Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散歩倶楽部 第3回

2021-05-17 22:22:43 | 旅行

2020年の記録

 

カソリック神田教会の外灯に吊るされた鉢植えの花

 

自分の足跡をマップに記すと、ほぼJR中央線上を東西に繋いでいることに今さら気がついた。

 

僕は同じところに長く居続けられない、いわゆるジプシー体質なのかもしれない。行きつけの飲食店があって、その店に何の不満もなく、仮にその店を超える店がないとわかっていても、行ったことのない店に入りたくなる。“新しもの好き”、“好奇心の塊”なのだ。過去の居住地や日々通っていたところの何ヵ所かを廻ってみた。

 

中野と言ったら、何を連想するのだろうか?「サンプラザ中野くんではなく、『中野サンプラザ』」、「おたくの聖地・まんだらけのある『中野ブロードウェイ』」、「ちょっと渋いところで、『新井薬師(梅照院)』」。(中野区中野、新井)

 

子供の頃、広いと思っていた道路を大人になって行ってみると、なんとも狭い路地だったということは、良くある話だ。(中野区新井)

 

店主とその奥さん、それにあどけなさの残る息子が手伝っていたラーメン屋、今では、あの息子が初老のオヤジになっているとは。(中野区新井)

 

JR国分寺から西武多摩湖線に乗り換え、1つ目の一橋学園駅と次の青梅街道駅の間にある風呂なし安アパートに住んでいた。当時は、スマホどころか、携帯も、固定電話もない。ガールフレンドと話すには、この公衆電話から一方的に連絡するしかない。当然、彼女の父親が電話に出ることも想定と心の準備をして電話を掛けたものだ。あの頃の純情は?(小平市仲町)

 

昭和5年築のチューダー様式建築の旧李王家東京邸は、平成28年(2016年)に赤坂プリンス クラシックハウス(レストラン、結婚式会場)にリノベーションされ、華やかな存在となっていた。僕の記憶は、赤坂プリンスホテル旧館時代のことだ。(東京都指定有形文化財)

※李王家は、韓国併合後日本の王皇族となり、皇族に準じる待遇を受けたが、第二次世界大戦後の日本国憲法施行に伴い、その身分を失った。(千代田区紀尾井町)

 

カソリック神田教会は、関東大震災により倒壊、全焼した大聖堂を昭和3年(1928年)に再建した。外観はロマネスク様式、内部はルネサンス様式という二つの建築様式を融合した鉄筋コンクリート建築物である。また、以前に紹介した宇都宮・松が峰教会の設計者であるスイス人建築家マックス・ヒンデルの設計と考えられている。(千代田区西神田)

 

 

【メモ】 東京を散策した3日後の2月11日になって、WHOは新型肺炎名を「COVID-19」と命名する。しかし、日本では、まだ、まだ、コロナは、対岸の火事だった。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/真岡

2021-05-15 09:53:21 | 旅行

2020年の記録

 

旧大内村役場は、昭和4年(1929年)竣工の鉄筋コンクリート建築。

 

栃木県真岡(もおか)市が、どの程度の知名度があるのか近くに住んでいると意外にわからないものだ。鉄道は茨城県筑西市下館から栃木県茂木町を結ぶ真岡鉄道(第三セクター、旧国鉄真岡線)が走る。真岡鉄道を毎週走るSLが、唯一県外でも知られる観光資源か?蛇足ながら旧樺太真岡郡真岡町(現・ロシア連邦サハリン州ホルムスク)とは関係ない。

 

実は前回紹介した栃木市に午前中に行き、ちょっと時間が余ったものだから下野市を挟んで東側の真岡にぶらりと向かった。

 

鉄筋コンクリート建築の村役場庁舎は、全国的に見てもかなり早い部類に属すると思う。またアーチを多用したデザインも斬新で、当時としては極めてハイカラな村役場として評判になったのではないだろうか。現在は、大内資料館として、市内から出土した土器・埴輪等の埋蔵文化財を保存する施設として活用されていることになっているが、訪問した時は、閉館しており、かなり荒れていた。とても残念な気持ちになる。

 

明治・大正・昭和の時代、料亭や芸者置屋などがあり、華やかな賑わいを見せていた市中心部荒町には、当時の建築物を残す久保記念観光文化交流館(旧久保邸)がある。

 

久保記念観光文化交流館とともに明治中期に岡部呉服店2代目岡部久四郎氏が建築した岡部記念館がある。昭和63年6月まで割烹料理店「金鈴荘」として利用されていた。

 

正直なところ、「是非、真岡にお越しください」とお薦めするほどのモノがない。もし、SLに興味があって真岡鉄道を乗る、見るで、お越しになるのなら、ちょっと覗いてみてください。真岡市民や出身者で、真岡の魅力をご存知の方は、是非ご教示ください。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/栃木市

2021-05-12 23:02:27 | 旅行

2020年の記録

 

街歩きに疲れたらお洒落なカフェで休憩、隈なく周ると結構な歩き甲斐がある。

 

栃木市は、廃藩置県による栃木県設置の明治4年(1871年)から明治17年(1884年)に宇都宮市に県庁が移るまでの14年間、栃木県の県庁所在地だった。

 

今は東北新幹線、JR東北本線のルートから外れ、JR両毛線と東武鉄道が走る県下3番に没落してしまっているが、江戸時代は、江戸との舟運と日光東照宮へ派遣された使者の通行する宿場町として栄えた商都で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れた市街地は、江戸から明治にかけての蔵や商家が多く残り、「美しいまちなみ大賞」を受賞している。

 

栃木の街は、魅力的な建物が “まちなみ”として連続的にならぶ。しかも、その多くが、現役である。洋館と木壁の美しい和館が混在しているが、雑然とした空気はない、それぞれが凛としている。

今までは、白黒フィルムやモノトーンに処理した写真を残してきたが、今回は、美しい青空そのままの色にしている。

 

最近開店したイタリア料理店「蔵の街ダイニング蒼」。映画『ALWAYS  3丁目の夕日』の
ロケ地になった。

 

栃木を代表する有力商人として知られ櫻井家の櫻井肥料店は、登録有形文化財となっている。

 

栃木を開拓した岡田嘉右衛門の屋敷を一般公開した岡田記念館には、栃木県初の理容遺産である市村理髪館を含む。また、周辺の嘉右衛門町は、伝統的建造物群保存地区に指定さている。

 

大正2年(1914年)竣工の栃木病院は、スモーキーグリーンにハーフティンバー※の洋館で、まさに大正浪漫の空気が流れる。

※ハーフティンバー:外部と接する柱・梁・筋交いなどの木材を露出させ、その間をレンガや漆喰で埋めて外壁としたイギリスはじめ北ヨーロッパに多い木造建築。

 

写真は栃木高校記念図書館(大正3年=1914年竣工)、栃木高校は明治29年(1896年)創立の伝統校で、敷地内には記念図書館のほか講堂、記念館の3つの登録有形文化財がある。

 

栃木高校のすぐ近くには、美しい洋館の栃木市役所別館があるが、あいにく修復中で防炎シートに覆われていた。またの機会にご紹介したい。

 

栃木聖公教会前の電線には、ハトが留まっていた。

 

冒頭に記したように江戸への舟運の路となる巴波川。鯉が泳ぎ、休日は手漕ぎの遊覧船が浮かぶ。

 

大正13年(1924年)竣工の洋館を改修したCafe15。土日祝日は、休業のため内見できなかったが、内部は大正浪漫を維持しているようだ。

 

洋館のCafe15の向かいには、「善野家土蔵(通称おたすけ蔵)」(江戸時代後期建築)を改修した市指定文化財とちぎ蔵の街美術館がある。

 

蔵の街大通りに戻り、レトロな商店街を抜け、クルマを停めた新市役所駐車場(旧福田屋立体駐車場)へ。

 

今回ご紹介したのは、ほんの一部。自宅から近いため隈なく散策といった気持ちにならないのである。次の機会には、別の建物をご紹介したいと思う。

 

 

【メモ】 栃木を散策した2020年2月8日の前日には、中国内のロックダウンが本格化するが、日本では、まだまだ“対岸の火事”。しかし、コロナの暗雲は、日本にも確実に迫っていたのだ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第2回

2021-05-09 22:32:03 | 旅行

2020年の記録

 

特別に礼拝堂の内部の撮影を許可されて撮影 (カソリック赤羽教会)

 

訪問先を地図に記すと、何とも脈略無く移動していることに驚愕。土地勘があることをいいことに思いつきで移動した結果だ。

 

麻布南部坂教会は、有栖川記念公園の向かいにある大正7年(1918年)竣工の木造2階建ての小さな教会だ。設計は、日本の教会建築を多数手掛けた一粒社ヴォーリズ建築事務所。教会の名前はおしゃれなのだけど、塀に囲われた狭い敷地にあって、写真を撮るのがむずかしい。(Zhenの我が儘な感想です。)

 

安藤記念協会は、大正6年(1917年)竣工の総大谷石造りの教会建築です。アーチ型のステンドグラスは巨匠・小川三知の製作。なお、安藤記念協会は、初代ハワイ総領事・安藤太郎氏が文子夫人の遺志を継ぎ、自宅を日本メソジスト銀座教会安藤記念講義所として献げ、大正7年(1918年)に「安藤記念教会」として設立が許可されたことに始まる。夏になると緑の蔦に覆われ、冬とは違った趣になる。

 

カソリック高円寺教会の大聖堂は、昭和24年(1949年)竣工、建築物としては、特別な注目がある訳ではない。訪問した理由も極めて個人的なもので、子供の頃、父親と礼拝に行っていたということに尽きる。諸々の思い出はあるものの、それは別の機会に譲るとして、父親と教会に行くときは、いつもタクシーだったのだが、教会の前まで乗り付けることはなく、雨天でもちょっと離れたところで下車していた。

 

高円寺教会から真っすぐ赤羽に向かえば良いものの、なぜだか東京ジャーミイ(「5/1付東京散策倶楽部」で紹介)に寄っている。多分、東京ジャーミイの一角に出店していたTHE MOSQUE COFFEE(トルココーヒー店)の店主とおしゃべりでもしたくなったのだろう。コロナ禍前の幸せな休日の行動である。

 

JR赤羽駅近くにあるカソリック赤羽教会は、昭和26年(1951年)竣工の美しい教会だ。千ベロの街・赤羽のイメージとは、ちょっと違うが、通勤途中にあり、しばしば訪れている。

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/高崎

2021-05-08 21:42:06 | 旅行

2020年の記録

 

高崎駅前にある豊田屋旅館本館は、国登録有形文化財だが、今も現役バリバリの木造駅前旅館。(昭和6年竣工)

 

コロナ禍以前は、月に3、4回ほど高崎に出張していた。と言っても、日帰り出張で、街をぶらぶら散策する時間はない。しかし、稀に2日続けて出張となることがあって、そんな時は、多少自腹を切っても泊りにした。「往復数時間を車中ですごすのは非効率」というのは、表向きの理由で、僕が知らない街を散歩したかっただけのことだ。(笑)

 

高崎には、ちょっと変わったアイス屋さんがある。創業昭和4年、氷・日本一(run run ice)。かき氷の販売は、4~10月の13~17時。出張族には、ちょっとむずかしい時間帯だが、1度食べてみたいものだ。

 

高崎聖オーガスチン教会は、1929年竣工の鉄筋コンクリート造平屋建(ネオ・ゴシック風)で、外壁を改装しているが、有形文化財登録されている。

 

高崎の街を散策していると、あちこちで蔵を見つける。その中で、目に留まったあれこれ。

 

 

【メモ】高崎を散策した2020年1月30日は、中国の春節休暇の最終日のはずだったが、コロナ拡散防止のため春節休暇延長となった。すでに中国は、コロナの暗雲の下にあった訳だが、日本では、“対岸の火事”の認識だった。僕自身、3月末になれば訪中できると思っていた。

 

 

旅は続く