10回目を迎えたさいたまクリテリウムがビニヤム・ギルマイ選手の優勝で幕を閉じました。ツール・ド・フランスの名を冠したこの大会はフランスの主催者A.S.Oが800ページに及ぶ運営マニュアルを持ち込み、本国の大会と同じ運営形態で行われるのだそうです。
UCIワールドツアーのシーズンは10月で終わっているので、招待される海外勢はオフシーズンのため観光気分で来日しているのかと思いきや、激しい雨が降る中でもトップ選手のモチベーションの高さには驚かされました。
正直、ジャパンカップ迄は見ていましたが、さいたまクリテリウムはお祭りと勝手に思い込み、これまで1度も観ていなかったのです。今年は骨折の影響もあり、春先からモチベーションを保つためにJ-Sportsでサイクルトードレースを春先から見て来たこともあり。10数年ぶりにシーズンを通してUCIワールドツアーを見続けました。
今年は圧巻の強さを見せ、トリプルクラウンを達成したポガチャルが昨年参加し勝利していることを知り、前夜祭から観ました。ポガチャル本人が不参加なのは残念でしたが、ポガチャルの代わりと思われるログリッジの走りが気になっていたのです。
前夜祭に現れたログリッジは物静かな紳士でした。昨年までユンボ・ヴィスマに在籍し、ユンボの黄金時代を支えて来たチームの主軸です。昨年は本人がジロ・デ・イタリアを征し、ツール・ド・フランスはヴィンゲゴーが、ブエルタ・ア・エスパーニャはセップ・クスが総合優勝し、同一チームがそれぞれ別の選手が3大ツールを征するという偉大な記録を作っていたのですが、ログリッジが抜けた途端にグランツールの総合優勝は無く、チームの勝利数も激減させているのです。
ヴィンゲゴーやファンアールトの落車負傷があったとはいえ、ログリッジが抜けた穴がいかに大きかったかが数字でも見て取れるはずです。ログリッジがチームを離れたきっかけは間違いなく昨年のブエルタでのクスのマイヨ・ロホでしょう。チームはエース同士のつぶし合いを嫌い、クスの総合優勝をチームが決めてしまったのです。そのあたりの経緯は『ヴィスマ・リースアバイク低迷の理由』に書いています。
レッドブルがスポンサーに付いたボーラ・ハンスグローエの一員としてツールにエースとして参戦したものの、落車でリタイヤしていたログリッジ。ブエルタでこそ4度目のマイヨ・ロホを獲得したものの、彼のツールに懸ける想いは並々のものではないはずです。
2020年にはマイヨジョーヌを着用していながら、第20ステージの個人TTでツール初出場のポガチャルに大逆転を許し、マイヨジョーヌを失ってしまったのです。リベンジを期して挑んだ翌年は落車の影響でエースの座をヴィンゲゴーに譲らざるを得なくなります。その後はヴィンゲゴーがエースとなりツールを連覇することになってしまったのです。2020年が一番マイヨジョーヌに近づいた年だったのかもしれません。この日も最後に果敢な逃げを見せ、ゴール前スプリントで僅かの差でギルマイに敗れていたログリッジはツールの神様には好かれていないのかもしれません。
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