ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

橋下知事さん、記名投票は、ファシズムですよ。だいじょうぶですか

2009-05-27 19:54:25 | Weblog
 橋下知事は、そろそろ限界にきているのではなかろうか、と思う。自分に対する思い入れが激しくなり過ぎた政治家は、いくら庶民派を気どっていても、未来に禍根を残す政策を残してしまいかねないからである。彼はまさに、そういうところに差し掛かっている政治家と言える。
 民主主義の根本は投票という民意の反映である。議会制度をとっている限りは、選挙民の代表者たる議員が、一応(というのは、いまや日本の民主主義そのものが変質してしまっているからである)選挙民の代表者であるから、さまざまな議案の決定に際しては、議員の論議(現在はかなりいい加減である)を尽くして後の、投票によって議案が決まる。スタイルとしてはこれがまっとうなものだろう。現在の日本国民の政治不信は、議員たちの資質や、世襲制や、庶民感覚の欠如、汚職等々がもたらした結果であるから、これは政治のスタイルとは別物であると考えるべきだろう。
 政治の裏表を知り過ぎた政治家もどうかと思うが、それより怖いのは何も知らない素人政治家なのだ、ということが、今回の大阪知事の橋下知事が提案している記名投票制度の案件によって証明された感がある。彼には現在だけがあるのであって、後の政治など考えてもいないのだろうと思う。政治における記名投票などは、ヒトラーでさえ出来なかったことである。橋下知事は、いまは少なくとも大阪府民の支持率が味方しているようだが、その政治スタイルの独裁性に至ってはヒトラーさえ及ばない。今回の記名投票に関するもっともまともな意見を述べているのは、皮肉なことに慣れ過ぎた政治集団たる自民党議員たちである。彼らは投票は、無記名が本来の姿であり、その結果が民意の反映なのだと主張している。そうだ、これがまっとうな意見である。そして、これが民主主義の原則である。共産党は正反対のことを言っている。一見橋下知事の支持をして、記名投票の賛成をしているかのようだが、実はそうではない。彼らは、絶対少数派として、自らの政策や考え方を世に知らしめる良き機会だという捉え方でしかない。一番いけないのは民主党である。どっちつかずの意見をのたまわっている。まさに自分たちが国政を握れるかも知れないという、瀬戸際の中で何をすれば国民受けをするかだけを考えているのだろう。自民党は敗北すればよろしいが、これでは、民主党になっても世の中よくはならない。
 卑近な例を出す。教師時代に、全校生徒に対して授業の在り方について、各教師に対する無記名投票をさせようという提案を職員会議に提案したことがある。長年教師として授業していて、自分たちが知らず知らずのうちに、何らかの思い込みに陥って、生徒にとって無意味な授業をしている可能性があったら、それを正していこうという趣旨であった。予測はしていたが、提案したら、猛烈な反対論者たちがなりふり構わぬ攻撃をしてきた。彼らの主張は、教師の授業を評価させるのであるから、生徒には当然記名させるべきだというのが、彼らにとっての最大の妥協点だった。記名投票などして、アンケート実施に反対して睨まれたらたまったものではない。まともなデータなどとれるはずがない。僕はあらん限りの政治的工作、なだめすかし、事項の数えきれない書きなおし、等々によって、何とか職員会議を通過させた。たぶん学校始まって以来の、全校生徒向けの、授業アンケートの実施だった。成果は勿論あったが、自分勝手な思い違いをしている教師たちにとっては、手痛い結果を手にすることになったわけで、残念ながら、アンケートは一度だけしか実施できなかった。逆に有名? 塾などでは、経営者が好んで小学生相手に無記名投票をさせる。この結果で塾の講師の給与が決定されるのであるから、アンケートの対象者の年齢や、目的によっては、おかしなことも起こっていることも認めざるをえない。無記名投票が悪質に利用される場合もあるということである。制度というものは、原則が正しくても、運用の仕方を間違えれば、悲惨な結果を生む。
 投票に際して、投票そのものに対して反論はできはしない。しかし、記名投票を主張する側の人間は、本来、出来るだけ選挙や、投票という民主主義的な行為から離れていたいのが心情であろう。要するにためされたくないのである。橋下知事さん、あなたの気分、感情は理解できないこともない。しかし、あなたは地方自治体といえど、その代表者なのである。将来に禍根を残すような制度を創ってはならないと痛切に思う。善意の人の思い込みは、ときとして、最も怖いものだと思う。今日の観想である。

○推薦図書「うらおもて人生録」色川武大著。新潮文庫。優等生がひた走る本線のコースばかりが人生ではないと色川は書き始めます。ひとつ、どこか、生きる上で不便な、生きにくい部分を守り育てていくことも大切なのだという論調の人生訓をこそ、橋下知事には一度読んで頂きたいものです。みなさんもどうぞ。

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時代性とは精神性のありかたと深くむすびついているのだろう、と思う

2009-05-25 01:55:45 | 観想
○時代性とは精神性のありかたと深くむすびついているのだろう、と思う

少し前まで、友人たちとの会合で、必ず決めごとのように誰それの口から吐き出される言葉にずいぶんと嫌気がさしていて、そのような集まりには極力出ないようにしていたのである。ご想像のごとく、「昔はよかった」とか、あるいは「昔は、もっと人間関係、濃密だったよなあ」というような、懐古趣味に属する言葉の続出である。

しかし、最近、僕は友人たちが吐き出す言葉の一つ一つに対して、ある意味で、再評価するようになった。何故なら、彼らが酔っ払って口にする言葉は、一応に稚拙なおとなの愚痴に聞こえるが、しかし、もう少し突っ込んで考えてみると、彼らの懐古趣味的な発言の源泉は、昨今の、僕たちよりもずっと歳の若い人々の価値観に対する反措定なのではなかろうか、と思えるようになったからである。確かに僕たちの若き頃にも問題は山積していたと感じる。が、誰憚ることなく言えることは、少なくともどうしようもない困難に陥っている人間に対する共感を美徳とし、具体的な救いの手を差し延べることの意味とその大切さを、少なくとも当時の僕たちは、人間的である、と呼びならわしていたと記憶するし、実際に困った人間を見捨てることは、ある種の罪悪感を心の深いところに深き傷として刻むことに繋がっていたのである。

確実に、懐古趣味的な精神性に反発を覚えつつも、僕の現在の生きかたの中で実践していたことは、どうしようもない深みにはまっている人たちに手をかし、深みの底から引き上げることが価値ある仕事であると思っていたようである。そして、実際に、僕は仕事の上で、あまりに救いのない幾人かの人々に対して、問題解決の方法論を示唆するだけでなく、実践的な救いの手を差し伸べていたのである。事実あまりに深い淵にはまった人々に対して、僕は身を挺して救いの手を差し伸べた。しかし、そういう場合においては、例外なく、ことごとく、僕の言動は手を差し伸べた人間に対して救いになるどころか、むしろ恨まれた感がある。簡単な言葉で表わせば、余計なお世話だったのだろう。時代は、もうかつてのような直截的な救いを求めてはいない。僕から見ると救い難い深みに陥っている人々とは、文字どおりの崖っぷちに追い込まれているわけではない。極端な場合、彼らにとって、僕からすれば、崖の淵にいることを心地よし、としていることの何と多いことだろうか。僕の救いの手など、彼らにとっては、不必要な存在でしかないのである。要するにうざったいのである。思い入れた数例のクライアントの状況を変革しようとしたら、それらの試みはことごとく失敗した。昭和の価値観に深く根ざした僕の思想性は、大きな修正を強いられた。僕が出した結論は、こうだ。相手が救助を求めて手を伸ばしているときの、意味を洞察すること。左翼運動で培った正義感はそのままでは通用しないどころか、この時代の精神性にとっては、距離感が近過ぎるのである。相手は僕が思うほどには近づいては欲しくないのである。適度な距離感から紡がれる言葉。そして、その言葉を受容するかどうかの判断基準は、僕のそれと比べると、恐らくは数十パーセントは差っ引いて考えてちょうどよいくらいなのである。僕もしんどい想いをして、他者にうとまれていたのでは、たまったものではない。

僕はもう今後は、必要以上にクライアントに入れ込むことはない。適度な精神的距離感をもって接していると、やはり時代が求める精神性と合致しているのか、仕事の方は至極うまくいっている。不思議というか、皮肉なものだ、と思う。その意味において、僕などはすでに去りゆく者のリストに入ってしまったのではないか、とつくづく思う。今日の観想とする。

○推薦図書「世界の果て」中村文則著。文藝春秋。作者は1977年生まれの若き世代の人である。しかし、彼の書いている作品は実存主義的小説である。作者の育った環境になかったはずの価値観を、中村は作品の中で、どのように自由奔放で自己の作品を描き切っているかを楽しんでください。お勧めの書です。

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長野安晃

人間にとって、死は敗北か? ―断然ノーである

2009-05-17 00:39:52 | 観想
○人間にとって、死は敗北か? ―断然ノーである

とかく人は生きるということに価値を置き過ぎる。特に近・現代における、戦時における武士道に近い精神の復活によって、いっときは死に対する洞察は深くなった感もないとは言わない。しかし、僕に言わせると、武士道にまつわる、たとえば「葉隠れ」の中に見受けられるごとき死への覚悟などは、いかにも死という現象を美化しているように思われてならない。死とは単なる現象なのであって、そこに美的な要素などはない。その意味において、生も死と真逆の現象なのであって、現代は生きていることにあまりに執着し過ぎる傾向もなきにしもあらず、である。控えめに言うが、人は生きている意思が挫けない限り、自己の生に対してあまりごたいそうな意味をくっつけずに、生きている間に自分に出来ることは、自己の能力に応じてなるだけやっておく方がよいのではないかとは思う。そしてもしも自然死(病気も含めて)を待ちながら老化しつつ生き永らえる気持ちがあるなら、そのような生を選びとればよいだけのことである。すばらしき能力に恵まれた人は、何らかの他者に対する功績を残せるはずだから、こういう人々は出来るだけ長く生き永らえればよい、と思う。だからと言って、何の役にも立てずにいる大半の人々に対して、生きる価値がないなどと言うつもりは決してない。生きたいのであれば、そういう選択肢を選ぶ。それでいいではないか。とりあえずは、自分が死ねないのは、誰それのために生きていなければならないのだ、というような取り繕った偽善的なポーズだけは避けてもらいたい。そういう言葉を聞くと、残念ながら、いまの僕は反吐が出る。

何度か死線を彷徨うような生きかたをしてきて、生きることの意味を急速に喪失して、自死を決行し失敗を数回繰り返した。勿論、うつ病などではない。まったく健全なる精神のままに、生よりは死の方に傾斜しただけである。死があくまで現象に過ぎないという思想にまで行き着いたのは、かつての死への傾斜がもたらした新たな心境である。残念ながら物がよろしくなく、手首をざっくりと動脈まで断ち切るはずだったのに、動脈は掠ったに過ぎなかった。ドジな人間はどこまでもドジであるらしい。ドジついでに書いておくと、グット・バイ、という携帯メールに家人が何かを察したようで、大量の睡眠薬、そう100錠はくだらなかったか、それを嚥下していて、意識がはっきりとしているうちに、自分としては完璧なほどに動脈を切りとったつもりであったし、もしも動脈を外しても失血死するようにバスタブにはたっぷりとぬる目の湯をはっての決行だったのに、いまこうしてブログを書いているのは何が起こったのかは推して知るべし、だろう。

さて、死は現象である。それ以外の意味を持たない。これが僕の行き着いた思想の一端である。少しだけ、毒を吐かせてもらえるなら、それはやはり三島由紀夫の「楯の会」と、三島自身の異常なまでの肉体的改造のプロセス、三島の文学作品の美学と一般には言われている内実、当時の市ヶ谷駐屯所に楯の会のメンバーと伴におしいって、予定調和的に本物の自衛隊員には決して通じるはずのない激文の空回りと、その後の三島の古式にのっとった切腹と介錯。床に転がっている三島の首。いまにして思えば、僕には噴飯ものである。何もかもが、うざったい。死を、文学を美化する甘えた性根の三島などに、もう興味すらない。本棚に並んでいる三島の作品の全てを、破棄するのではなく、何百円か、何十円かで、古本の買い取り業者に売り飛ばしてしまった。それが僕の三島に対する何十年ぶりかの評価である。三島程度の死に方は、確信をもって、僕にも出来る。むしろあのような大袈裟な死の準備こそが、死の舞台装置であるようで、アホらしいことこの上ないのである。金にあかしてごたいそうな日本刀などで腹切りなどしなくても、昨日料理した包丁でも十分にその役割は果たせるのである。むしろ三島などは生を断ち切るのがたいへんだったのではなかろうか。ご苦労さん、と言いたい。

僕が行き着いた死生観とは、生と死の間に何らの障壁もないということであった。生から死への移行など容易いものなのである。そこに三島のような刃先をもつ道具で生の息の根を止める選択をするとしても、それくらいの痛みは、生への執着を棄て去った時点から何ということもないものになっている。むしろ、ビルのてっぺんから飛び降りて即死を狙うよりは、痛みを経過して、痛みの過程で自覚的な死を選びたい、と僕などは思う。そこに右翼的な思想は勿論ないし、美的なものを持ち込む気分など決してない。死は文字通り死でしかない。そういう現象でしかないのである。死に痛みを感じたいというのは単なる好みの問題だ。

話が逸れるが、敢えて書き置きたい。生きる希望を失くしたとやらで、他者を殺害して死刑になりたいとか、人を殺害して、死体遺棄に走る殺人者が、昨今は心身耗弱などという理屈で死刑を免れる例もあるが、他者を巻き沿えにするような死刑志願者などに心身耗弱などという精神分析は不毛である。お望み通り死刑にしてやればよい、と思う。世の中、生き難くなったが、別の角度から見ると実に甘くもなったのではないか。もう一つ。近頃とみに増えているのが、自傷行為という、軽く自分の手や足を切って、流れ落ちる血を見て生きている実感を確かめる人々が増えているが、僕は自傷行為を繰り返して、ちっぽけな傷口を縫合するために、多忙な救急隊員をこき使うくらいなら、一度、うっすらと切るのではなくて、もっとざっくりと切ってごらん、と言うことにしている。ざっくりと切って、自分の骨まで見えたところで、どっと血が吹き出てくるのを体験したら、大抵の自傷行為を繰り返している人は、怖くて二度とやれないと思う。だって、自傷などというのは、生きたいからやる行為だからである。生きる道筋が見当たらないからやっているに過ぎないのだから、まずはちょっと血を流して自分を慰めているような情けない心境から引き上げること。これが正直な感想だ。さて、最後に死は敗北などではない、と締めくくって、今日の観想としたい。

○推薦図書「症例A」多島斗志之著。角川文庫。精神科医の主人公と17歳の少女のいきづまるような心的風景だけで書かれた物語です。物語としても興味深いでしょうし、素材も今日的で、多島はその素材を十分に生かしてすばらしい小説に仕上げていると思います。ぜひ、どうぞ。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

浮遊する生

2009-05-12 00:01:44 | 文学
○浮遊する生

無神論者である。元来自己の裡に超越的な存在を信じる要素などカケラもない。神も仏も人間の創り出した、心の拠り所としての存在に過ぎないと思うことに慣れ過ぎた。そのことに確信を持つために、敢えて、裡なる無神論を懐疑して、超越者を信じるところに身を置いたことがかつてあった。ごく短い期間だ。自分で言うのもどうかと思うが、探究心旺盛な個性なので、超越者を信じるならば、渦中に飛び込んだ宗教的世界観を理解するために、読めるだけの教書は全て読み抜いた。しかし、宗教的教えの本質は理解可能であっても、その実践としての信仰という行為とは、宗教的真理と、信仰のあり方との間に大いなる乖離があり、僕の場合は信仰するための宗教的真理と、信仰のための力と確信とがむすびつくことはついに起こり得なかった。それよりはむしろ信仰とその中核となるべき教理との矛盾が大きくなるばかりであった。僕の密やかな試みは失敗に終わることになった。ある意味で、そのような結末は初めから視えていたことなのだが、宗教的要素、絶対者を信じ得ない根拠がいよいよ明確になったわけである。僕の無神論は、文字どおり筋金が入ることになった。やがて死の扉を開けるのである。もはや迷いはなく、無神論者としての、政治的スタンスとしてはアナーキストとしての死を死することが確かに胸に落ちた。これでよい、と心底思う。

矛盾するかに聞こえるかも知れないが、無神論は確信を持てば持つほどに、精神はこの世界の中を浮遊しつつ生きることになる。それは必然の姿として、どのような死を迎えるかは分からぬが、その終末の日まで、浮遊する世界の中で、不安定だが、不安定がもたらしてくれる自由な思想が構築されていくことになる。無論、思想の構築と言っても決して頑迷という概念はない。そもそも精神そのものの実体が世界を浮遊しているのである。心は全方向に開いている。またそうでなければ、無神論者などが、アナーキストという如何なる権威も否定するような思想性を抱きつつ生き続けることなど不可能であろう。

無神論者にとっては、浮遊する生の中で獲得する価値観とは、生が特別なものでないのと同様に、死も特別なものではない。つまりは生と死とは同じ次元の存在のあり方に過ぎす、生を怖れる要素がないのと同じ質量で死を怖れる要素もないのである。生が浮遊するとは、不安定なのかも知れないが、同時にさまざまな価値意識に対して如何なる偏見も持たないということでもある。

もし、現代という不条理な世界で、生の、あるいは死の可能性、換言すれば価値の広がりを受容し得る可能性とは、思想的権威や宗教的なそれのごとき、一見して堅牢に見える精神のありようの中には存立不能である。逆に、浮遊する精神、自由闊達な精神こそが価値のデコンストラクションの確かな実現可能性の思想の基盤ではなかろうか。無神論は現代にこそ有効なる思想である。アナーキズムこそは、現代にこそ有意味な政治的姿勢の現実的なありようである。様式化された生を生きていれば、当然に死するときには様式化された死、つまりは葬儀・葬式による死を隠蔽されたままこの世界から去ることになる。ありふれた生も、ありふれた死も我々には避け難い現象ではあるが、そうであるならば、少なくとも様式化された生も死も無意味ではないのか。もし我々の生死がありふれたままに終焉するとしても、そのプロセスが問題なのであって、生きるプロセスの中で、どれほど自由に生き切れるか、そしてその結果としての死を死に切れるか、という課題は、個としての人間の最も基礎的で、不可欠なものではなかろうか。

さて、僕はまるで見当違いの生の終焉に向かってひた走っているのだろうか。もしも、僕自身の存在そのもののあり方が無意味なものであれ、ちっぽけな実験として、この場に書き遺すことで帳尻が合いはしまいかと、僕自身は秘かに思っているのである。

○推薦図書「憂鬱なる党派」高橋和巳著。河出文庫。高橋和巳コレクション。高橋の思想は、彼の生きた時代の左翼的空気の、特に極左主義が横行する思想的土壌の中で、恐らくは高橋自身はその核心の部分においては、多分に無神論的・アナーキズム的思想の持ち主でありながらも、当時の思想的な背景の中で、いかに極左をも含む込んだ思想と共闘しようか、という実に真摯な思想に裏打ちされています。この長編小説は、英語教師としての主人公の、思想的苦悩を物語の中に散りばめた傑作であると思います。高橋和巳という思想家・作家がいまこそ忘却されてはならないと感じます。ぜひ、どうぞ。

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長野安晃

直球勝負の人だと、ときどき言われるが・・・

2009-05-08 04:17:52 | 観想
○直球勝負の人だと、ときどき言われるが・・・

昨今、僕は何人かの人々に直球勝負やなあ、と感嘆しつつ評されることが何度かあった。直球とは、僕の言葉の表現の仕方があまりに直截的なことを指して、恐らくは多分に好意的に言ってくれるのであろう。このように言われることに僕自身は結構満足しているし、またそのように評してくれる人のことをありがたい存在だと感じている。この歳になると、仕事上の付き合いを除けば、心を割って話し合える人の数など減りに減って、いや、たぶん仕事上の付き合いなどという存在もかなりあやしいもので、心が通じ合っているというよりくだんの仕事がいかにうまく運ぶか、ということの方が優先される。仕事が換れば、付き合いも切れる。それが自然なあり方なのだろう。仕事上の付き合いにあまり思い入れると後で痛い目に遭うこともしばしばだ。たぶん、どこかにウソがあるからだろう。

人生の折り返し点は、遥かかなたに通り越し、いまや人生の終盤、死の扉が半分開きかけている。それがいまの僕の年齢に立ち至った人間の実像だろう。もはやいかなる寄り道もしている暇はないのである。さらにいうと、いまに至っては、雑多な人々との関係性を維持していくだけの意味を見失ってもいる。戯言の時代は終わった。とっくの昔に。だからこそ、他者に対する構えに、真意以外の何ものも必要ないのである。真意が通じなければ、それは致し方のない結末に過ぎない。不確かなものは一切拒否する。それが僕の現在に至る心情である。

生に対する意欲が旺盛であった頃、僕は多分、かなりなネゴーシエィターだったと思う。若い頃の極左運動がもたらした果実なのか、あるいは毒の実なのかは知らないが、他者との議論ではあまり苦労した経験がない。直球勝負は、最後に相手の息の根を止めるために残しておくものであった。交渉術の仕方においては、変化球を多用するに越したことはない。フォークボールもよろしいが、僕の好みはまっすぐと見せかけて、バッターの直前で急速にバッターから遠ざかっていくスライダー、あるいは議論のオチがどこに到達するかさえ読めないようなナックルボールが得意球だった、と思う。相手を打ち負かすことよりも、自分の投げた球に酔っていた。それこそが勝負の信条、交渉術の極意だと固く信じていた感がある。しかし、それもいまとなっては虚しいばかりである。

無為な交渉術などになにほどの意味があろうや。そんなことはもうどうでもよいのである。残り少ない人生、ウソのない生きかたを貫きたいものである。たぶん、そのための直球勝負なら、60歳になんなんとする投手の投げる球など、どれほどの威力もなかろうが、打たれることを覚悟で、ど真ん中に投げ込む。どでかいホームランを浴びて、マウンドを降ろされようと構いはしない。それが人生航路というマウンドであれ、そこから降りることに何のためらいもない。この歳になって、生きる覚悟、死する覚悟がない、残りの人生に、生きる意味などないではないか。青年諸氏は、人生の旅路へとただただ生に対する貪欲なまでの意欲を持って突き進めばよろしい。生が甘くも苦くもあることを知ることが人生の大切な要素である。多いに成功体験を重ね、かつ失策の涙も流せばよい。しかし、我々はそうはいかないのである。どのように言葉を繕ってみても、我々の世代の今後は死にゆく者の道程である。どう頑張っても、この世界に留まる積極的な意味はない。もし、一つだけあるとするなら、それは、これからの人生を生きようとする若き人々の、何らかの指標になれるかも知れないということだけである。能力に溢れた人々は、歳老いても現役投手のごときに、様々な球種を投げ分けて、生き残ればよいし、またそれだけの価値もあろうというものである。しかし、たとえば僕のような何の変哲もない凡庸なる人間には、能力のない分、たとえ命を削っても凡庸なる勇気、凡庸なる生死の訪れに、オタオタせずに悠然と立ち向かう覚悟、そのような使命が、これから世界に歩み出す青年たちに対する何ほどかのプロトタイプにはなり得るのではないか。

入院保険もよろしい。手術費用のための保険に入るのもよろしい。あるいはそのような一切のものに無関心になるのもよろしい。しかし、どのような死への準備をするにせよ、己の死を認識したら、もう覚悟を決めよ、と僕は言いたいだけなのである。介護保険の活用もよろしいが、僕の好みとしては、介護を必要としない死を選びたいものである。僕の言葉の直球勝負は、僕自身の死生観と深くむすびついている。いずれにせよ、死はまじかに迫っているのである。もうどのような意味合いにおいても直球勝負しか、生きる方途は見つからないであろう。僕はそのように思う。今日の観想とする。

○推薦図書「私が語りはじめた彼は」三浦しをん著。新潮文庫。元義父(としか書けない事情がある)が亡くなって4日が経ちます。彼は立派な死を遂げたと僕は思います。74歳で死するまで文学を愛した尊敬すべき人生の先達でした。彼が死の直前まで読んでいたのは、三浦しをんの作品でした。舌を巻くほどの若き感性ですから、僕が読んだ中で皆さんに推薦したい三浦の作品をここに推薦しておきます。彷徨える男女の孤独を描き、恋愛関係、家族関係の危うさを文学世界においてあぶり出してくれます。どうぞ。

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長野安晃

美山高校に物申す(2)

2009-05-07 00:36:17 | Weblog
 心理カウンセラーなどという仕事をやっていると、クライアントからかなり理不尽な扱いを受けることがある。一番堪えるのが、言語交通を一方的にクライアントから遮断されてしまうことである。クライアントは、世の中で傷ついた心を抱えているのである。こちらが思いもしないことで、拒絶反応を起こすこともある。彼らの心を読み切れないときもある。こういうときは哀しいことだが、自分の裡にも怒りに似た感情が湧きおこる。人間である限り、このような感情の凹凸は避けられないが、しかし、その一方で、必死に自己の冷静な思想を取り戻そうとする。人間として、かなりギリギリのところで自己の内面の炎(ほむら)を、クライアントに対する理解の感情へと切り変える。これが出来なければ、プロとは言えないのである。またこの種のクライアントは急増しているのが実情でもある。言語交通が他者との間に開けない病、たぶん、精神疾患と現代において呼ばれているものの多くは、自己の言葉を遮って、他者を自己の内面から締め出し、出口のない小さな自己の脳髄の世界の中に幽閉されることと同義語ではなかろうか。
 精神の底にへばりついた個性を、底から力技で引き剥がす。クライアントの心の荒れた内面に分け入って、小さな穴から言葉を注ぎ込む。こちらの言葉の力が勝れば、クライアントは確実に、自己の内面に他者という存在を据え直す。これが快復の道のりの第1歩である。カウンセラーはあくまで、言葉という手段を最大限に有効に使わねばならない。精神薬にも限界があるのである。最後の勝負は、クライアントを自己再生へと向かわせる心的エネルギーを、カウンセラーがいかに注ぎ込めるのか、ということに懸かっていると言っても過言ではない。このようにして、壊れた言語交通の回路を修復すること、いま特にクライアントの多くが求めている方法論なのである。
 「美山高校に物申す」というブログをつい先ごろ書いたのは、既述したように、着任早々の副校長とやらが、僕のブログの内容が美山高校の生徒にはふさわしくないという理由で、美山高校のHPから「京都カウンセリングルーム」を締め出したのである。電話の向こうで彼はその典型例として、「性と性愛」というブログのタイトルが、学校教育の場には相応しくないのだ、と主張したが、彼が当のブログの内容を読んでいないのは一目瞭然であった。なぜなら、彼が相応しくないと指摘した「性と性愛」には、人間の本質的な存在理由についてのかなり深い考察が含まれていたからである。言葉の表層に拘るのが、教師としては最悪の非教育的気質である。このような教師たちによって、学校に行けない生徒が激増し、彼らが美山高校へ望みを懸けるのである。ところが、美山高校の副校長のみならず、校長までが、同じ意見だと言う。まるで言葉狩りである。こんな学校がどうして、一度は挫折した生徒たちの心を再構築し得るというのだろうか? 校長・副校長はえらい信頼関係で結ばれたようだが、残念だがこの時点から美山高校は、その存在理由を喪失したと断ぜざるを得ない。3通の手紙を校長宛てに出した。しかし彼らは完全無視である。真面目に問いかけている人間の意思を無視して憚らぬ無神経さで、どのようにして心に深く傷を負った生徒たちの、喪失した言語回路を再び開こうというのだろうか? 美山における教育はすでに死した感すらある。もし、僕の主張に対して、反論なりともあるのであれば、正当に反論をすればよろしいのであって、無視を決め込むなどというのは、ヤサグレた政治家のやることである。猛省されたい。美山にまともな価値意識が再構築されることを心より願う。今日の観想とする。

○今日は推薦図書はありません。かつてのポランの広場高校の名残りとしての全寮制の男子高校も今年から閉鎖されました。完全にありふれたE-SCHOOLになり果てた美山高校の明日があるのでしょうか?  

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深夜の饗宴

2009-05-05 11:36:20 | 文学・哲学
○深夜の饗宴

人が寝静まった頃、僕の心は宇宙と同じ規模の拡がりを見せ始める。宇宙はすべてを受け入れる開かれた存在である。地球上のすべての生命体も非生命体もすべからく、夜空に明滅する遥か何億・何十億光年の先に存在するであろう、僕たちが決して肉眼で目にすることのない惑星をも含み込む、全方向に開かれた想像の枠外に在る巨大な器としての宇宙。あらゆる存在物を受容し得る限りない力を秘めたもの。ある人々はそれを神と呼び慣わし、微細なる人間を救済する存在として認識される、この巨大な宇宙。このような神にも見なされ得る宇宙に棲みながら、人の日常の営みの何たる卑小、そして猥雑さであることか。

深夜の暗黒の中においては、かえって身近なものが見えないという逆説が、巨大な宇宙という概念を据え直すことによって、擬似的な宇宙を浮遊しているがごとき錯誤に僕たちは容易に陥る。それが錯誤であることが諒解されているにも関わらず、むしろ浮遊感をすら楽しむ心性。もし、現代に創造性というべきものが存続しているとするなら、それは深夜におけるふつつかだが、未来を自己の裡に内包し得る可能性を想起して、思わず口もとからもれ出るごとき微細な笑みの名残り。人間が生き生きとこの世界の中を探訪し、現代というラビリンスの中を鷹揚な気分で闊歩する勇気と覚悟が、それほどの衒いもなく体内を駆け巡る可能性に満ち溢れた深夜の思考の構築の場を、饗宴と称することには、どのような意味においても矛盾はないであろう。現代においては、思想は深夜にこそ醸成されるのである。さて、新たな思想の饗宴が今夜も確実に起こることから目を背けないこと。これが現代における知的な創造物を創り出すための作法なのだ。

現代が生き難いのは、政治や経済の貧困が本当の原因ではない。それは謂わば思想の貧困が創り出した不幸のかたちと捉えればよい。現代社会の構造的不況の現象的で短絡的な分析のすべては間違っている。巨大証券会社の倒産も、20世紀を支えてきた自動車産業ををはじめとする大型の製造業の挫折も、それに伴う血も涙もない労働者の首切りの嵐も、人間が起こした失策の蓄積を、無思想なままに立ち塞がる障壁を壊すだけの施策しかとってこなかったから起こった現象なのである。そこには責任回避という子どもっぽい逃避の連鎖が起こっているだけのことであり、その内実は端的に言えば、思想の欠落そのものである。いまや、責任ある人々が無思想なだけの生き残りに汲々としているだけの時代になった。指導者と呼ぶに値する人間の数が圧倒的に少数派であり、長い暗闇から光が見えてこないのは、たとえ賢明なる思想が構築されたとしても、それらが全て単発的な存在であり、相互に連関していない証左である。現代の不幸とは、繰り返すが、このような思想の欠如が招いた人間の不幸と言い換えても差し支えないものである。

敢えて、いまこそ凡庸であっても被権力者たちの連帯の必要性を提唱しておきたい。もう巨大産業や巨大資本が我々の生活を救ってはくれないのである。市民運動さえ思想なき愚衆の集まりでは、市民運動そのものが権力体制の中に組み込まれてしまう。かつて市民運動に小田実がいたように、市民運動が組織されることはない。だからこそ、凡俗でもよい、一個の人間が深夜の闇に潜むように着々と自己の思想を構築すべきときなのである。いま、深夜の饗宴をなそうではないか。

○推薦図書「日本の難点」宮台真司著。幻冬舎新書。宮台は小生意気な秀才学者です。鼻につきます。しかし、この書は現代の諸相を独特の角度から見直すためのテキストとしてはなかなか読みごたえがあります。「終わりなき日常を生きろ」と宮台がかつて言い放ったのは、たぶんこのタームも彼が深夜の闇の中の思想の饗宴として紡ぎ出した言葉なのかも知れないと、いまは感じます。興味のある方はどうぞ。


文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

死を悼む

2009-05-04 23:33:04 | Weblog
 身近な人の死に直面した。詳細は詳除くが、死の床に置かれてからも、ついに一度たりとも彼のもとを訪れることは叶わなかった。勿論、無茶をすれば、死の淵にいる彼の怒りをかいながらも、弱った体内から吐き出される憤怒の情なりとも受け止めるべきだったといまにして思う。いかに自分が無神論者であろうとも、自己の思想を安逸に死に逝く者に対して当てはめることの無意味性を、この度は思い知らされることになったわけである。尊敬する人物であった。市井の人でもあったが、教育者として立派な生を生き抜いた。妥協を知らぬ人だったから、おそらくは、見苦しい出世意識など微塵も持ち合わせることなく、しかし、それでも学校という社会で、校長という役職を挫折することなく勤めあげた。
 しかし、彼の個性では、校長職という役どころをこなしつつも、確実に彼の本質にある無意識なる反抗の論理と、常に妥協を迫られる仕事との狭間で、心的崩壊が進行していたのではなかろうか。そのことを証明するかのように、彼は酒の助けを借りずしては、あるいは、煙草をしこたま吸わずしては、またあるいは飽食に身を任せねば、内面の矛盾を超克する術を見出し得なかったのではないか。酒も煙草も飽食も絵に描いたように彼の肉体に復讐してきたのである。働き盛りの年齢の頃に糖尿病を患い、生涯その病に悩まされ、次いで胃ガンが彼の肉体を蝕み、胃の大半を摘出した。それでも74歳にして死するまで、彼が酒から解放されることなく、煙草からも切れることはなかった。舌をまくほどの読書家であったが、たぶん、彼が教育の道に足を踏み入れていなければ、モノを書いて食える人物になっていたと確信する。いつの間にか、彼は、自分では何も表現することのない、他者の創作者の読み手として、創造の世界に何とか踏みとどまった。それが、彼と文学との深い関係性の姿そのものであった、と思う。
 彼の文学への傾注は、普通の読書家にありがちな、お気に入りの作家に入れ込むような質ではなかった。常識から言えば、年齢的な要素、生活の環境、日常性の中における心配事などで、読書の幅は当然狭まってもくるのが普通の姿だろうと思う。しかし、彼は死する直前まで感性の瑞々しさを失うことがなかった。もっと正確に言うと、彼は感性の瑞々しさと同居していたという方が適切な、文学青年としての74年間を生き抜いてきたのではないかと思われる。入院のベッドへ担ぎ込まれる直前の彼の読書の対象は、三浦しおんの直木賞受賞作品であった。その印刷されたインクの匂いが濃密に漂う書物は、彼の書斎の机に、ほぼ半分ほどの分量を残したまま、静物画のように、それはあたかも彼の死そのもののイメージのごとくに、静謐さと同義語であるかのように、置かれたままである。
 僕の出来損ないの、文芸評論集を手放しで褒めてくださった。彼の本音はどうかはわからない。ただ、その書を彼に進呈するときに、自分は、野坂昭如の評論をモノにするつもりであることを漏らされた。これは本音だ、と思う。いまの野坂その人がどうなっているのか、皆目分からないが、彼の野坂への思い入れの強さは、野坂その人さえ忘れているかも知れない著作を一冊残らず集めていたことからも、彼の意気込みの強さが滲み出ていたのではなかろうか。いま、たぶん彼は自宅の和室で、明日の通夜を待ちながら、物言わぬ人となり、静かに横たわっていることだろう。そして、彼の膨大な蔵書の中でもひときわ目を引き付ける野坂の作品群も、書き手を失ったまま、喧騒に満ち溢れた野坂の粘着質な文体が、その本質とは正反対の、死という静謐さとともに彼の躯の傍に在るのであろう。
 心より冥福を祈る。無心論者の冥福などタカが知れてはいるが、それでも心より彼の死を悼む。今日の観想とする。

○推薦図書「あの日にドライブ」荻原 浩著。光文社文庫。今日のブログの主人公は死したが、この小説の主人公はまだ40代の、一流の都銀を上司の理不尽な怒りをかって、辞めた後にタクシードライバーとして、社会の異なる層から世界を眺め返しています。そして、自分の人生の取り返しのつかなさについて、嘆きますが、その時点から徐々に自己再生の道を発見していきます。お勧めの書です。どうぞ。

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