エグザンティアの足回りがヘタってきたので、一新した。ガス圧がかなり弱くなるまで(色々と忙しくて)手を付けなかったので、交換した後の乗り心地ときたら、「そうそう、これこれ」的な「どんぶらこ感」。今のシトロエンでは味わえない濃厚な味に、電子技術糞喰らえと呟いてみた。
油圧サスペンションのネガティヴな部分(急なロールに弱い、急な突き上げを吸収できない)を電子制御で抑え込んだ今の乗り心地が、進化したエアサスなどとどれだけ差があるか語ることはできませんが、個人的には「メリットとデメリットを知ったうえでより味わいの濃いほう」が好みなので、多少のネガは「旨味の内」。
乗っているエグザンティア・SX はハイドロニューマティックサスペンション装備の廉価グレード。この上にコンピュータを使って油圧サスを積極的に制御するハイドラクティヴ(2)がありますけど、傾向は先述のネガティヴな部分を消す方向なので、購入したときは「廉価グレードで良かったね」と言われました。昔からの油圧サスの乗り味を今に残す最後の車だからです。
「何事も求めるものを突き詰めると結局同じ到達点に集約されてしまう」という事例をよく見かけるので、評判の高い飲みやすい酒よりはあくの強い地酒の方が楽しみ、というスタンスは維持していきたいと思うのでした。
今まで音楽を聴いていてそれほど関心を持っていたわけではないのですが、作曲された当初よりも近代の、あるいは現代の楽器というものは「音が出しやすくなっている」のだそうです。音域も広くなって作曲された当時よりも弾きやすくなっているということです。普段使っている道具が進化しているのだから、楽器も同様に進化しているといえば、納得がいきます。
そこで「当時の楽器を使って当時の音楽を演奏する」というグループが出てきました。「古楽器派」と言われるみたいなのですが、当時のスペックの楽器を使って面白がって演奏するグループというミもフタも無い表現を見かけましたが、古いランドナーを動態保存してみたり、今さら(フィルム)カメラを始めてみたり、これってこのグループに通じるものがあるよな、と思い始めて、まさか(ターンテーブルとか)とは思いませんが(始めたら文字通り収拾が付かなくなる)、CDくらいで止めておこうと思ったりしたり。
主に聴くジャンルが後期ロマン派あたりなので、古楽器での演奏はあり得ないのですが、モーツァルトあたりから入門してハイドン辺りを徘徊するのも、面白そうだなと映画『アマデウス』(のDVDを)を引っ張り出してきました。モーツァルトが「インスピレーションによる一筆書き」とすればハイドンは「練りに練った熟練技」な作風とのこと、ツボに嵌ればCDが山積みになりそうです。
ランドナーの話が出たところで。
多分、今までにつぎ込んだ金額を総括すれば、軽くて走りやすい、そこそこのロード車を手にできたと思うんですけど、ふと考えてみた。パスハンティング→ツーリング車というのが自分の本流と考えると、軽いロード車に乗るメリットってあまり無い。重い自転車を漕ぎ慣れているところから軽いフレームにに乗り換えれば、それはそれなりの速さで走ることができるかもしれない。ただ普段ロード車を使う機会が多くなるのは目に見えているし(それはこのブログのエントリー記事の多さでもわかる通り)、そこでツーリング車に戻ることができるか、というとまず無理。いつも8㎏くらいのペダルを踏んでいて、あるとき15㎏のペダル、踏めますか、ということです。ツーリング車のために鉄レーサーに乗っているわけではないけど、ある程度の重さのある自転車を漕ぐ習慣は欠かせないと、ここしばらくランドナーに乗っていてぼんやりと気づいたんでした。ギア比的にはレーサーよりも軽いですが、それでも自転車単体でも重い上に、ツーリングに行く上での装備が加算されるランドナーはやはりちょっとしたコツが要るので、そういう意味でも「軽くて速い」ことは必ずしも重要なことじゃないな、と思いました。速さよりは(距離的にも時間的にも)長い間乗っていられる自転車、が結果的にフリート整備の基本になっています。
そういえばシトロエンも以前はラリーに参加していましたが、アルピーヌやランチアなどの高スペックなマシンが登場するにつれて、速度重視のイベントから耐久性を重視する長距離イベントへと軸足を移したことを思い出しました(その後クサラやC4でWRCを荒らしまわったけどね)。
ずっと誰かに後ろで引っ張っられてる感じがするぐらい重く感じてヤバかった。まさに8kgに乗って15kgに戻るのは無理かも。
何種類もの自転車を乗るためには、コンポや駆動系の統一よりも「重さに極端な差をつけない」ってことが大事だと思ったんですよね。
レーサーからランドナーに乗り換えるとき、たとえ短くても慣熟期間が必要だと思ったのは、こういうことだったのかと今さら納得しますた。