大同マルタ会

大同マルタ会の方々が自由にこのブログに集い、会員の思いや写真などを思い存分に披露できる開かれた広場にしたい。

夫婦で交換日記ー2

2014年03月26日 | 日記

私は時たま彼に勤め先の不満をもろにぶっつけることがありました。

そんな時、彼はいつも私より数段大人です。どんな難題もするりと解いてくれます。

それで私は何度か勤め先で上司と意見のぶつかり合いを免れたことか。

彼は日記の上で私を説き伏せたり、

当たり前のことを、さも分かった様な書き方などをしません。

いわゆる上から目線的なぶつけ方は決してしません。穏やかなのです。

それでなんとなく彼になだめられて、翌日からまた勤務に入りました。

やはり彼は男であり、夫であることを身に沁みてわかります。

私が彼に代わって彼の悩みを解決できるのは何時か。

彼が私に悩みを相談して来ることがあるのでしょうか。

今のところは交換日記では私に相談して来ないようです。

相談することがないのかな、それとも心配掛けまいと我慢しているのかな。

ある人から聞いたことがありますが、愛(love)とは一時的なもので、

尊敬とは(respect)とは永劫なものであると。

私の彼に対する思いはloveからrespectに変わっていったのかな、

とさえ思えるのです。

交換日記に書かれている言葉一つ一つをとってみると、

何らたわいのなさそうな言葉であっても、

彼から発せられる言葉には大きな重みがあったのです。

それに比べると私はどうでしょうか。

彼を説得できる言葉を見つけることができないのではないのではないでしょうか。

それでいながら私は知らず知らずのうちに彼に逆らうのです。

別に意識して逆らっているのではありません。

口癖で彼の言ったことにすぐに、「だって」と出てしまうのです。

言ってしまってから、「ああ~また言っちゃった」とすぐ反省しているのに。

私は私に甘えているのか、彼に甘えているのかわかりません。

全面的に彼の大きな「揺り籠」でゆらゆらと揺られているのか知りません。

彼は私の愛する良人(respectable husband)です。

この世に一人しか居ません。

愛し愛されている貴方です。

やり取りしたこの交換日記を読めばわかります。

                          私の愛するあなたへ  m.m.


夫婦で交換日記ー1

2014年03月19日 | 日記

自分の気に入った内容のブログがあったので投稿します。

下らないことをだらだらと書きますが、我慢できる人は読んでください。

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あなた交換日記しているの?

何時から?

ロマンチックじゃない。

よく親しい友人からそう言われます。でももうやってないです。

子供が出来て実家に帰った時からなんとなくやめてしまったのです。それまでやっていたのです。

 

夫と日記を交換し出したのも何時かも忘れました。

別に夫婦間にいざこざや拘りがあったのではありませんでした。

世間にそんなことが流行っていたのでもありません。なんとなく始めたのが、数年続きました。

今思い出すととても懐かしい気持ちがします。

日記は普通の大学ノートに好きなように互い違いに順繰り書いていただけです。

 

でも交換日記を交わすことによって、意外と私たち夫婦の間ではとても良い夫婦関係が生まれて行ったのです。

うちの人はどこにでもいる普通のサラリーマンです。

真面目な本当に生真面目な人です。

私たち夫婦は共働きで家事も二人でなんとなく分担してやっています。

こんなところもそこら辺の一般家庭と変わりありません。

ちょっと変わっているといえば、うちの人に一寸きついことを言ったりすれば、何も言い返してはきません。

その辺が私にとっては物足りない感じがします。

 

私たちの出会いは友人の結婚式でした。

うちの人が私に惚れこんできてメアドを交換したのから始まりました。

私たちは遠距離恋愛の結婚でした。うちの人は新潟で私は三重県でした。

たまに会いたくなった時は大変です。電車では到底行けません。

小牧空港から新潟まで小型ジェットで飛ぶのです。

日本アルプスを小型ジェットで超えるのですから生きた心地がしませんでした。

新潟に着陸した時は彼に会う喜びより無事に着いた喜びのほうが大きいでした。

こんな怖い目に遭いながらもあなたに逢いに来ているのよと言うと、とても嬉しそうな態度を見せます。

そんな彼を見て私はまた休みを取って彼に逢いたくなるのです。

本当に私たち二人は幸せでした。

ひょっとしたらこの頃が人生で一番充実していた青春時代だったかも知れません。

 

そして私のほうから結婚にこぎ着け、ラブラブの生活を送ることになりました。

お互いの親元から離れ、京都に居を構えました。生活の主導権は私が取っておりました。

そのほうが彼には居心地が良かったようです。

もちろん私にとっても最高の旦那様で文句の付けようがありません。

そんな平和な生活を送っている中で交換日記を多分私の方から言い出したのでしょう。

忘れてしまいました。とにかく一日の出来事を書くことから始まったのです。

そのうち言い難いことも何でも書けるようになってきました。

うちの人は私の書いたことに何の反論もせず、ただうんうんと頷くような感じで返事が返って来ます。

あまり手ごたえもないので少し波風を立ててやろうかとさえ思ったほどでした。

しかしそんなこと出来る筈がありません

(今日はここまで 続きはまたの機会に)   M.M.


夏祭り

2013年07月31日 | 日記

この土曜日守山市の夏祭りがありました。

駅前広場のメイン会場で守山市の姉妹都市韓国公州市から来た、

韓国公州市燕亭国樂院公演団のサムルノリの演奏がありました。

サムルノリは鉦・銅鑼・太鼓・鼓の4っつの民族打楽器だけの演奏です。

私は初めてこの演奏を聞きました。メロディはありません。

演奏の始めの方は今まで聞いたことのある韓国の伝統音楽と

余り変わりありません。

しかし曲が進んでゆくに従って、4っつの楽器が綺麗にハモリ

まるで大きな津波が押し寄せてくる迫力でした。

各楽器が見事にリズムを合わせ、うねりを作る演奏法は見事でした。

演奏の途中と終わりには拍手が鳴り止みませんでした。

そこには日韓友好の大きな虹が立っているようでした。

                                守山のおじん


鼎会のメンバーが「京都からアフリカへ大同マルタコレクション」展を見に行きました

2013年06月18日 | 日記

17日35度を超す暑さの中 「鼎会」のメンバーで「京都からアフリカへ大同マルタコレクション」展を見に行きました。

「鼎会」とは主に京都地区の繊維に携わる人たちが集まって2か月に1回例会を開いている親睦会です。

会員は順番に又は招待者をお招きして主に繊維に関するお話をする会です。

その会員の有志が14名参加しました。

案内役は元大同マルタ染工・東洋紡の吉岡さん・萩原産業社長萩原理一さんで何方も技術士の方です。

展示会を初めから順を追って丁寧に歴史・背景・技法・存在価値等詳しくお二人で説明してくださいました。

参加者は繊維のエキスパートですが、皆さん大変関心を持たれて聞いておられ、時折鋭い質問もされておりました。

最後にこの展示会の中心になって活躍なさってくださった京繊大の上田文助教からいろいろお言葉をいただきました。

見学会の様子は元ユニチカ・森本さんのお撮りになった映像をU-tubeでお見せするとのことです。

見学会が終わってから川端新橋の京新山で京料理を美味しく頂きました。

 

                                                          ショウヤンでした

 










 


守山在住の美しい奥様方

2013年04月06日 | 日記

一年前に大同マルタOB会に投稿したものです。読まれた方もいると思います。

 

今日午後から東日本震災支援メモリアルコンサートに夫婦で近くのホールへ出かけました。

クラリネット・ピアノ・チェロの演奏会でした。

音楽に酔いしれての帰りがけに、とても綺麗な初老のご婦人に挨拶を受けました。

何方かなと一瞬思いましたが、直ぐ気がつきました。

会社で一番人気のあった綺麗なあの女性でした。工務課の美人、いや皆のアイドル的な女性でした。

その女性が私の家の直ぐ近くに住んでいたのです。

家内が一緒でしたから余りお話は出来ませんでしたが、一寸挨拶して分かれました。

彼女は結婚してから40年以上経ちましたが、やはり昔のように気さくで、綺麗な方でした。

今日は少し良い思いをしました。

因みにこの守山には元会社の憧れの4人の美女が住んでいます。彼女はその一人でした。ほかは誰でしょう。

 

投稿は守山の座敷童子(ざしきわらし)でした。


ぼやき

2012年08月11日 | 日記

 今年の夏は節電の影響もあってか特に暑く感じられまっけど、滋賀県のニュース
が多い。皇子山中もそうだが、もったいないおばはんの新幹線駅の話にはおどろいた。
国松市長の時には裏方応援に行ってましたけど、このとき中止しといて何でこんなに
変わるのかいな。ま、今の政権の消費税とかと同じか。あきれまんな。
あきれつでにいうと、今年の関西球団のていたらく。負けてばかりやないか。どうなっとんねん。
 今日でロンドンも終わるけど全く興味なくテレビも見てないけど、高校野球は楽しみやね。滋賀県は負けてしもうたけれど。         KANA


暫く振りです

2012年08月05日 | 日記
殆どの方は知らないでしょう。
武用さんは知っているでしょう。
彼はあの有名な”マルタナンバー5”の生みの親です。
梶 洋二郎さんです。
阿見 和夫さんと群馬大学昭和28年卒業で、彼は京都晒染工業に入りました。
『回想』の出版記念会に出席なされ、このほど初めて大同マルタ会に出ました。
40年振りの方に沢山お会いして懐かしい思いをなさられたそうです。

山本和秀君、荒谷鉄生君を探しておられました。何方か消息を知らせて貰えませんか。

黒川ダイドウ訪問

2012年07月21日 | 日記
先日黒川ダイドウの多田社長、木田顧問の招待で黒川ダイドウを初めて訪れました。
会社・工場は洛南の地、京田辺市の木津川の河畔で緑の多い閑静な所にありました。
工場を見させてもらう前に黒川ダイドウの製品をいろいろ見させていただきました。そのどれをとっても立派なもので、大同マルタが閉鎖に追い込まれた時と比べようがないほど見事な出来でした。

大同マルタから移った皆さんが黒川の方と力を合わせて、このような見事な製品を作っているのには頭が下がりました。彫刻技術と共にプリント技術・品位・表現力・仕上げ風合いどれをとっても綿織物・綿編み物では国内で一二を争う染工場とお見受けしました。特にジョイントレス・金粉表現・細線模様は生唾を飲む様な出来栄えでした。

工程管理・納期管理は少ない陣営でなさっており短納期はもちろん、どこで何が動いているかすぐに分かるなど徹底的な簡素化が行われていました。

品質管理は完ぺきで大同マルタから行った課長さんが指揮を執っているそうです。
枡見本作製及び管理はコンピュータを使って納期管理・型管理・配色管理等と驚くほどの手法を駆使していました。

工場見学では大同マルタから移ってきた多数の皆さん方が元気で働いている姿にお会いできて、感激しました。仕事の中心となり頑張って働いておりました。

また数多くの大同マルタから持ち込んだ機械類がメンテナンスを受け元気に動いておりました。

一つだけ残念なことは黒河ダイドウではあのリバティをプリントしてなかったことです。これだけな立派な技術があるのだからきっとリバティ製品を生み出す染工場になる日も近いでしょう。

   大同マルタ会会長  田中 頌

アフリカ市場とアフリカプリント

2012年07月16日 | 日記
 アフリカ市場とアフリカプリントのWAX(ワックス)とKANGA(カンガ)について
                        星野 浅夫
      
 前回アフリカに関してのWAX主にJAVA Print(Green WAX) 72インチ送りJAVA Print、Fancy WAX, 両面Print WAX、Imitation WAXについて、私はじめ、他の関係者が記載され、当時の状況、商品等に懐かしく思い浮かべられたと思いますが、KANGA Print 60インチ送り × 110cm 巾については、前回の「回想」では、写真でRoller Print彫刻面のみ表示されていました。しかし当社では当時においてはKANGAの加工数量及び利益率は大きな柱であり、当社の会社自体に対して発展貢献をした商品、誰もが良く御存知と思います。前回の「回想」にKANGA Printに関する記載が漏れていましたので、追伸することに致しました。
 アフリカについて簡単に述べますと、大陸と周辺海域を含めて53の国があり、日本の約80倍と云われ広大な大陸です。世界第2の大陸で世界の陸地の23%程度を占めていると云われている。アフリカ大陸に関して新聞、雑誌、TV等見る限り、最新型自動車が数多く走り回っている。道路は舗装され、空には連日多くのジェット旅客機が飛び、都市には高層ビルが立ち並び、TVが各地の国際ニュースを伝えている。しかし反面紛争、難民、エイズ、マラリア、民族紛争や宗教対立、飢餓倒れている子供達の姿がTVを通して報道されている状況です。

 西アフリカWAX 
 西アフリカはWAXが中心で、レバノン系商人の姿が多く、当社はレバノン系商人のバイヤー(客先)と直接商談成立させていた。特に最大手のSIERRA(シオラ)-LEONE(レオネ) 首都 FREE(フリー) TOWN(タウン) のバイヤーAH.Basmaと取引しており、丸紅商社を通じて1回1度で新柄、レピート柄で約90万ヤールを決めていたこともある。その他の商談先の国として、ナイジェリア、ガーナ、ライベリア、コンゴ、トーゴ等があげられる。
 西アフリカのWAXは全地域、各国共、現地の女性の衣類(服装)となっている。又各地域によって柄、色、形等がそれぞれ違うので、仕向地によってデザイン、スタイルの企画が考案され選択される。
 WAXのファッションは前回発行の「回想」で写真を見ていただいたように、西アフリカWAXは女性はムソールという頭布で頭を覆う。巻き方によっては年齢や出身地等が分かる。   一般的な巻き方は、つばなしの丸い帽子の横で留め脇のあいた衣服で滑り落ちそうな広い襟口が、肩をあらわにさせ男達の情欲をそそるとか・・・又女性達は裾をたくし上げたり、巻き込んだりして、ゆったりと着こなす。

 東アフリカ KANGA
 東アフリカはKANGA でインド系商人の姿が多く、インド人バイヤーと商社間で直接商談交渉成立させている。当社は主に西沢(株)東アフリカ地域国はケニヤ、ウガンダ、タンザニアのバイヤーと商社が交渉する。
 KANGAは女性が腰に巻いている布のことで、通説では当初のデザインが水玉模様だったと云われており、(スワヒリ語で「カンガ」東アフリカ現地語(マサイ語)がこの名を付けたとかされている。KANGAは四方を枠で囲ったデザインで独特の諺がプリントされている。色も1色から多くて3色のプリント、デザインは多種多様で単なる連続パターンのもの、動物や花などの具象物まである。商品の選択のポイントはデザインはもとより必ず開いてみて、欠点があるか調べられる。KANGAは一枚布を腰に巻きつけるだけでなく、地域、民族によってはドレス、スカート、ショール、帽子代わりのベットスカーフなどさまざまに活用される。KANGAの出来る前は小さなスカーフ等をつなぎあわせて着ていたのが、大型の一枚布になったとか。1920年代から70年代末までは日本が大量生産加工(当時加工場は他に昭南染工、笠野染工)KANGAを輸出していた。当社の受注先は西沢(株)が主体で他に伊藤忠、丸紅、トーメン、日商、の商社から少量ながら受注していた。  一時は日本全体で加工数はシェアの80%にも達していたが現地自国製の他インド製が多 く日本はまったく皆無となってしまった。 
 KANGAは150cm送り、巾110cmの綿織物で、116本カンガーと呼ばれ(116本はタテ/ヨコの糸本数の合計を云う。116本ボイル)
 彫刻は特殊60インチ送りの彫刻にて外注先は堀彫刻所(株)で専門に仕事されていた。
 WAXの送りは72、36、25(ロータリー)22、16インチの各送りがあるがKANGAは60インチ送り一本に限られている。
 KANGAの数量は一柄当り11000ヤード、しかも大統領選挙、誕生日、記念日、祭日等の場合は1柄50000ヤード以上の時もあり、今では考えられない数量です。
    
 最後にKANGAは日本では腰巻として使うことはあまりないかもしれないが、テーブルクロスや壁掛けにすれば良いと思う。又玄関先などに吊るして目隠カーテンとして使用してもきれいだ。
 思い浮かべるに当時WAX,KANGAの最盛期時代は捺染部、液場、調色部、職場によって長靴を使用している作業員は殆ど靴下替りか、水虫防止のためか足に巻いた。再度使用する場合は小型シリンダーで乾燥して繰り返し使用後、すぐ捨て、無駄にした時期が思い浮かびます。
                              以 上

北海道のんびり旅

2012年07月09日 | 日記
マルタ会新規ブログ拝見しました。
私も今後気が付くことがあれば投稿して行きたいと思っています。

私事ですが6月7日~14日までの7泊8日の日程で北海道を旅してきました。行きたい最初の地北の最北端地稚内の宗谷岬の写真ですうまく撮れていませんが悪しからず・・・・・・・
                         7月9日  マルタ会会員  冨田記

知内川でBBQパーティ

2012年07月08日 | 日記
7月8日(日)知内川に旧釣りクラブのメンバーが17人集まった。
昨日来の雨が心配されたが、午前中には梅雨の合間の晴天であった。

朝早くから竿を入れたが釣果が芳しくなかったため、早くからBBQを開始した。
焼肉・鮎の唐揚げ・鮎飯・鮎の甘露煮・・・と盛り沢山。全員満腹感を覚えた。
午後からは鮎が大量に遡上し出して、川面が真っ黒になり、入れ食いの状態にびっくり。

全員この次はキス釣り・ハゼ釣りに行くことを誓って西江州路を後にした。



写真画面をクリックしてください

M・Mさんからのメール

2012年07月06日 | 日記
元気ですか
昨日の同染会には欠席されたので、逢えなくて残念でした。しかし会員名簿にも、欠席者名簿にも貴兄の名が無くてどうした事かと不審に思いましたが、何か理由があるようですね。
前回1月の総会では出席者70名、欠席者70名と半々でしたが、今回は夫々66名、71名となって寂しくなりましたが、今回の出席者を見ると私より歳上は、井崎、藤原の2名でその次が私のようでした。いよいよの感を深くしました。

中迫君が真っ赤な顔で先日の、私の提案について大変前向きな話をして頂き、とても嬉しく思いました。その他、大藪、岡田、開原、久世、佐藤、田口、野瀬、藤本君らと交歓しましたが、特に遠路入洛した畝君とは久し振りに逢いましたがとても元気そうでした。


返信

3週間ばかりの間PCが壊れて新品を買うまで世間と離れてしまいました。 

同染会の報告はいつものように岡田君から画像で来るのを楽しみにしております。

私は同染会には入っておりません。大同マルタ会だけです。それで十分と思っております。

大同マルタ会のブログの原型がほぼ出来ましたので、近いうちに公開しようと思っています。

今でもサンプル用の大同マルタ会のブログを見ることができます。しかしまだ書き込みは許可していません。

見るだけでしたら検索エンジンから「大同マルタ会」を検索して見てください。

大同マルタOB会は嘗ての我々有志者のブログです。間違わないでください。

大雨・節電・原発再稼働・政争と大変な夏ですが身体だけはご自愛ください。

ショウヤンの投稿でした

花かんざしで 同染会

2012年07月05日 | 日記
  

小雨が降る中57同染会が盛大に開催されました、

参加者は年々少なくなってきている傾向だが(66)参加された方々は元気いっぱい

現状の話、昔の話 将来の話と各席とも会話の花が咲いていました。


岡田さんの投稿を無断で拝借いたしました。すみません  ショウヤンでした