ここは世界唯一の被爆国の意地を持たないとね。日本は絶対に核兵器などを持ったらアカンのです。
アホらしくて思い出すのをためらうほどだが、この「核拡散防止条約」を批准しない国に対しては、IAEAも「査察」など出来ないのである。インドもパキスタンもイスラエルも加盟していない。それぞれが、国力をつけてきているわけで、そんなことを考えると暗澹たる気持ちになる。日本は、いま、福島原発に振り回されているけれど、世界の情勢は、これまでも、また、これからもずっと危険だ。まるで綱渡り状態。これが、世界のあり方だから、日本に住む僕たちは、しっかりと政治の行方を見定めないといけませんね。最後に。民主党の菅直人はダメだが、自民党は戦後の長期政権の過程で、アメリカの言いなりになってきたことを忘れないことだね。民主党がダメだからと云って、自民党政権下における政治を肯定的には見れないね。そんなことを考えました、今日、僕は。

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○おかしなことが議論されているなあ。

2011-04-24 12:04:58 | Weblog
○おかしなことが議論されているなあ。
 菅直人の諮問機関が「復興構想会議」なのだそうな。被災地の知事たちの提言が、また例のごとくに、新聞ではコンテキスト抜きの発言の切りぬきのように書かれていたので、留保つきで、僕の考えを書き綴ることにする。いろいろ言いたきことはあるが、これはおかしいということに絞って書く。
 大きな疑問符をつけて読んだのは、宮城県知事の村井さんの提言。インフラの復興と整備については、当然のことなのでいいけれど、あれー?と思ったのは、村井さんが提言している財源の問題。村井さんは、「災害対策税」というものを提案したのである。問題は、その内容である。災害対策税とは何か?「恒久的で?全国民、全地域が対象となる災害対策のための間接税?」(疑問符は、長野がつけた)とある。これと合わせて復興国債の発行と県ごとの災害復興基金の創設。後者は当然のことだろう。でも前者に関しては、危険極まりないと僕は思う。まずひっかかったのは、間接税だということ。これはおかしい。村井さん、あなたは、被災者の立場に立っているのか?と言いたい。被災して明日の見通しも立たない人にもこれでは負担がのしかかる。菅直人が消費税引き上げを福祉税という位置づけを外して、復興のために引き上げるなどと云っているのことに拍車がかかる。そもそも菅直人という人には、信念も思想もない。一旦間接税を引き上げたら、あとは無目的に国家財政が苦しいというだけの理由で、間接税をどんどん引き上げるだろう。
 災害対策にかかる費用は、恒久的であってはならないのである。あくまで限定的、臨時的措置が望ましい。税金に関わることだ。こういう税制のあり方が定着すると、際限がなくなるのは目に見えている。村井さんはたぶん、資産をたくさんお持ちの豊かな人なんだろう、と思う。
 災害に遭った人々にとって、最も重要なのは、現状復帰である。とりあえずはもとの状態にもどしてあげることだ。無利子・無担保で現状復帰できるだけの資金を貸し付けること。被災者がすべて善人であるとは限らない。借りた金を持ち逃げすることだってあるだろう。しかし、そういうことは織り込み済みでなすべき措置だ。まずは金余りの銀行や金融機関に対して、政府として臨時の法的措置を講じて、貯め込んだ金を吐き出させればよい。その上で、不足した財源確保には、あくまで期限を切った、直接税の増税によって乗り切るべきだ、と思う。
 間接税の最高税率の国は、デンマークの30%だ。しかし、この30%は、医療費はすべて無料。教育費は幼稚園から大学まで無料。福祉に関わるものもすべて無料。だから、デンマークの国民は、老後のことなど心配する必要もなく、無理な貯蓄も必要ない。いまの日本の国政を握る人々に、こういうことを可能にする意思があるか?絶対にない。だから、それが災害復旧のための、という文言がついていたにしても、恒久的というのは、いつしか、災害復旧の、という前提がとれて、間接税率が高いのがあたりまえになる。当然のことだが、デンマークのような福祉・教育に対する保障などは見込めない。泣きを見るのは国民だ。村井さん、そういうことに責任をもって、「復興構想会議」に臨んでほしい。いま、あなた方被災地の指導者の発言にはみんなが耳をかす精神的土壌があるだけに、くれぐれも軽はずみな発言だけは控えてもらいたいものだ。シロウトの提言として書き遺す。

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○自分の中の過去の彼、彼女へ。

2011-04-22 14:20:33 | 観想
○自分の中の過去の彼、彼女へ。

人の人生って、過去から現在に至るまでの総体だとは思うし、また、そのような心境からしか、未来は見通せないとも思っていたのです。ごく平凡な考え方ですね。

しかし、こういう、ごく一般的なものの見かたであるはずの生活感覚で自分と云う実体を規定しようとすればするほど、かえって自分の実像がぼやけてくるわけです。過去の自分というものに対する自己評価に大いなる疑問が湧くのです。そりゃあ、青年の頃の僕は、この悪い頭を壊れるくらいに酷使して、膨大な読書をし、無論、偉大な思想家の受け売りにしろ、それなりの実践家でもありました。少なくともそう思いたかったわけです。ありふれた日常生活などクソ食らえ!などとうそぶいていたら、日常生活者として、結果的には幾度も破綻の憂き目に遭ってしまいました。自分の破天荒な個性を裡に秘めて、凡庸だけれどまずまずの社会生活を送れるくらいには、世間的な常識にコミットしてきたのが、僕の教師時代の頃。しかし、そもそも僕の本質が、ありふれた日常性など破壊しろ!、と常に自分をつき動かそうとしているわけで、僕は有能な日常生活者と、そういう自分のありようを全否定したき心情とのせめぎ合いの中で苦悩し続けることになったわけです。もともと日常生活破綻者の両親のもとで育ちました。青年の頃のいっときは、やつらのようには絶対にならん、という強き反旗を心の中で翻し、これでもか、というくらいの日常生活者になり通してやる、などと思っていた子どもっぽい発想をしたこともありました。

その延長線上に創った砂上の楼閣こそが、僕にとっての典型的な家庭だったのです。砂上の楼閣を築くにふさわしい<もののかたち>だけにこだわる女房がいました。息子が二人いました。正直、つまらなかったなあ。いまは、ウソ偽りなく断言できますが、その頃の自分に、家庭も含めてですが、何かを守り慈しむなどという心情は残念ながらなかったと思います。絵に描いたような<家族ごっこ>は、その頃の僕にはすべて胸糞の悪いものでしかなかったし、同時に、<家族ごっこ>という演技が、親戚やまわりの人間の信用を勝ち取っているということに、逆に腹が立って仕方がなかったわけです。だって、<家族ごっこ>をやっている自分は、自分の一部ではあり得るだろうけれど、決して、自分の本質ではない。それが評価される生き方などをこのまま続けて、安全な老後とやらを迎えて、年金をもらい、死を待つだけの(無論、これは僕の勝手な想いです。安心立命した老年を送っておられる人々の批判的言辞では決してありません)時間をみすみすやり過ごすわけにはいかんだろう、って常に考えていたわけです。家族にとってはいい迷惑。当然です。こういう考え方ですから、愛もなかったなあ。愛しもしなかったし、愛されることもなかった。別れた女房はどうでもいいですが、二人の息子たちは、僕のことを恨んでいるでしょう。僕はそれでもいっこうに構わないんだけど、自分の経験則から云っても、ル・サンチマンを生きるエナジーにすると、どうしても無理がたたって、どこかにひずみが出来る。だから、息子たちには、僕に対するル・サンチマンから早く自由になってほしいと思っています。自由になるとは、ただ、僕のことを忘れるとか、僕に関わりたくないとか、というものではなくて、もっと次元の高い思念へと昇華させてもらいたい、と心底思っているわけです。愛なく、家庭をぶっ壊した親父に云えることは、こういうことでしかないですね。彼らにとっては、こういうもの言いにすら腹を立てるとは思いますが。それでもこんなことしか言えないんだから、仕方がないね。

僕の中の過去の彼女の象徴的な存在は、二人です。一人は実母。もう一人は叔母。敢えて、僕の中の過去の彼女たちとして位置づけたのは、彼女たちが、僕の人生を、あるいは、生きる意味をいっときは確実に奪った存在だ、という意味があるからです。

いまなら、確実にワイド・ショー的なニュース番組の短い時間を割くくらいの、殺人未遂事件の当事者の母親。相手が親父だったので、やっぱり僕の裡なる人生観、家庭像など徹底的に破壊されました。もともと彼らには愛されてはいなかったと思います。60年前の出来ちゃった結婚でしたし、生まれるはずのなかった僕が祖父の説得によって無理矢理この世に送り出されたのですから、どうってことのない存在です。自分で言うのもなんですが、学生運動にのめり込むまでは、結構な優等生だったので、都合のいいときにだけ、両親という役どころを彼らに演じられてしまいました。その意味では、叔母の場合の僕に対する幼い頃からの愛情の与え方は、込み入っています。ネコかわいがりでしたが、それは、叔母が、親父の妹で精神的な近親相姦的な愛でむすばれていたことが、代償的に、僕への愛にスリかわっただけのことでした。こういう真実が胸に落ちたのは、親父が亡くなって、僕がまともな仕事を投げ出して、家庭を壊したときに、彼女は、ネコかわいがりをしていた僕を、簡単に捨てたときでした。僕は中高年の捨てネコ同然。世界観が、完全にひっくり返りました。繊細な人なら、確実に、よくて引きこもり、悪くすると自殺ものだったと思いますけれど、僕は、絶望を生きるエナジーに変換させたのです。無論、僕に力があったわけではありません。偶然の産物です。負の遺産ですが、いままで見えなかったことが、ずいぶんとクリアーに見えるようになりました。まあ、これも生きる醍醐味だと言ってしまえば、言えなくもないです。

こんなふうにして、いま僕がその後に築いてきた人との関わりは、濃密であり、なによりも、自分に正直に生きることが出来ます。まあ、人生の最晩年の生き方としては、決して悪くはない、と思っています。つまらない追憶です。読み流してくださいね。

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長野安晃

 

○リーマン・ショックってなんだったんだ?自分のためにちょっと復習しておきます。

2011-04-20 16:43:36 | Weblog
○リーマン・ショックってなんだったんだ?自分のためにちょっと復習しておきます。
 リーマン・ショックのリーマンとは、言うまでもなく、リーマン・ブラザースというアメリカ第4位の大手証券会社。1850年創業。1984年にクレジットカード会社のアメリカン・エキスプレスの傘下に入り、1995年に分離独立。翌年、ニューヨーク証券取引所に上場した、巨大金融機関だった。
 なぜ、リーマン・ブラザーズが経営危機に陥って、破綻したのか、ということだが、おおもとの理由はアメリカの住宅バブルが崩壊し、リーマン・ブラザーズの保有資産が急激に劣化したこと。また、アメリカの住宅バブルをつくったのが、所謂サブプライム・ローンという、住宅ローンのあり方だった。日本の金融機関でも同じことだが、信用力(あくまで金融機関の観点での)の低い労働者や、低所得の労働者を対象にして、高い金利で貸し付けを行う住宅ローンが、普通の住宅ローンをプライム・ローンと呼ぶのに対して、サブプライム・ローン。要するに格下のローンだ。日本の消費者金融の住宅ローンみたいなものと考えればいい。金がないというのは切ないもので、安い金利では決して融資してくれないので、バカ高い金利でも消費者金融で借りなければならないわけで、金がない人はどこまでも不利に出来ているのが、現代社会。おかしいよ。いや、こういうのは、昔から同じことが起こっているな。
 日本で住宅ローンを借りようとすれば、借り入れ出来るかどうかの基準は担保主義の古臭いもの。それにしても日本の場合は、住宅ローンを貸したら、最後まで自分たちで回収するのに、アメリカのサブプライムローンは、勝手なもので、あまりに高金利で貸し付けを起すものだから、焦げ付きを怖れる。(自分が蒔いた種だろうが!と憤るね、僕は)リスク回避のために、アメリカの住宅ローン会社は、サブプライムローンの債権(ローンで貸した金を返してもらう権利と考えればいい)を一まとめにして証券会社に売り飛ばしてしまうのが通常の姿だ。ここは日本と多いに違う。債券を買った証券会社は、この債権を小口の債券にして、資産担保証券にしてしまう。そうすると、債券を買う側には本来消えないはずのリスクが見えなくなるという、あくどいやり方だ。リーマン・ブラザーズは、こういうことの得意な証券会社。こんなのが、金融商品になって売られる。素人には勿論リスクなど見えるはずがないし、それに、少しでも株をやったことのある人なら知っていると思うが、証券や株券に対して格づけをする会社があって、そいつがAAA(トリプルAという最高に信用出来るもの、という格づけをやったわけ)をつけるものだから、プロであるはずの世界各国の金融機関やヘッジファンドまでがこの証券を大量に購入したわけである。
 バブルは所詮はじけるわけで、当然のことのようにアメリカの住宅ブームは終焉を迎える。そうすると、住宅価格は下落し、ローンの焦げつきが増大する。この証券(これが証券と言えるものなのか?)を大量に保有していた、特に欧米の金融機関やヘッジファンドが多額の損失を出す。世界同時株安が起こるのは必然だったわけである。アメリカではじけた住宅バブルは、日本にも大きな影響を及ぼした。これで、財産を失くした方々も大勢おられるだろう。それにしてもブッシュ政権の功罪は大きいと僕は思う。公的資金を投入して救済したところ、そうでなく倒産させたところ、その基準がバラバラだ。とりわけ、リーマン・ブラザーズという150年に及ぶ歴史を持つ謂わば老舗の証券会社は、公的資金投入を拒否されて、あえなく倒産。6000臆ドルを超える負債総額は、アメリカ史上最大の倒産劇だったし、「100年に一度」といわれる金融恐慌の幕をこじ開けてしまったのである。恐ろしいことが、次々に起こることになる。ここには、敢えて書かない。書くと、しんどくなるから。
 そもそもブッシュは共和党の大統領である。ご存じのように共和党は、「小さな政府」を標榜している政党であり、政府は、市場経済には出来る限り介入しない。たとえ不況になっても、景気は自然の循環に任せておけば、立ち直るという発想だ。でも、「小さな政府」を目指したときに、庶民の生活が豊かになったことはないな。これは歴史上証明されていることだろう。経済を自然淘汰に任せるわけだから、弱肉強食の世界だ。景気が悪くなれば労働者である庶民などは、まず最初に犠牲になるのは必定だろう。ブッシュ大統領の負の遺産は、リーマン・ショックを惹き起したことと同時に、何と言っても、アフガン侵攻であり、大量破壊兵器があるとの証拠もないのに、強引にイラクに攻め入ったことでもある。泥沼である。長引く戦争で、経済は疲弊してしまった。ひどいことが起こる。<パパ・ブッシュ>も共和党の大統領で、この人は湾岸戦争で、経済をダメにしている。親子そろってなんという人たちなんだろうな。敢えてバカというが、このバカなブッシュの「小さな政府」に共鳴したのが、当時の自民党政権下の首相だった、小泉純一郎とそれを支える経済学者の竹中平蔵。日本人は小泉の郵政民営化に踊らされたが、小泉は竹中の箴言を受けて、福祉や教育などの庶民の生活を支える法律を次々に改悪していった。その法案は100本以上。すべてが自民党圧倒的優位の国会で、通過してしまっている。国民生活が豊かになるはずがない!
 日本政府の考え方は、自民党に限らず、民主党政権になっても、いまだに敗戦後の戦後政策の延長線上にあるようで、リーマン・ショック以降のアメリカの金融危機は、単なる経済問題だけではなくて、アメリカの覇権の終わりを意味するのだが、アメリカ以後を見据えた政治・経済政策が果たして、政党の如何を問わずこの日本にあるのだろうか?大いなる疑問符がつく。むしろ日本政府よりも、アメリカの経済界の連中の方が、自国を飛び越えて、今後の経済・社会的覇権を握る国をよく見定めているような気がする。残念ながら、僕には勝手な解釈でリーマン・ショックに関する観想を書き綴ることしか出来ない。どこかのシンク・タンクのような膨大な情報を持っているわけでもなく、世界経済という観点からみれば、経済という大津波にさらわれるだけのか弱き一庶民に過ぎないわけだし。だけど、憤ってこれくらいのことは整理しておく必要はあるかとは思っているのである。ただ、それだけのことだ。退屈だったでしょう?読み流してください。そういうものに過ぎませんので。今日の観想として書き遺しておきます。

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○日本の大宗教教団はやはりダメだ。そして銀行も。

2011-04-18 15:03:32 | Weblog
○日本の大宗教教団はやはりダメだ。そして銀行も。
 福島原発が壊滅的な状況に陥っているさまは、どのように楽観的になろうとしても、事態は暗雲立ち込めている。いまのように政府も東京電力もタラタラやっていると、東北地方全体が立ち直れない。この地に拠点を持つさまざまな工業部品などの工場も再開されず、部品を当てにしている大手企業は、工場用地を海外に移しかねない。事は第一次産業の被害に留まらない。経済的に全壊だ。
 それにしても、路頭に迷っている避難民のみなさんは勿論のことだが、すでに犠牲者及び、行方不明者を合わせた人の数は、驚くべきものだ。それでも多くの人たちが身を犠牲にしながら、復旧作業に携わっているのに、その一方で、ひどいことが起こっている。先日の新聞記事を読んで驚いた。取材されているのは、福島原発から半径25km圏内に居残っているひとりの僧侶のこと。彼はインタビューに答えて言っている。檀家を残して自分だけがこの地を逃れるわけにはいかない、と。発見される死者の数は荼毘にふす施設が間に合わない。だから、その埋葬の様子は、強制収容所でナチスに惨殺され、地面に埋められたユダヤの民のように、身元も分からない躯のままに、数多くの方々が地中に埋められている。この僧侶は孤軍奮闘しながら、死者に付き添い、宗派にこだわらず読経しているそうな。何故孤軍奮闘かと云えば、他の僧侶がみんな逃げ出してしまったからだ。いったい、多くの宗教者は何をしているのだろうか!敢えて厳しいことを言わせてもらうならば、この居残った僧侶の言にも問題がある。彼は次のように言う。この地から去った他の僧侶たちには、それなりの理由があるわけで、自分にはなんとも言いようがない、と締めくくっている。これはイカンよ。君たちが、相互批判力を失っている証左ではないか!相互批判力を失ってしまった集団に未来などない。それが宗教教団であろうが、なかろうが、である。死者をとり残して逃げ出す宗教者って、いったい、なんだ?
 憤りついでに書きとめておくと、ある大宗教教団が、銀行から1億円を借り入れて被災地に義捐金として送ったという記事があった。宗教教団の実態を知らない人々は、何となく読み飛ばすか、あるいは殊勝な方々はそれを評価すらしているに違いない。しかし、これがそもそもおかしいのである。優秀で有名な一人のプロスポーツ選手や役者が、身銭を切ってなせる金額。なぜ、それくらいの金額を大宗教教団ともあろうものが、わざわざ銀行から借り入れる必要がある?ほんとうは教団財務には、金はうなるほどあるのである。経常経費から無理なく捻出出来る額だ。補正予算を組む手間さえ惜しまないならば、簡単なことなのである。たぶん、この教団は、内部組織が腐っているのである。あるいは殆どの教団が。また、金銭に関する感覚と社会通念が欠落しているのである。予算の組み替えをするくらいならば、銀行から借り入れを起す方を選んだに過ぎないのである。銀行もおかしい。これからが、日本の銀行の存在理由が問われるべきときだ。被災地東北に再び産業を起そうとする中小の企業に金を貸すか?貸さんだろうな。銀行は、日本中の優れた町工場を食いものにして、たくさん倒産に追いやった。銀行の融資の基準はいつまでも古臭い。どこまで行っても担保主義だ。いくら可能性ある計画が提出されても、ベンチャー企業などにそうそうは金は貸さない。これでは銀行の発展はないね。また、存在価値もない。阪神・淡路大震災でも、いまだに被災した家屋の復興に、二重ローンを組まざるを得ず、甚大な損害に甘んじている方々もいるだろう。二重ローンが組めればまだいい方だ。再びローンが組めず、泣き泣き家屋を諦めた人々も多い。果たして、東北地方の壊滅的な状況のもとで、働く場所すら失った人々に対して、あの官僚的で、腐った銀行が、住居の立て直しのための金を貸すか?貸さんだろうな。
 再び最後に。これだけの方々が亡くなっている。読経する僧侶がいない。教団も各寺院も多いに義捐金を拠出すればよいが、それ以上に、被災地に行くことだ。身もとの分かった人のために、身もとすら分からずに地中に埋められている人々のために、各宗派が、本来の宗教的な役割に徹して、祈りを捧げるときではないのか?いろいろな仕事についておられる方々のボランティアの話はよく耳にするが、僧侶が本来の仕事のために被災地に赴いたという話をとんと聞かないのは、いったいどうしたことか?日本中の宗教者よ、自らの役割を思い起こせ!それが、君たちの生きる意味ではないのか?僧侶が銭金で肥え太っている国になどロクな精神性が育たないのであるから。

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○世界は在り続ける。在り続けるべきだ。

2011-04-16 14:22:46 | 哲学
○世界は在り続ける。在り続けるべきだ。

これまで、「読む」ことと、革命という概念とは、テキストの編み変えとそれによる再構築という媒体を差し挟めば、同次元の問題であることを書き綴ってきたが、今日も、それに対する補足をもう少しだけ。

「読む」という行為において、僕たちが最も気をつけねばならないことは、「読み難さ」という現象があっても、「読み得ぬもの」という概念はない、ということに常に意識的であれ、ということである。ここは、ぜひともきっちりとおさえておかねばならないところだ、と僕は思うのである。何故ならば、世のあらゆる原理主義という思想的陥穽とは、実はテキストを読みこなせない、あるいは、読み飛ばすという飛躍から生まれ出てきたものだからだ。もし、それが、宗教的原理主義だとするなら、テキストとしての宗教的原典に明記されていることを、敢えて飛躍した読み方をして、意図的誤読をしていることが殆どだ。宗教における原理主義というと、当該宗教の原典を忠実に読み込んでいると錯誤しがちだが、実は、本質は、正反対なのである。原典の誤読ならまだしも、意図的な悪利用をしていること、しばしばなのである。

具体的に言おう。宗教を例にとれば、終末論を逆手にとった発想がまかり通るようなものは、総じてエセものである。オウム真理教はどうだっただろう。麻原彰晃は、説教テープで繰り返し「人間は死ぬ。死ぬ。絶対に死ぬ。」という終焉的な言辞に徹したのは、人間とはどうせ死ぬのだから、それは世界の滅亡と同時的にその死がやって来なくてはならない、という非論理にスリ換えるためである。オウム真理教のテロリズムは、世界の滅亡へと導くための巻き添えの論理である。そこに新たな世界像の創設は感じとれない。いや、そもそも一個の人間の死の解釈としては、己れが死しても、世界は何の変哲もなく、己れの存在とは無関係に存続し続けるという概念性の方が、突き詰めれば己れと己れにまつわる他者との関わりにおいて、某かのことを成し遂げられる可能性が高い。しかし、だからと云って、なし得たことに対して、己れという存在を過大視することは、世界を巻き添えにした滅亡論と紙一重のところに在る。僕たちはこういうことに常に自覚的でなくてはならない。ここまで書けば、多くの人たちは、ハタと気づくであろう。オウム真理教のテロリズムによる国政の制覇の狙いとは、ナチスの第三帝国の論理と瓜二つだということに。ヒトラーに果たして、未来像があったか?否である。ヒトラーは滅亡への道をひた走ったのである。世界制覇という目論見など、ヒトラー自身の滅亡と、世界という存在を同次元においた滅亡論のプロセスそのものだったではないか。この種の危うさは、人間が、自分が死した後も、あたかも自分が存在しなかったかのごとくに、世界は在り続けるのだ、という思想に甘んじ切れなくからだ。こういう考え方に陥った思想的・政治的指導者たちの出現の可能性を残している限り、消えることのない人類の危うさとして克服すべき課題ではなかろうか。滅亡への先導者に共通しているのは、テキストの条理性からの意図的な逸脱である。あるいは、もっと簡単に言えば、読み飛ばしか、誤読の結果が惹き起す悪魔的な誘惑のシステム化を目指すということである。僕たちは、こういうインチキを許してはならないし、インチキが惹き起した現象に惑わされてはならない。

そのために、僕たちは、読み難さを回避することなく、読むのである。綿密なテキスト理解こそが、間違った指導者を崇めることから僕たちを自由にしてくれる唯一の武器になる。読み難さを読み解く行動のプロセスにしか、未来を創設する力は湧き出てはこないのだから。

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長野安晃

○書き続けることは、自分の裡なるテキストを編み変え続けることでもあるから。

2011-04-15 17:38:22 | Weblog
○書き続けることは、自分の裡なるテキストを編み変え続けることでもあるから。
 僕のブログを読んでくださるみなさんには、それが駄文であれ、結構辛抱強くお付き合い頂いているようで、まことに感謝に堪えない。いろいろなところにアップしているので、どこから覗いてくださってもよいのだが、僕がいまの仕事をはじめ、HPを創設してからずっと書き綴っているのは、HP上にある「ヤスの雑草日記」(Gooブログ)である。ここに書き溜まっているブログは、1000を軽く超える。一般にブログという言葉を聞いて想起されるような形式のものではなく、僕のは云わば、体裁のよい言葉では、評論というジャンルに属するものであり、もっと砕いていえば、雑記ということになるのだろうか。とはいえ、一つ一つの作品(敢えてこう呼ばせてもらおうか)は2,000字から3,000字程度だから、結構長くて読む人にとっては作品?の出来がよろしくなければ、かなり辛抱強く読んで頂いていることになる。ならば、こういう迷惑をかけながら、何故書き綴るのか、ということだが、それはやはり究極的には、自分のために書いているのであり、自分の中の、構築されてからかなり古びてもいる、思想と云うテキストの編み直し、換言すれば、再構築を意図しているからである。
 つまりは、こうも言いたい。書き続けることの意味は深いのである。直感であれ、熟慮した上での思想のごときものであれ、それらはすべて、言葉によって成し遂げられるものである。言葉によって考え得るものである限り、それは、テキスト化されたものであり、それらは、縦・横・斜めに限りなく広がっている。少なくともそのような広がりのあるものでなくてはならない。textが縦横斜めに複雑に組み合わされて出来あがるtextureの関連語あるいは派生語であるとするならば、テキストとしての言語的構成物の結果としての思想も、やはりtextureと同様の複雑な要素が組み合わされて出来あがったものであろう。
 だからこそ、僕は書き続けるのである。テキストという広大な原野に踏み出した限り、足もとがよかろうが、悪かろうが、その原野を踏みしめながら自分の行く末を見定めなければならないからだ。書くことは、自己の裡なるテキストの編み変えを意味しており、それは、textureとしての複雑な構造を変革することでもあり、思想構造の変革は思想の変革に通じ、思想とは、人間の行動力の根源的な意味とパワーのみなもとでもある。つまりは、こうだ。書くことは、人の行動様式も、思考様式も変革する革命的行為そのものなのである。当然のことながら、この場合の革命的とは、18世紀以来の歴史上の暴力革命でも無血革命でもない、新たな、そして、根源的な変化をもたらすための実践的行動である。
 自分に対する警句。テキスト化された思考に、常に新たなテキストの書き換えを促すような思想的な強靭さを身につけよ。決して観念のドラマの中に身を沈めてはならない。なぜならば、世のすべてのテロリズムこそ、観念のドラマの過剰がもたらした惨劇だからである。頭デッカチになることなかれ!身体を鍛えよ!老体に鞭打って臆することなく、身体的な能力を高めよ!さて、厳しく自己に対して投げかけるべきことを意識しつつ、今日の観想を閉じる。

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○テキストとしての革命考

2011-04-14 12:32:38 | 哲学
○テキストとしての革命考

作家の後藤明生が、「なぜ小説を書くのか?」という自問に対して、「もう小説は読んでしまったから」と答えているのは、とても興味深い洞察を含んでいる。他者が書いた出来のよい作品は、読んでいて、新たな発見をさせてはくれる。また、もっと素朴に言うとおもしろいのである。おもしろいから読む。それが「読む」という行為を促す深い動機である。つまり、僕たちは、読むことによって、世界のさまざまな姿をテキストという形式で諒解するのである。そのモチベーションとなるのは、おもしろさでもあるだろう。したがって、テキストを読み解くという行為は、世界を読み解くという、真性の革命的営為そのものである。世界というテキストを読み解き、革命的変革を果たすことにおもしろさが伴わないはずがないではないか。それでは、何故テキストを読み解くことが革命的なのか?それは、世界のありようを読み解くことが、世界の現況を限りなく変化させ得る力学と通底しているからに他ならないからである。さらに言うならば、後藤明生の自問にある、「書く」という行為は、革命後の世界像を創造することでもある。テキストを読み解き、編み直し、再構築する。これが、革命のテキスト理解の本質である。

革命が18世紀以来の暴力革命と同義語であるという狭隘な捉え方をすることは、現代においては、もはや通用しない、古びた論理だ。日本で云えば、坂本龍馬の「船中八策」は、幕末の大政奉還という無血革命劇を成し遂げたテキストそのものであり、そのテキストは、明治政府の指標となる「新政府綱領」として結実する。テキストが革命を成し遂げる。誤解を怖れずに言えば、革命とはテキストそのものである。しかし、そのテキストは、遅れてきた帝国主義国家日本が、取り返しようもないほどの世界史的誤謬を生み出し、自国の壊滅的瓦解と、とりわけアジア・太平洋諸国に対する人を人とも思わぬ恥ずべき支配とその崩壊劇として、一旦は終焉するのである。日本の支配のありようは、西欧列国のかつての帝国主義という強圧的・差別主義的弾圧のもとに、植民地から絞るとれるだけ絞った搾取の姿の再現だった。その意味では、民主主義を装っている西欧諸国が、厚顔にも当時の日本を侵略国扱いする資格はない。しかし、このように書いたからと云って、馬鹿げた右翼思想家や評論家たちのように、他国への侵略を正当化するのは、西欧諸国並みにバカげていることを書き添えておかねばならない。

その後に起こった日本におけるテキストとしての革命とは何ぞや? 勿論、それは日本国憲法の創設と実施である。日本国憲法こそが、現代における最も優れた革命的テキストであると云わずして、何を語ることなどあろうか!たとえ、それが、悪しきテキスト解釈によって、下卑た法的抜け道を創り続けてきたにせよ、日本国憲法は、たとえば、第9条の戦争の放棄、第25条の生存権の確立という輝かしい革命的存在として、息づいているではないか! 過去の遺物たる右翼的な諸々の分野の人間たちが、憲法改正?(改悪だろうに)を喧しく口にする。しかし、彼らが言うように、憲法改悪の動きの論拠の中に、日本の自立などというファクターなどありはしない。憲法改悪論者たちは、一応に、19世紀的な帝国主義者と同じ次元の思考回路しか持ち合わせてはいないのである。彼らこそ、世界の革命的な深化を阻もうとする古びた利権追求論者たちだ。反革命分子に日本の未来など構築出来るはずがない。時計の針を19世紀にもどしてどうする?バカという言葉を使うならば、こういう輩に対して投げつけるものだろう。

もともと西欧列国にとっては、日本など極東の植民地にしようと画策したちっぽけな島国。自分たちと同じようなことをすれば、そりゃあ利権を脅かされるし、何よりも頭にくる。日本だって、人間扱いされていない国のひとつだったという認識を持たねばならない。だからこそ、太平洋戦争の勝敗は東京・大阪の無差別虐殺たる大空襲をやりながら、なおかつ、戦後世界の世界支配を目論む帝国主義者たちの思惑のために、広島・長崎への原爆投下をやったのである。戦争の終焉を早めるため?ウソっぱちである。アメリカ国民も21世紀のいまも騙され続けているのである。テキストとしての革命的思想性とともに、反革命路線としてのテキストも併存しているのである。これは、一般に言うところの、保守派、進歩派、革新派などという範疇の問題ではない。敢えて言うならば、世界史的コンテキストの中で繰り広げられる革命と反革命とのせめぎ合いのテキスト論争である。

このような観点で、世界を捉え返してみてはどうか、と思う。また、異なった視角から、世界が視えて来るかも知れないから。

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長野安晃

○それでも、革命と云う思想のあり方は問い続けられるべきだ。

2011-04-12 16:48:26 | 哲学
○それでも、革命と云う思想のあり方は問い続けられるべきだ。

左翼主義という思想をひとつのジャンルに括ることが難しい時代になって久しい。

東西冷戦の終焉と共に、単純な東側諸国の左翼主義に、西側諸国に生起する社会的矛盾や不公平感の浄化の末の、リアルなユートピア社会の幻像を重ね合わせることの無意味さを誰もが思い知った。革命によって勝ちとられたはずの、人民のための、公平で、友愛に富んだ理想郷であったはずの、遥かかなたの理想郷が、民衆の粛清によって構築された思想統制の、思想的異端者たちを削ぎ落していくための秘密警察が跋扈する恐怖政治のなれの果ての、唾棄すべきエセものだったという絶望感。しかし、そうであっても西側諸国に生きる人間にとっても、独占的な情報授受可能なポジションに昇りつめた人間だけが、実質的な富の独占者であり、小市民である僕たちは、彼らの投げ与えるお余りの捨て金によって、食いつないでいることに変わりはない。厚い皮を剥き続ければ、ここでも銭金に埋もれた守銭奴たちの下卑た笑い声が聞こえてきそうだ。資本主義の勝利、共産主義の敗北という単純な図式の中からは決して分かり得ない、崇高な革命の定義の見直しの重要性。今日の僕は、この課題の周縁的なことを少し語る。周縁的と敢えて書いたのは、たぶん、僕の主張をまだ日常語に噛み砕けない段階に自分がいるからだ。そういう意味での周縁的であり、僕の裡では、勝手なようだが核心に立ち至っている思想の土台ではある。誤解なく。

思想的な変節の典型例として、西部邁という思想家について少し触れてみようと思う。たくさん著作は出ているので、ご存じの方は多いと思う。このところご無沙汰だが、以前は「朝まで生テレビ」の論者として、常に出ていたから、彼がまったくの右翼思想家だと思っている人も少なからずいるだろう。西部は60年安否闘争の全学連の委員長として国会突入を果たした学生たちの只中にいた人間だ。その後の長い法廷闘争の末に、東大の教授にのし上がったのだから、西部の実力もさることながら、当時の時代的な牧歌性は、現代とは比較の対象にもならない。中沢新一(当時すでに「チベットのモーツアルト」という著作で有名になっていた)を東大教授として招聘することになっていたのを、教授会のヘタれた議論に嫌気がさして、西部は東大教授を辞した。それ以降は、思想家としていまだカクシャクとしている。現役だ。しかし、僕は西部のような思想の彷徨と変遷と同じ轍は踏みたくないと思っている。西部が左翼から右翼に転向したことを忌避しているのではない。その意味では、西部は右翼思想家ですらないからである。

西部は、大衆闘争としての安保反対闘争に身を投じて、その結果、大衆の右顧左眄的で、保身的な本性に絶望したのだ。東大教授会の民主主義的?な議論の欺瞞性にもウンザリしたのである。だからこそ、彼は海外の真性の右翼思想のエッセンスを己が左翼思想にパラパラと振り撒いたのである。西部が思想家として名をなしたのは、「大衆への反逆」であったし、「幻像の保守」であった。前者は、日本の小市民性を痛烈に批判したものであり、後者は、保守主義者として自分は立つが、日本にかねてより蔓延っているような保守を批判しつつ、真性の保守主義を確立しようとする。そのことがいかに困難で、不可能に近いことかを西部はよく識っている。だからこそ、西部をして、己れの保守主義を幻像と云わしめたのである。

僕は思うのである。左翼思想は決して過去の遺物ではないと思うのである。そして、巨悪蔓延る社会変革としての革命は、いまだなし得ないままに永続的に僕たちの前に横たわっているのである。歴史的過去に起こり得た数々の革命劇は、暴力革命である。無論無血革命があったにせよ、それ自体の革命性においては、暴力革命の変奏の姿に過ぎない。僕がモデルに出来ると感じる革命とは、ドイツの宗教家であるマルティン・ルターの宗教改革である。ルターは徹底して聖書を読み込んだ。テクストしての聖書には、当時の宗教的権威であった教皇を中心にとり決めた数々の民衆に対する宗教税等々など書かれてもいなければ、教皇の存在すら書かれてはいない。ルター民衆には無縁だった、ラテン語聖書をドイツ語に翻訳する。民衆の文盲率は高かったにせよ、ドイツ語訳聖書を読み聞かすことが出来る。そうして、民衆は目覚めたのである。ルターはひたすら読み、書いた。ルターにとっての革命とは、文学という行為そのものである。革命の究極の姿とは、文学であり、文学なき革命などは無効なのではなかろうか。

もはや、流血をともなう体制変革だけを革命などと云うのは、時代錯誤、思想の錯誤である。根底のところで、大衆を視野から離した西部のごとき思想の変遷は、見苦しい。それよりも、僕たちはひたすら読み、書こうではないか。それこそが、新しい世界像を創設できる唯一の方法論だ。西部のように、<幻像の~>などと、裏返った卑屈さを晒すこともないはずだ。世界というものをテキストとして認識し、それを深く読み込み、そして、真実を識るのである。テキストの編み直しこそが、革命に繋がる力業である。ならば、文学を抜きにした革命など、不毛の産物ではないか。文学こそが、革命に不可欠な存在である。

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長野安晃

○もはや、いまどき英語を話せない、聞きとれない英語教師なんていないと思うけれど。

2011-04-11 13:29:24 | Weblog
○もはや、いまどき英語を話せない、聞きとれない英語教師なんていないと思うけれど。
 大学の先生の様子は、よく分からないが、少なくとも高校と中学における英語教育のあり方については、僕の経験上、書き得ることはある。1977年が、何の因果かは分からないが、たまたまある京都の私学の女子学園の募集がその年だけが公募になって、そこを何十倍かの難関をくぐり抜けて英語の教師に僕はなったのである。その当時、僕も含めて、英語の教師でありながら、英語を聞きとれない、話せない英語教師はたくさんいた時代である。それでも何とかなった牧歌的な時代だったとも言える。しかし、世間では、話せない英語教師など存在価値はない、という批判的言辞が飛びかってはいたのである。中曽根康弘が総理大臣になってからは、海外から英語教育の専門的知識などなくてもネィティブ・スピーカーなら誰でも学校に送り込む方針を、グローバライゼーションという流れの中でかなり強引に固め始めたのである。僕は中曽根康弘という右翼政治家が大嫌いだったので、まさに、そういう理由から、英語の4技能のうちの欠け落ちていた、聞く、話すという領域にぐっと踏み込んだのである。語学の教師としての自覚がそうさせたのでは決してなかったことを、正直に告白しておかねば、と思う。極貧の大学生活。海外旅行にさえ行けなかった。留学などとても視野になど入りはしなかった。大学を卒業するまで、自分で授業料を稼ぎ、自分で飯を食い繋ぎしながら耐え忍ぶしかなかったのである。気分的には、生徒の前では外国人とすれ違うのも気が引けた。見知らぬ人間どうし、日本人だって会話することなどめったにないのに、生徒さんは、大概「先生、あのガイジンと英語で話して~!」とくる。泣きたい気分だった。
 中曽根康弘が大嫌いという、どうでもよいことが引き金になって、当時35歳になっていた僕の生活は殆ど英語漬け状態だった。たぶん、英語を自由に操れる人にとっては、僕のコミュニケーション能力などお笑いに近いほどの力量しかないにせよ、まずは、臆せずにネィティブ・スピーカーと渡り合えるようになったと勝手に思っていた。それが単なる錯覚であれ、思い込んだら命がけなのである、いつも僕は。それからの僕は何度もバックパッカーになって、海外の地を踏むことになる。
 若い人が何人も英語教師として採用されては来たが、コミュニケーション能力はまるでなっていなかった。中途半端な力量しかなかった僕にさえ劣るのである。彼らは一応に学生時代に海外に何度も旅しているというのに。私学という環境ゆえに、ネィティブ・スピーカーを雇用するにも、採用の際の面接をするにも、雇用条件も含めた契約書作成すら彼らにはまともに出来なかったのである。あるとき、面接の折に他の仕事が入っていたので、僕よりは経験のある中高年の女性教諭二人に任せたら、採用したという。背が高くて格好よかった、というのが採用の理由だったから驚きだ。案の定、授業見学に行くとまるでド素人なので、生徒が教室の後ろで遊んでいる。ガヤガヤとうるさい。つまりは授業になっていなかった。この男性は別の理由で学校を去っていったが、この手のお笑い番組みたいなことが学校現場ではしばしば起こる。
 こういう環境の中では、僕みたいな個性の人間は、つまらないという素朴な感情に支配されるし、一旦そうなるとなかなか抜け出せないのが常だった。コミュニケーション・ツールとしての英語力を生徒につけさせるのだ、と自分に言い聞かせていたが、一方で、文部省(現在の文部科学省)のスクリーニングシステム(教科書検定制度)というものがあるから、どうしたって、教科書会社から毎年送られてくる大部な見本は、質量ともにどれも横並び、似たり寄ったりだ。つまらない、のひと言に尽きる。それにおかしなことに力のない教師に限って、語彙や構文の複雑な、難関校対策?向けのむずかしそうな(あくまでそういう印象でしかないが)ものを採用したがる。理由は簡単だ。力のない教師の授業は読んで訳させる、という古めかしい訳読式(これが残念なことに、若年層の教員が好む教え方だ)で授業を実施するのに、パズルのごとき英文の方が生徒たちにゴマカシが効くからである。自分たちは、教科書会社からバカ高いマニュアルを買ってもらえるから、これさえあれば、何とか凌げると考える。あるときから、パズル解きのような授業にならないように(そんなことをやるくらいなら、英語の運用力を高める授業内容にするためには、訳読式は最小限にとどめることが必須だから)マニュアルの日本語訳を全部印刷して生徒に配布してやったら、英語科の教師たちは怒ったね。僕の受け持ちの生徒たちから、彼らのクラスの生徒たちに、日本語訳なんかすぐにコピーしてまわっていくから、彼らにはやることがなくなってしまうからだ。教授法を少し研究すれば、なすべきことはたくさん見つかるのにね。
 とは言え、ここが今日の最も大事なことだが、使える英語といっても(古めかしい訳読方式などは論外だけれど)教える側の僕は、どこまで行ってもネィティブたちの領域に至るだけの英語の運用力は身につかない。いくらがんばっても、微妙な差異がある。だから、彼らと意思疎通は出来るにしても、僕の裡には常に自分の存在理由に関する不全感が消えることなく残っていたのは否定し難い事実だったのである。いつまでも時代遅れの訳読方式に頼る連中は、いったい、どうやって自分の英語教師としての存在意義を見出しているのか、不可思議極まりなかったのでもある。英語教師としてやっていくことのアホらしさが、身に沁み始めた。しかし英語教師という立場を離れてみてはじめて分かることがある。たぶん大学の先生方で、英語学とか英語で言語学を研究している方々からは反論を頂きそうだが、コミュニケーション・ツールとしての英語を教えるならば、ノン・ネィティブである人間が、英語という言語媒体をいかにツールとして噛み砕いていくような、換言すれば、言語的な間違いがあったとしても、それがどこまでならば、コミュニケーションとしての英語として成立し得るのか、という視点を理論化すべきだった、と思う。英語教授法に関するレポートは何本も書いたにせよ、それはあくまで若手の英語教師たちに、教える技術を具体化しようとした試みであったに過ぎず、英語教師として意味ある存在理由を理論化することを怠っていたのである。だからいつまで経っても僕の裡からは、深い空虚感が消え去ることはなかった。日本人が言語ツールとして使える英語を、ノン・ネィティブが教えることの意義も含めて、僕たちはネィティブよりも意味ある存在であり得たのだ、といまにして思う。
 論理的であることの必要性を、英語教師である以外の仕事(学級経営や、教師や生徒の集団つくり、労働組合運動のあり方、私学経営のあり方等々)で、常に追求してきたはずだった。しかし、最も自分を納得させなければならなかった、ノン・ネィティブとしての英語教師の存在理由とは何ぞや?という課題とまともに向き合えなかったのである。間抜けとしか言いようがない。たぶん、間抜けた程度はお笑いではすまない、深刻なものだった、と思う。今日に至るまで、自分が英語教師であることに意味を見い出せなかったのも、なすべきときに、なすべきことを発見し、実践できなかったツケをずっと支払い続けていたからではなかろうか。またひとつ猛省の素材があったことに気づく。バカにつける薬はない、と云うが、これほど含蓄にとんだ先人の知恵はなかろうな。心底、そう思う。

京都カウンセリングルーム

アラカルト京都カウンセリングルーム   長野安晃

○エピキュリアンとして生きるべきなんだ。

2011-04-08 10:25:52 | 哲学
○エピキュリアンとして生きるべきなんだ。

世界中に不況の嵐が吹き荒れ、身のまわりの空気がざわつき、息苦しさに身もだえしながら、生きがたさの中で閉塞せざるを得ない昨今、僕たちに出来る抗いの好ましい姿というのは、重苦しい空気を遮断するのではなく、むしろ力の限り体内に取り込んで、己れの力で浄化しようとする覚悟を抱き、この世界を生き抜こうとする意思と同義語である。しかし、ここに古風な克己心であるとか忍耐という概念は、意識的に持ち込まないということも書き添えておかねばならないだろう。

人間は、いかに困難な状況の中に投げ込まれても、前記したような精神のありようを忘却しない限りは、必ずや瓦礫の中から立ち上がれるのである。立ち直れる力がありながらも、自ら折れてしまうような、あるいは自己崩壊を招くがごときの、自己否定の連鎖の中に飛び込むようなことだけは回避したいものだ。心底そう思うのである。

現実問題として、世界は政治的・経済的・地政学的に大混乱を来たしている。まったりすることの難しさを今日ほど身にしみて感じる時代はかつてなかったのではなかろうか?無意識の底からふつふつと滲み出して来るような負の感情ほど組み敷くのに困難なものはない。いかなる希望的観測をも差しはさまないで今日を素描すれば、悲劇的を通り超して喜劇的ですらある。

さて、僕たちは生きねばならない。なぜか?それは、生とは生き抜こうとする意思そのものであるからだ。少なくとも、僕の裡なる生の定義とはこういうものなのである。だからといって、己れの裡なる精神主義ー克己心や忍耐ーを過剰に評価するのは、人間の本性に反している。その意味で、この時代だかこそエピキュリアンとしての生きざまが求められているのではなかろうか?日本語の訳語としては、エピキュリアンとは快楽主義者あるいは悦楽主義者という、日本人にはあまり耳障りのよくない言葉として認識されていることだろう。しかし、この場合における快楽・悦楽とは、あくまで人間の本性に忠実に生きようとする、とても生に対するポジティブで、肯定的な思想と定義することが出来るのである。人がこの世に生まれ出て来た限りは、根底的な領域において、生を楽しまなければ無意味・無価値であろう。楽しみがあってこその、苦悩でなければ人はその苦しみゆえに生そのものを投げ出しかねない。逆に、生の苦悩の中をくぐり抜けて、かつての自己よりも一回りも二回りも力強く、大きくなれるのは、エピキュリアンとしての自覚が、その根源的な心的エネルギーたり得るからである。

あらゆる意味で世界は、広大無辺な存在ではなくなった。世界は、少なくとも人間に認識し得る世界像とは、現代に立ち至って、とても狭隘になった。それは一面では人間の進歩のあとであり、その結果でもある。が、地政学的には、地の果てという概念は喪失してしまった。果てしがないというのは、その果てを見極めようとする人間のロマンティシズムをかきたてる重要な概念であった。かつての新天地アメリカに渡ったヨーロッパの人々は、広大な果てしなきアメリカ大陸を西へ西へとひた走ったのである。それは単にゴールドラッシュという一攫千金の夢のためになし得たことではない。果てしなさを享楽するエピキュリアンとしての人間の本性が西海岸という<果て>の終焉にまで、人は夢を求めて楽しんで生き抜いたのである。無論個々の不幸は数えきれないほどにあったにせよ、総体的に見れば、やはり、それはエピキュリアンとしての夢の追求であった。多面的な個性を持った人間だったからこそ、力に任せても、ネィティブアメリカンを圧殺しても、彼らヨーロッパからの移民たちは果ての果てまで行き着いたのである。その後のアメリカの悲喜劇は、他国への侵略と軍事介入という、また果てしなき<享楽>の連続であった。いまだにそれは続くが、しかし、同時に、現代においては、地球という世界像の狭隘さを証明するばかりとなった。つまりは、帝国主義的な力業による<悦楽>の追求の時代は終わったのである。

この息づまるような世界において、僕たちはエピキュリアンとしての新たな旅をはじめなければならない。それはたぶん、単純に宇宙へ、という回路はとらない。そうではなくて、人間の内面へ、と向かう旅である。無論、閉塞してはならない。あくまで、エピキュリアンとしての、個性の多面性を楽しむ精神の彼方への旅路になるだろう。ここを経由しなければ、人の内面は、いつまで経っても豊饒さとは無縁の存在のままだ。もし、そうであれば、豊かな他者との繋がりなど望むべくもない。僕たちは21世紀のエピキュリアンたり得なければならない。

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長野安晃

○永遠という概念が、生きるための欲動と通底しているんだ、と思う。

2011-04-06 14:26:42 | 哲学
○永遠という概念が、生きるための欲動と通底しているんだ、と思う。

人間の生そのものが永遠という概念とは無縁の、ごくいっときの、この世界の現れに過ぎないのに、やはり人間は、生きるための何がしかの虚構、あるいは、それを物語と規定しても差し支えないが、自己が生きている間は、<意識>の永続性が永遠性と繋がっていなければ、社会という器の中で生き抜くことが出来ないらしい。

言うまでもないことだが、人が生きていると実感できるのは<意識>の領域である。<意識>は理性と情緒を兼ね備えているものだから、理性の側面では、生の終焉についての認識を持つに至るはずである。しかし、その認識とは常に薄皮が覆っていて、すっきりとした像を結ばないのが通常の姿であろう。人間の死についての<意識>のあり方とは実に滑稽な要素を持っていて、一方で死の準備として、ある意味酷薄な生命保険というシステムの中に自己の死を投げ入れるかと思えば、それと平行するように、過剰な健康志向とガン検診を含む健康診断ブームの到来。社会構造が根本的に瓦解しない限り、どんなに不況の嵐が吹き荒れようと、生命保険会社は、儲け続けるし、ガン検診を含めた健康診断を手がける医療機関も儲け続けるのである。若い頃は結構シリアスな映画で評価された地井武男なんていう役者が、ギャラがいいのだろうか、ある保険会社の老年向きの保険の宣伝をやっていた。まるで年寄りを騙して金をクスね取る詐欺師のような顔つきになるから、こういう役どころの顔つきに自然になっているんだな、と、妙に納得してしまう。地井武男曰く、「お葬式代だって保証されているんですよ、ねえ、おとうさん、おかあさん!」だって。残酷さが行き着く果ては、やはり滑稽という概念なんだ、と今更ながら胸に落ちる。とかなり前にこれを書いていたら、地井武男自身があっけなく逝ってしまった!

人が生きるというのは、あくまで自己の死を意識しないことを内包している。意識しないどころか、心のどこかで、自分の死は永遠の宙吊り状態であって、決して具体性を帯びた想像などは訪れはしない。その意味で、人の死生観は、情緒的な感性によって支配されていると言って過言ではないだろう。しかし、その一方で、自己の生が限られたものでしかない、という認識を理性的に同時に分かち持つ。このような精神のアンビバレンスに食い込んで来るのが、生命保険会社と検診ブームという、発想のベクトルとしては、真逆の現代的戯画が同居するというおかしな現象である。

永遠という概念性の究極の姿は、太古の昔から、さまざまなかたちの絶対者=神という創造者の創作によって、人間は自ら、生きるための欲動を刺激し、鼓舞する。現代という時代において、この日本において、少数の各々の神の信仰者を除けば、大抵の人間は、実質的な無神論者に近い。では、彼らは何にすがることで、生の永遠性を擬似的であれ、それを諒解するのか?まとめて言えば、社会性を含んだ環境に身を浸すことによって、と書き記せば誰もが思い当たるはずである。ごく私的な経験を一つ書き置く。教師時代に、気の合った年配の教師が二人いた。お二人とも自分の世界をそれぞれに持っている人で、学校で教鞭をとるのが嫌いだというのが口癖だった。いまもそういう教師がいるのかどうかは知らないが、ともあれ、そのお二人は、授業が終わるとそそくさと校門を車で走りぬけて各々の世界へと帰還していかれたものだった。時期は数年ずれるが、お二人とも50代前半に末期ガンと診断されて、さて、それからがたいへんだった。あれだけ忌避していた学校へ動かぬ体を引きずるようにして、教室に行く。とても積極的に、そして能動的に。お二人ともに仕事を慈しむようにこなしていく。淡々と。しかし、なにせ末期ガンにて体力は日に日に衰える。教壇に立っていられず椅子に腰を降ろしたまま、生徒の方を見つめながら真剣に語りかける。廊下を通りかかると、その様がありありと伝わってくる。高校生ともなれば、生徒も何が起こっているのかを察する。騒がしい生徒もいるのに彼らの授業中は、まさに水を打ったように静まりかえっている。いろいろな想いが錯綜しながらの静けさなのだろうけれど、日常語で言えば、まさにドン引き状態。それでもお二人ともに死の直前までこれまで見たこともないくらいに、まじめに?学校へやってきては、それこそクソがつくほどにまじめに授業をこなす。生徒にとっては、ドン引きのそれを。

彼らにとって、これまで忌避してきた環境であれ、そこに長年勤め上げてきたのである。職場にさえ行けば、末期ガンそのものが、悪い冗談で、これまでのような日常がずっと続くと思っていたフシがある。彼らにおける擬似的永遠性への希求だったと思う。翻って考えれば、やはり、生き続けるには、人はそれなりの動機が必要なのだろう。具体的な現れは人それぞれだとしても、永遠への渇望が生きることの根源的なファクターになっていることは、たぶん否定し切れない事実だろう。死を決意したとき、人は永遠への欲動を同時に棄てたときだ。そんなことを考えつつ書き遺す。

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長野安晃

○僕の裡なる自=他意識考

2011-04-04 01:02:58 | 観想
○僕の裡なる自=他意識考

職業柄、人間関係がうまくいかないという苦悩に打ちひしがれている人たちとの出会いも多い。僕は、自分がまったく使いものにならない洞察力しか持ち合わせていないとは思わない。少なくともそういう思い入れがなければ、怖くて他者の苦悩に立ち入ることなど出来るはずがない。だから、たぶん、強引な比較論で言うと、幾分かは問題解決能力を持ち合わせているのだろうという欲目で自分を見るようにしている。

しかし、その一方で、この歳になって、あらためて自=他の関係性を客観視することの難しさを思い知っているとも感じるのである。そもそも僕という人間は、客観という概念性に対して、信頼を置いているのかどうか、という仮説を立てたとき、その仮説に対する答えは、いつも否なのである。たとえば、ある現象が起こるとする。僕は自分の能力の及ぶ限り、多角的に生起している現象を注視しようとする。こういう立ち位置から視えて来る、現象の底に沈んだ本質に関わる事柄を拾い出す。これが簡単に言うと、僕の洞察力の内実である。だが、そこに物事の本質的な深度を量り得るようなスケールのごとき客観性が在るのかどうか、と自問すれば、繰り返しになるが、結論的には、そういうものは少なくとも僕の裡には存在しないと明言出来る。

つまりは、僕の自=他との関係性を捉える尺度は、自己の内なる主観性そのものなのである。主観性とは、自己の経験則から物事を判断する思想的な構えのことだ。そうであれば、自己の主観性の次元の高低は、詰まるところ、主観性のコアーになっている経験則という実体の価値の高低と同義語である。換言すると、僕にとっての経験則の内実に、他者と共有するべき思想がどれだけ取り込めているかが勝負どころである。このことを抜きにしては、自己の本質を語ることなど出来はしない。誤解なきように言っておくが、他者と共有できる領域に入るものを短絡的に客観性、あるいは普遍性などとうそぶくような魂胆は僕にはない。どのように控えめに見ても、僕はこの世界を主観主義的な考えの振幅の現われだという想念から解放されたことはない。むしろ、他者との間で共有し得る想念の全てを客観性とか、普遍性などと定義することの自己欺瞞をいまは怖れている。

自己の想念を言語化することによって、それを客観性、あるいは普遍性という概念で、他者に反論の余地を与えなかったことによって、いかに多くの過ちを犯してきたことか!果たして、僕は、少なくとも今日に至るまでの殆どの時間を、他者の論理を砕くために費やしてきたように思う。他者との議論に敗北した経験を意識化出来ないことが、そのことをよく証明している。当然のことだが、自己の想念が常に正しく、その自己正当化によって、他者を駆逐してきたことで、いったいどれだけ多くの他者との絆を自ら断ち切ってきたか、あるいは、他者によって断ち切られてきたかを考えると背筋に冷たいものが流れ落ちる。<連帯を求めて孤立を怖れず!>という古びたスローガンは、僕の裡でいつしか<孤立すべくして、連帯の絆を断ち切れ!>という内実にすり替わっていたものと思われる。喪失したものの大きさに想いを馳せると、取り返しのつかなさに身もだえするが、少しずつ明らかになってきた己れの思想的誤謬を修正しつつ、生き直す過程で得てきた他者との数少ない関係性は、死守する価値があると自覚しているのである。それでも当然のごとく、孤立し、孤独であることから解放されることはない。ここに書き遺すべきものを、生の総括だと僕は自己規定している。だからこそ、恥多きことこそを書きこぼさないでおきたいのである。

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長野安晃

○「ことばの力」考

2011-04-01 11:56:17 | 哲学
○「ことばの力」考

自覚的・無自覚的であるか否かという概念を考慮の中に入れたとして、人間の行動のすべては、自分の脳髄の中の想念によって引き起こされるものであると規定しても、それを極論だとは言えないだろう。想念を思想と言い換えてもよいが、それらは、すべてことばによって構築された、まとまりのある概念である。そう、人間の行動、実践は、すべからくことばの裏づけがあって初めて成立するのである。

言うまでもなく、人間の行動・実践には高潔さから、下卑た低次元のものまで存在する理由は、行動者・実践者のことばの次元の高低によって決定づけられる。ことばに力がある、というのは、ことばの発信者の、ことばによる思念・思考の内実がことばを受ける側の思念・思想を凌駕し、変革し得る場合に限る。また同時に、発信者のことばが、ことばの概念性そのものによって閉塞したものであれば、他者の言動に変化を与える力はないし、その逆に、発信者のことばに、思念・思想の構築力と同時に、それが発信者のことばを受動する側の人間に実践力を喚起するものであれば、発信者のことばによる世界像は、限りなく外に向かって広がっていくものである。換言すれば、人間の行動や実践における高潔さとは、ことばの力によって、常に広がりのある世界観を有した代物であり、下劣なそれとは、ことばそのものが、閉塞的であり、自閉していく、保守的な存在である。

少々過大に規定した感もあるにせよ、かつてマクルーハンは、メディアこそが、マスとしての人間に対して、もっとも有効なメッセージを与え得ると、現代社会の一側面の現象を鋭く見抜いていたのである。現代において、メディアという範疇に入る代表的なものとして、紙媒体としての新聞・雑誌・小説・哲学・・・・という数多きジャンルが存在する。また、時代を反映してか、紙媒体が、コンピュータを介したデジタル媒体への移行に移ろうとしている時代でもある。また、絵画や音楽や映像ですら、デジタルという信号に変換し得る時代でもある。しかし、そもそもデジタル化以前の時代における、他者の存在を前提にしたあらゆるジャンルにおいても、あるいは、目を見張るようなスピードであらゆる言語媒体がデジタル化されつつある今日においても、人間が他者に向けて何ものかを発信する限りにおいては、媒体の如何を問わず、発信者の並々ならぬ、ことばを媒体とする他者への意思伝達ーそれが実は思想というものに深く根ざしているわけなのだがーとは、ことばによる他者の変容を迫るかなりアグレッシブな実践的行為だということが出来るのではないか、と僕は近頃考えているのである。ことばの力とは、このような具体的・実践的な営みに必要な尽きることなき水源のごときものである。人が生き抜く限り、人は、このような自=他という図式の変容と強化のプロセスの中に投げ出されているようなものなのである。その意味合いにおいて、人が生き抜くための不可欠な要素とはただ一つ。それがことばの力である。

前記した意味におけることばの力における反措定。それは、他者への意識的な影響力を、あるいは働きかけを投げ出したような言語交流である。昨今の流行にいちゃもんをつける意図はない。が、たとえば、twitterという140文字内のまさにことばどおりの呟きに、呟き手の側の他者に対する強い説得的意図は伺えない。たとえ、ひとつの呟きに対して、すぐに数多くのfollowersがついたにしても、その中の呟きに、たとえば、演説のごとき、あるいはアジテーションのごとき、強き説得的意思が在るか?否である。無論、twitterの反響の大きさを揶揄しているのではない。しかし、あるはじまりの呟きが、世界的規模の声になったとしても、それは、偶発的な呟きの重層的な現れに過ぎない。その意味で、呟きは、マスのさらなる大衆化という意味での位置づけが妥当である。

ここで、僕は敢えて、朴訥なことばの力の高め方について、あまりにありふれたことを書き記す。それは、孤独な読書体験の必要性だ。啓発書や、エンタメの類の読み物でなく、血肉の通った創作作品に対する傾斜の必要性だ。難解なものであれば、わからないままに読み進めるだけの忍耐の必要性だ。このような孤独な知的作業を抜きにしては、自分のことばの力が、他者に対する積極的な影響力を持つことはあり得ない。時代に逆行しているのかも知れないが、敢えてここに書き記す。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃