私的「戦争を考える月間」の第2弾。
NHKで放映された“知の巨人”と呼ばれる立花隆さんの戦争論です。
■ 立花隆 次世代へのメッセージ ~わが原点の広島・長崎から~
(2015年2月14日:NHKで放映)
日本を代表するジャーナリストで評論家の立花隆さん(74歳)。実は、立花さんは原爆と深い関わりがあります。1940年、原爆投下の5年前に長崎で生まれ、20歳のときに被爆者の映画や写真を携えて半年間ヨーロッパを回り核兵器の廃絶を訴えました。
知の巨人と呼ばれ、これまで100冊以上の著作を世に問うてきた立花さんですが、原爆の問題を本格的に取り上げたことはありません。しかし、ガンや糖尿病など多くの病気を抱え、死を意識した今、核廃絶を夢見たあの若き日を振り返り、未来に何かを残したいと考えるようになりました。
さらに戦後70年を迎えた広島と長崎では、被爆者が次々と亡くなる中、被爆体験の記憶をどのように受け継いでいくのかという深刻な問題に直面しています。「被爆者なき時代」にどのように核廃絶の道を探るのか。立花さんは去年夏から、被爆地、広島・長崎を精力的に訪ねながら核廃絶の問題への思索を深めていきました。ヨーロッパで学生時代に大きな刺激を受けたカナダ人社会活動家との半世紀ぶりの再会。そしてことし1月、長崎大学で30人の学生を前に行った核廃絶についての初めての特別授業。立花さんは次世代を担う若者たちにどのようなメッセージを送ったのか。
みずからの原点に立ち返り未来を考えた半年間の密着の記録です。
立花氏は50年前、東京大学在学中から反核運動に参加して世界中を奔走したものの手応えがなく、一時離れていました。
しかし残り少ない人生を自覚した今、再度取り組み始めています。
彼の原点は、シベリア抑留を描いた画家、香月泰男(かづきやすお)の「赤い死体」という作品だそうです。
その作品は、シベリア抑留から帰国する途上、中国を列車で移動する時に目にした、皮膚を剥がれて赤い筋肉をさらけ出したたくさんの死体を描いたものです。
その死体はおそらく、戦争中に日本人に虐げられてきた中国人が、終戦後に恨みを晴らすべく日本人を殺戮した姿。
「赤い死体」が目に焼き付いた香月氏は日本に帰国し、ヒロシマやナガサキでの惨状を写真で見ました。
そこには黒こげの「黒い死体」が写っていました。
終戦後、日本では被害者の象徴である「黒い死体」を中心に戦争が語られるようになりました。
しかし、それはちょっと違うんじゃないか、という違和感が香月氏にありました。
加害者の象徴である「赤い死体」の視点でも語られる必要があるのではないか?
非人道的核兵器である原爆を投下されて敗戦を迎えた日本人は“被害者目線”で戦争を語る傾向があります。
それは、アジア諸国に対して“加害者”として君臨した歴史から目を背けてしまうことにもなってきたと反省する立花氏。
日本の反核運動が世界の人々に今ひとつ届きにくいのは加害者としての反省が伴わないからではないのか?
・・・そんな内容の番組でした。
2013年、映画監督のオリバー・ストーン氏が「もうひとつのアメリカ史」という作品で、戦勝者としてのアメリカではなく、加害者としてのアメリカを検証することを初めて試みました。
彼がその後のインタビューで「次は日本の番だ、日本も加害者としての戦争責任を自ら検証すべきではないのか?」とコメントしたことが耳から離れません。
近年の中国・韓国とのすれ違いの一因はここにあるのではないか、と考えさせられる今日この頃です。
NHKで放映された“知の巨人”と呼ばれる立花隆さんの戦争論です。
■ 立花隆 次世代へのメッセージ ~わが原点の広島・長崎から~
(2015年2月14日:NHKで放映)
日本を代表するジャーナリストで評論家の立花隆さん(74歳)。実は、立花さんは原爆と深い関わりがあります。1940年、原爆投下の5年前に長崎で生まれ、20歳のときに被爆者の映画や写真を携えて半年間ヨーロッパを回り核兵器の廃絶を訴えました。
知の巨人と呼ばれ、これまで100冊以上の著作を世に問うてきた立花さんですが、原爆の問題を本格的に取り上げたことはありません。しかし、ガンや糖尿病など多くの病気を抱え、死を意識した今、核廃絶を夢見たあの若き日を振り返り、未来に何かを残したいと考えるようになりました。
さらに戦後70年を迎えた広島と長崎では、被爆者が次々と亡くなる中、被爆体験の記憶をどのように受け継いでいくのかという深刻な問題に直面しています。「被爆者なき時代」にどのように核廃絶の道を探るのか。立花さんは去年夏から、被爆地、広島・長崎を精力的に訪ねながら核廃絶の問題への思索を深めていきました。ヨーロッパで学生時代に大きな刺激を受けたカナダ人社会活動家との半世紀ぶりの再会。そしてことし1月、長崎大学で30人の学生を前に行った核廃絶についての初めての特別授業。立花さんは次世代を担う若者たちにどのようなメッセージを送ったのか。
みずからの原点に立ち返り未来を考えた半年間の密着の記録です。
立花氏は50年前、東京大学在学中から反核運動に参加して世界中を奔走したものの手応えがなく、一時離れていました。
しかし残り少ない人生を自覚した今、再度取り組み始めています。
彼の原点は、シベリア抑留を描いた画家、香月泰男(かづきやすお)の「赤い死体」という作品だそうです。
その作品は、シベリア抑留から帰国する途上、中国を列車で移動する時に目にした、皮膚を剥がれて赤い筋肉をさらけ出したたくさんの死体を描いたものです。
その死体はおそらく、戦争中に日本人に虐げられてきた中国人が、終戦後に恨みを晴らすべく日本人を殺戮した姿。
「赤い死体」が目に焼き付いた香月氏は日本に帰国し、ヒロシマやナガサキでの惨状を写真で見ました。
そこには黒こげの「黒い死体」が写っていました。
終戦後、日本では被害者の象徴である「黒い死体」を中心に戦争が語られるようになりました。
しかし、それはちょっと違うんじゃないか、という違和感が香月氏にありました。
加害者の象徴である「赤い死体」の視点でも語られる必要があるのではないか?
非人道的核兵器である原爆を投下されて敗戦を迎えた日本人は“被害者目線”で戦争を語る傾向があります。
それは、アジア諸国に対して“加害者”として君臨した歴史から目を背けてしまうことにもなってきたと反省する立花氏。
日本の反核運動が世界の人々に今ひとつ届きにくいのは加害者としての反省が伴わないからではないのか?
・・・そんな内容の番組でした。
2013年、映画監督のオリバー・ストーン氏が「もうひとつのアメリカ史」という作品で、戦勝者としてのアメリカではなく、加害者としてのアメリカを検証することを初めて試みました。
彼がその後のインタビューで「次は日本の番だ、日本も加害者としての戦争責任を自ら検証すべきではないのか?」とコメントしたことが耳から離れません。
近年の中国・韓国とのすれ違いの一因はここにあるのではないか、と考えさせられる今日この頃です。