ニケとミケ

捨て猫にゃん子2匹と、先輩捨てられ犬チョコの日々の記録

この時期の雨。

2010-12-20 23:24:36 | ペット
                    

 チョコが散歩に外へ出て行くと、ニケとみかんも出たそうに、玄関の戸の前で頑張っています。外に出て事故にあっても困りますし、他の猫に病気を貰ったり、喧嘩をしても困るので、まだ当面は家の中だけで我慢してもらうつもりです。今週末にはうまくいけばワクチンを打つ予定なので、そうすれば少しは病気の心配も減るので・・・でも、やっぱり雪が融けてからかな。

 そういえば、昨日の夜半から雨が降り始めて、今日は一日中シトシト。気温もプラスだったので(最近は、日中も零下でした)20センチ以上はあった雪が、ほとんど融けてしまいました(駐車場内ですが)。我家の周りの畑や空き地には勿論雪はありますが、多分例年と比べると少ないのではないでしょうか(こちらの12月はまだ未体験です)

 札幌の自宅周りは全くないそうです。最近はこういう冬が多くなりましたね。暖かくて雪が少ないのは、生活するには都合が良くていいのですが・・・冬はやはりきちんと雪が降って、気温が下がらないと、なんかもの足りませんし、多分ダメなのだと思います。温暖化の影響でしょうし、個人でどうのこうのなる事でもありませんが・・・やはり、身近な事から努力しないといけませんね。

                    

 みかんの体も大分良くなってきたようで、階段も2段とびで上がれるようになりました。食欲も出てきたので、大分、ホッです。                   

責任転嫁。

2010-12-19 16:09:27 | 
                    

 昨日書いた漁師の話ですが、ちょっと書き足りない部分があったので、今日はその続きです。

 なぜ、漁師は奥さんと、さしたる口論もせずに、カレイ(神様かな)に、非常識なお願いをし続けたのか?

 たぶん答えは、今日の表題になっている「責任転嫁」だと思うんですよ。

 奥さんの注文は、どう考えても理にかなっていません。本来ならば、三段論法によるのかは、定かではありませんが、漁師が奥さんに、コンコンと話して我慢させるのが当たり前です。ところがお話では、二言三言、遠慮気味に「そりゃーまずいんじゃないかい」みたいなことを言うだけで、、ヒステリー気味の奥さんに「早くいってきて!」と言われると、すごすごと神様に頼みに行くのです。

 怖さからいえば、当然神様の方が怖いはずです。ですが嫌なのは、奥さんとの口論や、喧嘩のほうなんでしょうね。そして、奥さんが、理詰めの話を理解できる人ではないことを、漁師は分かっていたのでしょう。げに恐ろしきは「感情なり」です。

 こういう時どうするか・・・あなたならどうしますか?

 私なら・・・「さわらぬ神にたたりなし」言われた通りにしますね。間違えていてもそれは、私の責任ではありませんから。そしてこういう時、最も効果があるのが、他の人の意見なのです。

 私もそうなのですが、妻に「それは違うよ」みたいに言われても素直に聞き入れられない時があります。ところがそこで第三者が「やっぱり違うわ」みたいに言うと、素直に違いを認めるのです。
 話として、直で話すより、ワンクッションおいた方が丸く収まる事も多いですしね。

 このお話の漁師さんも、第三者に(この場合は神様ですね)「無理だよ」と言ってほしかったんだろうな~と思います。そうすれば、帰宅して奥さんに、「神様がダメって言ってるんだから、しょうがないだろう。我慢しようよ」みたいなことが言えて、そうすると、奥さんの怒りの矛先は神様に向かうわけで・・・いくら奥さんでも神様とは喧嘩しないでしょうし、神様から言われればしょうがない、と諦めるのではないでしょうか。

 「ダメだし」の責任を神様にお願いする。悪者を他人(第三者)にするというのは、日本的な知恵だと思っていたのですが、このお話を改めて読んでいる内に、洋の東西を問わないんだな~と感心しました。

 神様が元の状態に戻した時、漁師はきっと、ガッカリするより、ホッとしただろうなと思います。

                                    

グリム童話 漁師とその妻の話から

2010-12-18 21:49:01 | 


 みかんも少し元気になってきたようで、妻とニケとの猫じゃらし遊びに、手だけですが、参戦するようになりました。お腹がすくと「ニャ~ニャ~」とか弱そうに鳴いて催促します。すると、親ばかで、煮干を一本一本頭とお腹を取って、みかんの口に持っていって食べさせるのです。

 現在私が読んでいる本は、グリム童話集です。有名なお話の宝庫で、大抵の方が知っている話(たとえば、シンデレラ・靴を履いた猫・ヘンゼルとグレーテル・etc)数え上げればきりがない感じですが、全てドイツのお話で、おとぎ話の範疇に入ると思います。これは日本のおとぎ話(一寸法師や浦島太郎など)と同じく、子供だけでなく大人の読者も対象にした話ですが、話の採取の過程や、お話の完成度などからすると、今昔物語や、遠野物語に近いようにも思います。

 民俗学的研究も面白いのですが、グリム童話は、話自体面白いものが多くて好きです。そういえばよく勘違いしている方が多いようですが、グリム童話はグリム兄弟が作ったお話ではありません。ドイツで語り継がれていた昔話の類の話を蒐集して整理して編纂したものです。そういう意味で、遠野物語や、今昔物語・御伽草子・宇治拾遺物語などの古典の話と同質のものです。つまり、グリム兄弟は、遠野物語の柳田国男先生と同じなのです

 前振りが長くなりましたが、今日はそのグリムのお話の中で好きな「漁師とその妻の話」について書きたいと思います。

 話の筋は(知っている方は飛ばしてください)人のいい貧乏な漁師が海でカレイを捕まえます。カレイは魔法をかけられた王子様。命乞いする王子様のカレイを、純粋な気持ちで開放してあげた人のいい漁師は、あばら家に帰って奥さんに事の顛末を話します。

 すると奥さんは、「そんな良い事をしたんだから、カレイにお礼をしてもらっても罰は当たらんから、頼んでこい」と、ご主人のお尻を叩いて海に行かせます。青い空と穏やかな海で、奥さんの希望である小ざっぱりとした家を頼むと、カレイはすぐに希望を叶えてくれます。
 
 ところがご主人が家に帰ると、奥さんは「こんなんだったら、もっと大きな家が良かった。もう一度頼み直してきて」 と、ご主人を再び海に行かせます。再び希望を叶えてくれるカレイ。ですが奥さんの欲望は段々大きくなって、お城に住みたい、王様になりたい、法王になりたいとエスカレートしていきます。そのつど希望は叶えられますが、空の色が段々黒くなっていって、海の青さも失われて腐っていきます。

 とうとう奥さんは天子様になりたいという希望を出して、天の怒りで、元のあばら家に逆戻り(全てを失う)というお話です。


 この話は、すごく良くできていて 、人間の限りない欲望(特に女性のかな)と、天の(神様)報恩が見事に書かれています。 天の怒り方を、空と海の色や、風、波などの自然現象の変化で表しているのもすばらしいと思います。そして何よりいいのが、ご主人(人の良い漁師さん)です。小心者で人がいいだけのご主人が、本当は最も怖い天(神様)より、目の前の奥さんのほうが怖い、という現実。これは現実の世界でも有り、ですよね。私自身も・・・・有る、と思いますね。目の前の事で言い合いになって喧嘩はしたくないので、たいして理にかなって無くても我慢する。

 別の見方をすれば、家で嫌な事や意に沿わないことがあっても、家では何も言わず、外で発散する。という感じですかね。

 この話を読むたびに、この漁師が自分にダブってしまいます。幸いなのは、私の妻は欲深くない事ですね。
                    

続 表現の自由 報道の自由

2010-12-17 23:40:56 | ペット
                    

 朝10時、ニケとみかんを洗濯ネットに入れて病院に行ってきました。術後の経過を見てもらうためで、ニケは全然問題なし。傷口をササッと消毒して終わりです。
 みかんは傷を覆っていたガーゼを取って薬をつけました。煮干以外食べない事を伝えると、栄養剤を注射してくれました。経過は順調だそうで、一週間後に抜糸をすることになりました。今日の料金は・・・タダでした!今日の注射や来週の抜糸も全て、手術代金に含まれているそうで・・・いやー助かりますね。


 さて、昨日書こうと思っていた「自由」について今日は書こうと思います。
 「自由」、改めて言葉の意味を確認するのに広辞苑を引いてみると・・・私的には「何物にも束縛されない事・・・」みたいな感じで出ていると思ったのですが・・・勿論その意も載っていましたが、今日私が書こうと思っていた意味もしっかり載っていて、「さすが広辞苑!」という感じです。
 それは・・・「無条件的な、絶対な自由は人間にはない」という一文です。

 「自由」を声高に主張する人たちは、全ての事を自由意志で決めて、それを行動に移せる権利があると思っているようです。
 表現や報道・信教などの自由でも、全てが自分の意思のままに決定できると思っているようです。ですが、自分に自由があるように、他の人にも自由はあるのです。つまり自分の自由を行使するということは、少なからず、他の人の自由を侵すということなのです。

 全てにおいて自由だということになれば、人を殺しても、人の物を盗んでも何をしても良いということで、無法状態と同じで、力の強いものが全てを支配するということになりかねません。とすると、K-1のチャンピオンが支配するのか?いえいえ、権力を持っている(つまり強力な戦力の持ち主)者が全てを支配するということになりそうです。でも、これっておかしくありませんか?だって、最高権力者だけは好き勝手できそうですが、その他の人は当然全てに自由というわけにはいきませんよね。

 自然界、弱肉強食が支配する動物の世界に目を転じてみれば・・・、百獣の王ライオンが、自由に闊歩しているでしょうか?狩をしたっていつも成功するわけでもなく、どちらかといえばいつもお腹をすかしているようです。食べきれないほど獲物を取る事もなく、ゾウやカバなんかにはどちらかというと遠慮気味に接しています。自由一杯そうな自然界だって、実は自然界のルールの中で動いているんじゃないでしょうかね。

 私が食堂を自営していた時よく言われたのが「好きな時に働いて、好きな時に休めるから良いよね」的なことでした。なにアホな事を言っているんだろう、と思いました。自営でやっているから営業を自由に出来るなんてものじゃないんです。営業時間や定休日などは、特定であろうが不特定であろうがお客様との契約なのです。何度も契約を破ればそれはお客様から見放され、結局は閉店せざる負えなくなるでしょう。

 自由とはいっても、必ずある一定のルールの上にあるということを、認識しなければならないと思っています。私の自分で決める(自由)判断の基準は、「他の人に迷惑をかけないか?、かけたとして、それは私の中でしょうがないと自己弁明できるか?」
ということでしょうか。自由の権利を主張するのもいいですが、それに伴って義務や責任も生じてくるということも忘れないでほしいと思います。

 何物にも束縛されない「自由」というのは、精神面にしかないと思っています。つまり、「無」の世界です。座禅とかがいいんでしょうね。私は煩悩が多くて到底「無」にはなれそうもありません。

                    

表現の自由。報道の自由。

2010-12-16 21:52:48 | ペット
                     

 みかんの食欲はいまいちですが、煮干だけは食べてくれます。ただし・・・頭とはらわたの部分を取ってやって、尚且つ一本づつ手で食べさせなければなりませんが・・・ま~食べてくれるだけ良いんですけど。

 化膿止めの錠剤を飲ませるのが大変でした。チョコならば口に入れて顔を上に向けて、口を押さえていれば、ごっくんと飲んでくれるんですが・・・。ニャン子はそこまで無理には出来ないようで・・・体も弱っていますしね。で、ウサギのラッキーの時のように、体をバスタオルで包んで(くるんで)、口を無理なくあけさせて喉の奥に錠剤を入れて飲ませました。と、書くと簡単そうですが・・・妻と二人(妻は右手は使えません)四苦八苦して20分近くかかりました。

 さて、今回過激な性描写のマンガに関する条例が東京都で施行されるようです。詳しくは分かりませんが、報道によると、強姦など、法に触れるような性行為や、近親相姦など倫理に問題のある性行為を賞賛したり、誇張するような描写のマンガを審査して、有害と指定されると、一般の書棚には置けずに、成人向けの図書コーナーに置くように指示する事ができる。というような条例のようです。(正確ではないかもしれません。)
この条例に関して、小さいお子さんを持っている親御さん(インタビューに答えていたのは、お母さん達でした。)は賛成でした。
 一方、漫画家の方や出版社の方は、表現の自由の観点から反対のようです。特に問題にしているのが、「賞賛(賛美)や、誇張」の部分に関する明確な基準が無いので、審査する人の恣意によって、どんどん表現する範囲が狭められるのでは、という点のようです。

 ま~私は英語も苦手ですし、外国の法律に関しても門外漢なので、よくは分かりませんが、日本の法律に関していえば、ほとんどの条文は、どうにでも解釈できる条文ばかりではないでしょうか。
 
 曖昧模糊。日本の法律や条例はこれが当たり前で、よく条文を拡大解釈して問題になります。ですが、たまには拡大解釈することで助かった人も居るようで、私的には、何でもかんでもきっちり基準を作るというのは、現実的ではないと思います。基準を作れば作るだけ、その抜け道を探す人が出てくるもので、もぐら叩きと同じだと思います。

 漫画家の先生達は、出版社や、漫画家達の良識ある自己判断に任せるべきだということのようですが、審査する人たちには良識は無いのでしょうかね~。

 私的には、石原都知事はタカ派過ぎて(私は極端なほどのハト派ですから・・・)好きではありません。ナショナリズムを声高に唱えすぎに思います。地球規模での環境などの危機があるときは、もっと国境を低くして、世界で協調していくべきだと思うんですよね。ま~理想論ですが・・・。また話しがずれた・・・すみません。

 ま~そんな私ですが、今回の条例に関しては石原さんの言い分の方がしっくりきました。石原さんは辛らつな質問をした記者に対して「お宅の子供には見せられるのか?」と言っていましたが、私も同じ思いです。反対する漫画家の方たちもどうなんでしょうか。皆さん優秀だから、お子さんも優秀で有害図書を見分ける目を持っているのか、有害図書を見ても、きちんとした善悪判断を出来るお子さんばかりなのかもしれません。

 ですが・・・やはり、善悪判断が出来ない子供が多分に沢山居るんじゃないでしょうか。そういう子供のためには今回の条例は必要に思います。勿論今回の条例で非行行動や問題行動が減ったり、抑止されるという明確な確証があるわけではないでしょうが、それを言い始めると、堂々巡りで答えはいつまでも出ないと思います。少しでも子供の為になることならば、実施していくべきではないかと思います。審査する人たちの良識を信じての事ですが・・・。

 今日の本題は、実は「自由」について書こうと思っていたのですが、ここまで書いたら疲れました。「自由」に関しては明日に「続く」です。