知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「キャノン・ハーシー“ヒロシマ”への旅 ~なぜ祖父は語らなかったのか~」

2015年08月08日 16時16分34秒 | 戦争
 戦争を考える月、第4弾は原爆を落とされたヒロシマの惨状をレポートしたアメリカ人ジャーナリスト、ジョン・ハーシーに関する番組です。
 彼の孫であるアーティスト、キャノン・ハーシーが祖父の足跡を辿る旅。
 前編・後編合わせて100分の大作です。

■ キャノン・ハーシー“ヒロシマ”への旅 ~なぜ祖父は語らなかったのか~
2015.8.4:NHK-BS
 アメリカで初めて原爆被害の惨状を伝えた書として知られるジョン・ハーシー記者の『ヒロシマ』。その孫・キャノンが、祖父の足跡を辿るために現代の広島を旅する。
 1946年。原爆投下後の凄惨な被害を描き、アメリカで大きな反響を呼んだ1冊の本『ヒロシマ』。しかし、著者でピュリツァー賞受賞記者のジョン・ハーシーは、その後、『ヒロシマ』について沈黙してしまう。孫・キャノンは、祖父がどのような思いで本を執筆したのかを知るため調査を開始し、これまで知られていなかった発表当時の状況が次々と明らかに。そしてキャノンは広島で会う人々を通して、今の“ヒロシマ”を見つめる。

 原題:Hiroshima Revealed
 制作:国際共同制作 ZENGO/NHK(アメリカ/日本 2015年)


 原爆投下は、核兵器を実際に使ってみたかったトルーマン大統領、放射能を浴びた人体がどんな状態になるかを知りたい科学者達の思惑が絡み合い実施された「実験」的要素が強いとこの番組でも感じました。
 終戦後にヒロシマに設けられた医療施設は「検査・研究」目的であり、治療はなされませんでした。
 そして、そこで得られたデータは軍事機密として隠蔽されたのでした。

 アメリカでは大戦勝利の歓喜と共に核兵器を賞賛する声が溢れ、「日本の降伏がもう少し遅れれば3つめの原爆を落とせたのに」という声まであったそうです。
 そこに水を差す形で発表されたのがジョン・ハーシーによる6人の被爆者のインタビュー記録「ヒロシマ」。
 雑誌「ニューヨーカー」が秘密裏に発行にこぎ着けた内部告発的内容でした。

 その凄惨な状況を知ったアメリカ人は「なんて恐ろしい兵器を使ってしまったんだ」と我に返りました。
 当然、アメリカ政府は反論します。
 「アメリカ軍が上陸して地上戦になったら100万人の死者が出たはず、原爆はそれを20万人弱で済ませた優秀な兵器」という論法です。
 今でもこの考え方に毒されたアメリカ人がたくさんいますね。

 被爆者は被害者ですが、さらに日本国民からも差別を受けます。
 女性は「異常な子どもが生まれるから」と結婚できません。
 ですから、みな口をつぐんでしまいます。

 公害問題でも同じ現象が観察されます。
 有機水銀による公害の被害者なのに、「あいつはミナだ」と差別されました。
 悲しい人間の性です。

 ジョン・ハーシーも「ヒロシマ」発表以後、口を閉ざしました。
 孫であるキャノンの印象は「被爆者と同化してしまったから」というものでした。

 番組の中で繰り返してできた単語「記憶」。
 記憶を伝えることにより未来が開かれる。
 原爆の悲惨な被害の記憶を伝えなければならない。
 伝えることにより同じ過ちを繰り返さないように。

 これは、オリバー・ストーン監督が「もう一つのアメリカ史」で「記録」として言及したことと同じです。
 そういえば、本番組にもストーン監督の朋友であるカズニック教授が登場していましたね。

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