本校1年生120人は、11月30日(日)に実施される
第2回「加賀ふるさと検定」(初級)に団体受験をします。
そこで、本校地歴公民科では、生徒の学習をバックアップするために、
模擬問題を作成し、スキルアップタイム(朝学習)の時間に活用します。
今回は、その模擬問題(歴史編)をご紹介させていただきます。
もしよろしければ、皆さんもチャレンジしてみて下さい!!
加賀ふるさと検定(歴史編)模擬問題(1)
◇各問題に対して、それぞれ①~④までの選択肢の中に正解が1つあります。
解答用紙に、正解と考える番号を1つだけ○で囲って下さい。
(正解は、最後にあります。)
(1)縄文時代早期(今からおよそ9千年前)の( ? )遺跡からは、県内最古の土器が
出土しています。この土器は尖底楕円押型文土器と呼ばれ、底部が尖った砲弾のような
形をしています。
① 大野山 ②柴山出村 ③宮地向山 ④狐山
(2)大聖寺川右岸の辺りで発見された( ? )遺跡は、県内でも最多の縄文時代中期
の土器が発見されています。
①横北 ②藤の木 ③猫橋 ④錦城
(3)南郷町から吸坂町、上河崎町にかけての丘陵地には、およそ85 基もの古墳が
密集しており、黒瀬・南郷古墳群と呼ばれています。このうち、( ? )古墳は
全長70mを超す市内最大の前方後円墳です。
①富塚丸山 ② 吸坂A3 ③九谷A ④吸坂イカリ山
(4)勅使町では、大正11 年に考古学者の上田三平により、6 世紀中頃から7世紀末に
かけての( ? )横穴群が確認され、昭和4 年には国の指定史跡となりました。
①法皇山 ②狐山 ③大日山 ④柴山
(5)宮地町と篠原町との間の水田の中に「( ? )」と呼ばれる大きな石があり、宮地廃寺
の塔心礎に使われた石とされています。
①鏡石 ②じょうじゃのかま ③灰塚 ④手水鉢
(6)「白山三箇寺」として那谷寺、温谷寺、( ? )があります。
①温泉寺 ②栄谷寺 ③大聖寺 ④願成寺
(7)現在、山代温泉薬王院に安置されている「木造十一面観音像」は、もと大聖寺慈光院の
本尊として祀られていましたが、関ヶ原の戦いの折、大聖寺城主( ? )が前田利長に
攻め滅ぼされた際に、池の中に投げ入れられ難を逃れたと伝えられています。
①山口玄蕃 ②溝口秀勝 ③前田利治 ④東方芝山
(8)寿永2年(1183)、加賀国篠原加賀市篠原町あたり)の地で、平家の武将、斎藤実盛は、
義仲の家来、( ? )に討ち取られました。
①拝郷五左衛門家嘉 ②戸次右近広正 ③手塚太郎光盛 ④上木平九郎
(9)建武3年(1336)、反尊氏派の新田義貞が越前に入ると、義貞と結んだ( ? )が
狩野一党を味方に入れ、「大聖寺ノ城」に楯籠もる尊氏方の津葉清文を攻め落としました。
①畑時能 ②山岸新左衛門 ③富樫正親 ④大見実泰
(10)鎌倉時代以降、福田庄・山代庄本郷・富墓庄は、京都の菅原道真を祀る( ? )の
社領でした。現在、加賀市内には菅原道真を祀る菅原神社が多数鎮座しているのは、
このことと深く関連があると思われます。
①東大寺 ②東寺 ③北野天満宮 ④白山神社
(11)2世遊行上人真教は正応4年(1291)8月、加賀へ遊行し、これが江沼の民衆が
念仏に接した最初となりました。( ? )は、南北朝時代以降、柴山・林・額田・大聖寺などの
海岸寄り一帯に広がり、潮津の西光寺がその中心となりました。
①一向宗 ②真言宗 ③三門寺派 ④時衆
(12)長享2年(1488)春、富樫正親が居城高尾城の防御を固めると、( ? )一揆は
加賀の各地で蜂起し、高尾城を包囲して落城させ、6月に富樫正親を自害させました。
①国人 ②百姓 ③一向 ④土
(13)1531年、超勝寺一党が攻撃に出て波佐谷松岡寺、次いで若松本泉寺を焼き払い、
さらには江沼郡に攻め込みました。光教寺では顕誓を中心に、有力国人らが越前朝倉の
援軍を得て戦いましたが破れて、越前に逃れました。この事件を「( ? )の錯乱」といいます。
①享禄 ②文明 ③長享 ④正徳
(14)天正11(1583) 年、羽柴秀吉は賤ヶ岳の戦い(滋賀県)で柴田軍を破り、柴田勝家は
北庄(福井市)で命を絶ちました。この戦いにより、江沼郡では、丹羽長秀の与力、( ? )が、
4万4000石の領主として大聖寺城に入り当地を治めることになりました。
①山口玄蕃 ②溝口秀勝 ③前田利治 ④東方芝山
(15)加賀藩2代藩主前田利長は寛永2年(1625)に久世徳左衛門に命じ、別所村から
山代新村に至る( ? )用水を完成させました。
①市之瀬 ②紙谷 ③鹿之鼻 ④矢田野
-正解-
(1)① (2)② (3)④ (4)① (5)② (6)② (7)① (8)③ (9)① (10)③
(11)④ (12)③ (13)① (14)② (15)①