Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第9回

2021-08-14 13:01:51 | 旅行

2021年の記録

 

聖オルバン教会は、質素な山小屋のような木造平屋で、軽井沢にでもありそうな建物である。

 

 

2度目の緊急事態宣言下の散策は、「定期券区間+徒歩」と自主規制をしていた。2月の教会巡礼の記録。

僕の定期区間は、京浜東北線蕨駅から東京駅。行動範囲は狭いようで広い、“徒歩”というのがくせ者で、僕は目的があれば、4、5キロ歩くのは苦にならない元競歩選手だ。(友人曰く、「競歩選手の『歩いて行ける』は、徒歩圏じゃない。プロボクサーの拳が凶器なのと同じだよ。」)

 

 

東京タワーの麓、飯倉交差点近くの高台に聖アンデレ教会と聖オルバン教会が、並んで建つ。どちらも英国国教会を祖とする日本聖公会の教会である。(丸の内にある僕の会社から約3キロ、僕の足で約30分。)

聖アンデレ教会は、1879年にイギリス海外福音伝道会の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショー(避暑地としての軽井沢を広めた方です。) が、福沢諭吉の援助を受け、芝公園に最初の教会を建てたことに始まりました。当初、礼拝堂は英国人会衆とシェアしていましたが1952年、英国聖公会から「敷地内に英語礼拝のための聖堂を建てたい」という申し入れがあり、新たに建設された礼拝堂が聖オルバン教会である。

 

聖アンデレ教会の現在の建物は、1995年(平成7年)に建て替えたものである。

 

 

聖オルバン教会は、チェコ系アメリカ人アントニン・レイモンド(大正末期から日本で活躍し、戦時中は一旦アメリカに帰国していたが、戦後占領軍の一員として再来日)の設計により1956年(昭和31年)に竣工した。なお、聖オルバン教会は、礼拝のすべてを英語で行っている唯一の教会である。

 

 

カトリック浅草教会は、明治初期から明治後期にかけて東京6教会で最多の信徒数を誇った歴史のある教会である。現在の聖堂は、1987年(昭和62年)竣工。1992年(平成4年)に台東区の建築景観賞を受賞。聖堂にあるステンドグラス「誕生・十字架の死・復活」(ジャック・グリュベール工房1929年製作)は、旧聖堂から移設されたものである。(JR秋葉原駅から850メートル)

 

 

浅草聖ヨハネ教会は、1929年(昭和4年)起工、1955年(昭和30年) 改修のゴシック風意匠の鉄筋コンクリート造2階一部3階建て、日本聖公会(プロテスタント)の教会である。(カトリック浅草教会から1.2キロ、JR御徒町駅まで1.8キロ)

 

 

【メモ】

2月12日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、女性蔑視発言の責任を取って辞任した。

女性蔑視に限らず性差別は、許されるべきものではない。しかし、性差別は我々の意識の深層にまで浸透していることは、歴然とした事実である。何も、日本人に限ったことではなく、アメリカ人だって同じだ。高校生の時からアメリカに住み、アメリカ人と結婚した友人(女性)に聞いても、「ある、ある、ない訳ないじゃない」といった答えが返ってきた。確かにアメリカに女性大統領は存在しないし、バイデン新政権で副大統領に就任したカマラ・ハリスは、史上初の女性副大統領である。

じゃぁ、日本と欧米の違いって何か?

「性差別は存在する、しかし、それを容認するようなことを口外してはならない。」 

まさに「それを言っちゃお終いよ!」なのである。

もちろん、口外しなければ良いというものではないが、既述のように性差別は、男女の区別なく意識の深層にまで浸透している。性差別思考の呪縛からの開放の第一歩が、“口外タブー”だと僕は思う。

 

 

旅は続く