今日は日本郵船・氷川丸の非公開部分の見学会でした。
遠足に行く児童みたいに、やけに早起きしたり、やけに早めに家を出たりして、集合時間よりもやけに早く横濱にいたりしたので、
この界隈で一番高い建物。
10名ほどの参加者が氷川丸のエントランスで集合したのち、船内の「第5倉庫」に設けられたミーティングルームでブリーフィング
ヘルメットと軍手とマスクが手渡されました(支給されたのではない)。
氷川丸は「客船」というより「『貨』客船」、シアトルまで貨物と乗客を運ぶために建造されました。船室の前後に併せて6カ所の船倉があります。この船倉は非公開。
ちなみにこの第6船倉は市内の合唱団の練習に提供されているとのこと。荒波に揉まれる北太平洋航路では、当時最新の技術であった電気溶接よりは、旧来のリベット接合が採用されました。ちなみに外販の厚さは15mm。
ブリーフィングした船倉にも、
縁にワイヤーで擦れた跡が残っていたりする。
それら後部船倉の下には
プロペラシャフトが通っています。奥の明るく電灯が灯っている丸い穴の先が海で推進器が付いていたところです。山下公園に係留される際にプロペラが取り外され、栓をされました。
しかし「これでもか!」と言わんばかりのリベット接合。
氷川丸の材料はイングランドから持ち込まれました。
きな臭い時代でしたが、日英同盟のお陰かしら。隣(w)の「日本丸(練習船)」もイングランド製だったな。
続いて船首デッキ。
この旗竿にしがみついてる映画があったな。
シーバス出航中。
この船首のラインが素敵。
船橋はリニューアル作業中
錆打ちしてペンキを塗って補修してはいるものの、普段公開している部分でも傷んでいる箇所を見受けるので、非公開部分の傷み方は想像以上でした。乾ドックに入っていればそこまでの傷み方はしないのでしょうけど、戦争前に就航し荒波にもまれ、戦時は病院船として戦地に赴き(僚船2隻は戦没)、戦後復員船としてあるいは戦場になった首都圏の復旧資材を各地から運び、さらに客船として復活して再び北太平洋航路に就航し「日本の最後の客船」として引退した船歴を紐解けば、船齢が80年になんなんとする船体を海上に浮かべて保存する大変さと、それを300円という金額で見学できるチャンスに感謝しなきゃいけないと思いました。
もうちょっと時間をかけて、ゆっくり話を聞きながら見学できればうれしかったのですが、次回はもうちょっと予習してから見学しよう。
E-3 / ZUIKO DIGITAL 14-54mm 1:2.8-3.6
おはようございます。
楽しそうですね。
まだ一度も氷川丸の中の見学をした事が無いんです。面白そうですね。