Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/竹富島

2021-01-02 23:15:43 | 旅行

2019年の記録

南国の強烈に青い空と透きとおった海

 

竹富には、以前から行かなくてはならなかった。というのも、若くして亡くなった真友が通い詰めていたところだからだ。彼を見舞う時には、「元気になって、竹富、案内してくれよ!」がお決まりのあいさつになっていた。僕は、車椅子に乗せても彼と本気で竹富に行くつもりでいた。しかし、彼は、回復することなく逝ってしまった。「オイ、コラ、順番守れ!」(年下だった彼を見送るなんて考えていなかった) 竹富へ行く目的は1つ、何が彼を惹きつけたのかを知りたい、それだけだ。

(新年早々、湿っぽい始まりですみません)

 

東京はもちろん、那覇よりも台湾に近い石垣島、竹富島

 

竹富島へは、石垣空港まで飛行機で行き、バスでフェリーターミナルへ。フェリーターミナルから高速船で僅か10分。地図を見ると果ての果て、といった位置にあるが、意外にアクセスは良い。直行便を使えば、東京を朝出発、昼過ぎには竹富島に着いてしまう。

 

港からバスでゲストハウスまで行き、荷物を置き、自転車を借りて島内散策。小さく平坦な島なので、自転車があれば楽勝!って思っていたが、ちょっとした落とし穴があった。メイン道路は、舗装されているものの路地は、砂にハンドルを取られる。(キャスター付きのキャリーバックは、使い物にならなかった・・・汗) 何だかんだ言っても、時間は十分にあるし、のんびりいこうか。

 

沖縄ならではのゴヤチャンプルが第一食、ボリュームがあって健康的、結局、毎日食べていた。

 

この島で、数日ダラダラする。時間を贅沢に浪費して、命の洗濯をする。と言っても、1つだけ時間を気にしなくてはならない。夏の観光シーズン前ってこともあり、島内の食堂は、休業も多く、また営業時間も短い。コンビニなんて、もちろんないし、よろず屋も早々と閉店する。食材を持参してくれば別だが、手ぶらで来ると結構ちゃんとしないと食事にあぶれて、ゲストハウスのカップラーメンで命を繋ぐことになってしまう。

 

琉球らしい赤い瓦とシーサー

 

亜熱帯なので、クーラーを終日つけていないと危険だと言われた、僕は暑さにめっぽう強いので、かなりアクティブに真っ昼間も散策したが、理想的な生活は、こんな感じか?

日の出に合わせて散歩、木陰で朝食、しばらくPCいじり(こんな離島でもWi-Fiがあって、リモートワークができてしまう)12時前に近くのレストランで食事。食後はクーラーの効いた部屋で昼寝。暗くなる前にビーチで水遊び、夕陽を見た帰りにレストランで夕食。

 

日中は、強烈の陽射しがふりそそぎ、真っ赤に焼けた夕陽、そして、明るく輝く月

 

夜の店仕舞は早く、軒数も少ないため予約していないと食事にありつけない。偶然、声を掛けた旅行者が予約していたので、便乗させていただいた。オリオンビールで乾杯し、ソーキそばで〆た。

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/上野界隈

2021-01-02 10:46:50 | 旅行

2019年の記録

 

メンテナンスの行き届いた現役近代建築。“はく製”のような博物館とは違う風格がある。

 

上野は丸之内にあるオフィスへの途中。御徒町駅からブラブラとアメ横を上野駅まで歩くことしばしば。

 

むかしのアメ横のことは知らないが、今のアメ横は、中国人を中心とした多国籍のカオスだ。中国人訪日客相手の土産物屋だけでなく、在住の中国人向けに食材を売る店もある。(中国の市場が再現されている感じ、もちろん中国語が飛び交っている) “もみじ” と呼ばれる鶏の足は、そのままを調理して食べる(ポピュラーで人気がある)中国と違って、日本では、ミンチにして飼料するしかないので、激安なのに中国から来た友人は目を丸くしていた。() 日本食に飽きた中国人訪日客と在住中国人向けの本場の中華料理(地方によって趣きが異なり、日本の中華料理とは別もの)を提供する店もある。もちろん、アメ横は、リトルチャイナとは違って、トルコ人のケバブ屋やアフリカ系の服飾雑貨の呼び込みなどなど。いずれベトナム人の店も増えるだろう。(コロナ以降のことは行っていないので不明)

 

アメ横で買い物するときに失敗しないコツは、①品質の良し悪し、価格の相場を知らないモノは買わない。②今、絶対に買わなくてはならないモノを買いに行かない。といったことが、プロバイヤー・Zhenの言葉です。()

アメ横のひと、ひと、ひとの雑踏は、復活するのか?

 

JRを挟んでアメ横の反対側には、朝鮮・韓国系の人が経営する食材店や焼肉屋街があり、道路を挟みその北側に小粋な近代建築がある。それがビルの谷間にひっそりと佇む比留間歯科医院である。近代建築物を散策していると、××医院、××歯科医院の類が、少なからずある。当時としては、先進的なしっかりとした建物を建てられる個人は、お金持ちのお医者様(と財閥経営者や貴族)ぐらいだったのだろう。

ビルの谷間であっても、目を惹く輝きを僕は感じる

 

旅は続く

 

) あけましておめでとうございます。

周回遅れながら日記を書き続けます、旧年と同様お読みいただければ、幸甚です。