本校1年生120人は、11月30日(日)に実施される
第2回「加賀ふるさと検定」(初級)に団体受験をします。
そこで、本校地歴公民科では、生徒の学習をバックアップするために、
模擬問題を作成し、スキルアップタイム(朝学習)の時間に活用します。
今回は昨日に続いて、その模擬問題(歴史編)第2回をご紹介させて
いただきます。皆さんもチャレンジしてみて下さい!!
加賀ふるさと検定(歴史編)模擬問題(2)
◇各問題に対して、それぞれ①~④までの選択肢の中に正解が1つあります。
解答用紙に、正解と考える番号を1つだけ○で囲って下さい。
(正解は、最後にあります。)
(1)加賀藩3 代藩主前田利常は、3男( ? )に大聖寺藩7万石を分け、
支藩として独立させました。
①前田利家 ②前田光高 ③前田利治 ④前田利次
(2)大聖寺藩3代( ? )は長く江戸にいて藩政をかえりみず、神谷内膳と
村井主殿の抗争を招きました。
①前田利明 ②前田利長 ③前田利治 ④前田利直
(3)小塩辻村の十村だった初代( ? )は宝永6年(1709)に、
貴重な農書『農事遺書』を著しました。
① 鹿野小四郎 ②堀野新四郎 ③和田五郎右衛門 ④橋本源左衛
(4)大聖寺藩の参勤交代では、大名行列の人数は(250~300人)が多く、
9代利之は文政5年(1822)4月に最大の( ? )人で交代を行っています。
①197 ②297 ③397 ④497
(5)江戸時代の中頃から明治中期頃までの間、大坂を拠点に、瀬戸内を通って
日本海を北上し、北海道までを往来した北前船の特徴は各地の港で積み込んだ
荷物を売り買いし利鞘(差額)を稼ぐ「( ? )」であったことでした。
①菱垣廻船 ②買積船 ③樽廻船 ④汽船
(6)北前船はとくに( ? )や昆布などの北海道の海産物を大量に大坂まで
運び、多額の富を得ました。
①鮭 ②鰊 ③鱈 ④秋刀魚
(7)橋立には( )名もの北前船主や船頭がいたことが、
寛政8年(1796)の記録に残っています。
①42 ②52 ③62 ④72
(8)瀬越からは、大聖寺藩政以前から、敦賀までの米の輸送をおこない、
現代までおよそ400年もの間、海運業一筋の家業を続けた廣海仁三郎と、
早くから和船を汽船に切り換え、海外航路を切り開いたことで知られる
( ? )の2大船主がでました。
①久保彦兵衛 ②西出孫左衛門 ③大家七平 ④西野小左衛門
(9)松尾芭蕉は、泉屋の当主でまだ14 歳の少年久米之助に「( ? )」
の号を与えました。彼は芭蕉の期待に応え、後に北枝とともに加賀俳壇の
発展に寄与しました。
①桃妖 ②桃青 ③曾良 ④蓮如
(10)昭和2 年、美声で知られた芸妓、初代( ? )が三味線の音に
合わせて唄った「山中節」がレコード化されて日本全国に広まりました。
これが現在に伝えられている「正調山中節」です。
①米六 ②米七 ③米八 ④米九
(11)明治元年(1868)、大聖寺藩は官軍から弾薬の調達を命じられた際、
その資金不足を補うために一歩銀や銀の簪などを集めて、錦城山下の洞穴
で二歩金を偽造しました。この貨幣の偽造事件を( ? )事件といいます。
①マカロン ②パトロン ③フェートン ④大津
(12)真っ白で肌ざわりのよい「大聖寺羽二重」は、海外にまで輸出されました。
一時、生産が振るわなくなった時期もありましたが、( ? )や清水孝平、
豊田鍋吉などの大聖寺の機業家たちの努力により、大聖寺の絹織物は再び
隆盛をむかえました。
①西出朝風 ②本川弘一 ③桂田富士郎 ④篠原藤平
(13)昭和27 年の衆議院選挙で東谷奥村出身の( ? )が初当選、以後
3回当選、さらに参議院全国区議員にも当選して、名参謀の名を政界にも残しました。
①辻正信 ②竹田儀一 ③坂田英一 ④梅田五月
(14)当地域の学芸を尊ぶ風潮は、明治、大正、昭和と受け継がれ、橋立町出身の
( ? )は、東北大学植物園の初代園長を務め、「ヤナギ」の研究者として
知られています。
①木村有香 ②西出朝風 ③本川弘一 ④桂田富士郎
(15)昭和33年(1958)1月に、山中町を除く9町村の合併により「加賀市」が
誕生しました。同年2月には初の市長選挙が行われ、山中町出身で大同工業社長
の( ? )が当選しました。
①飛鳥井清 ②新家熊吉 ③梅田五月 ④柿沢理平
-正解-
(1)③ (2)④ (3)① (4)③ (5)② (6)② (7)① (8)③ (9)① (10)③
(11)② (12)④ (13)① (14)① (15)②