ニケとミケ

捨て猫にゃん子2匹と、先輩捨てられ犬チョコの日々の記録

バクの飼い主めざして

2010-11-26 17:50:25 | ペット
                     

 私が思春期を迎えた時期は、ビートルズと学園紛争が過ぎ去ったあとでした。
 ヒッピーと反戦運動も下火になった頃、私は一枚のポスターを見ました。路上でお腹が異常に膨らんだ肌の黒い子供が悲しげに見つめるポスターです。バングラデシュの飢餓を訴えるポスターでした。
 
 決して豊かな家庭でもなかったですし、社会的にもまだまだ豊かではありませんでした。ですが、あんなにお腹の大きくなるほどの飢餓の子供もいませんでした。社会の矛盾。世界を意識し、考え出した時期でもあります。

 ま~普通には、反抗期の時期でもありますよね。親や、教師に対してですが。
 高齢出産で生まれた私にとって、親はいつ死ぬのかな~(不謹慎ですが・・・)と思うほど弱弱しかったので、心配をかけたり、反抗したリしても良い対象ではありませんでした。同じ理由から、心配をかけないように、学校では問題児にならずに過ごしました(先々、喧嘩しない方が得策という打算も勿論ありましたね)。ということで、私的には表立っての反抗期はありませんでした。

 そんな時期に、私は一冊の本と出会いました。ピアニストの中村紘子さんのご主人で芥川賞作家の庄司薫さんの「バクの飼い主めざして」というエッセイです。
 夢の持ち方とか、人の見方など、示唆に富む内容で、厚い本なのですがあっという間に読みました。
 その本の中で、庄司薫さん自身の高校時代を書いている一節があります。
 庄司さんは、日比谷高校から東大(たしか法学部だったかな)に入った秀才で、日比谷高校(たぶんいまも公立高校では東大合格者を一番出しているのでは)の先生といってもみんな優秀な先生のはずなのですが、庄司さんは、その先生達を哀れんでみていたというのです。大学を出て、たかだか教師をするとは情けない。みたいに、生意気盛りには見ていたと告白されていました。

 学校の先生は、先生様で、田舎では町長と駐在さんとお医者さんと、学校の先生は名士の扱いです。それ程尊敬をうける教師を見下す考えが驚きました。

 田舎の高校の先生達は苦労して教員になった人が多くて、人情家みたいな人ばかりでした。人生や青春の悩みも親身に聞いてくれる、そんな身近な頼れる先達だったのです。

 高校2年で都立高校に転校しました。日比谷高校も近かったのですが、到底入れるレベルじゃなかったですね。
そこで出会った先生達は田舎の先生とは違う人種でした。御茶ノ水女子大や日体大を出た体育教師など、有名大学を出た教えるのが上手な人ばかりでしたが、なんというか、人間的なつながりは拒絶しているように感じました。学校にいる間は笑顔で楽しげに話しますが、一歩校門を出ると、生徒がタバコを吸っていても、見て見ぬふりということもありました。生徒の方もそういう空気を感じてか、当たり前と思っているようで、私は最後まで馴染めませんでした。

 勉強の仕方を教えるだけなら、塾や予備校で事足りるはずです。学校は社会生活の(団体生活の)基本も教えるのではないでしょうかね。
 私は人間が一生をかけて勉強しなければならないのは、人格の形成だと思います。社会の中で生きている人間は、他の人や自然に多大の迷惑をかけて生きています。迷惑をかける積りがなくても、知らず知らずにかけているものです。ですから少しでも迷惑をかけることを減らせるように、人格形成が大事なのだと思います。

 物心ついて家庭で親や兄弟から、学校に入って、同級生・先輩・先生から、そして社会に出て、会社などの組織の中で、知識の習得だけではなく、人間として、どう生きていくのかを学んでいくものだと思います。

 人生、一生勉強だと思います。認知症になって勉強できなくなる事が怖いので、頑張って今のうちに頭を使わなくちゃなりません。