東洋紡のアフリカンプリント
1月31日、京都工芸繊維大学上田先生、法政大学杉浦教授、立命館大学鈴木教授他研究員3名等と計7名で、久しぶりに東洋紡へ行きました。東洋紡に戦後最初の頃に染色捺染した見本帖があるということで、それらの調査に私も立ち会いました。
保存されていた部署は「社史編集室」、小さな3個の白い箱におさまっていたのは、大小あるがほぼ15㎝×20㎝くらいの大きさで、70~80枚くらい重ねて綴じられた製品見本帖である。埃だらけの段ボール箱に乱雑に突っ込まれていた「大同コレクション」とはえらい違いである。
表紙にはっきり年代が記録されていて1960年代からさかのぼって見ていき、一番古いものは1949年、終戦から4年しかたってない。アフリカ向けは各年代に必ず存在し、大同はじめ日本の各社がプリントしていた「イミテーションワックス」である。しかし品質は非常によい。アフリカ向けで最初に現れた1949年のものは「イミテーションワックス」というより、「ジヤバプリント」と言っていいくらい素晴らしいもので、藍を使っている。
東洋紡は1956年から1972年まで、オランダ製品に負けない「リアルワックス」を生産し輸出していた。この製品は、東洋紡社内でも極秘あつかいだったため、記録・サンプルは全く残っていない。 溶かしたワックスを捺染するロールの彫刻を守口工場から依頼され、「大同KPD」で彫刻していたと、佐藤 忠さんからつい最近聞いた。すごい特殊技術だったそうです。誰にも知られずに大同の彫刻技術が「東洋紡リアルワックス」に使われていたとは驚きです。
(当方、ほんとは「東洋紡リアルワックス」が一番見たかった)
先生方は、年代のはっきりした日本から輸出していた「アフリカンプリント」を写真に撮り、それが戦後すぐ1949年にはすでに生産していることを確認でき、ご満悦でした。
1月31日、京都工芸繊維大学上田先生、法政大学杉浦教授、立命館大学鈴木教授他研究員3名等と計7名で、久しぶりに東洋紡へ行きました。東洋紡に戦後最初の頃に染色捺染した見本帖があるということで、それらの調査に私も立ち会いました。
保存されていた部署は「社史編集室」、小さな3個の白い箱におさまっていたのは、大小あるがほぼ15㎝×20㎝くらいの大きさで、70~80枚くらい重ねて綴じられた製品見本帖である。埃だらけの段ボール箱に乱雑に突っ込まれていた「大同コレクション」とはえらい違いである。
表紙にはっきり年代が記録されていて1960年代からさかのぼって見ていき、一番古いものは1949年、終戦から4年しかたってない。アフリカ向けは各年代に必ず存在し、大同はじめ日本の各社がプリントしていた「イミテーションワックス」である。しかし品質は非常によい。アフリカ向けで最初に現れた1949年のものは「イミテーションワックス」というより、「ジヤバプリント」と言っていいくらい素晴らしいもので、藍を使っている。
東洋紡は1956年から1972年まで、オランダ製品に負けない「リアルワックス」を生産し輸出していた。この製品は、東洋紡社内でも極秘あつかいだったため、記録・サンプルは全く残っていない。 溶かしたワックスを捺染するロールの彫刻を守口工場から依頼され、「大同KPD」で彫刻していたと、佐藤 忠さんからつい最近聞いた。すごい特殊技術だったそうです。誰にも知られずに大同の彫刻技術が「東洋紡リアルワックス」に使われていたとは驚きです。
(当方、ほんとは「東洋紡リアルワックス」が一番見たかった)
先生方は、年代のはっきりした日本から輸出していた「アフリカンプリント」を写真に撮り、それが戦後すぐ1949年にはすでに生産していることを確認でき、ご満悦でした。