Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/彩の国散策物語 第3回

2021-08-15 17:46:08 | 旅行

2021年の記録

 

隣接する深谷市のレンガを使用したゴシック様式の熊谷聖パウロ教会礼拝堂。

 

 

2月下旬になると東京都の新規感染者数も200~300人台/日となり、感染は収束に向かっているものの、依然として緊急事態宣言下。自主規制の「定期券区間+徒歩」を破っても良い理由はないが、破って散策に出た。県内であるとか、毎週のように出張していた群馬県に行く途中であるとか、といった類は、言い訳にならない。開き直って言うと、僕の放浪癖は、病的なレベルであることを認めざるを得なくなった。あらためて、世間様と自分自身に陳謝!

 

 

熊谷の教会巡礼が、唯一無二の目的であるものの熊谷情報を検索していると、熊谷からJRと分岐する秩父鉄道で蒸気機関車(イベント列車)が、緊急事態宣言下の今日も走っていることを知った。しかも、ちょうど教会に行く時間帯である。元々鉄道車両は、嫌いではない、と言う訳で、教会へ向かう途中の踏切でシャッターをきった。(一方でイベント列車などの見せものは好まない)

 

 

正直なところ、鉄道写真撮影ウン十年といった人の作品と比べるなどおこがましいレベル。僕の写真は、風景、建物、スナップ・・・そのいずれも“作品”ではなく、“記録”にすぎないと思っているので、蒸気機関車の写真も、単なる記録以上の何ものでもない。

 

蒸気機関車そのものは、自宅のある栃木県でも休祝日に運行している。(真岡鉄道、東武鉄道鬼怒川線) また、既述したように仕事でまめに行く高崎を起点に上越線、信越線でも運行している。目が慣れてしまったこともあるし、綺麗すぎて、残念ながら感激はない。

 

2015年に住んでいた中国遼寧省北票市の隣町(といってもオンボロバスで山を越えること2時間以上)の阜新市の炭鉱専用線の蒸気機関車が、僕が見た最後の完全実用蒸気機関車である。子供の頃に実用の蒸気機関車を見たことはあったが感激した。下の3枚は、その時の写真だが、PM2.5何のその、といった風情だ。阜新炭鉱で採炭された石炭は、写真の後方に霞む石炭火力発電所で使用される。地元経済を支える石炭産業に異を唱える人民がいる訳がないのだ。(といっても、この1年後、ディーゼル機関車に転換された。) 蛇足ながら、当時の僕が携わっていた仕事は、産業用集塵プラントの製造だった。

 

 

熊谷聖パウロ教会は、1919年(大正8年)竣工、平屋の単廊式会堂で、外壁の要所に尖頭アーチ窓とバットレスを配置する。南北壁に設けられた三連窓は、三位一体を表現している。屋根は、創建時の洋瓦から日本瓦に葺き替えられているが、1223年(大正12年)の関東大震災や第二次世界大戦終戦前夜、1945年(昭和20年)の熊谷空襲にも耐えて、当時の姿を残している。

立教大学礼拝堂および校舎や日本聖公会川越教会を手掛けた建築家ウィリアム・ウィルソンによる設計である。

2005年(平成17年、国の登録有形文化財に礼拝堂と門が登録された。

 

カトリック熊谷教会は、歴史的な建造物でないが、暖かさを感じる。

 

 

【メモ】

2月21日に栃木県足利市西宮町の山林で火災が発生した。近隣と言うほどではないが、自宅と同じ栃木県、避難地域に友人知人はいなかったものの他人事ではない。今までは、山林火災というと海外の話だった。鎮火まで23日間、被害額 約3200万円。たばこの不始末が原因と推定される。

 

2月28日に愛知、岐阜、大阪、京都、兵庫、福岡の6府県の緊急事態宣言が解除され、残る1都3県も3月21日に解除された。1回目の時と比較すると緊張感のない緊急事態宣言下であったものの、東京都の新規感染者数は、緊急事態宣言発令後に下がった。今になってふり返ると、人流抑止効果のあった最後の緊急事態宣言だったのかもしれない。

 

 

旅は続く