大同マルタ会

大同マルタ会の方々が自由にこのブログに集い、会員の思いや写真などを思い存分に披露できる開かれた広場にしたい。

オランダから見た大同染工(続き)-5-

2017年11月26日 | 技術
  オランダから見た大同染工 -5-
1960年(昭和35年)ブリシンゲン社の技術者が極秘に大同染工を見学した報告書から

  仕上・検査
仕上げ
「樹脂加工仕上げの為には背の高い機械(ピンテンター)が使用されていた。
捺染―発色―水洗 された布がこれらの機械の中に入れられ、後ろから出てくる。我々の使用するテンターよりはるかに短く、同時に〈巾だし仕上げテンター〉と〈熱処理ベーキング〉としても機能していた。私は、これはどのような機械か聞き、ヨーロッパでは、樹脂の付与と熱処理は二つの工程として別々の二つの機械で行われることを指摘した。 その場で明確な答えは帰ってこなかったが、5分後に、丸紅の社員から『専門的過ぎる質問である』と指摘され、疑いを招くのでこれ以上そのような質問をしないように言われた。」

【注:- ピンテンターは 〈仕上げ巾だしテンター〉 と 〈合繊用に熱処理=ヒートセッター〉 としても使えるが、大同で樹脂加工をする際には、ピンテンターで樹脂液を繰りー巾だしー乾燥 して、その後ベーキング機で樹脂固着〈ベーキング〉する、ヨーロッパと同じ 《2工程》 をとっている。】

製品検査
「布は相当な高速で計測機械(ヤール畳み機)に流れ、メートル表示されていた。我々がするような、計測機械のところで 検品 することはされていなかった。
検品はその後ろにおいて、メートル毎にめくり検査する形で行われていた。この検査は工場持ちで行われていた。その後ろにおいて、工場の品質管理を通過したものが、政府役人によって監査され、輸出向きのものは、 A、 B、 C、のグレード評価がされていた。

《 A 》 評価のものは、本来どんな間違いもあってはならないもの。小さいシミが
一っならまだいいが、二っあれば 《B グレード》 になった。そこから、日本とプリントについて契約をかわすときに 20% まで 《B グレード》を許すということが生まれた。 こうした 《B グレード》 は、我々のところでは一級で通用する。 実際のところ、日本も最大 10% 《B グレード》を供給している。 文言上は 20% であるにもかかわらず。
 《B グレード》は二っ以上小さなシミがある場合や、近い距離で見なければわからないような汚れ(欠点)がある場合である。 アフリカ輸出用には、全体の 5%は『柄全体を通過するような割れ(染料汚れ)』があってもよかったが、いまやどんなものも『柄全体を通過するような割れ』があっては、《C グレード》となり出荷できない。」  

【注:- 彼は 『リアルワックス』 なみに 『ひび割れ』 は OK と見ていたと思われる。】







オランダから見た大同染工 -4-

2017年11月16日 | 技術
オランダから見た大同染工 ー 4 -
 1961年(昭和36年)オランダ「ブリシンゲン社」の技術者が極秘に旧大同染工を見学した報告書から  オートスクリーンプリント
 「イタリア製機械 『コメリオ』、 広巾使用で大きな型がついていた。しかし、これは稼働していなかった。 他に『イチノセ』製の日本の機械が 7台あった。これらの 7台の機械はすべて稼働しており、あらゆる服地をつくっていた。つまり、綿サテン、ポプリン、ピケの一種の生地をプリントしていた。

 これらの機械で 18色までできる。 送り(レピート)は 18吋で、プリント巾は加工された 36吋巾までだ。 布が片側から挿入される。 プリント板のいずこかに “送り”がつけられ、その間にスクリーンが印捺されるということだ。プリント板の先には(後方)乾かすための箱がある。それぞれの機械に 4人がついていた。

 プリントスピードは 7ヤード/分で、これは、 100 ヤードを 4.2 反/時間 つくれることになる。 デッサンを交換する(型換え)時間は 30分とみられた。
週に 48時間を二回りさせて、 9台の機械で、90万ヤード/月 がつくられているといわれた。 月毎で考えると、大体 9 × 4 × 100 時間 = 3,600 時間 ということで、これは 100ヤードを 2,5 反/時間でつくっている計算で、理論的には 4,2 反となる。 これは採算がとれる数字だ。
 これらの機械によって美しい作品が仕上がっていた。 我々の写真版ローラープリントの効果は制限されたものとなっている。 (私は金属をもってきていた) )」
 【 注:― 《意味不明》 おそらく、スクリーンで出来ない金属の写真版彫刻を持って対抗しているということか ?】

「更に、特定の効果を出すために、”型”は惜しまず使われていた。綺麗なデッサンのために (色数)10~12 枚の型を使うことも当たり前だった。 我々が銅版深印刷で到達することの出来る効果は、スクリーン機械の写真版ではできない。
ストライクオフ(見本作成)に関しては冷たい板の上で、かなり原始的方法でつくられていた。この作業はきわめてゆっくり行われていた。 通常、 各配色に対して 4ヤードカがつくられ、 1ヤードは顧客に送られ、そのほかの 3ヤードが自分たち用にとっておかれていた。 顧客が要求すればもう数ヤード余分につくることができたが、これは通常のプリント価格に上乗せした特別費用を必要とした。」

箱 (乾燥機)
「特に注意に値することはなかった。」
 
加工部(後工程)
「すべての加工(蒸し、後染め、水洗など)は、広巾の機械で行われていた。」

     東山十条87

オランダから見た大同染工 ー3-

2017年11月09日 | 技術
  オランダから見た大同染工 ー3-
 1961年(昭和36年)オランダ「ブリシンゲン社」の技術者が極秘に旧大同染工を見学した報告書から

  ローラープリント
 6台の捺染機があり、すべて48吋 プリント巾である。一つの部屋にあった 2台を見たが、 1台はかなりの数の色があった。それは 12色刷りの機械であった。その捺染機では 4色のイミテーションワックスデザインが高速でまわっていた。機械に はスピード計がなかった。 速さを聞くと 営業部長は、『30ヤード/分』の速度という。 私が 『そんなはずがない』というと、彼はそばにいた捺染士に聞いた。 『90ヤード/分』と応えた。 これもまた本当ではないだろう。 多分、『70~80 ヤード/分』 ぐらいの速度といったところだ。
捺染される生地はロールに巻かれたものを機械に注入された。つまり生地導入の際の指示は機械の所で、通常捺染士か立っている所でなされていたわけである。

“15分ランプ”は機械についていなかった。」
【 注;― 大同で加工する生地は 1反120ヤードの生地で、3000ヤールの加工なら25反、あらかじめ数えてあるから、生地導入は捺染士の指示でできる。外国は乱ヤードの生地が多いから捺染機の所に“長さ測定機(指定長でランプがともる)“が必要である。 おそらく生地係がチェックしていると、推定される。】

 「機械の前部に1人が生地の導入方向を修正する作業に従事しており、もう1人が色糊を入れる作業を担っていた。捺染士は機械の周りを旋回しており、後部には3人がついていた。( ふり落ち 1人と アンダー返し2人 計1台に6人)
 これが一つのパターンで、隣の2番目の機械ではちょうど、型ロールが交換されていた。こちら(大同)は、単純な イミテーションワックスのパターンを非常に高速でつくるところだが、実際のローラープリントのところでは、とても綺麗なアメリカ向けポプリンもつくられていた。これはおそらく彫刻は《ペンタグラフ》のデザインであろうが、非常に鮮明な輪郭のはっきりしたプリントができており、とても高い品質と言わざるを得ない。
それをプリントするときはあれほど(1番目)高速ではないと思われるが、見ていないので何とも言えない。従って高速で生産される『バルク商品』と並んで、ヨーロッパ市場向けのとても良い品質のものが同じ工場でつくられていた。
 
 プリント職場は 48時間/週 しか稼働していなかった。」
【 注:― ヨーロッパでは24時間稼働が常識 ? 大同でも殆どの職場(精練漂白、スクリーンプリント、仕上など)は24時間稼働。】
「何故そうなのかと聞くと、日本では資本と労働価格の関係から(私はそう思っていなかったのだが)こう言われた。『48時間/週 以上稼働させると多くの損害を生み出す』。重ねて何故それ以上回すと必ず損害が出るのか尋ねると、『常勤で回した方が品質がよい』」との応えで、それをもって会話は終わってしまった。」

 「我々と比べると平均生産量/時間は非常に大きいに違いない。48時間/週は大体 200時間/月/機械 である。6台の機械では 1.200時間と、下方に見積もった場合ではあるが、それでも 20反(2,000ヤード)/時 となる。これは我々の生産速度の倍である。
これには当然ながらいくつかの要因がある。

1.単純な彫りだけで高速で生産されている。いいかえると重色が必要な写真版がない。
2.単純な手順であり、複数の工程を必要としない。我々がジャバ・プリントでとるような複数工程ではない。(注:防染のしごき2度捺染のような)
3.銅板印刷は全くない。銅板印刷をするとき我々はわずかであるが、時間を失っている。
【 注:― ブリシンゲン社はどんな銅板印刷をしていたか?逆に興味がある】
4.新しい柄を生産するとき、《試しプリント》をしていない。我々は例えば、ジャバ・プリントでは行なっている。
【 注:― 大同は配色替えのたびに、色確認のため小布の見本をとっていた】
5.私が見たところ、プリント全体として色数が少ない。従って、型・配色替えの時間が少ない。

しかし、これらの要因をかんがみても、20反(2,000ヤード)/時は、かなり効率が良いといわざるを得ない。」
【 注:― 実際は8時間稼働ではなく、常時 2時間くらい残業をしていた。】
  
【ローラー捺染の職場について、さすが専門的で詳細に観察している。
生産能力を的確に計算し、その効率の良さ、その要因まで掌握している。】






  

オランダから見た大同染工 -2-

2017年11月02日 | 技術
       オランダから見た大同染工 ーⅡ-
  彫 刻
「スクリーン彫刻は自社内で行われていなかった。型の作成は京都の街の反対側で行われおり、それらはもともと関心がなかったが、ワックス・カンガのロールを彫刻する賃請負彫場は近くで行われており、そこには行くことができた。《 堀彫刻所 》
 そこには10台の“ペンタグラフマシン”が並んでいたが、その内の 6台には布がかぶさっており、4台しか稼働していなかった。しかし、それより多くの人々が手彫りに従事していた。
輪郭線の彫りは、特定の紙(硫酸紙に硫黄と絵の具を混ぜた液で描く)をロールに巻き付け、ロールの中から温めル方法で、パターンがロールに印押される。(銅と硫黄が反応して黒く写しだされる) そのモチーフを非常に高い技術《熟練度》と驚くべきスピードで手で彫っていく。
 大同の発注で行うこの彫刻場は“ペンタグラフ”と“手彫り”を特化していた。

特に注意すべきは 大同がドイツから新しい電動の彫刻機を導入するといったことで、これが3月に届くらしい。この機械の値段は 6.000万円、つまり 66万ギルダーで 喜ばしい事ではない。
 
 日本ではこれまで我々の写真版の効果を 8,10,12枚 のスクリーンをスクリーンフィルムプリントで使うことによって真似ており、それでも我々の水準にたどりついていなかった。しかし、この機械が導入されれば水準は非常に近くなるということだ。輪郭線は 30分で作れるということで、これは喜ばしいニュースではない。」
「我々(ブリシンゲン)側で問題になっている『デッサン室・トレス室』のことは、日本では問題になっていなかった。トレーサーは日本に数百人もおり、熟練度も十分であった。これをもって日本では写真版の問題は解決している。

 しばらくは、我々の優位は脅かされないと思っていたのにヨーロッパの、特に我々のような特定の西ヨーロッパの工場の優位は、日本に追いつかれるということだ。 我々は日本に対して特に彫刻に関しては技術的優位があった。呉羽の記事によれば、上記以外の点でもヨーロッパとアメリカには優位性がある。それは、デザイナーのもとで全世界において売ることのできるデザインを選び、全世界で売れる配色を創造できることである。この優位は当然ながら新しい彫機の導入をもってしても覆すことは出来ない。 加えて日本は「服地」と「カーテン生地」の組成(組立)という分野において、ヨーロッパと競争するつもりならば、その(商業)組織を適応させなければならない。しかし、日本の劣勢要因の一つであった写真版を持たないという点は取り除かれたのである。」
【 注:- 大同のドイツからの導入した〈写真彫刻技術〉をこんなにも高く評価し、脅威を感じていたとは、おそらく日本中誰も知らなかった。この後、大同の彫刻技術が業界一の評価を受け発展したことと合わせ、彼の目が如何に正しかったか 特に興味深い。】