長い病院生活でした。皆さんに助けられました。
湖国滋賀は良い人が沢山おりました。 7月22日に低ナトリウム血症・脱水症で済生会滋賀県病院に救急車で運ばれて以来、急激な腰痛は済生会守山市民病院で坐骨神経痛と診断され、再び済生会滋賀県病院に移り腰椎椎間板ヘルニアの手術をしたのは9月13日で、またまた済生会守山市民病院に手術後のリハビリのため戻り11月30日までの病院生活が続きました。 その間4ヶ月余りの病院のベッドでの生活でした。73kgあった体重がたったの60kgまでに痩せ細ってしまいました。
ヘルニアの手術前に主治医から半身麻痺で一生車椅子生活の可能性ありますが覚悟して下さいよと半分驚かされました。家族も覚悟を決めていたようです。全身麻酔が効いてきたため、気が付いた時は家族が私の顔を覗いていた病室に寝ていたのです。しばらくして主治医が今までさんざん私を苦しめていたヘルニアを持って来て、見せてくれました。主治医が言うことには手術は上手くいった、安心してリハビリに励んでください。辛かったのはベッドから一歩も歩けず、トイレさえも一人で出来なかったことです。とにかく少しでも起き上がれれば良いなと思っていたのです。
看護師の手を借りてやっと入浴を許された時はどれほど嬉しかったことか。 しばらくそんな日が続きベッドから起き上がれると、退院の日まで来る日も来る日もリハビリの日が続きました。暑い夏が終わり、いつの間にか晩秋になったのも病室の窓から見て分かりました。その頃になると昼間のトイレは自力で車椅子を使い行くのを許されました。やっと人間らしい生活に戻れました。寝てばかりいて体重が減ったので筋肉が無くなり、すっかり体力も衰えました。少しの歩きでも息が切れてダウンです。リハビリのトレーナーに頼んで少し強めの訓練を頼んでみると、翌日からどんどん強くなってきたのです。 ケア・マネジャーが来て、退院後の計画を組んでくれて、12月5日から病院と同じ済生会グループの介護施設に週2回デイサービスに通所することになりました。はじめは通所に抵抗ありましたが、行ってみるとなかなか良い所で大変満足しております。これからこの施設を5月に卒業するまでスタッフの方々の手助け無しに自立できるようリハビリに励みます。
お正月は我が家で過ごせます。
先日のブログで冗談を載せてしまいました。
騙された人は申し訳ありませんでした。
滋賀県はいつまでも滋賀県です。
私のもう一つの個人的なブログでは騙された人が沢山いました。
皆真面目なんですね。
生粋のシガリアンこと座敷童子でした
TOHOKU COTTON PROJECT 棉花の畑を栽培する
東日本大震災の後の仙台市荒浜地区での話です。
津波で田畑をことごとく失った跡には塩分がたくさん残った土地だけが残りました。
そこに住んでいた農民はコメも野菜も作られず、希望を失っていました。
目を付けたのが、塩分があっても育つ綿花です。
苦労の末、二年目でやっと綿花が育ちました。
このプロジェクトには多くの人達と企業の応援で色々な綿製品を作ることができました。
農業でも生きていける事を証明するしょう。
可愛いものですね。
娘が孫を連れて学校行ったそうです。
2ヶ月かかってダイエットして恥ずかしくない格好をして出席しました。
どちらが主役だかわかりません。
片親だけで行くのは珍しいのだそうです。
座敷童子
他人のブログを覗ました.
とても感激したものが載ってましたので、転載します。
すみません、悪しからず。
試合後の清掃
韓国に敗れ、銅メダルを手中にできなくて悔しい思いや残念な思いをしたのは選手だけではない。スタジアムで日本チームを応援し続けたサポーター達もかなり悔しかったはずだ。その悔しがっている最中、アホな韓国人選手が「竹島は我が領土」なるボードを持ってピッチ内をアジリながら走っていたことも知らなかっただろう。
しかし、日本人サポーターは日本での試合終了後と同じように、自分達の応援席を中心にしたスペースのゴミ拾いをして清掃している姿が外国人記者の目に止まり、その姿を写真に収められた。
ややもすれば、負けたことの腹いせにイスを壊したりモノを投げたりの暴挙に出るやもしないのに、冷静に清掃する・・・誇らしい姿じゃないか。この礼儀正しさを闘争心のなさと評する者もいよう。
しかし、僕は、これこそ日本人が誇るべき姿だと思う。と同時に、今、国の政治は混迷して先行きは不安定で見通しも良くない。だが、この行為の根底にある精神こそが日本人が長く培ってきてきた武士道にも近い精神であると信じている。そして、日本人に生まれて来たことを誇らしく思える瞬間でもあるのだ。
この清掃をする日本の若者達に感謝したい気持ちでいっぱいである。
鮎釣の師匠が今度はガソリンスタンドの師匠に滋賀県下に28店舗、三重県2店舗のセルフステーションのITOYU(株式会社伊藤ュ)です。
愛犬のポンタ師匠が暇な日、毎日、家に来て仕事のことを教えてくれますがちんぷんかんぷんで全然分かりません。
監視、接客が主で言葉使いが重要です。また金庫計算、1日の閉めなど金額の合計が合致しないと帰れません。
見習い期間が終わり明日から師匠の下で特訓ですが、4日間で一人立ちせねばなりません。
どうなる事やら今から心配でたまりません、・・・・・・・・
もう働く気も無かったのですが師匠が伊藤ュで求人が有るとの事危険物の免許と履歴書を持っていったら採用です。
やはり若い人と違い見習い期間が長く掛り試験の結果採用でした。
体の調子も良いのでそこそこ勤めてみますので、陰ながら応援お願いします。・・・・・・・・・・・・・・
尚芋煮会の件10月2週目の日曜日としましたの参加宜しくお願いします。
釣りバカより
KANAとしタンが、かわいい女性の名前のようで誤解を与えてしまったのでせう。ま、恥ずかしいのでそのうちに。
実はむつけき爺でありまして単に頭文字をつけただけであんす。
しかし、爺というのは困ったもんです。昨年さるプロ歌手のコンサートに無理矢理行かされたんでございます。
その歌手というのんも同じく爺でありまして、高い金を取っていながら、始まったら皆立って唱和するんでございますよ。これが、いつ座るんかいなと思っていたら2時間半ずーーーとなんですわ。廊下に立たされるのでもせいぜい50分でっせ。私以外にも何人か座ったままの人がおりましたが、1%以下。椅子なしの立ち見にして金返せ。そやけど、周りが立っとってぽつんと座っておるのは除け者扱い、辛抱いりまっせ。居心地悪い出んな。Aチームの応援席にBチームが1人みたいなもんですわ。
そやけどこの爺歌手が何と言うか右から左へ動きながら歌うんですわ。そら、顔の造作からいえば二人の爺はピンキリ、雲泥の差(年とったらそこまでおもってまへんけど)でしかもオロナミンCや。
早めに帰ると裏の出口で出待ちが30人くらいおるわな。出町柳やおまへんで。爺がでてくるのを待ってる追っかけなんやろな。子育てから解放されて時間が出来たからかな。今でも銀閣寺の青い瓦屋根の実家には写真撮りの人がおるそうな。昔は、いも○○といわれて事件になったこともあるとか聴きましたけど。
私も、顔は魔けるけどなんじゃい。しかし、運動はせなあきまへんな。長生きしても寝たきりではあかん。
で、7月からFOLEOとかいうジムトレにいってま。
そやけど、これが超しんどい。適当にこなして後は風呂、サウナに入って帰って万年。お前は風呂に入りにいっとんのかい。そのあとビール飲んで帰っ虎せんやろな。昔は守山の鉄人故SNさんと何回か城陽のジムトレに行った後は、どうでしたか記憶におませんが滅相も無い。
今までのコメント拝見させてもらったけれど、皆さん紳士や。コメント活性化させよとするとなんでもかんでもかかなあかんのちゃいますやろか。なんやこいつ何いうとんのやで、投稿する。
今日大津市の教育長がなぐられた、殺人未遂、なんぼおかしいから言うてこの行為は許せませんな。しかしどうなるんやろな。
KANA